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清純派魔導書と行く異世界旅行!  作者: 三澤いづみ
第三章 ゴブリン・バロック

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第十七話 『誰が為に』

 

 ティナが不満げに叫んだ。もちろん油断無く相手を見据えたままだ。


「ヨースケっ! なんで止めるのよ。そいつは、モンスターよ。……言葉が分かったからって情にほだされでもした?」

「悪いな、心配かけて」

「そういうことを言ってるんじゃ……!」


「本当は一思いに殺すべきなんだろうが、聞くべき話がまだ残ってるし、正直敵と見做すだけの理由が無い。そのゴブリンキング……ゴーブルフェルト一世に戦意はない。たとえ殺されそうになっても抵抗するつもりはないとさ」

「そんな与太話を信じるの? ずっとゴブゴブゴブゴブ長々と語ってたのも、ヨースケを騙そうとしてるのかもしれないのに」


 俺とティナには温度差が出来ていた。

 ゴーブルフェルト一世はティナの発言を当然として頷いている。


「自分を殺せ、と言ってる相手を素直に殺すのが正しいと?」


 ティナは逡巡し、言いたいことを飲み込んだ顔で頷いた。俺の言葉に完全に納得したわけではない。ただ、手出しを控えてくれた。


「忘れないで。魔具級モンスターなら、人間を騙すのも容易いほどの知能だとか、自分を無力に見せかけた偽装能力に長けている、そんな可能性だってあるわ」

「小娘の言葉は正しい。余の長話に付き合ってくれたヨースケには感謝しているが、しかし即座に殺すのが正しい選択であろう。余の死によって残る財貨を持って帰るがよい。あやつですら成し遂げなかった魔具級殺しの栄誉を労苦無く得られるぞ?」


 横入りでティナが告げた言葉に、ゴーブルフェルト一世はつい漏らした。

 このゴブリンキングは、きっと絶望していたのだ。


 絶望するためには、希望を持っていなければならない。

 自分を殺さず、名を与えてくれたアズラーフが再び顔を出す日を、二度と人間を殺さないという一方的な約束を守りながら、ずっと待ち侘びていた。


 十年。二十年。五十年。そして百年という長い間、閉ざされた洞窟の中で、そんな小さな願いを抱きながら、ただひたすらに再会を夢見ていたのだ……。

 アズラーフは人間だ。人間には寿命がある。

 ゴーブルフェルト一世にはそれを理解出来る知性と知識を持っていた。その小さな期待は、もう叶うことはないと分かっている。

 だからこそゴーブルフェルト一世は姿を現した。すでに此の世を去ったであろうアズラーフ本人か、その縁者の来訪ではないかと一縷の望みに賭けたのだ。


 夢破れたゴブリンの王は、モンスターとしての死を望んでいる。人間の手に掛かって殺されるという、どこにでもいるゴブリンの末路を辿ろうとしている。

 そんなところだろう。


 俺たちに襲いかかれば、反撃という形で殺されると分かっている。それでも手を出さないのは、この瞬間にもかつての約束を守り続けているからに他ならない。

 このゴブリンキングは。

 ゴーブルフェルト一世は、ただ、かつての好敵手と再び顔を合わせ、取り留めもなく語りたかった。

 そのためだけに洞窟を離れなかったのだろう。


 村で聞き及んだだけの力があるなら、あの入り口の土や岩は取り除けた。力の弱まった今ではともかく、かつて暴れ回った百年前なら容易かったに違いない。

 静かに隠れ住んでいたこの悲しき王を、モンスターだから、魔具級だから、死を望んでいるから、そんな理由で始末するのは、俺には躊躇われた。


 俺が少し悩み、そして何もしようとしないのを見て、ゴーブルフェルト一世は座り込んだまま、ただ寂しげに頭を振った。


「そうか。貴様もか。貴様も……余を殺してはくれないのだな。人間にとって魔具級殺しの栄誉と財貨は大きいはずだ。それを容易く得られると知りながら……」


 再三語られたが、魔具級殺しの評判とドロップアイテムには価値がある。すでに経験済みだが、このタイミングで蒸し返すことでもないから黙っておく。

 ここまで来れば、ティナもこのゴブリンキングの不可解さと、何かもの悲しさすら感じさせる雰囲気を読み取れったようで、戸惑いを顔に出した。


「どういうこと?」


 俺は語られた内容を要約して伝えた。

 当事者の前では憐憫も感じたが、内容を歪めるよりマシだと正確さを重視した。

 ゴーブルフェルト一世は俺が説明するのを黙って聞いた。

 座り込んだまま、俯き加減で、地面に視線を落としていた。


 聞き終えたティナは聞くんじゃなかった、という顔をして、小鬼の王を眺めた。

 今にも折れる寸前の枯れ木めいた姿は、つい先ほどモンスターだから警戒すべきと表明したティナにとってすら、敵とは思えなくなったらしい。

 ゴーブルフェルト一世は怒りを覚えることもなく、ただ生ける屍のごとく悄然と吐息を履いた。


「余を殺すのは、そちらの小娘でも良いのだがな……」


 その言葉をティナに伝えると、彼女は顔をしかめた。


「馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ! いくら魔具級だからって、誰がこんなしょぼくれたモンスター倒して胸を張れるって言うのよ。それこそゴブリン殺しを自慢して触れ回るような情けなさじゃない! ……あっ」


 当のゴブリンの王相手に言い返す言葉ではなかった、とティナがちょっと申し訳なさそうな顔をした。


「よい、よい。ゴブリンの弱さは、余が一番知っている。だからこそ、余は、かつて力を誇示せんとしたのだからな……」


 しばらく黙っていたスピカが声を発した。


「ご主人様の望むままになされるのが一番だとは思いますが……とりあえず、ここを訪れた理由について尋ねてみては?」

「あ」


 すっかり意識から遠ざかっていた。俺たちは過去の追求ではなく、現在のゴブリン騒ぎの解決を目指して行動していたのだ。

 黒幕、あるいは原因と思しき魔具級ゴブリンの打破によって事態の収拾を図るつもりだったが、想定していた流れとは随分と様変わりしてしまった。


 このゴーブルフェルト一世が嘘は付いていない前提に立てば、少なくとも今起きている異常事態を意図的に引き起こした犯人ではないと考えられる。

 ゴブリンが強化され、人間の、それも基本的にはモンスターが近寄らない街道沿いで頻発する襲撃事件。

 かつて魔王ゴブリンなどと称されたゴブリンキング以外に、そうした状況を作り出せる存在があるのか。

 俺はそれを尋ねた。


 ゴーブルフェルト一世に、それを答える責務はない。この段階で口を閉ざすかと思われたが、意外にも真面目に考えてくれたようだった。


「思い当たることを語るのは別に構わぬよ。ヨースケが余のつまらぬ話に付き合ってくれた礼としてな。しかし、貴様らの求める答えかどうかは保証しかねるぞ」

「構わない。何か、ヒントになるものが無いかと思ってここに来たんだ」


 ゴーブルフェルト一世は、懐かしくも苦い思い出を蘇らすように、訥々と語った。


「かつて、この洞窟にはゴブリン王の宝冠、と呼ばれている至宝があった」


 至宝、と来た。

 それはどんな、と話を急ぎそうになる俺に、ゴブリンキングは頭を振った。


「細かいことは知らぬよ。見た目は、いくつかの宝石があしらわれた、小鬼の頭にぴったりなサイズの金の冠だったが……その作り手すら知らぬ。余はそれを守るために産み出されただけで、それを使ったことはなかった。ゴブリン王の宝冠と大仰な名称でありながら、余の頭の上にただの一度も置かれたことのない冠だ。……なかなか皮肉が効いているだろう?」

「……それを、守るため?」

「人間が魔具級と呼ぶモンスターは、大抵の場合、居所が限られる。たとえばダンジョンの最奥の祭壇、険しき山の頂きへ通じる道の先、滝の裏に隠された封印の扉の向こう、色濃い闇に満ちた迷宮の果て、時に埋もれた洞窟の奥底など……そうした特殊な場所にのみ出現する。それが何故か、考えたことはあるか?」

「その先にある場所や、特殊な品物を守っていると」


「あるいは守るべきものを持たず、ただ試練を課す魔具級もあったかもしれぬ。余は、この洞窟に隠されていたそれのために産み出された、と理解していた」

「それが、ゴブリン王の宝冠……」

「アズラーフは最初から隠し部屋の開け方と、至宝の名前や在処を知っていた。そして宝冠を持ち帰って、ドロップ品だと誤魔化すつもりだと嘯いていた。大金に化けるものには違いない、と……詳しく聞いておくべきだったな」


 ティナにもそのまま伝えた。新情報に、俺たちは更に混乱した。

 生きていたゴブリンキング。アズラーフの手によって持ち帰られたはずのドロップアイテム代わりの宝冠。そして今起きている奇っ怪で危険なゴブリンたちの行動。

 ひとつひとつは繋がりがありそうだが、そこを繋ぐ意図が読めない。


「アズラーフは、他に何か言ってなかったのか? 宝冠についてでも、その後の行動についてでもいい」

「気になったのは……また古代文明のせいか! と宝冠を手に、笑いながら怒ったような声を出していたくらいか。あやつは宝冠には執着しておらず、大した価値を見出していなかったようにも見えたが……」

「スピカ、宝冠の正体や効果について思い当たるか?」


「申し訳ございません、ご主人様。……しかし、形状や名称、そして今起きている状況から推察は可能です。名は体を表すと言いますか、ゴブリンキングの能力を一部模倣できるといった……おそらくゴブリンの強化と支配に特化した、古代文明の遺産でしょう。古代文明は何らかの意図を持って、あちこちに施設やダンジョン、遺跡や遺産、そして特殊なモンスターを存在させたはずです。しかし、どんな意図があったのかは……今度、知っていそうな相手にでも聞くことにしましょう」


 コッペリアが素直に答えてくれるかどうかは疑わしいが、何かしらの建前から、当時の裏事情まで知っていそうな気配はある。


「つまり、宝冠を持っているヤツが犯人なわけね」

「……そう、犯人です」


 ティナとスピカは、犯人、と強調した。俺もそう思う。

 敵は人間だ。

 この洞窟に足を踏み入れる前に邪推していた、あんまりな過去の一幕。そこに当てはめて見れば、宝冠を手に入れる機会があった者は限られる。


 手段と黒幕については進展があった。ゴーブルフェルト一世のおかげで一足飛びに答えに辿り着いた気がしたが、足りない情報がまだある。


 目的である。

 ゴブリンキングが襲撃を指示していたなら、それは復讐や、力の誇示、人間を襲って力を蓄えるだとか、そうした分かりやすい理由と思っていた。

 しかし人間が宝冠の力を振るってこの状況を作って、いったい何の得があるのか。


「待て」


 ゴーブルフェルト一世が、掠れた声で呟いた。


「待ってくれ」


「悪いが、俺たちは犯人捜しのために戻らないと……」

「まさか……アズラーフは、そのために殺されたのか? あれからすぐに……余と別れてこの洞窟を出て……他の人間たちの元へと戻ってから、すぐに……」


 迂闊だった。この小鬼の王が、並並ならぬ知性の持ち主と失念していた。

 情報の断片を繋ぎ合わせて、その可能性にこの短期間で思い至ってしまった。


 いや、違う。

 短期間ではない。


 百年近い長い時間、ずっと考えていたのだ。

 俺たちですら、たった一度話を聞いただけで想像できた最悪の結末。

 それをゴーブルフェルト一世がこれまで考えなかったなんて、ありえない。ゆえに、そこにあてはめただけで思い至ってしまった。


 勇者アズラーフは、このゴブリンキングを見逃し、証拠品として王冠を手に村へと帰り着いた。そして……


 魔具級のドロップアイテムは金になる。

 十年単位で遊んで暮らせる大金だ。


 当時、ゴブリンによって荒らされ回った村の多くは滅びた。

 生き残った村人たちは身を寄せ合って、復興のための費用を欲した。

 そこに勇者が現れ、魔王を退治し帰還を果たしたが……彼は、今にも死んでしまいそうな状態だった。

 村の伝承においては癒しの泉、すなわちあの温泉に浸かって傷を癒し、回復してから村を去ったとされる。


 だが、その後の消息については触れられていない。

 たとえ村のどこか、土の中に埋められていたとしても、林の奥に捨てられていたとしても、もはや分からない。


「欲深な人間どもが……余を打倒せしめた、勇者を……いや、それも、元を辿れば余の成したる業が巡ったに過ぎぬのか……だが……だが! アズラーフは! あやつは、人間のために、同胞のために、余に挑んだのではなかったのか! なぜだ! なぜ、あやつが殺され、奪われ、辱められなければならぬのだ……!」


 怒りに立ったゴーブルフェルト一世は、もはや枯れ木めいた老爺ではなかった。

 かつて魔王と恐れられた存在そのものだった。

 肉体的にも、内包マナも、永い歳月によって力を失っている。


 しかし憤怒によって蘇った存在感は、先日のレッドドラゴンよりよほど凄まじい。

 床に転がっていた杖を手に、今にも洞窟から出ていって村人達を鏖殺するため飛び出しかねない勢いに、俺は慌てて前に出て、止めた。


「止めてくれるな、ヨースケよ。余の蒙を啓いた礼として、そしてまた道理を知る者に対する敬意として、貴様らには手を出すつもりもない。そして案ずるな。余の認めた勇者を家畜のごとく縊った愚か者どもを悉く消し去った後、余は自らを滅ぼそう。しかし余の行く道を阻むのであれば、今此処で痛い目を見せてくれおうぞ。衰えたといえど、余はゴブリンの王! さあ、傷付きたくなくば、そこを退け!」

「待て。待つんだ、ゴーブルフェルト一世!」


 両手を拡げ、名を呼んだ。

 ティナはすでに攻撃体勢に入っていたが、俺は言葉を投げかけた。


「それも単なる推測に過ぎない!」

「他に、どんな理由がある。あやつは、勇者アズラーフは、最後に言った。余との別れ際に口にしたのだ。いずれ、また出会える日もあると」


 確証もない疑念であるとは、ゴーブルフェルト一世も理解している。

 今となっては知る術もない過去の出来事だ。

 それでも果たされなかった約束のため、もはや、この理由に縋るしかないのだ。


「いずれとは、いつのことだ? 余はどれだけ待てば良かったのだ? 約束が果たされなかったことは仕方ない。此の世はままならぬものだからだ。しかし、あやつは、失意に暮れたまま死んだかもしれぬ。余の終わりをそうはさせじと心を費やしたあやつが、そんなむごい終わり方をしたなど……そんなことは認められぬ。許されてよいはずがない! ……あやつと同じ選択をした貴様なら分かるだろう? ヨースケよ」


 怒りに我を忘れて、俺を排してでも進む。

 その選択を本当に取れるほど、悲しき王は愚かではいられなかった。

 痛い目を見せるなんて言葉も、単なる脅しでしかなかった。

 怒りはあっても、俺に対する殺意はなかった。


 二歩、三歩とよろめくように歩いて、しかし、俺が動かないことを知って、その場に足を止めた。


「あの、心優しき勇者が、あたら人の世で無惨に散るなど、そんな非道がまかりとおるなど、そんなこと、そんなことが、あっていいはずが……」


 そしてゴーブルフェルト一世は膝から崩れ落ち、うずくまった。

 怒りのままに叫び、最後に残った力を振り絞ろうとしたゴブリンの王は、それすら出来ずに声を詰まらせた。

 顔だけを上げ、その硝子玉のように大きな瞳を見開いた。

 しかしその震える小さな肩が、揺れる拳が、漏れ出した慟哭が、俺たちの胸に突き刺さるようだった。


「モンスターも……泣くのね」


 緊迫した空気が立ち消えると、長杖を降ろしたティナが、吐息と共に漏らした。

 ゴーブルフェルト一世の言葉は分からなくとも、その涙の意味は痛いほど分かった。


 

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