第十九話 『窮地』
ゴブリンキングのいた洞窟から約一時間歩いて辿り着いたのは、ゴバールレスタ村からも小一時間の距離にある森だった。
洞窟と村と森、地図上でこの三点を結ぶと、ちょうど三角形になる。
森に近づくにつれ、周辺に木々が増えていくのだが、人家や施設といったものはまるで見当たらない。
ここは街道ルートから離れた地点であり、当たり前にモンスターが通りがかる。
人間が拠点を構えるには不向きだ。下手に建物を作っても壊される可能性が高い。
しかし森に近づく者がいないかと言えば、そんなこともなさそうだ。明らかに人間が切り倒したと思われる切り株が、森の入り口側にいくつも見つかった。
熟練の樵夫の手によるものか、斧を使ったと思われる切り口は、非常に白く、綺麗な断面だった。
近づいて切り株の様子を確かめると、ティナが肩をすくめた。
「新しいわね。この木が伐採されてから、一週間は経ってないはず」
「まずいな。頻繁に森に出入りしてる人間がいるとすれば、近づくと危険だ」
「建材にするか、薪にするためか……どっちにしても乾燥させる場所なり、炭焼き小屋なりがあると思うんだけど……見当たらないわね。奥かしら」
ティナは身を屈め、流れるように地面を調べだした。
先日の雨のせいで、この辺りにもぬかるみが残っている。そこにゴブリンの小さな足跡は見当たらなかった。
代わりに、そこそこ大きな足跡が見つかった。
足跡は素足ではなく靴の特徴があり、間違いなく人間のものだ。
おそらくは斧の使い手と同一人物で、その進行方向は森の奥へと続いている。
他の足跡が存在しないことから、ゴブリンの大群は、逆方向から森に入り込んだと見て良さそうだ。
「地面の固まり具合と、深さから言うと……この靴跡は、今日になってからついたと見て間違いないわ。身を守る術はあると思うけど……ゴブリンの大群は想定外でしょ。鉢合わせしてたら、手に負えないかもしれない」
「急ぐぞ」
ティナも頷いた。ここで樵夫を助けに向かえば、これからことを起こすつもりの黒幕に気づかれて、取り逃がす可能性は極めて高い。
しかし、何も知らない相手を見捨てるわけにもいかない。
迷っている暇はなかった。
「悪いな。……ゴーブルフェルト一世」
黒幕を待ち構える絶好の機会を逸するかもしれないと謝った。
「余に謝る必要は無い。急ぐがいい。大義があれど……ここで助けられる一人を切り捨てるのは、あやつの望むところではあるまい。間に合わなくなってもしらんぞ。……大半の人間は脆く、すぐに死んでしまうからな」
俺たちは足跡の方向へと走った。
深い森ではあったが、日常的に通る道は獣道よろしく踏み固められていて、しかも分け入る形で切り開かれている。
今追い掛けている樵夫の手によるものか、まっすぐに森の奥に進む形で視界が開けているから分かりやすい。
ちょうど進行方向を示す形で道に沿って切り株が並んでいる。
何年、何十年とかけて均したのだろう。木々の鬱蒼さに両脇を囲まれつつ、前と上は十分以上に空間が作られていて、燦然とした陽の光で足下も明るい。
前方を見通すことも容易く、木の根、切り株などに足を取られることもなく、そのまままっすぐ進んで行ける。
しかし森を突き抜けるまでには至らず、途中で道を塞ぐように樹木の壁が見えてきた。
つまり、そこが終点だった。
俺、ティナ、そしてゴーブルフェルト一世の順で追跡してきたが、終点に近づくにつれて音が聞こえてきた。
叫び声と、何かがぶつかる音、聞き慣れた戦闘の音だ。
俺たちが戦場に近づくと、そこにいたのは大量のゴブリンに囲まれ、しかしそれを歯牙にも掛けず、凄まじい勢いで斧を振り回すどこかで見た顔があった。
「うおおおおおおおっ! ゴブリンごときがッ! 邪魔だッ! 死ねいッ!」
二刀流である。
片方には長柄の幅広の斧。
もう片方の手には取り回しの良さそうな少し小さい斧。
大小二つの斧を器用に振り回して、四方から襲いかかってくる無数のゴブリンをガンガン蹴散らしていく。
周囲には無数の銅貨が散らばっていて、すでに数十匹を殲滅した後だった。
正直なところ、俺たちの出る幕は無さそうだった。
俺たちは顔を見合わせて、邪魔にならないよう遠巻きに眺める。
一応、ピンチになったら狙撃するつもりで俺とティナは射線を取ったが、余計な手出しは逆効果になりかねないと木の裏に身を隠した。
ゴーブルフェルト一世は、あの巨漢の顔と体つき、そして無謀にも攻め入っては死に続けるゴブリンたちの散り様を眺めていたが、はっと我に返って、俺たちに倣って物陰に身を潜めた。
「なんだって今日に限ってこんなゴブリンどもがッ! この森にッ! ああ! 昨日の襲撃もこいつらの仕業かッ! クソがッ! 死ね、死ね、死ねええええええッ!」
アイリーンの父親である。
村からこの森まで一人で来て、切り倒した木材を持ち帰る姿は、ある意味ではイメージ通りではあった。
「キリがねえ、この雑魚どもがッ! くそ、昔を思い出ちまうぜェッ! うおりゃああああああっ! どるぁああああッ!」
ブォン、ブォンと、二つの斧がその太い腕によって振り回されると、隙を見て小剣一本で突っ込んできたゴブリンを両断し、吹き飛ばした。
綺麗な戦闘とは口が裂けても言えないが、遠目にも大迫力である。
一方のゴブリンは、雄叫びを上げながら武器を片手に突っ込んでいく。
僅かな隙を突こうと試みるそのいじらしい突撃は、いっそ憐れになるほと繰り返された。
「しつけえっ! どうなってやがるっ! こんだけぶっ殺して、なんで逃げねえんだクソがッ!」
手当たり次第に斧を叩きつけ、身体を翻しては切り裂き、生まれた隙には足蹴で対応する暴れぷりだ。斧の一振りでゴブリンが真っ二つになり、そのまま返す刃の背でゴブリンの頭が弾け飛ぶ。
血飛沫も残さず霧散するからグロテスクさは軽減されているが、心胆寒からしめる光景ではあった。
下手に近づくと巻き込まれかねない。樵夫というより山賊か狂戦士さながらに暴力と死を撒き散らす姿は、いつかの剛剣ブラスタインを思い起こさせた。
本当にあの二つ名持ちに匹敵する膂力である。
斧二刀流を自由自在に振るって且つ器用に立ち回るとか、普通に金貨級を正面から殴り倒せる実力者だった。
それから数分程度だっただろう。
あれほど大量にいて、そして今日にでもまたどこかに攻め込む予定だったはずのゴブリンたちは、一匹残らず銅貨を残して死滅した。
圧倒していたはずのアイリーンの父親は敵の全滅を確認すると、疲れ切ったように、その場に頽れた。
焦れたようにゴーブルフェルト一世が飛び出しかけたが、俺は咄嗟に止めた。
今近づくと先ほどのゴブリンの同類に思われて攻撃対象になりかねない。ゴーブルフェルト一世は焦燥感を抑えた雰囲気のまま、首肯した。
アイリーンの父親がゴブリンから傷を受けた様子は無い。
血を流している風にも見えないし、単なる疲労困憊か、あるいは緊張の糸が切れたかしたのだ。
あれだけの全力攻撃を延々やっていた。その反動があってもおかしくない。
この状況で他のモンスターに目を付けられては危険だ。
まずは俺たちが声を掛けて、落ち着かせて、それから一緒に村まで送り届ける無難な選択だ。
目当てのゴブリン軍団も、偶然にもこうして全滅してしまったことでこの森に留まる理由も無いのだし。
そう考えて、ゆっくりと木々の影から出ようとしたときだった。
森の奥から現れたのは、何種類ものゴブリンだった。
ただの強化ゴブリンではない。
一匹一匹が金貨級相当の存在感を持っていて、そのなかには先日倒したオーガゴブリンと同じ姿の者もいる。
ゴブリンシャーマンが一匹、オーガゴブリンが二匹、ゴブリンナイトが五匹など、上位種が複数勢揃いである。
先ほど見た実力を鑑みても、一匹ずつなら打倒できたことは疑いようがない。しかしここまで質を保った上に数の暴力を持ち込まれれば、勝ち目がないことは明白だった。
「……クソ。なんだってんだ」
最初に襲いかかったのは強化された下級ゴブリンだ。
だが、傍目にも遭遇戦の体を成していなかった。どこかに攻め込むための戦力として森にゴブリンを集め、偶然に遭遇したとばかり思っていた。
目撃者を殺せ。そんな命令を発しておけば済む話だからだ。
この二段構えは意図的な匂いを感じた。
強化型下級ゴブリンを捨て駒とした展開だった。
目論見通りに彼は疲弊し、そこを本命たる上位種がゆっくりと囲んでいくさまは、この場で確実に殺すために計画されていたとしか思えない。
包囲されても、彼は諦めていない顔だった。膝を突いていた足を動かし、なんとか身体を起こす。
取り落としてしまっていた斧を握り直し、ゴブリンシャーマンを睨んだ。
彼の判断は間違っていない。
この状況では魔法による遠距離攻撃が一番怖い。しかし、敵もそれを理解した上で包囲網を敷いている。
長方形の盾を手にしたゴブリンナイトが斧の投擲を警戒し、シャーマンの前にさっと身体を割り込ませた。
オーガゴブリン以外は人間より低い背丈だが、上位種が非力とは考えにくい。
アイリーンの父は己を小鬼たちをぐるりと見回し、睨め付けた。
この絶好機にすら、突出して襲いかかってくるゴブリンはいない。その隙の無さに舌打ちひとつして、ついに諦めたように嘆息した。
「……すまねえ、アイリ。俺はここまでかもしれん」
しかしその顔に絶望はない。
最後の最後まで抗ってみせると、両手に握りしめた大小ふたつの斧を構え、大きく息を吸い込んだ。
戦意の発露は同時だった。
二匹のオーガゴブリンが、その恵まれた体格から凄まじい勢いの突進を繰り出した。
鈍重さの欠片もない敏捷を発揮し、おぞましい風切りの唸りを挙げて振り回された敵の巨大な斧は、アイリーンの父を両側から挟み込むように両断せんと襲いかかる――
――そんな場面を前にして、俺たちはとっくに動いていた。
「《氷狂矢》!」
「世界を巡る風の王よ、荒れ狂う魂の叫びよ。我が求むる空より出でし、汝が怒りの声により、遍くすべてを薙ぎ払え。《風衝砲》」
「ホトパウワァ、バンゼネメイト、デスタブメーア――《火炎玉》」
アイリーンの父を包囲することに集中し、背後への注意が疎かだった。
そのゴブリンの円陣の更に外側に回り込んだ俺たちは、オーガゴブリンが地を蹴って飛び出したその瞬間を狙って三つの魔法を撃ち込んだ。
俺は呪文だけ、残りの二者もすでに詠唱を済ませていて、あとは発動のみ。
その状況でタイミングを合わせた。
氷の矢はオーガゴブリンの一匹の後頭部に突き立った。
バランスを崩したが、しかし一撃では死なない。
そこに正面からの《火炎玉》と、さらに逆方向から角度計算済みの爆発的な暴風が直撃する。アイリーンの父に迫るはずの斧はその持ち主ごと火炎まみれの暴風で吹き飛ばし、すぐ側で追撃態勢を取っていた余りのゴブリンナイトたちを巻き込んでまとめてなぎ倒した。
風の影響で体勢を崩したのはアイリーンの父も同じだったが、そこはティナ、きちんと配慮済みだ。射線を空けたことで俺が狙うのが容易くなった。
「《氷狂矢》《氷狂矢》《氷狂矢》」
手軽なわりに威力もそこそこの氷の矢である。
こうして連発すれば守りに長けたゴブリンナイトも耐えきれず、その守りを抜いて背後で反撃の魔法詠唱をしつつあったゴブリンシャーマンの喉元を射貫く。
危険な魔法火力の持ち主が銀貨を遺して霧散し、ティナの高速詠唱がその隙間を埋める。
「我、偉大なる氷雪の女王に希う。泣き狂う悲しき風よ、嘆きながら凍える息吹よ。我に連なる影より出でて、我が敵を汝の凍てつく腕の中に、余さず抱き留めよ。《連鎖・烈氷蔦》」
つい先日やったことの繰り返しだ。
足止めして、トドメを刺す。
ほとんど反撃の芽を潰され、行動も制限されていた残りのゴブリンたちは、それでも逃亡を選ばず、体勢を立て直せていないアイリーンの父を執拗に狙う。
それはゴバールレスタ村での一件、命乞いをしたゴブリンシャーマンが自爆覚悟でティナごと己を焼き尽くそうとしたのと同じだ。
目の前のゴブリンたちも、もはや自分の被害や死を勘定に入れず、ただひたすらアイリーンの父の命を奪うためだけに動き続けた。
それまで姿を見せず、一匹だけ草むらに潜んでいた小さな影。紫色に輝く短刀を手に戦場に飛び込んできて、そのまま心臓を一突きしようとした黒っぽいゴブリン。
暗殺者めいた容姿は、そのままその特徴をあらわしていた。
「アサシンゴブリン……ッ!」
最後の最後まで悪辣だ。これは三段構えの暗殺だったのだ。
アイリーンの父は自滅覚悟で迫っていた他の二匹を切り捨てた瞬間で、対応仕切れない。
一番発動が早い俺の魔法より、さらに敵の到着の方が早い。
物理で対処するしかないと、俺はティナのロングスタッフを奪うように借りて、即座にアサシンゴブリンの背中に投げつけた。
敵はすでに短刀を投げていた。
アサシンゴブリン自身の耐久力は弱く、たった一撃で致命傷だったようで、俺の投げた長杖で身体がくの字にひしゃげると、そのまますぐに霧散する。
しかし、すでに手を離れた短刀はなぜかまだ消失しない。
刃に、てらてらと濡れた紫色の嫌な色の輝きがあったのが見えた。
毒かも知れない。当たってはいけない。
飛来し、危険な刃が彼の胸に突き立つ瞬間、それは防がれた。
俺ではない。ティナでもなかった。最後まで潜んでいたゴブリンの暗殺者をいち早く察知し、それに狙いを定めていたのは、小鬼の王だった。
「……ウェズディヌーム、フリエラード……《業火陣》!」
アイリーンの父に迫った凶刃を打ち払ったのは、ゴーブルフェルト一世の魔法だった。
ゴブリンアサシンが死してもまだ消えなかった殺意の刃は、横から放射された凄まじい炎によって、溶けるように掻き消されたのだった。




