第十三話 『再考』
再三にわたる異常なゴブリンの襲撃があった。
これは寝直す前に相談しておくべきとティナが言った。
あんな茶番を長々と差し挟んだのは、急ぎではあるが緊急ではない証明でもあった。
窓から覗く様子は、朝靄に包まれて白く染まっている。
中途半端なタイミングでたたき起こされたせいで寝足りないが、ティナが妙に意気込んでいて、簡単に横にならせてはくれないらしい。
立ち上がったティナは、するりと歩いて、壁際のシングルベッドに腰掛けた。
俺は椅子に座ったまま、窓の外の明るさに目を向けた。
「そんなに話し合うことがあるか?」
「あるわよ。ゴブリンそのものは大した問題じゃない。大事なのは、これからヨースケがどう行動するかについて」
ティナの声は真面目だった。俺は視線を戻した。
「ヨースケの行動方針については何度か聞いたわね。可愛い女の子だったら優先的に助ける。どうでも良い相手ならよっぽどの場合を除いて放置する。でも切迫の危険に自助努力でなんともならないなら、その時は手を貸す。……合ってる?」
「ああ。だいたいそんなところだ」
眠気に目をこすっていると、ティナは視線を厳しくした。ベッドの高さとの差があるため、自然と俺は見下ろす形になっている。
「批難するつもりはないわよ。あたしだって同じような判断基準だし。どこかで区切りはつけておかないと身動きが取れなくなるもの。というか、ヨースケのそれは、冒険者の普通よりずっと甘い考え方ね。出来ることなら人助けはした方が良い、って善性の判断が先にあるんだもの」
「これが善性か?」
「冒険者にも色々いるけど、一部の連中はこう考えるわ。他人の弱みには付け込んだ方が儲けが大きいって。他人から直接奪ったり殺したりはしない。でも困っている女の子にも助けた報酬を要求するし、死にかけの他人がいたらしばらく待って、その所持品を勝手に譲り受けるでしょうね。行動の対価をもらうのは当然。直接の盗みはしないけど落ちているものを拾うのは利口。そういった考え方よ」
理解したくはないが、分からなくもない。
「そっちの方が一般的なのか?」
「たとえば畑を荒らされて困っているからゴブリンを退治してくれ、なんて依頼があったとしましょう。相手が困っているのは一目瞭然ね。そこで粘り強く交渉して、報酬の金額をつり上げるのは悪いこと?」
「いや」
「ゴブリンだとしても、命の危険が無いわけじゃない。一匹だと思ったら十匹以上がぞろぞろ出て来て反撃されるとも限らない。いざ退治しようとしたらゴブリンじゃなくオーガだったりするかもしれない。そんなリスクもあるわ」
ティナなりにわかりやすい例を挙げてくれているつもりなのだろう。
「自分の利益を最大化しようって考え方が悪いとは言えない。むしろ当然ね。逆に、そんな冒険者からしたら、方々で無償とか格安の料金で人助けして回ってるつもりの、お人好しの冒険者なんか憎々しく感じるでしょ」
「確かにな。依頼されたと思ったら『前に村に立ち寄ってくれた冒険者さんは、ゴブリンなんか雑魚だからと、こんな安い値段でも喜んで退治してくれたんですが……』とか言われたらたまらないか」
「そ。仕事の価値が下がって困るのは当人じゃなくて、むしろそいつとは無関係な他の同業者なわけ。いえ、この場合は依頼者にも迷惑が掛かるわね。妙な勘違いをさせて、変な期待をしてしまったら……」
野営地での一件でもその片鱗は見えていた。護衛がゴブリンごときに苦戦したと触れ回られれば、当事者のみならず、同業者に影響しかねない。
俺の表情をどう捉えたのか、ティナは眉間に皺を寄せた。
「行動には責任が伴うって一般的な話をしただけで、あたしが心配してるのは、同業者の評判でも、助けられた相手の未来でもなく、ヨースケ自身についてよ。アンタ、自分が何者か分かってる? 何が出来るのかは?」
「当然です! ご主人様は……」
「スピカには聞いてないわ」
黙り込んだスピカの代わりに、俺は少し考えたから答えた。
「……魔導士で、まあ、冒険者に求められる大抵のことはできるな」
「そこよ、一番の問題は」
「どういう意味だ」
「力を出し惜しみして、誰かを救い損ねたとか馬鹿なこと考えてない?」
俺は黙った。
これまでに結構な人数に知らることになった、俺は魔導士であることを一応伏せている。
魔導士でござい、と公言したりはしていないのだ。
だが、今回のゴブリン騒動についても最初から解決に乗り出していれば、野営地からこの村までの途中にあった馬車の客も命ばかりは助かった、かもしれない。
実際には時間差で間に合わなかっただろうが、俺にはそれだけの力がある。その事実までは誤魔化せない。
全力で人助けに精を出せば、大勢を容易く救える。そうした後悔が脳裏を過ぎるくらいには、俺の能力は確かに圧倒的なものと言えた。
「やっぱり、気にしてたんだ。……馬鹿ね。ヨースケには義務なんか無いのに」
「馬鹿とはなんですか、馬鹿とは!」
「スピカがそんなだからヨースケが勘違いするのよ。身につけた力の大きさばかり主張するから、その意味について考えなくなる」
言い返すスピカを再び黙らせて、ティナは笑った。
「さっきの質問を、あたしが答えてあげる。ヨースケは、魔導士である前に、ただのヨースケよ。たいてい何でも出来るけど、やりたいことが出来るとは限らない」
それは真摯な表情だった。
ティナの語った、ただひたすらに真剣な言葉に、俺は聞き入った。
「魔導士だから。何かを成せる力があるから。そんなことはさっさと忘れなさい。ヨースケは好きにしていいのよ。誰かを助けたかったら助ければいいし、関わるのも面倒だと思ったら何もしなくていい。凄まじい力を持ってるからって、他人の人生まで背負い込む必要は無いわ! 何かをするために理由なんていらない。何かをしないための言い訳も要らない。やりたいことを躊躇う前に、いらない遠慮を捨てちゃいなさい!」
責任を取るべきなのは、自分の行動とその結果についてだけだ。
「ヨースケは、誰に、何に遠慮してるの?」
「……それは」
俺が一瞬答えあぐねた隙に、備え付けの枕が飛んできた。
ベッドに座っていたティナが、俺の顔目がけて投げつけてきたのだ。
慌てて受け止めると、ティナは鼻で笑って、こう口にした。
「本当はやってみたいんでしょ、ゴブリン退治」
枕を握りしめたまま、俺はすぐには答えなかった。
ティナはうんうんと頷いた。沈黙は答えと看做されていた。
「いいわ。付き合ってあげる。魔具級が本当に出てきたら、あたしは足手まといになるけど……敵は物量を武器にしてる。手数は多いに越したことはない。伝説の魔導士の、せっかくの見せ場よ。頼りになる天才美少女魔法使いに、ゴブリンの巣穴まで一緒に行って欲しいでしょ?」
ティナの顔をまじまじと見てしまった。
俺は内心で、そんな無駄な行動はすべきではない、とずっと躊躇していた。
リスクがあるから。無意味かも知れないから。俺の現状の目的である異世界旅行とはそぐわないから。様々な理由から、その結論に至ることを遠ざけていた。
しかしティナにはお見通しだったらしい。
「頼む」
「最初からそう素直に言えばいいのよ。リスク管理は大事だけどね、やりたいことまで全部我慢してたら意味が無いでしょ。やりたいことを見つけたなら、できない理由や、やらない言い訳を並べるより、やるための方法を考えなさい!」
そう告げたティナの表情は輝いていた。言ってやった言ってやった、とばかりの若干のドヤ顔であることはこの際気にしない。
言っていることは至極まっとうで、俺はぐうの音も出なかった。
傍目八目というか、元ぼっちという境遇からすると俺と同類のはずのティナの言いたい放題に、普段なら物言いを付けるか混ぜっ返すスピカも静かなままだった。
「おやおやスピカ、さっきから口数が減ってるわよー? 最高の相棒さんはヨースケのそこはかとなく期待に満ちた表情に気づきませんでしたかねー?」
「ご主人様。スピカはご主人様の、表に出さなかった我慢にまったく気づきもせず……ご主人様の相棒として恥じ入るばかりです、ううう……そう、今ご主人様の手の中にあるのが何の変哲もない枕であり、スピカではないのも、きっとそのせい……ワタシはご主人様の最高の魔導書としてぇっ……ちゃんとやれているとばかりっ……」
絞り出すような声だった。
俺のことなのに、ティナに指摘されたことで、すごく気にしている。
「いや、そういうこともしてみたいなーと思ってただけで、な!」
「そ、そうよ! 妙に強いゴブリンの巣に突っ込みたいってのは、駆け出し冒険者によくある英雄病の一種でね! はしかみたいなものだし魔導書であるスピカがそこの子供っぽい気分まで悟るのは難しいから! あんまり気に病む必要は無いのよ! ね!」
マジトーンの震え声であった。
慌ててフォローに走る俺とティナ。投げつけられて受け取ってしまった枕は、即座に投げ捨てた。
そしてスピカを手に取り、抱き寄せ、胸にかき抱いた。
「ううう、スピカはぁ、スピカはっ……」
「ヨースケ!」
これが泣いている女の子であれば肩を抱き寄せるなりしたのだろう。
しかしスピカは魔導書である。
魔導書を慰める方法の正解など思いつかない。
俺は咄嗟に、スピカの表紙に頬ずりした。
他にどうするべきだったというのか。
表紙は不思議な触感であり、冷たいような温かいような、人肌に似た感じがした。
俺はティナの目を無視して、丁寧に丁寧にスピカの背表紙から題字から裏表紙まで、くすぐるようになで続けた。
「あうっ……ご、ご主人様、ティナさんが見てます……」
「見られたって構わない!」
台詞だけ聞いたらすごい状況である。
「ええっ。あーっと、あたし、背中を向けてるから。終わったら呼んで?」
すごく困ったティナの声が聞こえたが、俺はスピカを慰め続けた。
「はうっ、ご、ご主人様ぁ……」
「スピカ……」
ティナの気まずそうで、いたたまれない呟きが、かすかに聞こえた気がした。
「まあ、あたしも前に恥ずかしい場面見られたからお相子よね。これで一方的に弱みを突かれることもなくなっただろうし……」
ひとしきりなで回して、スピカを落ち着かせた。
スピカが、『もう分かりましたからっ。ご主人様のワタシを求めてくださる気持ちは十分に理解しましたからっ』と必死に懇願してくるまで、ひたすら愛情を注いだことが功を奏した。
「お、お騒がせしました。ティナさんにもお見苦しいところを」
「いいのよ。あたしも悪かったわ。色々と……忘れましょう、ね? お友達だし」
「そ、そうですね、お友達ですからね!」
女同士の友情を確かめつつも、なんだか裏を匂わせた感じの、ちょっと怖い会話は聞こえなかったことにした。
「ま、丸く収まって良かったわ」
「悪いな。心配かけた」
「いいのよ。ヨースケが特殊だってのは分かってたことだし」
ようやく先輩らしいことが言えた、とティナは笑った。
「あたしも昔、天才と呼ばれたから、この手の言葉は散々言い含められたけど……大いなる力には相応の責任が伴う、ってありがちな忠告。でもねヨースケ。だけどそれは何かをしなくちゃいけないって意味じゃない」
ティナは言った。
「何があっても後悔しないように生きろ、って意味なのよ」
「そうだな」
俺は頷いた。ティナは素直に頷いた俺を見て疑わしげに目を細めた。
「……ホントに分かった?」
「分かった分かった。忠告、痛み入るよ」
「もうっ! ひとが真面目に話してるのにっ! さっきもまた危ないところを助けられちゃったから、そのお礼も兼ねて、こっ恥ずかしいのを我慢して語ってるのよ! ヨースケは女心が分かってない!」
俺としてはありがたい助言だったと噛み締めているのだが、返事がおざなりだったとティナは不機嫌になった。
「じゃあ、あたしは部屋に戻るわ」
「今更、寝直す気分でもないが……」
このまま動き出した方がいいのではないか。
そんな問いかけに、ティナはまったく取り合わなかった。
「少しでも身体を休めた方が良いわ。ゴブリン退治を決めた以上、魔具級と遭遇戦することも視野に入ってるし……ヨースケが一眠りした後、行動開始としましょう」




