第十二話 『三文芝居』
まだまだ話し足りない、と言った様子ではあったが。父は娘の恋愛観に一抹の不安を覚えたようで、眉に皺が寄っている。
騒がしかったアイリーンは電池が切れたように気を失った。
咄嗟にアイリーンを抱きかかえた父親に、スカナーがさっと歩み寄った。
「あっ、手伝いますよ、お父さん」
「誰がお父さんだ。スカナー、何度も言っているが、うちのアイリには……」
「そんなこと仰らずに。ね。アイリーンちゃんだってそろそろ相手を見つけなきゃいけない年頃でしょうに。いくら娘が可愛いからって、アイリーンちゃんが恋愛するのは自由なんだし、口出ししすぎると嫌われちゃいますよ」
「用が済んだなら出てってくれ。真っ先に駆けつけてくれたことにゃ礼を言うが、もうアイリに近づかないでもらいてえな」
「お父さん」
「しつけえよ。……そら、邪魔だ」
寝入ったアイリーンに視線を注いでいたスカナーも、悪い虫扱いされてまでその場に留まる豪毅さはなかった。
しぶしぶ、といった風に宿から出て行った。
「すみませんね、お客さん。お手を煩わせた上に、お見苦しいところを」
「構わないけど、その、……いいんですか?」
ティナはアイリーンと、スカナーが出て行ったドアとを交互に見て、なんとも言えない顔をした。
父親の方は、それ以上に複雑な顔を見せた。
「身内の恥ってことなんですが、アイリが何か相談してたみてえだし、ここだけの話ってことで聞いてもらいましょうか」
「拝聴します」
ティナが少し畏まって、話を聞く姿勢を取った。
「あの野郎、昔はこんな田舎にゃ用はない、都会で一旗挙げてやるんだ、って偉っそうな顔をして出てったくせに、街の方で馬鹿やらかしたらしくて……」
父親の口調は、苦いものが混じっていた。
それは娘に言い寄る男を認めがたい以上に、警戒心を露わにしていた。
「最近出戻って来たんですがね。それからアイリにしつこく言い寄って来てまして。つっても、田舎じゃ手に入りにくいもんを買い付けてくれるってんで、村の連中はみんなスカナーを褒めそやして、良いヤツだ、あんな親切な若者はいないって評判で……村の連中はアイリとお似合いだお似合いだ、そろそろ独り身も寂しかろうってうるせえし、まあ、行き遅れになるよりマシかもしれんのですが、やっぱりスカナーや信用できねえんで」
「……親切な方に見えましたけど」
「プンプン臭うんですよ、ああいった笑顔の裏に、きっととんでもねえ本性が隠れてるに違いねえって……だってそうじゃありませんか、あの野郎が村を出てった頃、まだアイリは十歳にもなってなかったんですよ。面識のある近所のガキが育ったら、手ェ出そうって口説き出すって……どう考えても、ねえ」
ロリコンとは微妙に違うか。大きくなってから言い寄っているのだから。
「スカナーさん、周囲の評価は高いのね」
「ああいうのは外面が良いって言うんです。……まァ、俺はちょっとばかり過保護かもしれねえし、娘可愛さに評価が厳しくなってるってのも確かですがね。早くに逝っちまった母親のためにも、アイリには幸せになってもらいてえ。ほら、俺がこんな顔だから、余計な苦労もさせちまって……」
「アイリーンは、お父さんの気持ち、ちゃんと分かってますよ」
「そうだと良いんですがね。ああ、すまねえお客さん。また、休んでくだせえ。手間かけちまった上にこんなつまらねえ話まで……」
アイリーンの父は後始末を快く請け負ってくれた。現場に放置してしまった大量の銅貨の回収や周囲への事情説明も任せて、俺たちは休むことにした。
すると、なぜかティナが俺の部屋の中までついてきた。
話すべきことが残っていると言われて、俺は肩をすくめた。
「返してー。かえしてくださいー」
「何をよ」
部屋の中に用意されていたテーブル、そこでティナと対面に座る。
スピカはテーブルの上に、まるで話の主役のように鎮座ましましている。
「ご主人様の腕の中、そのぬくもり……そして抱きしめられるという幸福……ティナさんが無意識に手に入れた機会のすべてです! あああああ、さっきのはご主人様とワタシにこそ相応しい、未来永劫語り継がれる一場面とになったはずです! それをティナさんが奪っていった……なぜですか!」
「本だからでしょ」
「そこで! ご主人様にも、ワタシにも目を向けず、そっぽを向いて窓を見て頬を赤らめながら雑に発言する! その横顔が、その言い方が、あざといと言ってるんです! やっぱり分かってやってますよね! 狙ってますよね! ティナさんは、どう考えてもあざといナさんですよね!」
「違うわよ! そんなつもりないし! スピカに嫉妬されることはしてないし、そんなことまったく、これっぽっちも、一切合切考えてないったら!」
「えー、本当ですかー? じゃあそんなことってなんですかー?」
「……えと」
ティナは、パッと目を逸らした。
「ほら! 今の見ましたがご主人様! ティナさん、そんなこと、ってのが何かちゃんと分かってますよ! 気のない素振りでなんやかんやって感じじゃないです!」
「なんやかんやって何よ」
「なんやかんやはなんやかんやですよ。ねーご主人様」
俺は嘆息し、一人と一冊をじとっとした目で眺めた。暇なときに見るには楽しいコントではあるが、話し合いの前に繰り出すにはちと長い。
「スピカ、そろそろいいか?」
「はーい! ご主人様の仰せとあらば!」
「……ちょっと。言うだけ言ってそれはひどくない?」
「おやぁ? この話、もっと続けても良かったんですか、恋愛マスターさん」
「う」
「アイリーンさんから尊敬の眼で見られて気分の良いところ恐縮ですが、実は一切その手の経験のない処女、ただの耳年増、それどころか恋人すらいたことのない単なる見栄っ張りであると彼女にバラされたくなかったら……分かってますね?」
「す、好きにすればいいじゃない……! そんな脅しには屈しないわ!」
「さすが恋の伝道師」
「ぐはっ」
ティナが見えない攻撃でダメージを受け、その場に膝を突いた。
「初めてのキスを失敗しないために、サクランボの茎を舌で結ぶ練習をするのが都会の流行だなんて、よくもまあ……」
「な、なぜそれを……」
「初めてのキスは大半がイチゴ味だけど、たまにリンゴの香りが混じる、でしたか……ああ、地元では百人以上に告白されたけど、理想が高いから全員振ってしまったのでちょっと気まずくて帰れない、でしたか。へえ。それはそれは」
スピカの指摘にティナが動揺している以上、それは実際にアイリーンに対して語っていた内容なのだろう。
スピカが淡々と指摘しているのを横で聞いているだけでも、身体がかゆくなりそうだった。
俺もスピカも、ティナが元ぼっちマスターだと分かっているのだ。
いたたまれなさを通り越して、痛々しさすら感じる。なまじティナの容姿が美少女そのものであることも重なって、その残念っぷりが倍増している。
「ちょ、ちょっと調子に乗って誇張した部分がなきにしもあらず、みたいな? な、何人もに告白されたことは事実だから! 全員断ったのも本当だから!」
必死だった。
俺は目頭を押さえた。もう、直視するのも悲しかった。弁明すればするほど、ティナは己自身の言葉によって、さらなる深みに嵌っていくのだ。
「何も知らない無垢な少女相手に、実績のない名乗りや、根拠のない知識を随分と好き勝手に吹き込んでましたねえ……さすがティナさん。よっ、男を手玉に取る悪女!」
「そ、そうよ。何か悪い? あたしは持てる限りの知識をフル活用して、恋に迷える女の子を導いてあげようとしただけで……」
いいかげん気付いてくれ、ティナ。
スピカが俺以外を持ち上げたときは、高所から落とす気満々だと。
「なのにご主人様にお姫様抱っこされただけで動けなくなるなんて不思議ですねー。それとも他の有象無象なんてどうでもいいけど、ご主人様に抱き上げられるとドキドキしちゃう的な、さらなるあざとさの発露でしょうか。ああ、手を握られるだけでも赤面しちゃうほど純情ですもんね。そうそう、こないだのネストンダンジョンで、ファーストキスを奪われる覚悟……いえ、内心かなり期待してたことを蒸し返しても構いませんよ。ご主人様は他のことに気を取られて気づいてなかったようですが、マナが引き出される感覚のせいで、ティナさんはあのとき実はちょっぴりイ……」
「ごめんなさい虚勢張りました調子に乗りましたつい聞きかじった知識で偉ぶってみたくなっちゃいました素直に認めるからそれ以上言わないでお願いスピカさん。あとでアイリーンには謝罪して本当のことを伝えます。だからストップ。ストップよ!」
「ふっ。勝ちました!」
敗北感たっぷりの顔で、ティナは床に崩れ落ちた。
「再起不能にしてどーする」
「うう、……魔導書に恥ずかしい秘密を握られて従うしか無くなるなんて……これを師匠に知られたりしたら……」
ティナが、膝を抱えて遠い目をしだした。
「大丈夫ですよ、ティナさん。ワタシたち、友達じゃないですか。ね? だからティナさんの秘密を決して他人に喋ったりはしません。お約束します」
「スピカ……」
絶望の淵に突き落としてから、すぐさま希望へと引っ張り上げるその手管。
本に対して、すがりつくような視線を送る美少女の姿は、なんとも言えない奇妙な気分にさせてくれた。
心底ほっとして、嬉しそうにするティナだったが、安心するにはまだ早い。
「でもご主人様は他人ではないので、……言いたいこと、分かりますね?」
「そうだと思ったわよ! スーピーカーっ!! あんたって本はーっ!」
宿の一室で再び騒ぎ出す一人と一冊。
見てて面白いやり取りであることは否定しないが、限度がある。
「スピカ、ティナをあんまりからかってやるなよ。……根の深いぼっち属性は、現在進行形で黒歴史を作り続けることを運命づけられてるんだ。これ以上、真新しい傷口を抉る姿は見たくないし……何より話が進まない」
「ご主人様がそう仰るならこのくらいにしておいて差し上げましょう。まったくティナさんにも困ったものです。ご主人様の優しさに感謝することですね」
俺の制止に、一回目ときとは違う空気を感じたか、スピカが話を切り上げた。
「ヨースケはあたしの味方だと思ってたわ! ……って、話をややこしくしたのはスピカの方でしょうがっ! ヨースケも魔導士なら、自分の魔導書の手綱くらい取っておきなさいよ! 危ない危ない、あやうく全部あたしのせいにされるところだった……! マッチポンプに引っかかるところだった」
「そんな……! せっかくスピカが追い詰めてご主人様が優しくする、警察の取調室さながらの策略が一瞬で粉々に……!」
ティナとスピカの大げさでわざとらしい台詞の応酬に、俺は肩をすくめた。
「で、満足したか?」
「したした。一度やってみたかったのよね、こういう茶番」
「茶番言うな」
と呆れた声で突っ込んだが、俺にも、ティナの気持ちは痛いほど分かる。
ぼっち歴が長かったり、他人との事務的でない会話の経験が乏しかったりすると、この手の馬鹿話に興じたくなる時がある。
そこに丁度良い相手を見つければ、隙を見てこの手のコント紛いの会話を延々と繰り広げることになる。
俺もスピカと二人旅だった時期には似たようなことをしていた。
重要なのは、こうした馬鹿話に付き合ってくれる相手の存在である。しかも自分と同じくらいには頭と口が回らないと、楽しい会話として成立しないのだ。
ティナはさぞかし楽しかっただろう。
たとえ自分の恥ずかしい秘密について触れられても。
「でもスピカ、さすがに言って良いことと悪いことがあると思うのよね」
「それでご主人様、お話の続きを」
「話を逸らすんじゃないわよ腹黒本」
「ここは流しておいた方がよろしいかと。というか、ティナさんがワタシとご主人様のあいだに割り込んできたのが原因では……」
「は? えっ……あ! そ、そうよ! 話をするつもりだったのに!?」
ティナは俺の顔を一瞬だけ見て、スピカへの追求を諦めた。
先ほど言及された内容については、俺は何も聞かなかったことにしておいた。
さて、何の話をするつもりだったろうか。
あまりにも長い茶番劇というか、三文芝居のせいで本題を忘れつつある。
「分かってると思うけど、あのゴブリンについてよ」
ようやく話の続きに入れることに、俺は本心から安堵するのだった。
話の寄り道が多いけどこの章そのものが寄り道の話なのでセーフ




