第七話 『ゴバールレスタ村』
六人分の死体を一カ所に集めると、ティナの魔法で火葬した。
ほどなくしてすべての亡骸が白い灰となった。
憐れんでしっかりと埋葬してやるべきかも知れなかったが、この雨風の中ではそれもなかなか難しい。
「荷物は見当たらないわね。貴金属や財布の類も無し。ここだけ見たら凶悪な盗賊に皆殺しにされて、根こそぎ金目のものを持って行かれたみたいに見えるけど……」
「ゴブリンだったしな、さっきの」
「信じがたいんだけど」
「じゃあ緑色のオーガか? 銅貨級の」
ティナは眉をひそめ、肩をすくめることで答えにした。
「丸ごと持って行かれたってことね。オーガゴブリンとでも呼びましょうか。アレに仲間がいたのは間違いないでしょ」
「武器や金銀財宝を好んで奪うモンスターもいるだろ?」
「人間の可能性もあるわよ。モンスターと共闘して、こんな真似をしでかす輩をまだ人間と呼ぶのなら、だけど」
周囲を検分したが、判然としなかった。殺された乗客達の身元を示すものも見当たらなかった。
「どうした?」
「いえ、ちょっと、ふらっと来ただけ」
ティナが頭痛をこらえるように、こめかみに手を置いた。
「これ、マナ中毒と似てるんだけど」
ティナにはかなりのマナ耐性があるはずだった。たった一匹でこの負荷であれば、決して少なくない量を身に受けたことになる。
「銅貨級のゴブリンが、金貨級の強さとマナを持っていたと? スピカ」
「ご主人様の疑問にお答えしたいのですが、……ワタシにも理由は不明です。ドロップ品はモンスターが発生する際の媒体ですから、含有マナの総量と密接に関わってきます。オーガの媒体が銅貨だったなど、例がありません。先刻のアレはゴブリンの亜種だったと見るべきではないでしょうか……」
「それはそれでおかしいけどな」
「とりあえず、村まで行きましょ……」
後続のモンスターの襲撃も無く、それ以上この場に留まり続ける気にもなれず、俺たちは先に進んだ。
続く雨と暗さで足下は覚束無い。まだ追撃を警戒していることもあって、歩く速度はゆっくりだった。
三十分以上かけて、ようやく辿り着いたのは小さな村だった。
ゴバールレスタへようこそ、と字の消えかけた看板に迎え入れられた。
村の入り口脇にある厩舎には何頭かの馬が繋がれており、その側にはこちらも見覚えのある馬車があった。
俺たちを追い抜いたうち、先に通り抜けた方の一台だった。
こちらの乗客は野営地で一緒になった相手だ。
何らかの被害を受けた様子はなく、小屋の中の馬を見ても、全頭落ち着いている。
全身ずぶ濡れ、疲労感たっぷりの俺たちに、一人の村人が慌てて駆け寄ってきた。
田舎っぽさをそのまま残した村に似合わない、線の細い色男だった。
「どうしました!? 随分と大変だったみたいですが、まさかこの雨の中を歩いてきたんじゃないでしょうね? 大丈夫でしたか? 何もありませんでしたか?」
大変だったろうに、とこちらを慮ってくれた。すぐさま乾ききっていない手ぬぐいを渡されて、俺とティナはとりあえず顔だけ拭いた。
振り返った俺は、ティナがもの言いたげに頷いたのを見て、頷き返した。
「途中でモンスターに襲われた馬車がいました。この村には何か被害は」
「な、無いですよそんなの。それより前に到着した馬車は、無事にうちの村に到着してますから」
タイミングの差が明暗を分けたようだ。
一応、目の前の人物に危険なモンスターが近隣のフィールドに出現して、街道上であっても襲われたという事実を伝えてみたが、ピンと来ていないようだった。
ましてや余所者、来たばかりの旅人が濡れ鼠のまま喋る内容だ。
村も街道上や野営地と同じで、滅多にモンスターが近寄ってこない立地にある。そうした意味では危機感が薄くなるのも当然と言えた。
「所詮はゴブリンですよね? 魔法が使えるなら楽勝じゃないですか!」
ダメだ。この様子では、まったく言葉が届いていない。
あのオーガゴブリンやその係累がこの村にやってくるとは限らない。むしろ可能性としては低いだろう。
最低限の義理は果たしたとして、気持ちを切り替えた。
そもそも、俺たちが解決に乗り出すべき案件ではない。それより今は少しでも早く身を休めたかった。
ティナも同じ気持ちらしく、それ以上言葉を費やさなかった。
「あなた方も村に泊まるんですよね? だったらアイリーンちゃんのやってる宿がオススメです。うちの村には温泉もありますし。屋根付きで、雨の日にも入れますからね。ま、うちの村にはその宿しかありませんけどね! さ、行きましょう冒険者さんたち」
第一村人に追い立てられるようにして、足を進める。そのまま厩舎の向こう側に頭だけ見えていた、村の中では一際大きい建物へとぐいぐいと押し込まれた。
「アイリーンちゃん、お客さんだよ! まだ部屋はあるだろ。泊めてやりなよ」
「スカナーさん、また勝手に呼び込みしてくれたんですか? お客さんを連れてきて頂いて、いつも、ありがとうございます。でも悪いですから……」
「どのみち村にはアイリーンちゃんとこの宿しかないしさ。案内する手間を省いてあげただけだって。それより、あの件、そろそろ考えてくれた?」
「スカナーさん!」
「ちぇ。怒られちゃったよ。ま、俺は帰るよ。冒険者さんたちはごゆっくり」
アイリーンと呼ばれた少女と、スカナーと呼ばれた色男のやり取りは、これまで幾度となく繰り返されたものらしかった。
スカナーの去った宿入り口をしばらく眺めていたアイリーンは、戻ってくる気配が無いことを確かめてから俺たちに向き直った。
顔立ちは可愛らしいが、どこか垢抜けない娘である。
この宿も二階建てで、ホテルではなく民宿と呼んだ方が近い造りをしている。
「すみません、スカナーさんが。……彼、悪いひとじゃないんですが」
困ったようにアイリーンが嘆息した。
「気にしなくて良い。それより部屋は空いてるのか?」
「はい! もちろんです!」
フロント部分には一泊の値段が書いてあった。ついでに薦められた温泉は、宿泊客には無料で提供している、と記載されていた。
他の客は、あの小さな馬車の乗客だけらしい。二人で泊まることを伝えると、まずは部屋にと案内された。
「あれ? わ、わたし何か間違えました?」
「一部屋ずつで頼む」
「あっ。……も、申し訳ございませんっ」
当然のようにダブルの部屋に案内された。
確かに男女の二人連れで徒歩旅なぞしたら勘違いされるか。
焦り顔のアイリーンに怒ってないことを伝えて、シングル二部屋にしてもらった。
「野宿とかテントじゃないから、これは流石にね」
この時間なら夕食も用意してくれるらしい。
一階の食堂に来るか、部屋に運んでもらうかの選択制だ。一通り荷物を部屋に運び、ティナとは後ほど食堂で落ち合うことにした。
さすがに歩くずくめ、荒天、そして凄惨な現場に遭遇したり、強敵との戦いを経た後では心身の疲労感がひどかった。
浮遊マナによる強化で身体能力が上がっても、無限のスタミナや精神力が手に入るわけではない。
軽いマナ中毒になりかけたティナが心配だったが、見た感じ、ほぼ回復したようだ。
「相談しとくべき案件もあるが、とりあえず食堂に行くか」
鍵を受け取り、隣り合った部屋に荷物を置いてから一度廊下に出た。
「温泉はどうするの?」
「せっかくだし、食べた後にでもさっと入るかな。そっちは」
「時間をズラした方がいいわね。寝る前にするわ」
「あの、混浴ではありませんので、どうぞご安心くださいっ」
案内を終えて遠ざかっていたはずのアイリーンが、廊下の端から顔を出して、それだけ言ってまた顔を引っ込めた。
モップを手にしていたから、俺たちが歩いた後を掃除していただけだろう。
「ヨースケ、一緒に入る?」
がたたたっ、と廊下の角、死角になる位置からバケツが転がって、見えた。
アイリーンが顔を真っ赤にしながらバケツを拾って、また向こう側に引っ込んだ。そこから困った表情で顔だけ出して、申し訳なさそうにアイリーンが口を開いた。
「い、一応男女別になっておりますので……」
「冗談よ。聞き耳立ててる悪い子を引っかけただけ。気になるのも分かるけどね」
「あ……す、すみませんっ」
廊下の角から出て来たアイリーンは、ぺこぺこを頭を下げ続けた。顔を青くして必死に謝罪するアイリーンを見て、ティナも困ったように目を瞬かせた。
ティナが慰めて、アイリーンはようやく落ち着いた。
「同い年くらいのお客様なんて滅多にこないし、その、綺麗な女の子と、なんだかちょっと怖い感じのお兄さんとの組み合わせも不思議で、絵になるけどどんな関係なんだろうなあ、とか思っているうちに……。お客さんの事情に立ち入っちゃいけない、っていうのは分かってたつもりだったんですが、……本当に申し訳ありませんでした」
盗み聞きは気分の良いものではない。しかし田舎の宿での接客に、俺もティナも、そこまで大きな期待はしていない。
と、素直に伝えてしまうのはむしろ傷つけるか。実のところ、ここまでの旅路でもっとひどい村宿に出くわしてきているのだ。
「年頃の女の子としては気になるのも仕方ないし、今回は許してあげるわ。それより……あたしとヨースケが並ぶと絵になるって本当? というか、あたしたちの関係に目が向くってことは恋人とかいないのよね? さっきのオジサンは対象外としても、村に誰か気になる相手はいないの? 格好良い男の子とか、気になるお兄さんとか」
「えっ、えと、その」
「その反応。もしかして……」
話の雰囲気ががらりと変わって戸惑っているアイリーンに、ティナは畳みかけた。
罪悪感からか、あるいはティナの勢いに負けたか、アイリーンはしばらく目を泳がせて答えあぐねていたが、耐えきれなくなって頷いた。
「いえ、村にはいないんですが……その、そんな出逢いがあったときのために!」
「つまり、あたしたちの様子を見て、参考にしようと思った?」
「は、はいっ」
「なるほど。好みは、ここぞという場面で頼りになるタイプね? こう、優しさゆえに多少強引な真似もするし……不器用さの中に誠実さが見え隠れする、そんな年上。どう?」
「な、なんで……なんでそこまで」
名探偵ティナ誕生。
見破られて、言い当てられて、もはや嘘はつけないと観念したアイリーンは、だんだんと目を輝かせてティナを見つめるようになった。
「ふふっ。あたしに掛かれば、このくらい簡単に分かるわ」
「す、すごい……」
はいはい、さすティナさすティナ。
「俺、先に食堂に行ってるから……話が終わったら来いよ」
「こいよ……恋よ!?」
「そう、恋なのよ、ひとを好きになることは、つまり――」
ダメだ。聞いちゃいねえ。
いや、聞いた側からそっち系の言葉に変換されているらしい。廊下で始まったのは元ぼっちマスターティナによる純真な村娘アイリーンへの恋愛相談だった。
さも経験豊富そうに語り出したティナが、単なる耳年増に過ぎないことを、俺はよく知っていた。
これは長くなりそうだ。
俺は気配を殺し、その場を静かに離脱した。
熱っぽく語り合う二人から離れた隙に、スピカが言った。
「ご主人様、あれは放って置いて良いのでしょうか」
「……俺に聞くな」
「ですが」
思い浮かぶのは道中の馬車の無惨な様子。
一応、実行犯と思しきオーガゴブリンは退治したが、被害者にとっては遅すぎた。
「……他のことでテンションを上げられるなら、それに越したことはないだろ」
「ティナさんはそれで良いとして、ご主人様は……」
「ここの温泉に入って、せいぜいゆっくりするさ。俺も、今日は流石に疲れた」
「そう、ですね。……今日は、本当にお疲れ様でした、ご主人様」
「ちなみに魔導書って防水なのか?」
「ページが濡れて力が出ないよぉ、ということは一切ございませんからご安心を! とはいえ水没させられるのは少々困りますが……」
部屋に荷物を置いた際、表面を軽く拭いたスピカだったが、確かに紙のような手触りのページは、濡れてふやけたり、文字が滲んだり、といった様子はなかった。
「も、もしかしてワタシも温泉に連れて行っていただけると!? い、いえ、すでにご主人様にはスピカのすべてをさらけ出している間柄ですけれど、まさかご一緒させてもらえるとはっ! つまり裸のお付き合い……これはもう! もう……!」
「こないだティナが荷物を盗まれかけた事件を思い出してな。なるべくなら、スピカも目の届く位置に置いておきたいな、と」
「……ですよね。いえ、一時でも盗人ごときにワタシを触られたくないご主人様なりの独占欲の現れと見れば……それはそれでグッドです」
そんなこんなでティナを置いて、俺は食堂に向かったのだった。