第十六話 『ゴブリンの王』
「こういう場合、どうしたらいいんだ?」
「ちょっとヨースケ。さっきからどうしたの、そいつと会話してるみたいに。……なんか降参しているみたいだけど、魔法で狙ってもいいのよね?」
「待った。やっぱりティナには通じてないのか、そいつの言葉」
「ええ? ゴブゴブ言ってるだけでしょ」
「……スピカ?」
「さ、さすがご主人様! 以前使った翻訳魔法《共通言語》の効果はモンスターにまで及ぶとは! このスピカも思いもよらぬ副次効果でしたっ」
思い起こすに、ゴブリンシャーマンの命乞いに見せかけた呪文詠唱には、効果が及んでいなかったはずである。
意味が分からない。俺の呟きを耳ざとく聞きつけて、奇妙なゴブリンは答えを告げた。
「余と其方のように、会話する意思が無かったためであろう。大半のモンスターには知恵はあっても知性はない。発するのは言葉ではなく鳴き声に過ぎぬ。ふむ、とすれば余に準ずる程度の知性があれば、これから先も貴様に声を届ける者もありうる。それは余が唯一無二の存在ではない証左でもある。さて、余は図らずも自らの価値を下げる知識を与えてしまった。ははは、なんと間抜けか」
非常にやりにくい相手である。
戦意もなく、会話の通じる存在、というのがここまで攻撃を躊躇わせるものとは思っていなかった。
ティナには魔導士特有の魔法によって意思疎通が可能であること、しかし妙な素振りをしたら攻撃するよう警戒を頼んで、俺はゴブリンから話を聞いた。
ゴブリンは面白がりつつ、俺の疑問に対して素直に答えてくれた。
「この生の終わり際になって、ついに人間と問答する機会を得られたのは僥倖よの。これだけでも意味があったと言える。さて、勇者よ――余はゴブリンキングと呼称される種族だが、奇しくも別の名を持っている。いや、名乗るときは自分から、であったな。余はゴーブルフェルト一世。貴様は?」
「……陽介だ。陰山陽介」
「ふふふ、こうして名乗るのは初めてだ。この名を与えられてから百年、今までその機会に巡り会わなかったが……名を持つことは素晴らしいな。己の名を認識することは、群から個となることである。しかし余はゴブリンで、ヨースケは冒険者なる存在であろう? モンスターを殺すことで日々の糧とすると聞いた。余を討つが良い。余の首は持って行けないが、代わりにドロップアイテムとやらが残るはずだ。それを証拠とせよ」
「待て待て待て。話を急ぐな。聞いた、って誰からだ」
冒険者のことを説明した相手、そして名を与えた存在は同一人物だろう。
ここまで奇矯なモンスターを前に、悠長に語り続ける物好きが二人も三人もいるとは思えない。
すでに俺の頭には、その人物の名前が思い浮かんでいたが、ゴーブルフェルト一世から直接答えを聞きたかった。
「余を追い詰めながらもトドメを刺さず、手を止めて、好き勝手に語り続けて、あまつさえそのまま見逃した勇者は、アズラーフと名乗った。吾輩はアズラーフ=ゴバールレスタである、と。ふふふ、余も持てる力を振り絞って全力で戦ったがな……余は言い訳のしようもないほどに負けたのだ。見事なくらい、完膚無きまでに」
そう語るゴーブルフェルト一世は、白旗のついた棒を抱きしめ、縮こまった。
かつての栄光を語る老人のような、ひどく弱々しい語りだった。
俺も、ティナも、警戒はしつつ、脅威には感じなかったのは、目の前のゴブリンキングから殺意はおろか、力を感じなかったからだ。
それこそ普段よく見るゴブリン程度の強さしか持っていない。
雰囲気の違いは、その目に輝く知性の光が主要因だろう。
単純な戦力としては、昨日一昨日と戦ってきた強化型ゴブリンのどれよりも弱く、儚い感じがした。
これがかつて魔王と呼ばれたゴブリンキングの姿だろうか。
「かつて余が手なずけ、思い通りに動くまで育てた配下のゴブリンたちは、勇者の手によって悉く討ち取られた。
分かるか? 一匹残らずだ。そうして先んじて余の力を奪い去った代わりに、満身創痍となったアズラーフだったが、それでも正面から戦いを挑んできて、ついに余の全力を上回った。
余は死を覚悟した。滅びを受け入れようと考えた。
アズラーフが暗殺者のように立ち回ったなら最期まで生き足掻いただろう。しかしあやつは正面から攻め込んで余の全力を打ち破ったのだ。
余は王の名を冠するモンスターとして生を受けた。あやつになら討ち取られても良いと思った。
命乞いをして、あやつが油断した隙に不意打ちを仕掛けるような……そんなみっともない真似は出来なかった」
過去を懐かしむような、憧憬の表情を浮かべる老いたゴブリンキング。
小鬼の表情など分かるはずもないのに、なぜか理解出来た。
このゴーブルフェルト一世の視線の先には、かつての勇者アズラーフの姿が、今も鮮やかに映り込んでいるのだと。
「杖を取り落とした余に対し、アズラーフは今にも余の身体を両断せんと振りかぶった剣を止め、ゆっくりと鞘に戻した。
あやつはトドメを刺さなかった。
千載一遇の好奇だと理解しながら、余も動くことはなかった。
そしてあやつは指一本動かすのも億劫になった余に、やたらと馴れ馴れしい口調で、一人で語り続けたのだ」
俺は黙って、その語る言葉に耳を傾けた。
本当なら、気を許すべきではないのだろう。危険なモンスターとして、耳を塞いで切り捨てるべきなのだろう。
しかし、過去を思い描く彼の語りは、抗いがたい魅力を持っていた。
「……本当に好き勝手に語り続けたのだぞ。余はあやつの言葉を理解出来たが、余の言葉は届かない。
なのに、余が耳を傾けていることを確信しているかのように……本当に色々なことを、二時間も三時間も、何をそんなに語ることがあるのかと首を傾げるほどに、取り留めもなく……傷だらけの身体で、そこかしこから血が流れているにも関わらず、延々と楽しそうに語っていたのだ」
気の置けない相手について、文句を口にするような素振りで。
俺は頷いた。その語りを遮ることは考えられなかった。
「余には分からなかった。殺し合った人間とモンスターであるにも関わらず、何がそんなに面白かったのか。なぜ、あんなにも楽しげに語れるのか。
その内容も、どうでもいいことばかりだった。
長旅の話。天気の話。食べ物の話。強敵の話。どれもこれも、深い意味など感じられない、馬鹿みたいに簡単な言葉で、あやつは胸を張って語るのだ……
今でも思い出せる、くだらない世間話と自慢話の数々。そうだ、くだらない話だ。余も人間の世界の仕組みは、知識としてある程度理解している。……なのに、それは余にとっては始めて聞くような話ばかりだった」
くだらない話だったのだ、とゴーブルフェルト一世は目を細めた。
「そして最後に、人間を二度と襲わないのなら見逃してやるだとか、お前はなかなか見所があるから名前を付けてやるだとか、そんな世迷い言を言い出した。
余に拒否権などなかった。そもそも余が何を口にしようと、あやつは理解してくれないのだからな。困ったやつだった。そして余はゴーブルフェルト一世と名付けられた。
それは余の名だった。
人間であれば、親が子に付けるのであろう。しかしモンスターに特定の名はない。鼻持ちならぬドラゴンであれば、自らの名を勝手に定めることもあろうが……王とはいえ、余はゴブリンに過ぎぬ。名を得る機会などあるはずがない。
しかし、そんな余に、アズラーフは名を与えてくれた。
だから余はゴーブルフェルト一世なのだ。
笑うならば笑うがいい。ゴブリンの王として生まれた余が、その場で思いつきのように与えられた名に後生大事に縋り付いているこの姿を。
だが、誰になんと思われようと、我はゴーブルフェルト一世として長い時間を生きてきた。この洞窟に隠れ潜み、人間は愚か他の愚劣なるモンスターどもとすら争うことなく、ただあやつの再来を待ち焦がれながら。
……そうだ。あの勇者はこの洞窟を去った後、そのまま二度と余の前に現れなかった。直後には洞窟の入り口が埋め立てられたのも理由だが……しかし、あやつにとって余を殺さなかったことが、ああして長い話を聞かせてくれたことが、そして名を与えてくれたことが、所詮気まぐれに過ぎなかったとしても、ありふれたこととして忘れられたとしても……余にとっては忘れがたき、生涯ただひとりの好敵手との約束であったのだ……
ふふふ、あの長話を怪訝に眺めていた余も、こうして貴様の無言を前にひたすら語り続けている……語っても語っても語り尽くせぬが、しかし、何事にも結末は訪れる。
ヨースケ、貴様が黙って聞いてくれたからこそ、そろそろ終わりにしなければならぬ」
ゴーブルフェルト一世は白布付きの棒を投げ捨てた。妙な動きをしたことで、会話の流れの分からなかったティナがロングスタッフで攻撃を仕掛けようと動いた。
俺は咄嗟に割り込んだ。振り下ろされた杖を止めた手が痛かった。
「余は、最期に勇者アズラーフの名と真実を残せた。それだけで満足だ。さあ、時は来た。ヨースケよ、その手で余を殺すがよい!」
ゴーブルフェルト一世はその手を広げ、俺に無抵抗で殺されようとしていた。
「ゴブ? ゴブゴブ……ゴブーっ!」
「ゴッブッブ!」
「ゴーブゴブゴブ……ゴブゥ、ゴブッゴブ!」
「ゴブブブブゴブーゴブ、ゴブブ、ゴブブ」
日本語でおk




