第十一話 『命ずるがままに』
「ゴブリンメイジ……いえ、ゴブリンシャーマンかしら?」
「ホトパウワァ……」
そのゴブリンは、まるで命乞いをするように、その場にひれ伏した。
モンスターの持つ知性の度合いについては、いつかのコカトリスで理解していたつもりだが、本当に物事を把握した上でやっているようで、かなり不気味だった。
氷の矢が身体に突き立った状態で、見るからに瀕死だった。
致命傷を負いながら、憐れみを誘うような素振りで、雨でぬかるんだ地面にべったりと額ずいている。
あまりにもモンスターらしからぬ行動に、俺たちは一瞬戸惑ってしまった。
「バンゼネメイトゥ……」
「……ティナ、意味分かるか?」
「ゴブリン語なんて知らないわよ。というか、言葉を話せたなんて……」
状況からすると、命乞いの言葉なのだろう。
常時発動状態である《共通言語》も、モンスターの言語に適用されたことはない。
ゴブリンの言語なんて甲高い叫びだけだと思っていた。
ティナがトドメを即座に刺さないのは、観察しているからだろう。
不可解な襲撃とオーガゴブリンの存在を鑑みれば、異常事態なのは間違いない。
その答えか、せめてヒントになるような情報を得られないかと考えているようだ。
「デスタブメーア」
不意に、俺の視線は、ゴブリンシャーマンの手に向いた。ねじくれた杖。他のゴブリンと一線を画す獲物は、まだそいつの手の中に握り込まれている。
「ご主人様、これは詠唱です! そいつは呪文を――」
死にかけのゴブリンシャーマンは顔を上げた。最期の力を振り絞り、身体を倒したまま腕を伸ばすと、杖先をティナに向けた。
「え……」
「《火炎玉》」
至近距離に真紅の輝きが生まれた。もはや狙いも定めてはいなかった。
一瞬で発動した《火炎玉》は、ゴブリンの杖の先端で狂ったように膨らんだ。
それは《火炎玉》を暴走させて、自分ごと俺たちを焼き滅ぼす企みだった。
産み出された火炎魔法は、すでにゴブリンシャーマンの手を離れていた。
たとえゴブリンが死んでも、魔法の炎はそのまま爆発して俺たちを飲み込む。
スピカの声を受け、咄嗟に自分の杖でゴブリンシャーマンの頭を叩きつぶしたティナだったが、やはり消えない《火炎玉》のおぞましい赤い光に目を奪われていた。
「《氷狂矢》!」
だから俺は、その真っ赤に輝く灼熱の球体を狙った。
本体を狙っても手遅れだ。少しでも呪文の威力を相殺するしかない。
ゴブリンシャーマンの使う《火炎玉》は、普通の魔法使いより強力そうだが、ティナより発動速度も威力も劣る。
火炎に対して氷をぶつけただけの、あまりにも安易な考えだったが、射出した氷の矢は燃え盛る球体の中心を的確に撃ち抜いた。
身構えるが、想像していた爆発はなく、少しだけ気の抜ける音をさせて、二つの攻撃魔法は宙に溶けるように消滅した。
ゴブリンシャーマンは己の為した最期の復讐の結果を見ることなく、銀貨数枚を残して肉体を霧散させた。
「あ、危なかった……」
ロングスタッフを振り下ろした体勢のまま、安堵している俺を見て、一度強くぎゅっと目を瞑って、それから大きく息を吐き出したティナだった。
「ヨースケ。ありがとう……また助けられたわね」
「スピカの声がなかったら、やられてたな」
「ご主人様がご無事で何よりです。むしろ、ワタシの役割的には、気づくのが遅れて申し訳ありませんでした。ティナさんも怪我をしなくて良かったですね」
「そう、ね。スピカもありがと」
俺は銀貨を拾い上げた。
何の変哲もない数枚のドロップ銀貨だった。ただ、単なる銀貨級にしては、やはり違和感が残る。
ティナを見ると、表情が暗かった。
「……言い訳になるけど、ゴブリンシャーマンって、だまし討ちを考えつくほど頭は良くないのよ。いわゆる亜種で、ゴブリンにしては珍しく銀貨級なんだけど、一回しか魔法攻撃出来ないはずだし」
「一回だけってことはないだろ」
「正確に表現すると、一戦闘に付き一回ってところね。しばらくすれば魔力が回復するけど……」
金貨級にしても、特殊な能力や単純なスペック、人間の嫌がる行動を的確に付いてくる狡猾さや知力などは、トレードオフの関係にある。
たとえばトロルは再生能力と怪力を持つが、知力がゴブリン以下。
オーガは身体能力と頑丈さが優先で、他の特殊能力を持たない上に脳筋である。
コカトリスは特殊能力と知力が高く、身体能力や耐久はゴブリン並み。
魔具級のドラゴンとなると体中に膨大なマナが巡っており、総じて全部が高ステータスと言える。
逆にゴブリンは銅貨級の見本で、身体能力や特殊能力、知性その他に割り振って強化できるだけの内包マナを持たない。
モンスターは銅貨や金貨、あるいはマジックアイテムなどのドロップ、すなわち存在の核によって集められるマナの総量が決まっており、何かを高めると何かが低くなる形で自然とバランスが取られる。
その傾向や経験から判断すれば、ゴブリンシャーマンは不自然だった。
行動から能力まで銀貨級相当の枠に収まっていなかった、と確信できた。
「イレギュラーが続いたってことか」
「知力と魔力を強化されたゴブリンシャーマンだった、と見るべきね。無力化したと思い込んで完全に油断したわ……すでに前例があったのを勝手に除外してた」
「オーガゴブリンか」
「あっちは見た目に影響があったけど、こっちは外見上は普通のゴブリンシャーマンでしかなかった。いくらゴブリンが臆病だからって、……今まで、命乞いされたことは無かった。それなら背を向けて必死に逃げ出すもの。それに、自爆だなんて……」
「普通のモンスターは自爆なんて考えないと?」
「自爆するモンスター自体は存在するわ。でも、自滅してでも人間を巻き込むのは、ゴーレムや鉱物系の無機物モンスターか、スライム系の本能だけで動くタイプだけよ。さっきのゴブリンシャーマンは明確な意思を持って狙っていた。まるで義務のようにあたしと心中を図った……最後の目つきもおかしかったし」
猛省するティナだったが、その顔色は悪かった。
「……おい、大丈夫か」
「ヨースケは、……ほとんど影響が無くて羨ましいわね。あたしも、けっこう強いマナ耐性があるはずなんだけど……」
はっとして、村の入り口近くに大量に散らばった銅貨と、たった今殺したゴブリンシャーマンの残した数枚の銀貨に目をやった。
野営地での襲撃に比べて、数が随分と少なかった――それでも数十匹はいたが――と思ったが、決して無計画な行動ではない。
ティナの攻撃魔法の威力ゆえ大半が一撃で倒せてしまい、すぐに気づかなかった。
等級によるモンスターのバランスと攻撃魔法は同じで、何かを高めれば、何かを失うことになる。
この村を襲ったゴブリンは、程度に差はあるが、すべて強化されていた。
あのオーガゴブリンと一緒で、銅貨級、銀貨級のモンスターが持つマナよりも、ずっと大量の浮遊マナが周囲一帯を汚染している。
一匹一匹は少量であっても、これだけの数を一斉に倒してしまえば結果的には凄まじい量になる。
ティナが辛そうにしているのは、マナ中毒の一歩手前の症状だった。
今、この付近には数匹分の金貨級に匹敵する浮遊マナが散布されているのだ。
「……まずい。村人の様子を見てこないと」
「あたしのことは、気にしないで。動けなくなるほどじゃ、ないから」
強がるティナの後ろに回り込んで、俺はそっと抱き上げた。
本当に余裕があるのなら、今の動きにもっと強く抵抗しただろう。
思っていた以上にティナの消耗は強い。
かなりの距離があるとはいえ、周辺の民家や宿に影響が出ている危険がある。
アイリーンとその父親は、大丈夫だろうか。
「ちょ、ちょっとヨースケ」
「黙って運ばれろ」
か細い、照れたような「お、降ろして。大丈夫だから……」と呟くティナの言葉は無視した。
ティナは手にロングスタッフを持ったままだし、パジャマ姿なのだが、足下の方は泥で若干汚れている。
その汚れを俺の服に付けないようにと、長杖を胸に抱く形で、膝を胸に近づける形で、大人しく俺の腕の中で縮こまって、なすがままにされている。
「ティナさん、お姫様抱っこされて良かったですね。なんだか妙にそういった機会に恵まれているようで羨ましい限りです。ええ」
スピカが早朝の北風と同じくらい冷たい声で言った。
「お、おひめさまだっこ……」
「なんでそこで赤面するんですか! 本当に、あざといナさんですね!」
時間にしては短いが、濃密で、苛烈だった戦闘跡を背に、宿の入り口から手を振るアイリーン親子の方へと向かった。
何か、視界の隅に明るさを感じて、空を仰いだ。
いつの間にか、雨は上がっていた。
空を埋め尽くした雲の隙間から、零れ落ちたような澄明な早朝の光が、村の家々、その屋根を照らすように白白と射し込んできた。その夜明けを明るくする眩い光が、まっすぐ俺の視線の先に降り注いでいる。
俺はティナを抱きかかえたまま、一直線に宿へと歩いた。
真剣な顔をしていたアイリーン曰く、周囲がまだ暗闇に包まれたなか、ぽっかりと空いた光の下を進む姿は、まるで歌劇のワンシーンのような一幕だったそうである。
宿に泊まっていた客、出て来なかった他の冒険者も無事だった。
状況を伝えたアイリーンの父親が周囲の村民の家々を回った結果、若干体調を崩した者が三名ほどいたが、重傷者は見つからなかった。
戦闘後に宿に戻ると、目元を潤ませたアイリーンにまくし立てられた。
「すごいです! やっぱり一流の冒険者にして美少女天才魔法使いであるティナさんの手に掛かれば、あんな怖いゴブリンの群れもばったばったとなぎ倒せるんですね!」
はいはい、さすティナさすティナ。
確かに、先ほどのティナの戦闘を思い返してみると、闇の中で雷をバラ撒いてゴブリンを一網打尽にしたり、ゴブリンシャーマンの一矢報いる自爆を悠々と処理したように見えたかもしれない。
客観的に見ると、極めて格好良い情景だった。
ロングスタッフ片手で、パジャマ姿の魔法使い。雨は止み、ラストは俺による、光の中を、お姫様抱っこで帰還する形で締めくくられた。
どこの映画の脚本だ、と言いたくなるほど流れは完璧だった。
「大量のゴブリンを歯牙にも掛けず……魔法を使う危険なゴブリンも一蹴し……命を賭した最後の一撃ですら冷静に対処する……うちの村に伝わる勇者様みたいでした!」
普段は見られない情景に感極まってしまったらしい。
慣れない戦場の気配に不安だったろうし、傍目にはたった二人で圧倒したように見えたこともあって、アイリーンの興奮は宜なるかな。
ただ、そんな興奮するアイリーンの様子に、スカナーはどこか面白く無さそうに作り笑顔を見せている。
アイリーンに気があるのだ。
見ていれば誰でも察せるほどあからさまだった。
ティナに熱視線を送るアイリーン。アイリーンに振り向いて欲しいスカナー。
そんなスカナーを邪魔くさそうに見ているアイリーンの父親。
三者三様の温度差である。
微妙な空気を裏腹に、ティナとアイリーンの会話は進んでいた。
「勇者?」
「知りませんか? ゴバールレスタ村に伝わる勇者物語って、結構有名なはずなんですが……たいていのお客様は、その伝説目当てにうちの村を訪れるので」
名物は宿の温泉だけではなかったようだ。
アイリーンのきょとんとした顔も、横にいる父親の首肯も合わせると、思ったよりもメジャーな話であるようだ。
「……その話は少し気になるけど、アイリーン。あなた、体調が悪そうよ。休んだ方が良いと思うけど」
「このくらい平気です! それよりティナさん! いえ、師匠!」
「師匠って、そんな大したことはしてないわよ……」
「いいえ! 女の子の夢、お姫様抱っこへと誘導するその手練手管! さっき話を聞いていたときにはまだちょっと疑ってましたが、ティナさんはまさしく恋愛マスターだと確信しました!」
アイリーンは浮遊マナの影響を強めに受けたようだ。顔を青くして、足下がかなり覚束無い状態になっていた。
きっと判断力もおかしくなっているに違いない。
ティナが、恋愛マスター。
ぶほっ、と噴き出したのは俺だったのか、それともポケットの中だったか。
まんざらでもなさそうなティナはさておき、アイリーンは目眩を起こし、その場で軽くふらついた。
初めて見た恐ろしくも胸が躍る光景にテンションが上がって、そのせいで自分の不調に意識が向いていなかったようだ。
距離があった分だけ減衰はしていたし、届いた分もわずかだろうが、それでも金貨級複数分である。
今にも倒れそうな顔色だったが、これくらいで済んだのだから御の字と言えた。
……忍者、君主、侍……ボーナスポイント振り分け……訓練場……一時間粘ったのに勢い余ってキャンセル……うっ、頭が……ああああ……