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清純派魔導書と行く異世界旅行!  作者: 三澤いづみ
第四章 『テクノ・マジカディア』

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第三話 『ご旅行の目的は?』



 牢番殺し、あるいは陰で蠢く何者かを追った俺たちは、底穴から繋がったマジカディア地下迷宮へと足を踏み入れた。

 ミリエルの言葉に驚きと納得を同時に感じ、咄嗟に周囲への警戒を強めた。


「なんじゃ、いきなりピリピリしおって」

「知らないモンスターへの警戒は必要だろ」


 ミリエルは目を見開いた。思いも寄らぬ言葉を聞いたという風で、すぐに破顔した。


「その通りじゃな。ダンジョンでの立ち回りはラクティーナにでも習ったかの?」

「そんなところだ」

「安心せい。ここは死んだダンジョン、枯れた迷宮じゃよ」

「普通のダンジョンと違い、新たなモンスターが発生することはない、と?」


 言われてみれば、だ。しばらくミリエルと話をしていたが、その間、警戒すべき雰囲気は微塵も感じられなかった。

 危険なダンジョンの真上に街を作るのは、いくらモンスターがダンジョンから出ないとはいっても、安心するには不十分だ。

 基本的にモンスターの奇襲は無いと告げられて、軽く力を抜いた。外からモンスターを持ち込まれれば話は別、と釘も刺されたが。


「警戒を怠らぬのは良いことじゃ。お主の対応は慣れぬ場所、見知らぬ敵を窺うならば、まったくもって正しい。ついでに言えば、モンスターより人間の方がよっぽど危険じゃしな」

「それも大魔法使いの教えか?」

「うんにゃ。ただの経験則じゃよ。……ついさっきお主も見たばかりじゃろ」


 誰かの気配は無い。

 しかし、迷宮の長い通路の向こう側、視界の効かない場所に先ほどの下手人が隠れ潜んでいる可能性もなくはないのだ。

 そういう意味ではまだ油断は出来ない。


 見回すと、モンスターの出現しなくなったダンジョンらしく、どこか寂しい感じがする。

 始終動き回っているモンスターが存在しなくなると、ひとの住まなくなった家屋めいた雰囲気になるのだ。別に何が変わるわけでもないのに、どこか荒廃した空気、朽ち果てた感触が壁から通路から天井から滲み出る。

 ミリエルの点けた魔法の光によって、迷宮内、特に俺たちの周囲はそれなりに明るい。ただ、少し離れると闇深い世界が広がっている。


「とりあえず探す、って選択肢は無かったのか」

「言ったじゃろ。不慣れな場所では警戒すべきなんじゃよ。そこの横穴までは同条件じゃったが、こっちに逃げ込んだ以上、このマジカディア地下迷宮は牢番殺しのホームってことじゃろ。そこで闇雲に追い掛けるほどワシは阿呆ではない」

「なるほど」

「さて、地上へと帰るかのう。あの役人どもが首を長くして待っておるじゃろうし」


 詰め所に繋がる横穴ではなく、壁沿いに右側へとミリエルが進んだ。空気の流れもあり、ダンジョンの出入り口でもあるのだろう。

 しばらく歩いて、ミリエルは角を曲がり、階段に差し掛かったところで振り返った。


「どうしたヨースケ」

「ミリエルは、この地下迷宮に足を踏み入れたことがあるんだな?」

「うむ。ワシって見た目にそぐわず意外に物知りじゃろ」

「自分で言うのか」

「おかげでよく誤解されるからのう」


 敵の縄張りに入り込んでしまうと、追いつくのも難しい。あるいは不意打ちや罠の危険も高い。

 ミリエルの言葉は理に適っている。

 だが、ちょっとした違和感もあった。今の返答も、微妙にはぐらかされた感じがする。

 俺の疑問を代弁するかのように、スピカが言った。


「自分を狙った敵なのに、今は危険だから追い掛けない。それだけですか、ミリエルさん」

「魔導書の、スピカじゃったな。それだけ、とはどういう意味じゃ?」

「俺も聞きたい。ミリエル、本当はもっと探すつもりだったんじゃないのか」

「言ったじゃろ。ワシは、敵に有利な場面でみすみす突っ込むほど愚かではない」

「……それですよ」

「どれじゃ?」


 ミリエルはとぼけた。スピカが語勢を強めた。


「共犯者の口封じも辞さない相手なんて、放置する方が危険じゃないですか。ミリエルさんの実力なら罠も正面から打ち破れる。その自負もお持ちでしょう。なのにらしくない物言いで言い訳して後回しにする。……ご主人様?」

「俺を心配して、敵を追うのを躊躇したのか?」

「はぁ、お主ら。もうちょっと、こう、ラクティーナのような素直さがあってもいいじゃろ」

「あのチョロさはティナさん最大の魅力ですから真似はちょっと」


 スピカの言葉に、ミリエルは噴き出した。

 陰口の類ではないと察したのだろう。


「他にもいいところあるんじゃがなー」

「俺を足手まといと思ってるなら、それはそれで仕方ない。言ってくれ」


 先を行くミリエルは肩をすくめた。表情は見えないが、背中が揺れる。

 ミリエルが少しだけ道の感じが変わってきた地下迷宮を先導する。

 俺たちはその少し後ろを、抜き去らないように気を付けながら、ゆっくりと歩く。


「敵がさっきのヤツだけなら、ワシが追い掛けて仕留めて終わりじゃ。しかし、敵が一人とは限らん。言ったじゃろう。ワシはとある捜査を頼まれて、ここマジカディアに来たんじゃ。もしそれを快く思わないのが複数の人間、組織であった場合、あるいはこの街そのものであった場合、話が変わってくる。敵の正体を掴めぬまま下っ端を潰したところで、それで綺麗に解決するか、という話でのう」

「その場の最善が、全体の最良とは限らない、ってことか」

「上手い言い回しじゃな」

「いえ、まだ何か誤魔化してますね?」

「……ヨースケ。お主の魔導書、気むずかしい姑みたいにしつこいんじゃが。……はっ、とするとワシが嫁の立場なのか? そういうことであればまんざらでもないのう。万が一ヨースケがワシのこの魅惑的なカラダ目当てであったとしても」

「その誤魔化し方は最近ワンパターンというか、安直すぎるので、もう少し捻ってください」


 ここまで何回か階段を昇っている。長い通路の向こう側、うっすらと光が見えた。

 ミリエルの作った魔法の灯りではない、別の輝きだ。

 そろそろ出口かも知れない。


「誤魔化しても追及が厳しくなるだけなので、そろそろ本音をどうぞ」

「……う、うむ。実はじゃな」

「どんな本心でも、何を口走っても気を悪くしたりしないので遠慮無くどうぞ」

「ワシのせいで巻き込まれたヨースケが狙われる危険が上がるかと思うと、気後れしてしまってのう」


 ミリエルが呟くように、小声で言った。


「ご、ご主人様! ミリエルさんの好感度、いつの間にそんなに稼いだんですか!?」

「いや、記憶にない」

「とっても可愛い大天使ミリエルちゃん、と呼んでくれたじゃろ」

「あれでか!?」

「ここ十年くらい、誰もそう呼んでくれんかったからのう……」


 こほん、とミリエルは咳払いして、どっちが本心とも取れない表情をした。


「これはお茶目な美少女ジョークってやつじゃよ。あと、気遣いも出来る優しい男の子が、ワシ相手に気安くしゃべってくれるのが嬉しくてのー。ワシみたいな立場になると、どうしても対等の立場で馬鹿話が出来る相手が乏しくなるんじゃよ」


 スピカが大げさにため息を吐いた。


「長い。一言で」

「ワシは純情で奥手だからお友達からでどうじゃ!」

「乙女か!」

「乙女じゃ!」


 ミリエルは澄まし顔をして、それも冗談のように口にしたため、本気かどうかは判然としない。

 見た目に反してミリエルはティナほど分かりやすくなく、口に出された表面の理由を鵜呑みにすべきではない手合いだった。

 ただ、今回に限っては、追跡を中断した理由の大きな部分を占めるのが、俺を心配してのことだったのは間違いなさそうだ。

 人間関係の進展に疎い俺であっても、それくらいの機微は察せる。


「あー、なんだ、要は俺のためだったってことでいいんだよな」

「う、うむ。将来有望な男の子を恩を着せて囲い込もうという、まさに深謀遠慮……」

「そういうの、いいですから」

「スピカ、お主はワシの照れ隠しムーブを邪魔ばかりするのう」

「その手のノリはティナさんでお腹いっぱいなので」

「くっ。ラクティーナめ、こんな方法でワシの道を先回りするようになるとは……いつもひとの後ろに隠れてちょこちょこ追い掛けてきたというのに、知らぬ間に成長したんじゃなー。ワシほろり」


 ティナの離脱で久々に同行者がいない状態になると思ったが、同ジャンル別ベクトルの謎めいた童女と親しくなったわけだ。

 スピカが楽しそうで何よりである。


「さっきのはその場しのぎだったが、助手の件、本当に引き受けてもいいぞ」

「なんじゃと?」

「まーたご主人様の悪い癖が出ましたね……」

「スピカ」

「正直、ミリエルさんに手助けとかいらないと思いますけどね。とはいえ、我が主がお望みとあらば、このスピカも労を厭いませんっ」


 ミリエルは俺の発言にわずかに驚いた顔をしていたが、スピカの言葉で眉間に皺を寄せた。


「さあミリエルさん、あなたに拒否権はありません! これより存分にご主人様に助けられて、感謝と畏敬の念を強め、ゆっくりとしかし確実に籠絡されるのです! そしてご主人様をからかうため気軽に口にしていた好意がだんだんと本物になっていって内心どきどきしながらでも以前の振る舞いが素直な気持ちを邪魔して強がったり余計なことを言ってしまって落ち込む……という、恋愛不慣れ勢にありがちなパターンに陥ればいいのです!」

「……」

「……」


 かつ、かつ、かつ、と靴音だけが響いている。

 もうすぐ地下迷宮の出口、といったところで、話も切り上げ時だろう。

 俺とミリエルは無言で歩いた。


「あ、あの、スルーされると困るんですが。ご主人様!? ミリエルさん!?」

「……のうヨースケ。ワシの軽口もこんな感じかのー?」

「まあ、おおよそは」

「人の振り見て我が振り直せ。良い言葉よの。この年になって、己を見つめ直す良い機会じゃった」

「良かったなスピカ。褒められたぞ」

「え、あ、あれ、もしかしてワタシ、空気を読み違えましたか!? う、うう。ご主人様、あとはお任せします……」


 軽くなった空気を引き戻すような真面目な声色で、ミリエルは言った。


「上でのやり取りだけならば、まだ顔見知りへ便宜を図っただけ、と言い訳もつく。以降一緒に行動しなければ、お主が狙われることもなかろう。ヨースケ、お主は、ここマジカディアには観光しに来たんじゃろ? あえて虎口に近づかねばならぬ理由は無いはずじゃ」

「そうだな」

「しかし……名実共にワシの助手として触れ込めば、相応の危険が降りかかるじゃろう。お主は、ワシがこの地に何を調べに来たのかも知らぬ。お主もあえて詳しく聞こうとはしなかった」

「つまり?」

「ここが引き返す最後のチャンスじゃ」


 ミリエルは見た目の年齢にまるで似合わぬ微笑を浮かべた。

 地下迷宮からの脱出口、地上の光が見えている状況ではあるが、そこで立ち止まっている。


「誰かを助けるためであれ、軽々に己が身を危険に晒すではない。道連れが居るのなら尚更にな。ワシはこの通り、なかなかの実力者じゃ。たとえドラゴンが出ようと、ワシ一人でも倒せる。それくらい分かっておるんじゃろ?」

「でも、万が一があるとは思ってる。そうじゃないか?」

「……む」

「ティナをこの街に呼んだのはミリエルだろ? 合流して、調査を手伝わせる気だった。なのに直前になって別の街に向かったと欺いて、ティナを遠ざけた」


 ここまでのやり取りから、本当はティナを調査の助手を任せようとしてこの街に呼んだのも察せた。落ち合う直前で余所に向かったのも意図的に残した偽報だったと匂わせていた。


「ティナを呼んだ時点、あるいは想定していたよりも厄介な状況と考えて、ティナを巻き込みたくないと思った。ティナの性格を鑑みるに、近しい相手が危地にあれば、自分の危険を顧みず手伝うと言いかねないから。……そう推測したんだが、答えは」

「ラクティーナのことをよく見ておるのー。ま、細部はともかく、概ねその通りじゃ」


 ミリエルは肯定した。つまり、冒険者、あるいは魔法使いとしては一流に属するティナですら危ういと考えているわけだ。その危険に、ミリエルは一人で立ち向かおうとしている。

 ミリエルは俺のことも心配している。ただ協力すると伝えても一蹴されるのは分かりきっていたため、一計を講じた。


「ヨースケ。気遣いは本当にありがたく思っておる。しかしじゃな、会ったばかりの女を手伝うだけならまだしも、死ぬ危険が分かっていながら関わり続けるなど、そんな向こう見ずな優しさは寿命を縮めるだけじゃ。若いんじゃし、もっと自分を大事にするんじゃな」

「助けてやるよ」

「なんじゃと?」

「命掛けで、助けてやるって言ったんだ。実際、一人じゃ大変なのは分かってるんだろ? 魔導士なら戦力として数えられるし、それなりに話の分かる助手がいれば調査も捗る。違うか」

「随分と恩着せがましい言い方をするのう。さっきまでの可愛げはどこにいった。ほいほい命掛けなぞ言うものではない。おなごが勘違いするじゃろ。ほれ、その、なんじゃ、……若いから勢いがあって良いとは思うが、その、お主はラクティーナとよろしくやっておるんじゃろ?」


 ミリエルはむっとした表情で俺を見上げた。

 俺は、そうやって表情を作ってまでこうした会話に興じるミリエルに嘆息し、肩をすくめた。


「これでミリエルに貸しを作れるなら安い買い物だ」

「偉そうじゃな! お主は金銭には困っておらんじゃろうし、魔導士たる者、ワシに魔法を師事する必要もない。そんなヨースケが、ワシに貸しを作って何の得がある。まさか、のちのちワシの身体を使って、恩をたっぷり返せとでも?」


 俺の答えを受けてか、ミリエルは皮肉めいた言い方を選んだ。

 何か誤解が生じている気もするが、流れとしては悪くない。


「それもいいかもな」

「ヨースケは、罪作りな男の子じゃな」


 俺の答えに、ミリエルは眉間に皺を寄せて、大きなため息を長々と吐き出した。

 ヤンチャで手の掛かる子供を見るような、なんともいえない視線を向けられた。


「相分かった。これよりワシとヨースケは協力者じゃ。これより、学術都市マジカディア前学長変死事件の捜査において、ヨースケを正式な助手として雇うこととする。報酬は先ほど言っていた通り、ワシに対する貸し一。ヨースケ、調査中には先ほどのような妨害が発生すると思って気を付けよ。お主が死んでも責任は取れんからな」

「前学長変死事件?」


 ようやく調査内容の具体的な内容が出て来た。

 ミリエルは天井を指し示し、このマジカディア地下迷宮の真上がそのまま学校の敷地であると説明した。大学のような魔法使い教育と魔法の研究機関が一緒くたになったような学術組織であると。


「自殺、ということになっておるが……変死、あるいは怪死事件じゃな。マジカディアの中心部にある学校の学長は、そのままマジカディアの総責任者でもある。学長は、他の街で言うならば市長とギルド長を兼務しているような存在でな。それが他殺だったと密告があり、回り回ってマジカディアに縁のあるワシまで話が回ってきたんじゃよ。自殺はやはり、偽装であった可能性が高まったがのう」

「というと」

「真に学長の自殺であれば、ワシを罠に嵌める必要なんかないじゃろ。そのままワシに調査させて、疑念を晴らせば良いだけじゃ。あるいは自殺は本当でも、他に調べられたくないことがあったか……」


 幼げな見た目に反するように、こぼした言葉には陰がある。

 ティナを、そして俺を巻き込みたくなかったのは、そうした薄暗い部分には不慣れと見たからだろう。単なる命の危険ならモンスターとの戦いで日常茶飯事であるし、それはミリエルも分かった上での心配だ。とすれば、自ずと相手が見えてくる。


「この街の権力者が敵になると?」

「どっちにせよ、ラクティーナには向かんのは確かじゃ。あの娘は頭は回るくせに、色々と、分かりやすすぎるからのう。単なる殺人事件の調査であれば、これも経験として同行させたんじゃがな……」

「なるほど。ミリエルからすると、俺は向いてるのか?」

「そこは大丈夫じゃろ。お主はハミンスの鼠に気に入られてると聞いおったのでな。実のところ、自衛が出来て小回りの利く助手が手に入ったのはワシ的には万々歳じゃ」 


 ハミンスの鼠。

 盗賊ギルドのルピンのことだ。ここまで俺は彼の名前を出していないし、ミリエルに繋がりを伝えた覚えもない。

 とすれば魔力感知云々もただの言い訳で、最初から情報を抑えた上で俺と接していたかもしれない。

 ティナと親しい、しかし得体の知れない小さな魔法使い。


「ご主人様、ミリエルさん。そろそろ……」

「そうじゃな。随分待たせてしまったのう」

「俺が先に」

「うむ。頼んだ」


 地下迷宮からの出口。光が射し込んでいる部分の手前で、随分と長く話を続けていた。

 その間、俺たちは前に進むことはなかった。迷宮から出る素振りを見せなかった。

 だからそのままだった。

 俺が前に進んで、手を上げる。


「《轟雷嵐》」


 俺の放った雷撃の魔法は、スピカの制御によって的確に出口前の暗がり、ちょうど死角になっている部分に直撃した。そこには不気味な人影があった。そのモンスターの名は影男(シャドウマン)といった。

 ネストンダンジョンでも見た覚えがある。

 一撃で消し飛ばした。その場に転がったのは一枚の金貨だった。


「枯れた迷宮にモンスターは出ないと言ってたよな」

「ここでは発生しないだけじゃ。余所から入り込んだ場合にはその限りではないのう」


 影男は金貨級モンスターであり、物理攻撃がほぼ通用しない手合いである。もちろん、攻撃魔法さえ当たれば倒すのに苦労はしない。一般的な魔法使いの放つ火炎玉一発で倒せるほどの紙耐久っぷりから、一見雑魚のように思われる。

 しかし、その特徴と危険さはもう一つある。


 影男はその名の通り、影のモンスターだ。暗がりに紛れることも出来るし、動物型モンスターのように気配も捉えにくい。

 すなわち、奇襲されるまで存在に気づけない危険な敵なのである。

 最初から見えている状態なら、魔法使いにとってゴブリン程度の脅威だが、見えていない状態ではオーガに匹敵する難敵なのだ。


 スピカが警告してくれたが、ミリエルは先に気づいていたかもしれない。


「誰にも見つからず外から入り込んだモンスターが、ここで隠れてて襲ってくる可能性は?」

「そうじゃなー。今日中にラクティーナが友達を百人増やすくらいの確率じゃな」

「意外に高いな」

「ふむ。しばらく会わんうちに、多少は成長しとるよーじゃの。善哉善哉」


 枯れた迷宮、死んだダンジョンにも、こうしてモンスターが入り込む可能性はある。そしてまた、モンスターが何者かに操られることがありうると、俺は知っている。

 奇襲を仕掛ける地点は、出口のすぐそば。

 ようやく脱出出来ると気が緩んだ瞬間を狙う狡猾さが、先刻の牢番殺しと重なる。


 俺が金貨を拾っている間に、ミリエルが軽やかなステップで先へと進む。 

 薄暗がりの迷宮の出口は明るく、そこに足を踏み入れた小さな魔法使いが、そっと振り返る。

 眩い光の中に、黒っぽいローブととんがり帽子。そして微笑みが俺に向けられる。


「誰かに助けられるのも、たまには悪くはないのう。助手は任せたぞ、ヨースケ」

「ああ。任された!」

「お二人でなに相棒感を出してるんでしょーか。ご主人様のパートナーはワタシ、このスピカだけですからね! そこのところをお忘れなく! お願いしますねご主人様! ご主人様あっ!」


 こうして俺はミリエルと共に、マジカディア前学長怪死の真相を調べ始めたのだった。

 当初の目的だった観光はどうなった、と聞いてはいけない。

 事件解決は急がねばならないが、観光はあとでゆっくり出来る。結果さえ出してしまえば、心置きなくじっくり街を回ることが出来るのだ。出来るに違いない。きっと。たぶん。絶対。


 と、俺は自分の心に言い聞かせるのであった。



 マジカディア中心部の敷地内、複数在る研究所らしき建物に囲まれた、中庭めいた広場を通り抜けようとしたとき、魔法使いというより研究者風の、眼鏡と白衣の似合う男に話し掛けられた。


「で、あなた方はどこから侵入したんです? それと何の目的で? この地下迷宮は許可無い者の立ち入りを禁止している区画であることはご存じでしょう? まさか知らなかったとは言いませんよね? 我々を納得させるに足る正当な事由がないのなら、あなたたちを不法侵入の現行犯として逮捕させていただきます。釈明があるならどうぞ」


 地下迷宮から脱出して数分後、周囲の建造物に足を踏み入れることなく、ミリエルの後を追って地上部分の曲がりくねった道を歩いて、この広場を横切ろうとしたのだ。すると、どこからともなく大量の兵士が集まってきて、あっという間に取り囲まれてしまった。


 その兵士達の先頭に立っていたのが、責任者らしきこの白衣の男だ。

 どうやら、迷宮から外に出た瞬間を誰かに見咎められていたらしい。


「まったく面倒な……。何事もなく済ませたいのに、派遣された捜査員にわざわざ最悪な心証を与える馬鹿はいるし、しかも連絡途絶でかの人物を捜索中に、こっちはこっちで侵入騒ぎ……今日は厄日だ」


 恨みがましい言葉と視線を突きつけられると、俺とミリエルは顔を見合わせて、ほぼ同時にため息を吐き出すのだった。

 まったくもってその通り。気持ちは分かる、と男の肩をぽんぽんと叩いてやろうとした。

 当然、払いのけられた。



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