第六話 『銅貨』
休憩を挟みつつ荒野を歩くことさらに数時間、何度となく馬車とすれ違ったり追い抜かれたりしたが、俺たちと同じ徒歩で行き来する者とはついぞ出逢わなかった。
理由は明らかだった。
だだっ広く、何も無い平坦な地面だけの荒野が延々続くのだ。
ハンターの街ネストンから魔法学園のあるマジカディアまでの道程には馬車も数多く運行している。
街から街へと繋ぐ遠距離馬車には護衛が同乗していることもあり、その料金は決して安いわけではないが、ボッタクリと言うほど高くもない。
交通費と考えれば、十分納得のいく金額だった。
つまり、ネストンからマジカディア間の旅程において、あえて徒歩を選ぶのは物好きだけなのである。
一般的な馬車による移動を選んでも、直通の急行と各駅停車の鈍行両方が用意されているため、途中の町村で降りるという選択肢も存在するわけだ。
「お金に困ってるわけでもないんだから、普通に馬車を使えば良かったのよ」
「物好きだってことは認めるけどな」
さすがにここまで似たような風景が続くとは思わなかった。
ハミンスからネストンまでの道のりは、雄大さを感じさせる自然があった。
荒野と言いつつ木々はちょくちょく目に入ったし、小動物の行き来もあった。
巨大な岩がゴロゴロと転がっている珍しい光景も見られた。
だが、ここまでの道程では野営地以外、語るべきことが思ったより少ない。途中で立ち寄ったウルル村の鍋料理が美味しかったことしか記憶にない。
「さっきの馬車の連中、物珍しそうにあたしたちを見てたわね」
「言うな」
目が合うと、窓際の客に指さして笑われて、若干腹が立ったのは事実である。大きめの屋根付き馬車で、俺たちを一瞬で抜き去っていったのだ。
実はその前にも小さな馬車に追い抜かれたが、そちらの客は俺たちの姿を認めると軽く目礼したり、窓から手を振っていた。
野営地で顔を合わせた相手らしく、その反応を記憶に留めていたことで、落差が大きかった。
「ちょっと失敗した気がしなくもない。悪いな、付き合わせて」
「気にしないで。マジカディアまでは一緒に行くって言ったのも、ヨースケの予定に合わせるって決めたのもあたしだし、それにあたしたちが徒歩じゃなかったら、あの野営地で起きたゴブリン――」
「そうですご主人様! ご主人様が徒歩を選ばなければ、あの野営地に大勢の怪我人が出ていたことでしょう! つまりご主人様の無意識の選択が窮地に陥るはずだった彼らを救ったのです! さすがご主人様!」
ティナの言葉をぶった切って、ポケットの中から大声で称賛が飛び出た。
スピカのフォローはありがたいのだが、発言前に、まずティナの顔色をチェックしてほしかった。いま良いこと言った、とドヤ顔する予定だったティナが、すごい顔で俺のポケットを睨んでいる。
「くっ、あたしの台詞を……っ」
「まあ、愚か者どもがどうなろうと構いませんが、きちんと礼を弁えた方々がひどい目に遭わなくて良かったのは確かです。ご主人様の言葉を借りるのならば、見捨てるのは寝覚めが悪い、というやつですね」
「ヨースケが全力で助けるのは、可愛い女の子限定みたいだけどね。……はっ、もしあたしが困ってたらヨースケは全力で助けてくれるということに……?」
「そうだな」
「……えと」
冗談で言っただろうティナに、真顔で頷くと、恥ずかしげに目を逸らされた。
「ちっ」
「スピカ、なんで舌打ちするのよっ! というか本なのに舌打ちって」
「けっ」
「ひ、ひどくない? 友達じゃなかったの、あたしたち」
「ティナさん。ご主人様に助けてもらえる言質を取ったその鮮やかな手口とか、自分で言い出しておきながらいざご主人様が頷くと照れて俯くそのあざとさが、一度は手にしたと思われた友情を粉々に砕く結果になったのです。自分の可愛さを鼻にかけやがって。猛省してください、あざといティナさん。略してあざといナさん」
「だ、だれがあざといナよ!」
必死に言い返していたティナだったが、何かに気づいた途端、半眼気味に、俺のポケットを余裕たっぷりににらみ返した。
「……あー。そう、そういうこと。嫉妬ね」
「わ、ワタシが嫉妬とか何がどうやって証拠ですかっ」
「語るに落ちたわね。スピカが荒ぶるのはヨースケ関連のことだけでしょうが! おおかた自分も可愛いって言って欲しいとか、そういうことでしょ! 違う?」
「スピカは魔導書ですから、そのようなことはございません」
「あからさまに誤魔化してるんじゃないわよ」
ニヤニヤしながらここぞとばかりに反撃するティナ。
こうしたやり取りに混ざるのは苦手だが、俺はスピカの名を呼んだ。
「スピカ」
「は、はい」
「声だけでも可愛いと思ってるぞ」
「は、はいっ。ありがとうございますご主人様っ!」
「あんまり気にするな。俺の相棒がスピカだってことは絶対の事実なんだし」
「で、ですよねっ。ワタシとしたことが、つい、あざといナさんという強力なライバル出現に無用の焦りを覚えてしまいました……そう、ティナさんはご自分でも言っていたように単なる友達でしかないわけで、ご主人様の唯一無二の相棒たるこのスピカの前では所詮ただの当て馬、よく言ってもサブヒロインに過ぎないのです……!」
ティナを見ると、微妙にふくれっ面をしている。
単なる友達、というのは道中でも口にしていた表現であるため、怒りを覚える理由にはならないはずだが、なんとなくスピカの言い方が面白くなかったらしい。
「そっちこそ毎日毎日ヨースケのことご主人様って呼んで、隙あらば健気さアピールしまくって、あざとさ炸裂の魔導書じゃないっ! あざといスピカ略してあざといカって呼んであげましょうか!」
歯に衣を着せぬ言い合いが始まることにも慣れてきた。
とかく女同士の友情は理解が難しいものである。
いや、人間と魔導書の友情よりは分かりやすいか。
「スピカはご主人様の愛のしもべだからいいんですぅーっ。ティナさんみたいに自分が美少女の自覚があるのに、普段はそれを意識してない……みたいな正当派ヒロインムーブとかしてませんから、誰に何の文句を言われる筋合いもありませんしー」
「何よ正当派ヒロインムーブって! スピカの言うことは、ときどき意味分からないんだけど……あ! ……えっと、その、別にヨースケのことが嫌いなワケじゃないから! むしろ……いえ、その、そういうことを考えるにはまだ早いというか、あたしの方にも色々と都合というか、心の準備が必要というか……そ、そういうことだから。好きは好きだけどまだ友達としてだから! はいはい、この話はやめ! ここまで!」
「……さすティナ、あざといナです」
無自覚に飛び出したティナの一撃で、スピカが言い負けた。
あたふたしながら言いつのるティナの手の動きやら赤らんだ頬や仕草も、実に無自覚である。うん。
二人と一冊で一斉に黙り込んで、しばらく早足で歩き続けた。
風景は変わり映えしないが、なかなか退屈はしない旅路であった。
それを報いと呼ぶには、いささか釣り合いが取れていない気もする。
昼空の下を歩き続けていたが、その光がだんだんと色を変えた頃合いに、歩く速度を速めようかと考えたところだった。
陽が落ちる前には最寄りの村に辿り着く。
そのつもりで進んできた俺たちは、空気の質が変わったことに気づいた。
風が湿っている。
少なかった雲がいつのまにか分厚く、堆い雲へと姿を変えていた。
夕暮れの空にしては暗過ぎて、一雨来そうな気配が近づいて来ている。風景の変化は望むところだったが、天候の急変までは求めていない。
「夕立が来そうだな……」
「急ぎましょ」
徒歩の旅で一番困るのは、こうした突発的な雨だった。
予め分かっていれば、出発を早めたり遅くしたりして多少の調整も効くが、突然の天気の移り変わりには手も足も出ない。
荷物の中には傘もないため、雨合羽を羽織って対応するしかない。
こうなると、街道から少し離れて屋根や大樹を探し、その下で雨宿りをするか、それとも濡れることを構わず進むのかを素早く決断しなければならない。
「ティナ。向こうに林があるが、どうする」
「あの大きさの木しかないんじゃ、雨除けとしては微妙ね」
ティナと相談し、今回は進むことを選んだ。
次の村には、あと一時間もしないで到着する予定だ。夕立である以上は長く降り続くとも考えにくいが、夜間の雨となると視界が効かなくなる危険を考慮に入れた。
ざ、と背後に砂が溢れるような音がした。
それから天気が崩れるまでは早かった。
まだわずかに明るさの残った、しかし大半が蓋をされたような窮屈で不穏な感じのする夕空から、大粒の雨が勢いよく零れ落ちて来た。
俺たちはなめし革の合羽を頭の上からすっぽりと被っていたが、その合羽の上に容赦なく降り注いでくる。
絶え間ない豪雨は見事なまでに視界を雨粒で占領し、俺たちの進行方向は白く煙って何も見えなくなった。
ただ、数メートル先は凄まじい勢いの大雨に閉ざされてはいるが、足下の色濃い道だけはなんとなく分かる。
街道上を進んで行けば、そのうちにどこかには辿り着ける。
俺が前に立ち、ティナがその後ろにぴったりとついて、ひたすら歩いた。
合羽越しに叩きつけてくる、滝と見まごうばかりの大量の雨の壁を、掻き分けるように進んだ。
前をまっすぐ向くには雨が邪魔すぎて、少しばかり俯いて歩くしかない。
「ティナ!」
「なに!」
「俺を雨避けにしてるだろ!」
「気のせいよ!」
大声で叫ばないと声も通らない。そんな雨に立ち向かうように、俺たちは足を動かし続けた。
露出している手や顔を雨が濡らして体温を奪っていく。豪雨は合羽の隙間から入り込んで、服を濡らして身体を重くする。
視界の片隅に映り込んだ夕空はいつしか真っ黒な雲に支配されていて、雨は益々その勢いと量を増していった。
びっしょりと水浸しになった合羽の内側は、全身湿っていて気持ち悪い。
べっとりと肌に張り付いた肌着やズボンのせいで、動きづらい。
それでも雨の勢いに負けないよう、必死に歩き続けて最低でも十分は経った。
三十分は経っていないくらいの頃、何かがつま先に当たった。
俺は足を止めた。雨は先ほどよりは幾分収まってきていた。
目を懲らし、足下を見た。そして前を向いた。
「わっ。急に立ち止まらないでよ……どうしたの」
何かが街道上に散乱していた。それは硬く、思ったよりも大きかった。
道端にごろごろと転がっているのは、人間の腕だった。
暗く滲んだ空から降りしきる雨の中、俺は近くにある転がったものを眺めた。
何本もの腕があり、足があり、胴体があった。
街道上であることを指し示す色違いの地面に、さらなる色が塗り重ねられていた。
おぞましい赤い液体が止まない雨に溶け出したかのように、俺の足下を、前方を、刻一刻と薄まりながらも大きく広がっていた。
そして雨に濡れて黒ずんだ大地に引き伸ばされていた。
「……これは」
「ヨースケ、警戒!」
ティナの言葉で我に返った俺は、周囲を見回した。
雨の中に敵影は見えず、代わりに少し離れた場所に横倒しになった馬車があることに気がついた。
見覚えがある形だ。
後ろから来て俺たちを素早く抜き去って、そのとき乗客が歩く俺たちを指さして笑った、あの屋根付きの馬車だった。
とすると、このバラバラ死体はあのときの乗客のものだろう。
部分の数を確かめると五人か、六人分くらいだった。
首は見当たらない。雨で鬱いだ気分をさらに低調にしてくれるものだ。俺たちが目にした乗客の数と合わない。
残りはどこに消えたのだろう。
視界を得るため合羽のフードを引き上げて、顔を雨に濡れるままにしたティナの、その金色の髪が張り付いている顔、その表情は嫌悪感よりも危機感の方が強い。
見える範囲にこの惨劇を作り出した存在が見当たらないが、どこかに潜んでいるかもしれない。
ロングスタッフを構え、俺と背中合せになって注意深く視線を彷徨わせる。殺された旅客たちには悪いが、悠長に同情したり埋葬したりを考えている余裕はない。
手足、胴体を両断したその手段は、おそらくは刃物。
剣か、斧か、なんにしても断面は滑らかで、躊躇が見えない。これは事故ではなく意図的なものだった。
「……ご主人様、馬車の裏側、死角に一匹潜んでいます……」
多少弱まったとはいえ雨はまだ勢いがある。その音にかき消されるほど小さな声で俺に囁いたスピカは、一匹、と表現した。
モンスターだ。
それも、近寄ってきた俺たちに気づいて、その身を隠す程度には知恵があり、そしてまた馬車に乗っていたはずの護衛の冒険者を殺戮せしめる実力がある敵。
「ティナ、敵は馬車の裏だ。馬車ごと狙ってくれ。俺は追撃に回る」
「了解」
ネストンダンジョンでの居残り金貨級退治、あるいはこの旅程での偶発的なフィールドモンスターとの戦闘を経て、だいたいの役割分担が出来ていた。
魔導士である俺の魔法は呪文のみで行使できる即時性と威力に利があり、一方でティナは多種多彩な属性魔法を使うことで場面に合わせた行動に繋げられる。
ティナが先手、俺が後詰め。これが一番合理的な連携パターンだった。
「世界を巡る風の王よ、荒れ狂う魂の叫びよ。我が求むる空より出でし、汝が怒りの声により、遍くすべてを薙ぎ払え。《風衝砲》」
速攻である。
詠唱後、ティナの杖先で渦巻いていた空気の塊だったが、いきなり爆発して一方向へと流れていった。
まるで雪崩だった。
雨によって巨大な爆風が視覚化され、一瞬だけ留まっていたそれが前方へと崩落したのだ。
ターゲットとなった馬車に吸い込まれるように暴虐の風が集中し、周囲の空間ごと向こう側へと押し流す。
「《氷狂矢》《氷狂矢》《氷狂矢》」
馬車は吹き飛び、その裏側に潜んでいたモンスターに直撃した。
直前でモンスターは回避行動を取っていたが、間に合わなかったようだ。その衝撃で行動が鈍っている隙に俺は追い打ちを掛けた。
時間差で氷矢射撃を三連発、最近使い勝手が良いと判明した三段撃ちである。正面から戦ったら危険だったことは、今の動きだけでも間違いない。
「……まだか」
やったか、と言いたくなる気持ちを抑えた。
モンスターは死ねばドロップを落とす。
逆に言えば、ドロップ品を落としていない、霧散していない状態では、まだ死んではいないことになる。
恐るべき生命力である。このしぶとさは、金貨級と思われた。
「あれって、オーガ?」
「オーガは赤い肌と聞いたが。……暗くて分かり難いが、あれって緑色じゃないか? 雨の中だから、違った色に見える……ってわけじゃないな」
「もしかしてゴブリンとか」
ティナの呟きは、普段ならそんなわけがない、と一蹴する内容だった。
しかし、異常なゴブリンを見たのはつい昨晩のことだ。目の前にいる推定オーガ、あるいは亜種ゴブリンはどちらとも判断つきかねた。
俺たちはその場から近づかず、敵が力尽きるのを待った。
敵の装備品は斧だった。
死にかけた緑色のオーガ風モンスターは、その場で残った生命力を振り絞り、諸刃の斧を支えに立ち上がって、俺たちへと襲いかかってこようとさらなる動きを見せた。
「《氷狂矢》」
致命傷を負ってすら、逃げることを考えず、殺意をみなぎらせていた緑肌の似非オーガの身体に氷の矢を突き立てた。
敵はそのまま動かなくなり、やがて死の重さに耐えかねたようにパシンと音もなく破裂するようにして霧散した。
残ったのは雨の音だけ。重苦しい静けさが漂う、雨の夜空に包まれたこの場所で、光源はティナのマジックライトだけだ。
俺の手持ちのカンテラはすでに明かりを消して後ろに置いてあった。
前方を明るくしてくれる魔力の光が、絶命したモンスターのいた地点を照らした。反射した小さく丸い輝きは金色にしては鈍く、赤がかっている。
「……嘘でしょ」
「ゴブリンだったみたいだな」
硬直するティナを尻目に、俺は今落ちたばかりのドロップ貨幣を手に取った。
拾い上げたそれは何の変哲もない、ゴブリンのドロップだった。
たった一枚の銅貨が、今の強敵はゴブリンに過ぎないと強調していた。




