第四話 『見物と書いてなんと読む』
俺たちの捜査は、再び詰め所の牢屋内からスタートとなったのだった……。
といったことは流石になく、今度こそすんなり話が通ってほっとした。
会話で問題が片付くならそれが最善なのだ。
大量の兵士に囲まれたときはどうなることかと思ったが、地下迷宮に入り込んでしまった経緯を順序よく語っていくと、責任者らしき白衣の男は、あの牢番のように話が通じないということもなく、詰め所に人をやって確認してくれた。
ちなみに兵士の格好は、詰め所に足を運んでくれた警邏の制服とは異なっている。
私兵とまでは言わないが、彼らは学院の擁する警備員か何かなのだろう。それぞれ長物を構えている姿からすると、ガードマンと呼ぶには物々しい感じはあるが。
あっちの警邏は憲兵のようなもので、こっちの警備は私有地のガードマンと考えると分かりやすいか。
不当逮捕。冤罪による投獄。牢番の共犯者の隠謀。そして口封じによる牢番の死と、地下迷宮に繋がる隠し通路。
言葉を並べただけでも責任問題と面倒事のオンパレードである。
ついでに目の前でふんぞり返っている魔法使いの格好をした少女が、公的な捜査権を持って派遣された存在である、といった冗談みたいな真実を理解した瞬間、彼はこめかみに手をやった。
頭を抱えて崩れ落ちなかった自制心を褒めてやりたいくらいだ。周囲を囲んだ兵士に、俺たちを捕縛させなかった判断力は実に素晴らしい。迂闊にも制圧しようとして襲いかかられたり、手錠か縄でもかけられていたら、たぶんミリエルも我慢の限界だった。
にこやかな笑みを浮かべているが、空気が違う。その緊張感を白衣の彼も読み取ったのかも知れない。
先刻、あの役人相手にやったようなやり口で執拗に、この白衣の眼鏡男を、可愛い顔と声をふんだんに使ってイジメ続けただろう。
九死に一生を得た彼の名は、ウィラー。
地下迷宮の真上、地上部分を専有するここマジカディア魔法学院の警備主任だそうだ。
ミリエル相手に改めて自己紹介する声が、かすかに震えていた。
交渉事は先にいっぱつガツンと叩く方が有利になるのは常識だが、ミリエルはそのあたりを意識無意識両方で活用している。
普通、こんな少女が都市における最大権力者ですら、捜査の結果によっては罷免できる権限を持っているとは考えない。
容姿で嘗めてかかって、彼女の不興を買ったらどうなることやら。
しかも魔法使いとしては間違いなく一流の領域にある。下手に力を背景に脅そうなどとしたら、逆にボコボコにされるのは間違いない。
とすると、あの謎の牢番殺しは、ミリエルの到着と権限を知った直後に手を回したことになる。即断と実行力、そして排除までの速度と手段の躊躇の無さ。
敵が危険極まりないとするミリエルからの評価は正しい。俺たちはまだ事件の捜査にすら取りかかっていない。
その敵が何を危険視してミリエルを排除しようと決心したのか。ろくでもないことなのは間違いなかった。
「ヨースケ。いまさら怖じ気づいたのか?」
「まさか。助けるって言っただろ」
「一応言っておくが、勘違いしないようにな。若い男の子の挺身なぞ、ワシは喜ばん。男の見栄というものは、往々にして女を勘違いさせるものじゃからな……ワシはお主に借りを作った。それだけじゃ」
「分かってる」
「あの、二人きりの世界を作っていないで、そろそろ本題に入ってもよろしいでしょうか?」
「な、なんじゃ! 別にイチャイチャしたりはしておらんし、浮かれてるわけでもないぞ! のうヨースケ。あくまで危険に立ち向かう捜査員とその助手という、いかにもな関係を確認しあっていただけでじゃな」
「どうぞ、ウィラーさん」
「恐れ入ります」
白衣を着込んだ眼鏡の苦労人風の男、ウィラーが胃の辺りを抑えながら言った。
「ミリエル様におかれましては、このたびはいったい何の調査をしに、我がマジカディア魔法学院へといらっしゃったのでしょう。当校には上級捜査官の方が調べるような問題など起こってはおりませんが」
「ほう。学長の自殺は何ら問題にはなっておらんと申すのか?」
穏やかな口調から始まったが、どことなく緊張感が漂い出す。
ミリエルの見た目と口調のミスマッチも気にした様子は無く、また、ウィラーの背後に居揃う兵士たちも静かに整列していることも相まって、昼下がりの学院内に展開された情景とは思えない。
見えない火花が散っているように感じられたが、俺は口を挟まなかった。
地下迷宮への無断立ち入りの件はお咎め無しとして決着が付いているし、その言質ももらっている。
しかし、わざわざ警備責任者との面識が出来たのだ。そのまま立ち去るのも芸がない。
前学長の死の疑惑を捜査するのがミリエルの目的なのだから、あわよくばウィラーから情報を引き出しつつ、さらに快く捜査に協力してもらえれば、解決までの道筋がぐっと開ける。
そもそも牢番の問題から、謎の人物の追跡までは成り行きの結果であり、脇道でしかない。
本題である前学長の死と、その疑惑の解明の糸口を見つけるのはここからだ。
そんなわけで交渉である。
責任者たるウィラーを味方につけるのが目指すべき最善だ。いくらミリエルが強い権限、捜査権を持っているとしても、現場の人間、被害者周辺の関係者の協力が在ると無しでは事情が変わってくる。
魔法使いのローブに身を包み、とんがり帽子を被ったままのミリエルが矢面に立った。
見た目だけで考えれば、俺を前に出した方が相手の反感を買う可能性は低いだろうが、ミリエルは余裕たっぷりに言葉をぶつけていく。
「……その件でしたら、私を含めた当校の警備班、調査チームが様々な角度から検討した結果、前学長の自殺あるいは事故であることに疑問はない、ということで決着が付いております。王都の方にも、そう報告したはずですが」
「そうじゃな。普通の殺人事件であれば、王国より派遣された衛兵が調査するのが決まりじゃが、マジカディア魔法学院はある種の独立組織であり、治外法権。にもかかわらず、ちゃんと衛兵を迎え入れて、わざわざ自殺あるいは事故であり、他殺ではないとの確認まであったと聞き及んでおる」
「その通りです。衛兵の意見も、我々の独自調査からも、自殺か事故死である可能性が極めて高く、確かに悲劇的なことではありますが――国家的な隠謀であるとか、反逆罪などを調査する上級捜査官の方がわざわざ足を運んで調べ直すほどの疑念は無いはずです、と重ねて申し上げておきます。それとも、衛兵の捜査班や我々マジカディア魔法学院の調査チームが信用ならないとでも?」
「そうじゃ、と言ったら?」
「我々は、予断無く調査をし、事件性はないと結論づけた。それを疑われるのは心外ですし、我々を愚弄しているし、何よりこのマジカディア魔法学院を馬鹿にしている。この地は王国内の魔法使いたち、そのエリートを育成し、魔法を研究するためのもっとも先進的な学術機関であり、そしてまた魔法的な事件事物の調査に置いては国内随一の調査分析能力を誇っています。そう、他の追随を許さない自負がある」
ウィラーは胸を張った。そして、ミリエルを見下ろした。
一方のミリエルは、長身のウィラーを眩しげに見上げている。周囲の空気とか経緯を考えなければ、この情景は大学キャンパスで教授相手に質問を繰り返す学生のそれによく似ている。
実際にはそんな和気藹々としたものではないのは、知っての通りだ。
なお、中庭めいた広場なので、お洒落なベンチも存在している。
「自分はその選良の上澄みで、相対的に自分たちが一番正しいと」
「その通りです。それが何か」
「ふむ。己の能力を誇示したがるのは秀才の常じゃが、いっそ清々しいのう」
「事実ですので」
二人は立ったまま、座って話そうとお互い提案もせず、顔を合わせたときの立ち位置からほとんど動かずにやり合っている。
詰め所に一人走らせて戻ってくるまでのあいだも同じ状態だった。今更場所を移すつもりもないのだろう。
「ミリエル様は、見たところそれなりに使える魔法使いのようですが……いくら上級捜査員であっても、余所者に過ぎない貴女とは知識の蓄積も経験も違うのです。一般的な捜査員と我々マジカディア魔法学院の上級研究員とでは、蟻とゾウ、月とスッポン、見習い魔法使いと大魔法使いミールエール=スティングホルトほど隔絶した能力差があるわけです。その我々が事件性がないと判断したのなら、それが真実です」
「ミールエールの名前まで出すとは、随分と自信満々じゃな」
「もちろんです。たとえば……かつて我が学院に在籍していたとされる、かの大魔法使いミールエールが《火炎玉》一発でドラゴンを倒したと語ったなら、どんな未熟な魔法使いであっても能力の差を認めて、その事実に納得するでしょう。どんなに信じがたいことでも、かのミールエールならば、と。それほどに我々の研究能力と分析力は高く、調査は正しく、そして結論に確信を持っているのです。ゆえに! 上級捜査員の権限は知っておりますが、それでも事件性はありえないと断言します! 再調査など時間の無駄、のみならず我らがマジカディア魔法学院に泥を投げつけるが行為です! 断固、拒否させて頂きます!」
「やれやれ。口ばかり達者になるのは魔法使いの宿命かのう。とはいえ、調査結果に自信があるならワシが調べ直しても同じ結論になるはずじゃ。だったら構わんだろうに」
「しつこいですね。再調査が入る。その事実そのものが不愉快だと申し上げている」
「独自に捜査されると痛い腹がある。そう受け取るが、良いのかのう? ワシも子供の使いじゃないのでな。強硬な態度をとられると、それなりの措置を執らざるを得ぬ」
あ。
俺はミリエルが拗ねたような顔をウィラーに見せつつ顔を背けて、表情を見えないようにしてから口元だけでにやりと笑ったのが見えた。見えてしまった。
ウィラーはふん、と鼻息荒く、物わかりの悪い子供に言い諭すような態度を見せた。
「繰り返しますが、捜査は不要です。ミリエル様? 子供の使いじゃないと仰りますがね、どう見ても子供でしょう。そもそも、あなたのような年齢の方が上級捜査官になれる、というのも驚きです。王都の方ではよっぽど人手不足なんでしょうか。それともどこぞのビッテンルーナ女史のような天才少女というわけですか。はっはっは。寡聞にして彼女以外、神童の名前など私の耳に届いたことはありませんがね。一方で、上級捜査官というのは王政府や各地のギルド長などから人格、能力、知識、経験その他を考慮した上で推薦される、コネなどでは決して就くことの出来ない、崇高な身分であると聞いたことはありますが……どうやらただの噂だったようですな。こんな子供が我が物顔で権限を濫用して、我が学院に押し入って尊敬すべき前学長の部屋を物色しようだなどと、世も末です」
ウィラーは、早口で言い終えると、銀縁眼鏡をくいっ、とあげた。
お互いに堅めの口調で応答しているせいで若干回りくどかったが、話は単純だ。
ウィラーは前学長の死に事件性はないというのがマジカディア魔法学院の結論であり、余所者に蒸し返されたくない。
ミリエルはその事件の調査そのものに疑義を抱いている。これでは噛み合うはずもない。
ただ、業を煮やしたミリエルの罠に引っかかったのは、間抜けというか可哀相というか。
あれは誰でも引っかかるだろう。
ミリエルの見た目は、間違いなく少女そのものなのだから。
「ほー。なるほどなるほど、ワシが王都にいる誰それから指示されて、前学長の研究内容やら機密情報を掠め取ろうと企てる盗人であると、お主はそう思っておったんじゃな。本来、ワシの捜査要請を断る権限など無いにもかかわらず、このように愚かな非協力的な姿勢を続けている理由もそれなら分かるのう」
「そうは言っていませんが……もしや、思い当たる節があるからそう聞こえたのでは?」
「面白い冗談じゃな。そうかそうか、ワシは手癖の悪い子供か」
「なんにせよ子供の遊びに付き合っている時間は無いのですよ。我々は忙しいのでね。前学長の死去によって通常業務も滞っているし、新学長を決める学内選挙の準備もあります。不見識で不埒な牢番によって足止めされたことはご同情差し上げますが、しかし前学長の死で動揺の広がった学内がようやく落ち着いてきた今この時期に、余計な波風を立て騒動を増やすような軽挙はお控え頂きたい。貴女も王国の平穏に奉仕する職分であればお分かりでしょう、ミリエル様」
ウィラーは勝ち誇った顔で、話は終わり、とばかりに身を翻した。
眼鏡の縁が陽光に煌めき、白衣の裾がふわりと浮いて、出来る男の背中を見せてくる。
彼は、議論の差異には最後に一方的に自分の主張を口にして、綺麗にまとめて話を打ち切って、勝ったような雰囲気を出しながらその場を去っていくというディベート戦術の使い手だ。
しかも、周囲の兵士たちも、なんかウィラーが論破したような感じの、尊敬の目を向けている。本人同士の勝敗や納得や結論は問題ではないのだ。
「ああ、もちろんマジカディアに滞在されるあいだの宿賃や、常識的な範囲内であれば、遊興費の請求は当学院に回して頂いて結構。存分に我らがマジカディアを楽しんでからお帰りください、ミリエル様」
そしてさも心が広く、相手にも利を配ったかのような物言いで余裕を見せつける態度。
俺は、ちょっと感動すら覚えていた。
ウィラーは、学術的には無意味どころか害しかないのだけど、社会的評価を得るためにはめっぽう強いディベート必勝法の使い手だったのだ。
そして反論を待たずに去れば勝ち逃げ出来る。
パーフェクトだった。
しかし、相手が悪かった。
「ところで、ワシが持ってきた親書は今はどこにあるんじゃ。魔法学院の代表のようにワシ相手に偉そうに語っているウィラー。お主がその内容に目を通してないのは話す内に分かったが」
牢の中でミリエルは語っていた。
役所で取り次ぎを頼んだが、学長宛の親書を取り上げられてしまったと。
詰め所に駆け込んできた役人から返してもらっていない以上、どこかで差し止められているのかもしれない。
宛先にあるのは前学長の名前だ。
受け取るべきは代理か、あるいは後任者になるだろう。少なくとも、目の前にいて色々と語ってくれたウィラーではなかった。ミリエルは、悪戯が成功した子供めいた笑みを浮かべた。
そこにはマジカディア魔法学院の人間が絶対に無視出来ない名前が記載されている。
ウィラーは足を止めて、胡乱げに振り返り、次の言葉で顔をひきつらせた。
「ワシがここに来た理由は……事件の捜査をするのは、お主も一目置くらしい大魔法使い、ミールエール=スティングホルトの意向じゃよ。スティングホルトは、かつて一時期を過ごした学院で起きた悲しい事件について大変憂慮している。まさかそんなことはないだろうが、万が一組織ぐるみで不都合な事実の隠蔽なり真相究明の放棄をするのなら、実践ではなく研究を選んだ者たちに失望するほか無い、と」
「え、いや」
「さて、ウィラー。たった今、お主は言ったな。どんな魔法使いも、かのミールエールの言葉なら、《火炎玉》一発でドラゴンを倒したと言っても信じると。そのミールエール=スティングホルトが学長の死を不自然であるため調査の必要がある、と言っているんじゃ。なんならスティングホルトの言葉を子供の我が儘と断じてもよいぞ。さて……まだ反論はあるかのう?」
権威で反論を潰そうとしたら、それ以上の権威で潰されるという完璧な構図だった。
ウィラーは絶句し、額に汗を掻き、なんとか言い訳を考えていたようだが、声は出なかった。
「弱い相手には主張できても、強い相手に立ち向かう気概はないのか。情けない! 昔の学院はもっと見所のある男がわんさかおったぞ。地力で劣ろうと、たとえ勝ち目が無かろうと、スティングホルト相手でも一歩も引き下がらなかった……そんな連中が情熱と野望を胸に、学院内で魔法を打ち合って研鑽し実力を磨き、また毎日のように決闘していたもんじゃ」
「いや、そんな百年以上前の話を言われましても……」
「それがなんじゃ、才能在るエリート魔法使いを集めて育成に力を入れている? 国内随一の分析能力を誇っている? 別に悪いとは言わんが、つまらん環境になったもんじゃのう。今は訓練場以外では、学院内で攻撃魔法の使用も禁止されとるんじゃろ? 気を抜けば背後から《氷矢》、窓の外から《雷撃》、正面から投槍が飛んできた時代からすれば楽園じゃの」
「へえ。さもその場面に居合わせたように語るんだな」
「……と、スティングホルトが言っておった。うむ」
困惑と蒼白の入り交じったウィラーに対して、ミリエルは熱の入った語りを始めたが、俺が横から口を挟むと、口笛を吹いて誤魔化しだした。
これは……。
いや、何も言うまい。どこまでわざとなのかも分からないし。
ウィラーも、なんとなく気づいたかも知れない。冷や汗、脂汗、唇に震えと、出てはいけないものが顔から次々に滲み出ている。
ともあれ、ミリエルの放った言葉の《火炎玉》が当たった相手は、悲しいかなドラゴンではなく、どんなに高く見積もってもコカトリスがせいぜいだった、というわけである。
そもそも今の当たれば勝ちの切り札が《火炎玉》だったか、という疑いは残るが。
最初に見せればすぐに降参してくる手札を、相手が調子に乗るまで存在を隠しておく、というのはなかなかにえげつない。
ミリエルは可愛らしく、優しさを持っている。俺は迷宮内でそう感じたし、今もその印象が覆ったわけではない。それ以上に敵や障害と見定めた相手への苛烈だっただけである。
そんなミリエルは、少しだけ白衣の男に歩み寄ると、とんがり帽子のつばを持ち上げて、固まっている彼の目を上目遣いに覗き込んで、天使のような微笑みを浮かべた。
「そろそろ意地を張るのを辞めて、ワシらに捜査協力してほしいんじゃが?」
一方、そんなミリエルを見下ろしたウィラーは、逃げ出すわけにもいかず、かといってこれ以上余計な言葉を喋らないように口を押さえ、震え、やがて何もかも諦めたように身体から力が抜けた。
立ち尽くしていたウィラーは、ばたん、と音を立てて、そのまま地面に顔から突っ込んだ。
白衣を着た一人の男が、ミリエルの言葉によって打ちのめされ、立ったまま気絶し、力尽きてまっすぐ倒れ込む壮絶な姿を俺たちは目撃したのだ。
「主任、最近ずっと胃を抑えてたよな……」
「色々あって寝不足だって聞いたけど」
「ただでさえオーバーワーク気味だったからなぁ……休ませてあげたほうがいいのでは」
「責任感がありすぎるのも大変だぜ、まったく」
「ウィラーさん、たしか大魔法使いに憧れてて、いつか著書にサインをもらうのが夢だって一緒に飲んでる時にぽろっと聞いたことがあるんだけど……まずくね?」
「あー……」
そこまでのやり取りを目の当たりにしていた兵士達もざわついた。すごい光景だった。
ミリエルが地面にキスしたまま動かないウィラーに近寄った。
「まさか、蹴るのか。容赦なく追撃するのか。あの娘にとって、むしろ死体蹴りは当然なのか……?」
「可愛い顔してなんて残酷なことを!」
「もうやめてあげてください! 彼はただ学院のために頑張っただけなんです!」
観衆と化していた兵士たちからウィラーを擁護し、同情する声があがる。
ミリエル相手には大上段に構えた言い方を繰り返していたが、現場の人間には案外慕われているらしい。
一度収まった騒動について余計な波風を立てたくない、というのは学院を大事にしているがゆえの、彼なりの本音なのかもしれない。
ミリエルはウィラーにとことこと駆け寄った。そういう仕草だけ見れば、可愛らしい魔法使いの少女そのものなのだが。
「ミリエル。……彼らもこう言ってるんだ。トドメを刺すのは勘弁してあげてくれ」
「お主ら、ワシをなんじゃと思ってるんじゃ」
「童女の皮を被った悪魔」
「そこらへんにいる学生と同じ格好をした爆弾」
「ロリコンホイホイ」
「……ほう。貴様らの顔は覚えたぞ」
返ってきたのは、兵士たちによる容赦ない品評であった。ウィラーが倒れる姿が衝撃的すぎて、彼らは自重を忘れたのかもしれない。
俺は彼らに混じって余計なことを言うことはなく、しっかり口をつぐんでいた。
藪蛇なのは分かっているのだ。
にやりと笑ったミリエルは、蒼白になった失言兵士たちを一瞥すると、嘆息ひとつこぼして、ウィラーの頭に杖を当てた。
何かの魔法を使ったらしく、すぐにウィラーが目を瞑ったままうめき声を上げ、寝返りを打つように仰向けになり、遠ざかる何かを掴もうと宙に手を伸ばした。
空気を読んだ兵士たちは、さすがにもう茶化さなかった。
「違うのです! お許しください! そこは違います。そんなものは入りません! ……はっ、私は何を!?」
「だ、大丈夫かのう?」
「ひっ。……あ、いえ、大丈夫です。私は大丈夫です。ミリエル様には大変なご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。私は大丈夫です。何の問題もありません。捜査への協力要請でしたね。はい。謹んでご協力させていただきます。なのでどうかこのたびの非礼、失礼、不敬の責任は私ウィラーのみが負うことでご寛恕願いたく存じます。どうか、どうか我が学院の学生達や一般職員そしてまた警備のためにこの場に集まった彼らのことはお許しくださいっ!」
失神から復活したウィラーは、間近にあったミリエルの顔を見て、器用にも倒れていた状態から正座そして額を地面に付ける姿勢へと滑らかに移行した。
綺麗で見事な土下座だった。
「……ミリエル」
「う、うむ。ウィラーよ、お主の主張は分かったから、少し落ち着くのじゃ」
「先ほど口にしてしまった私の発言は、決して彼らの代弁ではなく私一人の考えによるものです。私が、私がすべて悪いのです。私の責任なのです。はい」
「落ち着かんか、ウィラー! ほれ、いい年をした魔法使いがそうあからさまに怖がるでない。ワシとて学院が憎くてあんなことを言ったわけではないんじゃ。さほど怒ってもおらん。快く協力して欲しかっただけじゃよ。まったく、これではワシがお主を苛めているようではないか」
「お、怒ってないのですか、ミリエルさま」
「うむうむ。怒ってないぞー。安心してよいぞー」
周囲の兵士達と俺は同時に首を捻った。間違いなく苛めていたと思うが、全員無言で、振り返ったミリエルの視線をやり過ごした。
露骨に安堵したウィラーは、ミリエルに促されて、全面的な捜査協力を約束してくれた。魔法学院の警備主任として力の及ぶ限り、要望に誠実に答えてくれることになった。
捜査を始めるにあたっての最初の関門は突破した。目的は達成された。
喜ばしいことのはずなのだが、ミリエルの手のひらで踊らされたウィラーと、彼を背後からいたわしげに見つめる兵士達の表情を見ていると、ちょっと切ない気持ちになってしまう。
きっと最初からウィラーは悪い人間じゃなかった。ただ、運か間が悪かっただけなのだ。
「素直でよろしい。さて、ヨースケよ。今の丁々発止のやり取り、どうじゃった? ワシの交渉力もなかなか棄てたもんじゃなかろ?」
「あれを交渉と言っていいのか」
「ワシの真心の篭もったお願いが通じて、お互いのために良い結果が得られたのだから、それは交渉が上手く言ったと考えるべきじゃろ。権威を持ち出して他者を黙らせようとしたのだから、同じく権威によって反撃されたに過ぎぬ」
自慢げに胸を張るミリエルだったが、横で聞いていたウィラーは身体をビクっとさせた。縮こまってしまったウィラーに、ミリエルは微笑みを向けて言った。
「ウィラーよ。落ち込む必要は無いぞ。お主が他の何より学院を信じることも、強権的に振る舞って守ろうとすることも、別に間違ってはおらん。己が正しいと信ずることであれば、誰に何を言われようと曲げる必要は無い。それがたとえワシ相手であろうと、主張することは良いことじゃ。お主は学院のために頑張ったのじゃから、そう俯くな。胸を張るがよい」
「ミリエルさま……」
なお、ミリエルが優しい言葉をかけるようになった途端、ウィラーは最初渋っていたのが嘘だったかのように張り切って、自ら魔法学院校舎内にある応接室へと案内を始めるのだった。
「ところでご主人様。この最初に怖がらせて、あとで優しくする手法って……」
「言うな」
「ミリエルさんは何者なんでしょうか。その正体が、スピカにはさっぱり分かりません」
「……そうだな。さっぱり分からないな」
「早く来んか! ヨースケ! こっちじゃ。学院は広いから道に迷うと面倒じゃぞ!」
こうして俺たちはマジカディア魔法学院での捜査に取りかかるのであった。




