第一話 『ディア、ニア、フィアー』
閉ざされた扉の鉄格子越しに、俺は見た。
閉めたのは、意気消沈していたはずの牢番だった。いきなり勢いを取り戻し、怒鳴りつけてくる。
「この方と貴様は関係無いだろ! なに勝手に出ようとしてやがる!」
「俺だって冤罪で牢屋に入れられたんだが」
「数時間のうちに二人も濡れ衣で牢屋に入るなんて、それこそありえない!」
「いや、あんたの目が節穴なだけじゃ……」
「なんだとこの野郎! だいたいなんで隣に入っていただいていたこのミリエル様が、知らぬ間にお前の牢に入ってたんだ! 組み伏せやすそうな美少女と見て強引に連れ込んだんだろこのロリコン野郎が! 一目見た時からオレには分かってたぞ! やっぱり雰囲気通りの凶悪犯だったんだな!」
なんという理不尽。なんという不愉快。
スムーズな解決を願って、最初にティナの名前を出してしまったこともあり、迷惑を掛けないようにと我慢に我慢を重ねてきた俺も、そろそろ限界である。
というか、手段その他は問題にならないのか。
いや、俺にもとっくに分かっているのだ。目の前で扉を閉めて好き勝手喋っているこの牢番が、本当は仕事熱心なんかではなく、単に憂さ晴らしするためだけに、余所者であり叩きやすい理由を持っていた俺を標的にしたことは。
俺も相当頭に来ているが、それ以上にスピカの赫怒が伝わってくる。
聞こえないくらいくらいの小さな声で呟いているのが俺の耳にだけ届く。
『……ご主人様、この下郎に、そろそろ思い知らせてやりませんか……いえ、別にご主人様が手を下す必要はありません……ただちょっと生まれてきたことを死ぬまで後悔する相応の報いを与えてやるだけですので……』
いつものテンション高い喋りではなく、抑えきった低い声での提案である。マジトーンである。殺意に満ちたスピカからの提案を耳にして、俺の方がちょっと冷静になってしまったくらいだ。
そこに横槍が入った。
ミリエルが肩をすくめ、優しく諭す口調で言った。
「あー……なんじゃ、そこのヨースケはワシが呼んだ助手での。急用が出来たラクティーナ=ビッテンルーナの代わりじゃ。ラクティーナと親しいのも本当じゃぞ」
俺を牢から出さなかった牢番が、ティナの名前が出た途端、身体をビクっとさせた。
その瞬間のミリエルを解放させにきた役人の目つきもすごかった。牢番を視線だけで刺し殺せそうな、そうした眼力である。口にされなくても彼の心境が分かる。
ミリエルに対する誤認逮捕で、マジカディアに対する心証が最悪になりそうなところに、更なる爆弾追加だ。
牢番は驚いたし、役人もぎょっとしたに違いない。
俺だって初耳だ。ティナ云々は俺と牢番のやり取りから把握していたとしても、助手なんて話は突然出て来たものである。
そこに、さらにもう一人やってきた。
「あのー、先刻、騒ぎを収めるためにご協力していただいた方が、なぜかこちらに連行されて、そのまま拘留されているのではないか、と通報があったのですが……あっ」
経緯など知る由もない警邏の、俺が騒ぎに巻き込まれた際に顔を合わせた相手が、詰め所地下の異様な雰囲気に眉をひそめつつ入ってきて、牢内に一人閉じ込められている俺をすぐ見つけて、顔をしかめた。
役人の蒼白と激怒の入り交じった表情。
俺とミリエルの苛立ち。
ついでに、牢番の様子とを見回して、色々と察したのだろう。
「何をしてるんですか! そちらの方は事態収拾にご協力頂いた方です! 事情聴取のご協力だけお願いすると申し伝えてあったはずです! それをどうして……こんなことに……申し訳ありません! せっかく初めてマジカディアを訪れて、楽しい観光に出向かれるという話のところ、無理を言って調書作成のご協力をお願いしたというのに……こんな無体な真似を……!」
「え……あ、いや……しかし、この男はどう見ても凶悪な……」
「凶悪な、何です? この方が何か犯罪を犯して、現行犯逮捕というのなら理解しましょう。まさか雰囲気だけでこの牢屋に叩き込んだんじゃないでしょうね?」
「その、ええと……」
「確かに雰囲気は物騒な感じですが、そんなことは捕まえて良い理由にはなりません! こんなことなら後始末のためとはいえ現場に戻るんじゃなかった! 人手不足だったとはいえ、お言葉に甘えたせいで、たいへんなご迷惑を……!」
「いえ、この状況はあなたのせいでは」
「しかし……!」
良かった。おかしかったのはそこの牢番だけで、他はまともだったらしい。
勝ち誇った顔からの急転直下である。
ただ、つい先刻、楽しそうに歓談した相手からも物騒と思われていたことが発覚し、俺はちょっと落ち込むのだった。
詰め所の地下、牢屋の前に三人も集まっていると邪魔くさいことこの上ない。
それぞれ特色のある表情を見回してから、ミリエルが大げさに嘆息した。
「先に渡した親書にも書いてあったはずじゃが、スティングホルトもこの件については大変憂慮しておる。記載通り、マジカディアでの捜査はワシに一任されているのでな、助手が捕まったままだと大変困ることになるのー。……誰が、とは言わんが」
なんやかんやで数分後。
見送りのは、まともな警邏の兵士と、崩れ落ちそうになるのをなんとか堪えている哀れな役人だけだった。
俺たちを先に外に出してから、後ろで怒鳴り声が響いていたと思ったのだが、問題の牢番は、いつの間にか姿が見えなくなっていた。
今、詰め所の入り口から見える位置にはいない。
「彼自身の強い希望で反省のため当分あの牢に入るそうなので、カゲヤマ様のお怒りはごもっともなのですが……なんとか、ご寛恕願えませんでしょうか……その、鍵も掛けましたし」
怪訝な顔に気づいたのか、消え入りそうな声で、役人風の男が言った。ミリエルにしていたように、俺に対しても深々と頭を下げてそのまま固まっている。
俺の消息を確かめに来た警邏は、この場にいない牢番に、今も冷めやらぬ怒りを延々と零し続けている。
一方、ミリエルはさきほどまでの不機嫌そうな雰囲気を一変させ、ニコニコと笑顔を振りまいていた。
美少女らしい笑顔で、見ているこっちも微笑んでしまいそうだった。
「よいよい。そも、相応の権限を持つからには、それなりの責任が付随するものじゃ。であれば、あのぼんくらに対しても、きちんとした処分が下される。因果応報は当然、じゃろう?」
「それはもちろん! 当然そうさせていただく所存で、はい!」
「ヨースケもそれでよいな?」
「いや、でもな」
若干、納得がいかない。俺の手元から問題が勝手に取り上げられた感がある。
懐から、無言ながら俺以上の怒気がひしひしと伝わってくる。
ミリエルは俺を見上げて、ますます笑顔になって、とぼけた声を出した。
「腹が立つのは当然じゃが、ワシに免じて、ここは彼らに任せてくれんかのー?」
「……分かった」
「ほっ」
ミリエルも相当不愉快だったはずだ。それが、こんなあっさりと話を切り上げるとも思えない。
何か考えがあるのだろう。御手並拝見とばかりに、任せてみることにした。
安堵したように、ほっと胸をなで下ろしたミリエルは、役人と警邏に微笑んだ。
「では賠償についての話をするかの?」
「え?」
「あの、ミリエル様。先ほど、袖の下は通用しないというか、むしろ罪に問うようなことを……」
「当たり前じゃ。ワシは賄賂など一度として受け取ったことはないし、袖の下などもってのほかじゃ。あらゆる汚職と悪事を憎む正義の心を持った美少女ミリエルちゃんゆえな!」
うむうむ、と自分の言葉に頷いてから、固まっている役人に、優しい声で言った。
「なので事件やミスを隠蔽するために授受される金銭には一切関与せんが、正当な慰謝料であれば受け取るに吝かではないぞ。なにしろ掛け替えのない調査のための時間を、あんな暗く寂しくおそろしい床も冷たい牢屋のなかで、無意味に費やす羽目になったからのう……。そこのヨースケも、ワシも、この街に来たばかりじゃったのにな……胸を躍らせながら外から来た者に対し、あの牢番が横暴な振る舞いと職権濫用を繰り返しておったとはな……、魔法研究の最先端にして、王国有数の素晴らしい都市たるマジカディアに期待していたワシとしては、とてもとても悲しいのう……」
ちらっ。
ミリエルは、意味ありげに俺に目配せをしてから、二人をじっと見据えた。
俺は物憂げに俯いて、ため息を長く吐き出した。
「調査を危険視した何者かの指図で、濡れ衣を着せて時間を稼いだなんてことは……証拠隠滅、国外への逃亡、口裏合わせ……まさかね」
「そ、そのようなことはございませんとも! これは不幸な事故です! あの男の独断専行に過ぎません! なあ君、そうだろう!?」
「え、ええ、おそらくは。でも……確かに、嫌疑をかけるには、あまりにもお粗末過ぎる……何か裏があってもおかしくないですね」
「おいっ、君ぃっ!? あの男、ただ左遷された無能じゃなかったのかね!?」
「そのはずですが……しかし、マジカディアの治安を任された兵士ともあろう者が、事情を聞くために詰め所に案内された来訪者の方々を、個人的な判断且つ心証のみでいきなり牢屋に入れるでしょうか。そんな事例、聞いたことがありません」
俺も咄嗟に合わせたが、ミリエルの手管の方が上手だった。
立場の違いが必死さの差だろう。役人の熱量に、警邏の兵士は微妙に引いて、疑念を口にした。
思いも寄らぬ方向に飛び火した感はあるが、確かにおかしい。
おかしいといえば、もうひとつ。
俺より早くミリエルが疑問を呈した。
「のう、そこの警邏。あの牢屋は、何のためのものじゃ?」
「それはその、犯罪者を一時的に収監するための留置場的な役割の牢なのですが……」
「ではなくてだな、魔法使い相手には無意味じゃろ、アレ」
「……あっ、はい! 仰る通り、魔法を使えない者専用です!」
鉄よりは頑丈そうだったが、普通の牢には変わりない。一般的な魔法使いを閉じ込めておくのは難しい。
狭いから《火炎玉》を使うのは厳しいだろうが、他の火炎系攻撃魔法で溶かすなり、衝撃系の魔法で吹き飛ばすなりして、牢そのものを破壊して逃亡することも可能である。
豊富な種類の魔法を行使出来るなら、もっとスマートに脱獄することが出来る。たとえば先ほどミリエルがやったように、幻影を使って牢番の目を誤魔化すのも手だ。
魔法が使える者なら、どうとでもなってしまう以上、収監するための場所として成立しない。
魔法使い相手には専用の措置なり牢屋が存在している、というのは予想が付いていた。
他の都市や市町村では希有な存在でも、この魔法学術都市マジカディアにおいては珍しい存在ではない。そして魔法使いが人間である以上、トラブルの数や割合、理由もそうは変わらないはずだ。
「ワシもヨースケも、魔法使いに見えるハズじゃな?」
「そう、ですね」
「……なのに、ワシらをあそこに叩き込んで、横暴な牢番として振る舞ったとはのう」
コート姿の俺はさておき、ミリエルはどう見ても魔法使いの格好である。幼女というか、童女が魔法使いのコスプレをしている、と思われる可能性は否定しないが。
魔法使いと日常的に接しているはずの詰め所の牢番が、街に着いたばかりだったとはいえ、俺とミリエルを一切魔法が使えないと思い込んだ、というのは無理がある。
誤解とはいえ犯罪者として扱ったならば、魔法によって害されるかもしれないと危惧するのが先だろう。
ずっと感じていた不可解さの正体がはっきりしてきた。
やることなすことちぐはぐなのだ。本当に誤解しての行動だったのか。そこからして怪しくなってきた。
「まさかっ!?」
「き、君、急いで見てきてくれ!」
汗顔の役人はハンカチで額を拭き、警邏は地下牢へと駆け下りていった。戻ってきた警邏の顔には申し訳なさと、それ以上に困惑の表情が張り付いていた。
「申し訳ございません。牢はすでにもぬけのからでした……しかし、私たちは二人で牢の施錠についてちゃんと確認したのです!」
「き、君ぃ。問題はそこじゃないんだ、そこじゃないんだよ! 脱獄……そうだ、脱獄犯なんだよ! どうして私が担当のときにこんな事件が起きるんだ……!」
「まさか逃げるなんて……で、でも、彼は魔法使いではなかったはず。鍵の掛かった牢から抜け出すなんて、一体どうやって!?」
「理由を調べるのは後回しでいい! それより早く指名手配を! 牢破りは重罪だ! 魔法使いや凶悪犯でないとはいえ、都市中に検問を敷いて即刻逮捕しなければ!」
慌てふためく役人と、慚愧の念に堪えない、といった顔をする警邏の二人を見上げて、ミリエルは大げさなため息を吐き出した。
「主ら、そろそろ落ち着かんか。……詰め所の入り口はここだけじゃろ? では、まだ中におるはずじゃ」
「し、しかし!」
「しかしもかかしもないわい。魔法に魔力が必要なように、どんな手品にも種がいる。ヤツが魔法を使えないのはワシにも分かっておる。とすれば、どこぞに抜け道か隠し扉でもあるんじゃろ。行くぞヨースケ」
「はいはい」
ミリエル先導で詰め所に戻り、地下牢への階段を下りていくのを、俺は追い掛けた。
詰め所を見回してから、傾斜の強い階段を降りて、すぐに内壁で仕切られた鉄格子の牢屋が見える。確かに隠れられそうな場所もなく、焦った警邏が逃げられたと即断するのも無理はない。
ミリエルは皮肉そうにカビ臭く薄暗い地下をぐるりと見回して、オイルのものではない灯りを眺めると、伸びた自分の影を目で追った。
壁上方に設置されているランプは固定されていて、ティナが持っていたマジックライトと似た品物らしい。
照明は魔力光で、白熱電球とか蛍光灯の明るさに似ていた。
確かに、どこかに隠れられるスペースも見当たらないし、ひとの気配も感じられない。
「あの者はどこの牢に入ったかのう? 自ら入ったんじゃろ?」
「あ、はい。右端の牢です」
俺が叩き込まれた牢ではない。最初にミリエルが入れられていた側の牢だ。
「ヨースケ」
「……入れ、と?」
「なんじゃ。ぬし、ワシみたいな美少女を牢に入れて閉じ込めて外から眺めて悦に浸るタイプか? それじゃ仕方ないのう。たまにはそうした倒錯的な趣味に付き合ってやるのも先達の勤めかのー……」
「おい」
牢に入ろうといそいそと足を踏み出すミリエルの肩を掴んで止めた。
さっきまで死にそうな顔をしていた役人と、悲痛だった警邏の目が、俺に向いた。
変態を見るような蔑みの視線だった。
「なに、場を和らげるための、ちょっとした美少女ジョークじゃよ」
「洒落になってない」
「鍵は、締まったままじゃな」
「あ、今開けます!」
「待て待て。――猛き水よ、我が意に従い天より湧いて、この地に遍く注ぐがいい!《垂水》」
ミリエルの魔法は発動までの速度も一瞬だった。
効果も分かりやすく、天井近くから大量の水が湧き出して、滝のような勢いでざばあっと音を立てて落下した。
閉まったままの牢扉の内側、床一面が水浸しになったのを確認して、ミリエルは頷いた。
「幻術で隠れてる可能性も潰しておかんとな。ああ、もう開けてよいぞ」
「それは分かるが……やる前に、ひとこと言ってくれ」
「そやつも濡れておらんから別にいいじゃろ」
鍵を開けようと一歩前に進んでいた警邏は、牢の直前で立ち竦んでいた。
突然、目の前に滝が現れて消えたのだ。さぞかし驚いたことだろう。
しかし、ミリエルの言う通り、警邏の制服には一切水がかかっていない。
「お、驚きました」
「そうじゃろそうじゃろ。発動速度から制御力までまさに完璧。さすがワシ」
「はいはい、それで、隠し扉だか抜け道を探すんだよな」
「あるのは右奥、端っこの方じゃな。見てみよ、あのあたりの水のはけ方が違うじゃろ」
牢屋の床に注目すると、微妙に水が減っている部分がある。下方に抜け穴が設置されている可能性が高いだろう。
鍵を開けてもらい、指摘された部分を屈んで確かめる。床に溝が彫り込んであった。指でなぞっていくと、途中に違和感があった。
「そこまで考えて今の魔法を?」
「ふふふ、このとっても可愛い大天使ミリエルちゃんを存分に褒めてもよいのじゃぞ?」
「分かった分かった。ミリエルはすごいな」
「心が篭もってないのう。まあ良い。……どうじゃ?」
「下に空間があるな」
立ち上がって、踏みならしてみる。音の反響も考えると、それなりに広いスペースがあるようだ。仕掛けがあるかもしれない。周囲を調べているうちに、ミリエルが呆れた声で言った。
「どのみち再利用なんぞせん場所じゃ。床ごと壊してしまえ」
「いいのか?」
「かまわんかまわん。ワシが許す」
俺は視線をズラして役人と警邏の二人にアイコンタクトをとった。
二人は顔を見合わせて、同時に頷いた。すでに場の支配者はミリエルであり、彼女の言い分に逆らう理由も見当たらなかったのだろう。
俺は若干困ってしまった。
俺の躊躇を見て取ってから、ミリエルは思い出したように声を挙げた。
「……そうじゃったな! すまんすまん、ヨースケは魔法使いとしては不器用な方じゃったな! こんな狭い場所でお主の力を下手に使ったら、全員揃って生き埋めになりかねんか!」
わざとらしい説明口調だったが、二人が、ぎょっとしたように俺を見た。
スピカの存在、俺が魔導士であると知っているミリエルの発言だ。何らかの意図が含まれているのは間違いなかったが、具体的な目的までは察せなかった。
二人の目は俺に向いていた。それゆえ、二人は、ミリエルが表情を観察していたことに気づかない。
一通り確認が取れたのか、ミリエルは大物感たっぷりに進み出た。
こうしていると忘れそうになるが、ミリエルの見た目は魔法使いの格好をした可愛らしい童女である。そんな彼女が当たり前のように場の空気を動かしていることを、俺たちは自然と受け入れていた。
俺が魔導士であるということを知って、ミリエルは動揺した素振りも見せなかった。魔法使いとしては一流どころらしいティナですら、知った時には驚愕を露わにしていたというのに。
今更だが、ミリエルはいったい何者なのだろうか。
ただの美少女ではありえない。そのくせ、警戒すべき相手とも感じなかった。
俺にだけ聞こえる小さな声で、スピカがぼやいた。
(ご主人様ったら、可愛い女の子と見るやすぐ警戒を緩めるんですから……)
確かに、そういう部分はある。スピカの言葉は否定できない。
(やっぱり、危険か?)
(……能力的には)
その割に、スピカはあまり強く注意してこなかった。
なんというか、ミリエルは、嫌いになれないタイプの相手だった。
謎も多く、能力的には確実に警戒対象であるミリエルだが、向こうから語りかけられる言葉には、俺たちに対する警戒や嫌悪、敵愾心の欠片も見当たらない。
むしろ最初から好意や親愛の情が言葉と態度の端々から感じられて、そうなると、こっちとしても、向けられた分に見合った好感を抱かずにはいられなくなる。
困った。これでは、ティナのことをちょろいと笑えない。
「仕方ないのう。ワシがもうひと肌脱いでやるとするか。ひと肌脱ぐ、といっても本当にワシの肌を見せるわけではないぞ。ん? なんじゃその目は。胸とは言わずとも、お腹くらいは見せてくれる……と期待させてしまったかのう?」
「しつこいですよセクハラ小娘」
「え? あれ、今の声は?」
「……幻聴じゃ」
「で、ですが」
「ほれほれ、急がんと逃げられてしまうぞ! ――猛き風よ、我が意に従い宙より吹いて、この地に鋭く突き立つがいい!《野鎌》」
ミリエルはローブの長袖を揺らめかせながら、腕を伸ばし、指先に握ったワンドで一点を指し示し、それからくるりと円を描いた。
先ほどの《垂水》もそうだが、ミリエルの魔法は単純明快だ。
構成が綺麗で、素早く、そして無駄がない。的確な一撃で、牢の一画を風が切り裂く。
若干厚い床板が丸形に切り取られて、ぽこんと落ちた。
隠し通路を蓋のように覆っていた部分が支えを失って、真下に落下したのだ。俺たちはその穴から更に下方を覗き込んだ。床板の先には硬い土の層があり、まっすぐ十メートルほどくりぬかれていて、井戸の穴のようになっている。
一番底の部分には、牢屋の外側にあるマジックランプの光は届かない。
「仄かな光よ、我が前を照らせ。《灯光》」
ミリエルが魔力の光を、ぽっかりと口を開いた黒穴へと投げ込んだ。シャボン玉めいた球形の小さな光が、重さを感じない動きでするすると穴の底へと降りてゆく。
周囲の壁を照らしながら一番下まで落ちていった光は、底に溜まっていた色を鮮やかに浮かび上がらせた。
穴の底には大量の水が溜まっていて、それが、仄明りによって昏く煌めいている。
水たまりの中心に、大きな塊がふたつ倒れているのが見えた。
「転がってるのは、落ちた床板と……」
「死体っぽいのう」
「うつ伏せになってるみたいだし、気絶してるだけじゃないか?」
「じゃが、ぴくりとも動いておらんぞ。あれで生きているとは思えんのう」
俺とミリエルが推測を口にした途端、遠慮気味に様子を窺っていた二人も、こわごわと並んで抜け穴の底を見下ろす。
小さな光がふわふわと揺らめきながら地底を照らすなか、二人も死体が横たわっているのを確認した。
遠目ではあるが、体格からして、先ほどの牢番そのひとであることは間違いなかった。




