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清純派魔導書と行く異世界旅行!  作者: 三澤いづみ
第四章 『テクノ・マジカディア』
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第六話 『観光案内』



 さて。

 ここまで長かったが、ようやく街の様子を知る機会に恵まれた、と言える。

 なにしろ街に踏み入れた途端に騒ぎに巻き込まれ、詰め所に連れて行かれ、牢屋に入れられて、地下迷宮を通り抜け、ようやく地上に出たと思ったら、微妙な緊張感漂うマジカディア魔法学院内での捜査。

 息つく暇も無かった。

 ミリエルと並んで市街地、というか歓楽街方面に踏み出すと、隣から一歩二歩と先に進んで、魔法使い然とした帽子が揺れた。


「さて、ヨースケよ。ルイザを探すにしても、あてはあるかの?」

「そこそこ有名人みたいだし、聞けば分かるだろ」

「甘いのう。見よ、この街を。学院が中心部にあるとはいえ、それなりに広い街じゃ。無闇に歩き回っては端から端まで歩くだけで夜が明けよう。市街地、歓楽街、商業地……まあ、学術都市として機能させるために区画ごとにある程度、施設や店舗はまとまっておるが……しかし、酒場ひとつとっても十や二十といった数で到底足りんわけじゃ。街にいるのは学院関係者や親類縁者だけでない。普通の住民もいれば、観光地で金儲けするために移り住んできた者たちもいる」


 ミリエルはそう言って、街に向かって手を拡げた。

 学院の敷地側から見た景色は、当初覗いた街中の光景とは随分と異なっていた。

 夜闇に包まれた無数の建物は、しかし膨らむような光をこぼれさせ、どこまでも明るい。

 空にちりばめられた星々がわずかに薄れるような、そうした夜闇を白くさせる地上からの輝きだ。


 頑丈そうな建物が建ち並んだ学院の、大学めいた静けさと比較すると、それがやけに目に留まる。

 背後には薄暗く、静まりかえった堅牢な知の集積場。

 学院で何より目を引くのは、他と比べて極端に背の高い、威容を誇る巨大な塔だった。


「へえ……」

「なかなかの夜景じゃろ?」


 ひるがえって前方、視線の先に広がっているのは、都心の駅前でよく感じた賑やかさ。

 ネオン街の輝きめいて、これまで目にしてきた世界観に似合わないカラフルな光が覗いている。

 これまでの街で見た灯りは、オイルランプや燭台の灯火が多かった。

 だが、ここにあるのはもっと人工的な照明であり、数も色合いもまったく異なる。

 ティナが持っていたマジックランプのような光だ。それも一つや二つではなく、街全体に備え付けられているように感じられた。

 旅路で慣れ親しんだ中世的な光景から、急に未来的な都市の気配が立ち上っていた。

 なるほど、ティナが薦めるだけのことはある。

 ここマジカディアは、ある意味できわめて先進的な都市なのだ。


「どうした」

「いや、思ったよりも感動が少ない気がしてのう」

「そんなことはないぞ」

「そうかの?」


 もちろんこの無数の照明が電気エネルギーで賄われているとは思っていない。

 ここマジカディアには魔法学院の存在がある。この情景は魔力的な何かを張り巡らせて実現しているはずで、それはそれで非常に驚くべき事だし、凄まじいことをやってのけているに違いない。

 しかし。

 惜しむらくは、俺にとってはむしろ見慣れた光景であった、ということだろう。

 少なめだった感動の代わりに、若干ではあるが、日本が恋しくなってしまった。

 俺の長めの沈黙をどう受け止めたのか、ミリエルが微笑んだ。


「あてもなく彷徨っていては、ただいたずらに時間を浪費するだけじゃ。ゆえに、ワシ自ら、この地の案内をつとめてしんぜよう」

「……は? いや、ルイザを探すために……」

「ご主人様ご主人様、ミリエルさんはティナさんがする予定だった観光案内を、代わりにしてあげようと言ってるんですよ。観光目的ならマジカディアだって、さんざん薦めてましたからね」

「そんな場合か」

「そんな場合じゃよ。もちろん、たのしい物見遊山だけが目的ではない。ヨースケにも地理的な特徴を把握してもらったほうが、後の展開にとって良いだろう、という判断じゃ」


 どちらが建前なのかはともかく、少なくともルイザの居場所を探すのには、ミリエルの先導に従った方が早いのは間違いない。

 土地勘があれば、孤立した学生の行き先にも見当が付くのかも知れないし。


「というわけで、いくぞヨースケ!」

「ずっと学院にこもって気の滅入る話ばかり聞かされてましたからね。多少は気分転換したほうが良いかもですね、ご主人様」

「分かった分かった。で、その手はなんだ」

「はぐれぬよう、手を引いてやろうという親切心じゃよ」

「なるほど。よろしく頼む」


 俺はミリエルが差し出した手を握りしめた。幼げな容貌に似つかわしい、小さな手だった。

 夜気が移ったか、若干ひんやりとした感触があった。ただ、手のひらには硬い部分もある。日常的に短杖を使っているせいで出来たタコかもしれない。


「……む」

「あてが外れたって顔だな」

「そうじゃな。これがラクティーナのやつなら、子供扱いしないでよ、とふくれたじゃろうし」

「よく誤解されるが、俺は意外に素直なんだ」

「つまらんのう。こう、若い男の子であれば、年端も行かぬ娘と手を繋げば、そのときから胸はドキドキ耳まで真っ赤、いつしか息は荒らぎ、何もしないから何もしないからと優しい声をかけつつ、目はさりげなく連れ込み宿を探し、足は自然と……ああ! 体格差もあって、もはや抗えぬ! 流されるままに進み、あわれ囚われの美少女ミリエルちゃん! 若い男の持て余した情熱をぶつけられる運命とは!」

「あの。盛り上がっているところ悪いのですが、ミリエルさん、気づいてます?」

「なんじゃ、今いいところなんじゃが」

「周囲の目」


 一変した景色の中に混じり、歩き出してしばらくすると、スピカが小声で水を差した。

 忘れていたわけではなかったが、ここは街中である。そしてミリエルは声を抑えてはいなかった。

 いつの間にか増えた通行人の俺を見る目が、どこか穢らわしいものを見る目つきになっていた。

 危険である。何が危ないって、俺の社会的な地位が何よりあぶない。

 放っておけば最初の鉄牢に逆戻りである。

 通りがかった中年女性が、つかつかと歩み寄ってきて、険しい顔で俺に尋ねてくる。


「あの、失礼ですが……そちらの娘さんはあなたのご兄弟か何か?」

「いえ、ただの連れです」

「なんてこと。事案発生ね。……通報、してもよろしいかしら」

「まあ待て待て。ここはワシの顔に免じて、こやつは許してやってくれんか。ただワシの見目形が魅力的すぎたのが悪かったんじゃ。ヨースケには罪はない。男性であれば仕方のないことなのじゃ」

「その言い方だと誤解されるだろ。俺は何もしてない」

「性犯罪者は皆そう言うんです!」

「濡れ衣の場合でも全員そう言うでしょうが。さっきのは全部、この娘の冗談ですよ。こいつ、ひとをからかうのが大好きなだけです」


 面倒ごとになってしまった。

 つくづく俺の気配は不穏当らしい。ミリエルの見た目はティナより若干下くらいに見えるが、格好は古めかしい魔法使いのそれである。魔法使いには全般的にエリートが多く、ここマジカディアでは特にそうした扱いをされると聞いた。

 いわゆる、IQが高い、というやつである。

 年齢よりも成熟した存在として認識されているはずなのだ。伝え聞くティナに対する評価からして、子供扱いをされることは滅多にないはずである。

 多少年が低く見えるくらいでは、心配するようなこともないと思うのだが。


「嘘を言っているようには見えないけれど……お嬢ちゃん、本当に大丈夫?」

「騒がせてしまって、すまんの。これこの通り、ワシとこやつはすこぶる良好な関係じゃよ。気遣ってもらったのはありがたいんじゃがな」

「無理に言わされているだけなら、お姉さんに言ってちょうだいね?」


 お姉さん、という年ではないが、それを口にしない程度の分別はあった。

 ただ、事案扱いしておいて俺に謝罪の一声もないあたりに、ちょっと腹立たしさは残る。

 俺の立腹とは無関係に、ミリエルが眉をひそめたのが見えた。


「ふむ。……お姉さんは、ワシのことを妙に心配するのう。他に比べて治安が良いことで知られるここマジカディアで、そうした懸念があるような出来事でもあったかの?」


 よく言う、とミリエルの純粋そうな疑問顔に、噴き出すのをこらえた。

 来て早々冤罪で投獄されかかるは、暗殺されかかった人間の言葉ではない。

 お姉さん呼びに気をよくした中年女性は、ミリエルの疑問に、言葉を選びつつ答えた。


「その、……こんな可愛らしいお嬢さんに聞かせる話でもないのだけれど、何年か前から……若い娘さんが乱暴される事件が起きていて、ね」

「なんじゃと。そのようないたましい事件があったとは、知らなんだ」

「あんまり大げさに騒ぐと……分かるでしょう?」

「うむ。被害者の少女たちがより苦しむであろうことは、容易に想像が付く。じゃが、今の口ぶりだと犯人は捕まっておらんのじゃろう。それこそ注意喚起し、全力で捜査すべき案件ではないか?」

「警邏のひとたちは地道に捜査しているらしいのだけれど……今のところ犯人の手掛かりもないのよ。それにね、被害者には学生さんもいたらしくって……」

「学生、じゃと?」


 年に似合わぬ眼光を煌めかせ、ミリエルが聞き返した。

 中年女性は変わった空気に気圧されながらも、なんとか言葉を続けてくれた。


「え、ええ。学院の生徒さん。だから、みんな手をこまねいているというか、気後れしちゃって……そこに、調査協力してくだすっていた、あのオージェスさまが亡くなったでしょう。これはもう、市民レベルでの声かけしなきゃって思ってね。その、そちらのお兄さんはほら……いかにも女性の気持ちを弄んだ挙げ句、娼館に売り飛ばそうな雰囲気をしてらっしゃるでしょう?」


 ひどい。ひどすぎる。


「ああ、いえ、本気で言っているわけではないのよ? 本当に手を出していそうに見えたなら、声を掛ける前に通報したもの。ただ、黙って見過ごすのもちょっと心配になる気配がしたものだから」


 ごもっともで。

 俺は声も出なかった。ミリエルがフォローのように、握ったままの俺の手に力を込めた。

 魔導士になって以降、多少改善されたはずの俺の危険な気配は、まだまだ残っているらしい。


「わたくしがこうした物言いをしても、激昂したりもしなかった。それも分かりましたので。正式に謝罪させていただきますわ。あらぬ疑いをかけてしまい、申し訳ございませんでした」

「……いえ。気にしてませんから」

「ヨースケ、そんな顔で言ってもダメじゃろ。それと、お主もひとを試すような真似は感心せんぞ。心清らかなものであれば傷つけるだけじゃし、相手が邪なものであればそれこそ危険じゃ」


 見た目、年端も行かない少女からの諭すような口ぶりにに、中年女性はうなだれた。

 ミリエルは微笑し、声を和らげた。


「たまたま気配は物騒だがお人好しなこやつが相手じゃったから問題無かったが、これからは警邏に連絡だけで済ませるんじゃな」

 

 中年女性は再び頭を下げて、その場から立ち去った。

 気分転換どころか、ややこしい新情報が手に入ってしまった。

 俺はミリエルに手を引かれるままに歩き出した。

 先導するミリエルが、小声で呟いた。


「今の話、関係あると思うかの?」

「あるだろ」

「そうじゃな。これだけでも街に繰り出した価値があった、と言えよう」


 中年女性がもたらした情報で重要な点は二つ。襲われた女性のなかに学生がいた。そして、亡くなった学長オージェスが、その事件について関わっていたという部分である。


「今の話からだと抵抗したのか、できたのか、具体的な被害についてまでは分からないな」

「うむ。しかし、あの学院に所属している学生が攻撃魔法のひとつも使えない、ということはあるまい。であれば、犯人は魔法使いを無力化出来る力か、手段を持ち合わせていることになる」


 こう考えると、学長自らが調査に協力するのも納得がいく話だ。

 あるいは犯人が同じ学生か、あるいは教員、講師のなかにいるかもしれない。

 学長の服毒死が自殺なのか他殺なのか、他殺であってもその証拠すら何も見つかっていない現状では、犯人捜しそれ自体が気の早い話なのかもしれないが、動機という面で見れば非常に重要である。

 学院内に隠れ潜んだ婦女暴行犯が、自身の犯行の露見を恐れて、調べていたオージェスを殺した。

 こんなストーリーが容易に想像できるのだ。


「想像していたより随分と安っぽい流れじゃが、……可能性はあるのう」

「学長代理になったハルマック犯行説は薄くなったか?」

「なんとも言えんのう。ハルマックが学長の座を狙ってオージェスを殺した、という説よりはマシじゃな。そのうち手に入るものを狙うにしては、リスクが高すぎる。一方で、立場ある人間が性犯罪の露見を恐れての口封じというのなら、これは納得出来る。動機面では仮説に仮説を重ねていることになるからのう、進展とは言えんが」

「そうか」

「ただのう、ワシらに向けた視線がな――実験動物や、研究材料を観察するような眼差しが、どうにもそぐわんのう。ほれ、ワシは見ての通り、すこぶる可憐な美少女じゃろ?」

「そうですね」

「……ヨースケ。何か言いたいことがあるなら言ってよいぞ」

「いえ、何も」

「話を戻すが、先ほどの親切な女性曰く、ワシくらいの少女が狙われたということじゃった。心配していたのは、これまでの被害者の年齢とワシの外見がだいたい同じだからじゃろう。にも関わらず、ハルマックからは童女趣味の変態爺らしい雰囲気はまったく窺えなかったわけじゃよ。染みついた性癖というのはなかなか隠しきれるものではない。無論、ワシらが観察していたのと同じように、向こうもそうした空気を出さぬよう演技していた疑念は拭えぬ」

「俺としては……直感的に、アレが犯人だと思ったんだがな」

「気が合うのう。ワシもじゃよ。……だからこそ、混乱しておる。捜査が振り出しに戻ったな」


 俺たちは人混みを避けるように、通りの端っこの方を歩いていた。

 誰かに聞かせられる話ではないからだ。

 ミリエルと俺の小声の会話に、スピカがおずおずと混ざってきた。


「あの、ご主人様」

「何か思いついたか?」

「そうではなく、ご主人様から見て右手側の建物にいるの、ルイザさんでは?」

「あ」


 パン屋の看板の下に、憂鬱そうな顔をした、綺麗な顔の男子学生が立ち尽くしていた。

 ルイザ。

 俺がこの街に来ていきなり首を突っ込んだのは、彼が同年代の連中に絡まれている場面だった。

 最初に目にした時と同じ、マジカディア魔法学院の、男子の制服を身につけている。

 魔法学院は性質上、大学風の教育機関ではあるが、しかし学生には規定の制服がある。警備主任であるウィラーは白衣を着ていたが、あれは院生か准教授みたいな立場だったからだろう。


「ご主人様。もしかして、ルイザさんしか目に入ってなかったんですか?」

「いや、なんか邪魔くさいだけの連中だったから、記憶に留める価値もなかったというか」

「でもルイザさんのことは覚えていた、と」

「やはり、そっちの趣味が」

「違う。可愛い顔だな、とは思ったが」

「分かってます分かってます。このスピカこそがご主人様の一番ですからね! 他は男だろうが女だろうがしょせん同価値、どいつもこいつも単なる寄り道に過ぎないってことですね!」

「ヨースケ、お主……ティナとのことは遊びじゃったのか……?」

「あーもう! やかましい! そんな話をしてる場合じゃない! せっかく見つけたルイザを見失うだろ!」


 隙あらばからかってくるミリエルと、自分アピールに余念のないスピカの大騒ぎが始まった。

 よせばいいのに、俺もつい声を大きくして反論してしまった。

 最近はわりと普通の扱いをされることが多かった分、先ほどの中年女性からの扱いで無意識に傷心していたのかもしれない。

 というか、通じ合っているはずのスピカから、しかも美少女然とした声で男色趣味扱いされると、いっそうダメージが大きい。


「ご主人様ご主人様」

「なんだ」

「前をごらんください」

「何か騒がしいと思って来てみれば、あのときの……」


 ルイザが道端で騒いでいた俺たちに気づいたらしく、近づいて来ていた。

 オージェス学長変死事件で、ウィラーが一応と前置きしつつ、疑念を口にした人物。

 学院内で親しい友人もなく、成績優秀ながら孤立気味ではあるが、オージェスとの口論している姿がたびたび目撃されている。

 逆に言えばそれだけだ。

 ウィラーから聞いた話の裏付けも兼ねて、学内の調査も一通りしたところ、容疑者として可能性がありそうなのが、ハルマックとルイザくらいしか出て来なかった。ゆえに、蓋然性は低くとも、容疑者リストには入っている、というわけである。

 そんなルイザは俺を見るや否や、睨み付けてきた。


「キミに助けてもらわなくても、あの程度、ボク一人で何とか出来たんだからな!」

「そうか。余計なことをしたみたいで、悪かったな」


 開口一番ルイザから飛びだしたのは、そんな言葉だった。

 なるほど、と俺は得心し、普通のトーンで返した。


「街に来て早々あんな場面に出くわしたもんで、ついな」

「……あ、いや、でも」

「目の前でのことだったし、三対一で体格差もあったから、咄嗟に割って入っただけだ」

「ボクは見ての通りマジカディア魔法学院の……!」

「自力で切り抜けられる手段を持っていると考えるべきだった。余計なことをしたみたいだし、すまなかったな」


 ルイザは俺の反応が予想外だったのか、眉間に皺を寄せた。

 こう真正面から観察するに、整った顔立ちである。

 声は高い。中性的というか、意識的に声を低くしている風にも感じられた。俺より年下だろうが、そこまで幼いとも思えない。

 声変わりしていないのだろうか。

 小柄で、華奢な手足の細さが、制服姿の上からでも伝わってくる。


「……っ。で、でも、そのせいで迷惑をかけたらしいじゃないか。……その、助けようとしてくれたわけだし、ボクの言い方はちょっと礼儀に欠けていたね。すまなかった」

「気にしてないから、それはいいんだ。それより聞きたいことがある」

「え? ボクを探していたみたいだけど、文句を言いにきたわけじゃなかったのか」


 若干ながらルイザが俺に対して態度を和らげ、語調からトゲが薄れたのを感じた。

 ミリエルを横目で見ると、神妙な面持ちで頷かれた。

 俺に任せる、ということらしい。

 スピカもポケットの中で沈黙を続けている。

 怪訝そうに見上げてくるルイザに、俺はまず名乗り、オージェス変死事件の捜査をしていると伝えた。

 世間話から始めて情報を引き出す案はないではなかったが、話の流れ上不自然に過ぎる。むしろ率直に尋ねた方が良いだろう。


「大魔法使いミールエールの意向、ね」

「俺はあくまで調査の手伝いをしてるだけだが、まあ、そういうことだ」

「なぜ、それでボクを探して……いや、ボクから何を聞こうと?」


 この判断は果たして正しかったのかどうか。

 ルイザの顔色は、分かりやすく変わった。もちろん、好意的な表情ではなかった。


「前学長オージェス氏は、本当に自殺なのか?」

「自殺、なんだろうね。服毒死って聞いたよ。……すまないって書いた遺書もあったって」

「ルイザはどう思っているんだ?」


 ルイザは、ハルマックほどには感情を隠すのが上手ではないらしい。

 俺の質問にどう反応したのか、その表情や仕草から、ありありと伝わってくる。

 怒り。迷い。悩み。そして哀しみ。

 様々な感情が一緒くたになって、しかもそれを消化しきれていないのが丸わかりだ。

 ただ、表出した複雑な感情はどれも強烈で、逆に判別が難しくもある。

 何かを知ってはいるのだろう。それが何かを察知するには、情報が足りなかった。


「キミは、なんで……そんな、そんなことをボクに聞くんだ」

「ルイザが疑われているのは?」

「ウィラーさんから聞いたのか」

「あのお堅い警備主任と軋轢でもあるのか」

「ボクとしては、別に。向こうからすると、学長に突っかかってたボクが目障りだったんじゃないかな。学内で何度か注意されたこともあるし」

「自重しろって?」

「敬意を払え、ってさ。偉大な学長であり、素晴らしい教育者であり、先進的研究者でもある師匠はあまりにも多忙なのだから、たかが一学生に過ぎないボクのことで、『灰色のオージェス』をあんまり煩わせてくれるな! ってね」


 確かに、納得は出来る。

 あのウィラーはミリエルが持ち出した大魔法使いの委任、あるいは今回の一件への関わり方を知って、不自然なほど腰を低くした。そんな人物が自分の師匠、それも学院の最大権力者に表立って逆らうような学生を見過ごすだろうか。

 上下関係に敏感な、体育会系の性質を感じなくもない。

 そういう観点で見れば、ある種の奨学生でありながら、その恩恵を与えてくれた学長への反抗は許し難いものなのだろう。

 ただ、ルイザに動機有りと俎上にあげつつも、犯人と決めつけていない風に見えたのは、そこまで盲目になっていない証左かもしれない。 


「口論してたと聞いたが」

「事実だよ。ちょっとした意見の相違、ってやつだね」

「たかが一学生と多忙な学長が、人目に付く場所で盛大に口論を?」

「ボクは特待生……学費免除されてる立場だからね。学長がボクの行動に口を出すのはおかしくないし、ボクだってひとりの学生として意思を持って反論をした。何かおかしいかな」


 違和感はあった。だが、ルイザの言い様にも理はあった。

 少し考えて、引っかかりはルイザの行動ではなく、今語られたウィラーの態度の方と気づいた。


「複数回、口論をしていたから、ウィラーが注意した?」

「その通りだけど、何か問題でも?」

「つまりウィラーは前学長オージェス氏が、ルイザのために頭を悩ませていると考えていた」

「……む」


 ルイザが口を尖らせた。


「ルイザ。お前は、亡くなったオージェスさんと、何か特別な関係にあったんじゃないのか。少なくともウィラーはそう考えていた。だから横から口を挟んだ」

「そんなことを言われてもね。ボクには思い当たる節はないよ」

「口論の内容は?」

「大したことじゃないさ。余計なことをせず、大人しくしていろ。学生は学生らしく、本分である勉学に励め。学長はボクを見かけるたび、そんな小言をくれた。それだけだよ」

「今の話のどこに反論の余地があるんだ?」


 若い時分に、大人、教師などから頭ごなしに言われると反発したくなるのはよく分かる。

 俺だってそうだった。雰囲気のせいで意味もなく怖がられたり、構えられたりした状態で、女教師からはヒステリックに叫ばれたり、体育教師から反抗すると決めつけられて怒鳴られたこともあった。

 こっちとしては、そんなつもりはない。普通に行動して、悪事など考えたこともなかった。

 にもかかわらず、すべきことをしない、やってはならないことをする、そう決めつけられて物事を進められるときの不愉快さは、相当のものだ。

 ルイザはしかし、そうではないだろう。

 学長の発した言葉は、教え子に対するものとしては正しいものである。

 そしてルイザは嘘を吐いている風ではない。

 であれば、その言葉に、他の意味が乗っていると考えるべきだろう。

 反射的に問いかけたところ、ルイザは言葉に詰まった。


「そういえば、さっきの問いに答えてもらってなかったな。オージェスの死は自殺と、ルイザは本当にそう思っているのか?」

「それは」

「聞き方を変えるぞ。自殺であれ、殺人であれ、オージェスが死んだ理由、ルイザには心当たりがあるんじゃないのか」


 今度こそ本当にルイザは口ごもってしまった。

 俺でなくとも分かるだろう。その表情には、隠しきれない後悔が滲んでいた。

 ただ、それを俺に教えてくれるかは、別の問題だった。


「……知らないよ」

「嘘だな」

「どうしてそんなことが、キミに分かるっていうんだ。ボクのことも、オージェスのことも……何にも知らないくせに」

「学長のこと、オージェス、って呼ぶんだな」

「あっ……ち、ちがっ」

「何が違うんだ?」


 最初逢った時、そして先ほど再会したときもそうだが、ルイザはひどく分かりやすかった。

 今だって、感情的になった。だから、死んだ学長を呼び捨てにしてしまった。

 それはつまり、言い慣れている呼び方だったからではないだろうか。

 怒りや憎悪からひとを呼び捨てにすることはあるだろう。しかし、そんな風には聞こえなかった。

 ウィラーから聞いたような険悪さとは違う。そしてまた、俺がぼんやりと想像していた絵図より、ルイザはずっとオージェスと近しい関係にあったのかもしれない。

 ルイザは大きく息を吐き出すと、はっきりと敵意を露わにして、俺を睨んできた。


「カゲヤマ、だったね。ボクには、それを答える義務は無い」

「それを秘密にすることで疑われているとしても?」

「ウィラーさんみたいに、好きなだけ疑えばいいさ。ボクと学長とのあいだに何か秘密があったとして……それを、よく知りもしないキミなんかにほいほい口にすると思われている方が心外だよ。秘密っていうのは、容易く明かすべきではないからこそ秘密なんだ」

「学長の死の真相を知りたくはないのか」

「部外者のくせに、好き勝手に言ってくれるね。調べるならどうぞご自由に。だけどボクは、自分からキミたちに教えるつもりはないよ。学長の死に関係があるっていうなら尚更だ」


 踏み込みすぎたか、と俺は表情を変えないように苦心しつつ、言葉を続けた。

 ルイザは肩をすくめて、俺と、傍らで静かに見上げているミリエルとを眺めた。

 向けられた視線は険しかった。ルイザの意思は硬いようで、これ以上話していてもいっそう頑なになるだけだろう。


「話すことなんて、もうなにもない。じゃあね……っ」


 ルイザは眉間に皺を寄せ、一瞬だけ歯を食いしばるような顔をして、俺たちに背を向けた。

 無言のまま早足で歩き出して、人混みに埋もれて、やがて姿が見えなくなった。

 俺たちには、そんなルイザのあとを追うことはできなかった。

 据わりの悪い空気が漂うなか、ミリエルがぽつりと呟く。


「ヨースケよ。追わんで良かったのか」

「と、言われてもな。これ以上突っ込んで、何か話してくれるとは思えなかったし」

「立ち去る瞬間、ちょっと泣いてましたよね」

「だな。こらえきれなかった、って感じだった」


 視界の端々に瞬く無数の、そして無遠慮な光のカラフルさが、ひどく空疎に感じられた。

 マジカディアの街並みのなかで、俺たちは少しのあいだ黙り込んだ。

 どんな気持ちでルイザが問いに答えていたのかに、思いを馳せながら。



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