第九話 『不死王』
「不死王と、それを倒した冒険者の物語……」
有名な話よ。聞いたことない? とティナは俺の顔を見た。
俺は首を横に振った。意識して巷間の情報を集めたり、不慣れな場所では耳をそばだてているつもりだが、この世界における一般的な常識にはまだ疎い。
ティナは俺が何も知らない方が都合が良かったようで、物語を読むような、朗朗とした口調で、少しずつ声に、表情に、身振り手振りにと雰囲気を出してきた。
食堂のテーブルで対面に座っている状態である。様子見の顔で近くを通りがかったアイリーンが、飲みきった二つのカップを見て、さりげなくティーカップを回収し、向こうへと消えていった。
「……怪力、魅了、混乱、手順を踏まないと滅ぼせない厄介な不死性を持ちながら、さらにコウモリや狼に変身したり、強力な魔法攻撃を連発したり、シャドウマンじゃないけど霧に変身して物理攻撃無効化したりと凶悪な能力のオンパレード。しかも大量のグールや下位ヴァンパイアみたいな眷属を次々増やす特殊能力と、それを的確に配置、連携させる指揮能力とを併せ持った……それはそれは恐ろしいモンスターがいたわけ」
「ちなみに弱点は?」
「日光を浴びると弱体化するわ。普通のヴァンパイアよりも太陽光に弱いって」
「ダンジョンのモンスターなんだよな」
「そ。突けない弱点は無いのと同じね」
しつこいようだが、ダンジョンである。
外に出るでもなく、陽光が射し込む場所に誘導できもしないし、陽の光なぞ持ち込めるはずもない。
入り口まで誘い出せれば弱体化したかもしれないが、最奥から引っ張り出すのは事実上不可能と言える。
「それって、魔王って言わないか?」
ティナの語った基準からすると、即座に認定されてもおかしくない。
話を聞く限り、ドラゴンよりはよっぽどそれらしい存在感だ。
「そう表現する冒険者もいたけど、一般的には魔王扱いはされてないわね。それだけ凶悪な能力を持った不死王ですら、一ダンジョンの支配者でしかなかったから。
ダンジョンのモンスターは外には出られない。ある程度決まった領域から離れられない。そのルールに縛られている以上、被害は限られたものになるでしょう?
あえてダンジョン内に足を踏み入れない限り、いくら魔具級であっても、人間にとっては大した脅威にはならないいのよ。
不死王の迷宮に出現するモンスターの強力さは、あくまで不死王の特殊能力によって支えられている。知っての通り、ダンジョンでは普通、銀貨級しか出ない場所に金貨級は出現しないわ。
ゴブリンの領域に、突然オーガが出たりはしなかった。……だからこそ、先日の一件には頭を抱えるしかなかったけど」
コッペリアから聞き出した話によれば、モンスターの発生は、必要量のマナの有無とダンジョンコアの設定次第でかなりの融通が利いてしまう。
漏洩してはまずい危険な知識と言える。
しかし、こんな情報を広めてしまえば、無用な混乱が起きるだけだ。
結果的に、俺たちは情報の隠蔽を気にする立ち位置に追いやられている。
そこまで狙った知識の共有だったとすれば、コッペリアはますます油断ならない相手である。
話を戻して、ティナは当時の冒険者の強さについて言及した。
今は装備品や戦術、経験と知識が敷衍したことで技術的には向上したが、モンスターの強さは同じだ。
つまり昔の冒険者にとっては、むしろ危険度が高かったことになる。
そんな時代に魔具級に挑んだ者は、ほとんど時代の英雄みたいな最上位の実力者だったはずだ。
「ダンジョンのモンスターだった不死王は、とある冒険者たちに討伐されるまで、ただの一度も外界に出ることはなかった。代わりに、己が恐れ忌み嫌い……そして渇望した昼の世界に、不死王のドロップ品のみが持ち出された」
ティナは謳うように、不死王の最期を語った。
それは玲瓏たる眼差しを持った、不死者たちの王。
血の気の失せた白い肌に、真っ赤な唇、そして口から覗く鋭い牙。
美しい人間のような姿を持ちながら、しかし決して人とは相容れない夜の一族。
その王の王。
ヴァンパイアロードというよりは、ノーライフキングとでも呼ぶべき死を弄ぶ闇夜の支配者。
かの不死王は、その白磁めいた指で、己の前に現れた冒険者たちを、その顔を一人一人指し示した。
これから殺すことになる愚かな相手を、しかし己の元に辿り着いた強者と呼ぶべき存在を、決して忘れないようにと。
その指には白い指輪が嵌められていて、淡く、青白い光を放っていた。
迷宮の闇の中で不死王が手を動かすたび、その青白い軌跡が闇を切り裂いて、ひどく美しかった。
師匠から伝え聞いたとして、ティナは臨場感溢れる描写で、熱っぽく語り続けた。
あらゆる能力と鋭い魔法攻撃とを組み合わせて、果敢にも、あるいは無謀にも己に挑んだ冒険者たちと戦った。
瀕死の体にまで追い詰められ、しかし最後の最後まで諦めなかった冒険者達の不屈さが僅かな反撃の芽を残した。
それは傷だらけになりながら、倒れそうになりながら、それでも戦い続けて、三度蘇った不死王を打ち倒し、殺し、滅ぼしきるまでの話だった。
不死王はいかなる相手も罠に掛けて消し去る無粋な真似はしなかった。
迷宮を踏破し、最奥に辿り着いた冒険者達を己の玄室に迎え入れて、自らの手をもって打倒することを好んだとされる。
そして不死王は人間の言葉を解し、太陽を憎みながらも、その光の温かさを羨む言葉を不意に吐き出したという。
「冒険者達が、その闇深く恐ろしいダンジョンを脱出したとき、外は眩いほどの光に溢れていた。彼らは明るい場所で、手に入れた最後の戦利品を眺めた。自分たちが不死王を本当に倒したことを信じられなくて、外に出てすぐに確かめたそうよ。
遺されたドロップ品だけが魔具級を倒した証拠だった。ダンジョンでの出来事から、他に証明してくれる他人もいないしね。ヨースケがあの指輪を手に入れたのと同じよ」
ティナの語りは、実に真に迫っていた。まるでその当時の出来事を見聞きしていた者がそのまま伝えたような、そうした異様なリアルさが話のそこかしこに滲んでいた。
不死王の容姿や所業、その結末を語るティナも楽しげだった。自分が好んだ物語を語り聞かせるような、そうした嬉しさが表情に覗いている。
「迷宮には射し込まなかった、その真っ白な陽光にありありと照らされたのは、あの滅びた不死王の指にあったものと同じ、おぞましくも美しい白い指輪だったわ。冒険者達は不死王を討伐したことで、栄誉と使い切れぬほどの財貨を手に入れたけれど、どうしてか証拠となる指輪はすぐさま手放してしまった」
どうしてかしらね、とティナはまるで不思議とも思っていない声で、その疑問を口にした。
それほどの偉業を達成できるパーティーが金銭に困っていたはずもない。
しかし大金と引き替えに、証拠となる品物は彼らの手を離れた。
たっぷりと間を空けてから、ティナはその先を続けた。冒険譚、あるいは英雄譚の終わりを。
「指輪は競売にかけられ、持ち主を転転と移ろうことになった……指輪には凄まじい力があったと言われるわ。希有にして強大な魔具級のドロップ品に相応しい力が。
身につけた者に強大な力を与える代わりに、悉くを避け得ぬ死に至らしめるという、不死王に通じる抗いがたい力を持っていた。
それはいつしか《死の指輪》と呼ばれるようになった。
時の権力者に恐れられた指輪は、今もどこかの国の宝物庫の片隅に、そうと分からぬよう似た指輪と一緒に紛れ込ませ、ひっそりと隠されているそうよ……」
語り終えたティナは満足げに頷いた。
まるで、永遠に出会えぬ憧れの物語に想いを馳せるように、天を仰いで。
死の指輪、か。
もしかしたら、俺の手に入れたレッドドラゴンのドロップ品にも、そうした曰くがいつか付くのだろうか。
なかなかに考えさせられる話だった。
ティナの言葉からして、冒険者には慣れ親しんだ物語、といったところか。
指輪は今もどこかに残っているのかもしれない。勝利した冒険者達の末路はどうなったのだろう。
面白い物語を聞くと、語られなかった部分が気になるものだ。
軽く左斜め上に視線をやっていたティナは、ふっと顔を戻し、俺に言った。
「面白かった?」
「ああ、……正直、わくわくしたし、聞いているだけで冒険している気になれて、すごく楽しかった」
「それは良かった。久々にこの話が出来て、あたしも楽しかったわ」
ティナはうんうん頷いて、俺の目を見つめて、悲しげな顔になった。
「でもね、ヨースケ。悲しいけれど、これって作り話なのよね」
「おい……おい!」
ティナの言葉が、一瞬頭に入ってこなかった。
まじまじとティナの顔を見た。悪戯が成功したような満面の笑みが返ってきた。
完全に聞き入ってしまった俺は、唖然として、体中から力が抜けてしまった。
「すごいよく出来た話だったでしょ。びっくりした?」
「……勘弁してくれ」
確かによく出来た、というか、出来すぎた物語ではあった。
ため息混じりの俺の批難に、ティナはたはは、と頬をかきながら続けた。
「丸ごと嘘ってわけじゃないわ。作り話ってことになってるだけで、ちゃんと元になった出来事自体はあったし」
「……どういう意味だ」
「まず不死王って呼ばれる魔具級がいたのは事実。そして不死者の迷宮ってダンジョンがあったのも、そこが攻略された――つまり、ボスモンスターが討伐されたか何かで、跋扈していた無数の強化型アンデッドが激減した――これも間違いないわ。あたしが自分で当時の資料を調べたからね。でも、不死王を倒した証拠、話に出て来た《死の指輪》、あるいはそれに準ずる品物は、世の中に出回ったことはないのよ。ただの一度も」
「分かりやすい誰かの手に渡る前に、権力者が抱え込んだだけじゃないのか?」
「ふふふ、ヨースケも常識で考えるのね。でも、あたしの仮説は違うわ。不死王は倒せなかった。本当は滅ぼせなかった。だから証拠のドロップもなかった。これが、あれこれ調べて辿り着いた結論よ」
「まあ、今の話だけだと否定する材料はないな」
真面目に聞き入っていた話が作り話だったと聞かされては、ティナに向ける俺の視線が少しばかり冷たくなっても仕方ないと思う。
ティナはごめんごめん、と謝ってきた。俺の反応が良かったものだから、つい語り終えるまで隠したくなってしまったと。
「じゃあ、どうしてこんな物語が出回ったのか。こないだのネストンでの事件でもそうだったけど、真相を隠すために関係者が口裏を合わせたんでしょうね。この場合、一番の関係者といったら?」
「倒したパーティー、か?」
「ちっちっち、もう一人いるじゃない」
ティナがにやりと笑った。これを語りたくて仕方なかったのだ。
「……不死王、本人か」
「そう! きっと、何か取引をしたんだと思うわ。そして、倒した……いえ、滅ぼしたって嘘がバレないように手を尽くした。その一環として、こんな面白い物語が生まれてしまった……誤算は話が面白すぎたことね。そのうち忘れ去られるはずの物語が、人口に膾炙しながら延々と残り続けてしまった……どう!?」
「いや、どう? って言われても困る」
思い入れがあることは十二分に理解出来たが、だから何だというのか。
ティナは口を尖らせた。
「あのときコッペリアが言ったでしょ。もしダンジョンコアが完全に壊れた場合、ダンジョンのモンスターは外に出てしまう可能性がある、って」
ティナはそれからずっと考えていたのだ。知性あるモンスターであれば、その可能性を考え、やがて訪れる機会を待ち続けてもおかしくないと。
不死王が死んだことにして身を隠した理由。
永い戦いの末に、不死王を好敵手のごとく感じ始めた冒険者達もいただろう。
彼らが不死王の望みを耳にしたら、それに協力することを選んでもおかしくない。
と、ティナは熱弁した。
「その日を夢見て、不死王は息を潜めているってことか?」
「ええ。己を焼き尽くす太陽の光……けれど、それでも迷宮の頸城を逃れて外に一歩を踏み出す時を、太陽の下を自由に歩くその未来を待ち焦がれながら、偽りの死の裏側で静かに眠り続けるノーライフキング。考えるだけで素敵よね。格好良いでしょ?」
「……ええー?」
俺はどんな顔をすればいいのか分からなかった。
笑えばいいと思います、とポケットの中でスピカが呟いた気がした。
ないわー、と一声で否定するには、ティナの顔には興奮がありすぎた。
これまでずっと温めていた物語の構想を事細かに語る素人小説家めいた表情で、顔を紅潮させ、ティナは俺の賛同を待ち構えている。
何も知らない頃なら妄想乙、と鼻で笑ったかもしれない。
しかし、単純な妄想として片付けるには、この魔法のある世界においては、幾ばくかの真実味が感じられた。
人語を解するほどに知性のあるモンスターが存在する、という事例についてはティナの言葉だけだから半信半疑ではあるが、一点、引っかかる。
ドロップ品が無かった。あるいは出回らなかった。
ティナが発想を飛躍させて、空白を埋めてしまった物語が真相とどれだけ重なっているかについては何とも言えないが、今の話における別解が思いつかなくもない。
「その不死王って、コッペリアみたいな存在だった可能性はないか?」
「……あ」
俺の思いつきに、ティナが絶句した。
ティナが考慮するに値するくらいには、それはありえる話だった。




