第五話 『ルーティング』
初めての野営地の一泊を終えて、俺とティナは早朝のうちに出ることにした。
睡眠時間はあまり取れなかったが、足止めを喰らいそうな予感がしたのだ。
昨夜の騒ぎが影響したのだろう。
普段は早起きが基本の商人たちも、今朝はあまり精力的に動き出している様子は見られない。
それでも時間を惜しんだ何人かが、すでに出立する用意を始めているのを横目に眺めつつ、俺もテントを手早く片付ける。
テントを袋に詰め込んだ時点で、ここを出る用意は調う。
目指すはマジカディア。
街道を進んで行く場合、大都市マジカディアに辿り着く前に、まだいくつかの村や町を挟んでいる。
地図を見た感じ、この野営地から次の村まではまたしても距離があるが、早朝に出れば夕方には辿り着けるだろう。
こちらの作業が終わるのを待ってから話かけてくる者がいた。
近づいてくる姿は、思っていたより若かった。
体格の良さからすると冒険者だが、身綺麗にしているところを見ると商人、それも大店の御曹司にも思える。
「ビッテンルーナさんと、カゲヤマさん、でしたね。ウィンチェスター商会のフレッドと申します。昨日はお世話になりました」
「いえ。困った時はお互い様ですから」
フレッドに頭を下げられて、ティナも丁寧に返した。
「そう、ですね。ですが本当に助かりました。あの空気のままでは、いったいどうなっていたことか。私も驚かされました。ああした場の作り方もあるのですね」
ティナは困ったように微笑んだだけだった。
フレッドは目を細めた。
「ああ、すみません。一流の魔法使いである貴女に対し、まだ半人前に過ぎない私ごときが分かったようなことを言ってしまいました。ははは、私もまだまだ未熟です。父のようになれるのはいつになるやら」
「あたしのことをご存じで?」
「ラクティーナ=ビッテンルーナさん、ですよね。大魔法使いの弟子として名を知られており、一流冒険者としてめきめき頭角を現している……父が情報は力だといつも口にしておりまして、このあたりで活動している有力な冒険者の方々について、名前だけは頭に叩き込んであるのです。……お供を連れていらっしゃるとは知りませんでしたが」
俺は黙っていた。口を挟むのも何か違う気がしたのだ。
有名であることを喜ぶかと思ったが、ティナは誤魔化すように笑んだ。
「ひとつ訂正しておくわ。ヨースケに、あたしが頼んで同行させてもらっているの」
「……そう、でしたか。失礼を申し上げました。申し訳ない」
はっとして俺を見た青年に、ティナは頷いた。
「すみません。お引き留めしてしまって。……何かご入り用の際には、どうぞ我がウィンチェスター商会にご用命を。お安くできるどうかは約束できませんが、商品の調達には自信があります。機会があれば、お気軽にお声かけいただければ幸いです」
そして俺たちは野営地を後にした。
出発に気づいた者たちから頭を下げられたり、お礼の言葉を再度言われたりして、それにティナが手を振りながら応えつつ、軽やかな足取りで去っていく。
実に絵になる光景だった。
十分ほど歩いて、野営地からは相当な距離を取ってから、ティナが呟いた。
「ど、どうだったかしら?」
「何がだ」
「あたしの振る舞いよ! 初めての野営地での一泊だし、なるべく醜態をさらさないようにしなくちゃ、って必死に頑張ったんだけど!」
ロングスタッフを胸の前でかき抱いて、ティナは大きくため息を吐いた。
「もしかして、それもイメージトレーニングしてたのか?」
「そ、そうよ! 悪い? あんなに想定通りに行くなんて思ってなかったから、むしろあたしが吃驚したわよ! 何よ、ゴブリンの大群が突然攻めてくるって! そんなの普通は無いはずでしょ! 聞いたことないわよ! 一応想定してたからそんなに動揺しなかったけど、しかも魔法抜きだと手に負えない数だったし、あそこにあたしやヨースケがいなかったらどうなってたか。それに何よ、あの商人たち! あそこは自分たちで持ち寄った食料なんかを供出して場を盛り上げつつねぎらいの言葉を語りながら一緒に苦難を乗り越えた皆のために大盤振る舞いする場面でしょうが! あたしに大金払ってどうすんのよ! 一日くらいいがみ合うのを抑えなさいよ! おかげで買い物する気もなかったのに荷物が増えちゃったじゃないっ」
どおりで。
妙に格好付けているというか、対処にそつがないと思った。
出番を待ってから魔法を放つ完璧なタイミングや、事後の商人への対応といい、綺麗にまとめすぎていた。
さすティナと一度は思ったが、いつもよりも手際が良すぎて違和感があったのだ。
「突然テロリストが学校に襲撃をしてきて仲間が人質に取られたとか、銀行強盗が現れて銃を突きつけられた場合にどこから抜け出すか、みたいな想定か……」
「よくあることなら対処法も大体分かるけど、滅多にない事態だからこそ先んじて事細かに想定しておかないと。ヨースケはしないの?」
非常に頷きがたいが、しぶしぶ頷く。
ティナもうんうんと勝ち誇った顔だ。
学校にテロリストが! な例ならば、まずドアや机を盾にして銃撃から身を守り、死体を確認しようと入ってきた敵に椅子を投げつけて、といった手順の確認だ。
単なる中二病と違うのは、ここには魔法が実在し、元の世界では考えられない超人的な身体能力まで存在している点だ。
ならば妄想乙、とは言われまい。
「冒険者ギルドに飛び込んできた賞金首に職員が人質に取られて、たまたまそこにいた冒険者同士を殺し合いさせたり、ギルド長の身柄を要求されたりする危険性……あとは、魔王の部下みたいなモンスターが街中に突如として出現することだってありうるわけで、その場合は忍び寄ってこっそり背後から一撃で倒すとか、地下水路を伝って市民を逃がすとかもしなくちゃいけないわけで……」
「いや、まず無いだろ」
「滅多にないだろうけど、たまにはあるわ! 今回だってあったでしょ!」
それを言われると弱い。
モンスターが近寄らない野営地に、普段は群れても数匹単位のゴブリンが百を超す大群が攻めてきて、しかも不可解に強かったり連携まで取っていた。
一つ一つは稀にあるかもしれないが、三つが同時に揃うと異常事態である。あの場にいる誰もが戸惑っていたし、その原因について思い当たる者はいなかった。
「……まあ、なんだ、お疲れ様」
「ありがと」
突発的な事態はあったが、総合で見れば十分に順調な旅路だと思う。というか、行く先々でトラブルに巻き込まれることは当然である、という気がしてきた。
騒動に慣れすぎるのも、良くない傾向かもしれない。
そんなこんなで野営地を離れてから数時間、だだっ広い荒野をまっすぐ突き抜ける街道の上を歩いている。
俺はティナを横目で盗み見た。
他に比べる魔法使いをほとんど知らないが、ティナは魔法使いとしても冒険者としても自称の通りに一流であるのは間違いない。
しかしぬぐい去れないぼっち臭ゆえに、その活躍は極めて限定的であったと思われる。
彼女の真意はどこにあるのか、俺には判断が付きかねた。単に仲良くなったから離れがたい、などという子供じみた理由ではあるまい。
だが、他に俺と一緒に行動したがる必然性を思いつかない。
馬車の倍以上の時間と労力がかかるスローペースだし、旅行気分であるため寄り道や滞在なども気まぐれに割り込むと表明済みだ。
わざわざそれに付き合うティナも、相当な酔狂であると言わざるを得ない。
横を歩きながら鼻歌を歌いつつ、背負ったロングスタッフが、楽しげにひょこひょこ揺れている。
「ちょっと! 今あたしを見て何か妙なこと考えなかった?」
「気のせい気のせい」
「ならいいけど」
疑わしい視線から逃れるように、俺は手にしたスピカに向き直る。
ティナは叩いて伸ばした棒状の干肉を取りだすと、はむっと噛んで、強すぎる塩気に涙目になった。
俺もそれに倣った。
そろそろ昼過ぎだった。
いま歩いている道も街道上ではあるが、モンスターの襲撃に対する警戒を普段より強めている。
野営地での大襲撃があったばかりだ。ゴブリン以外も活発に動いている危険性も考慮に入れる必要がある。
今のところ平和だ。
陽射しは強く、空は真っ青。
開けた視界には昼過ぎの明るさが降り注いでいる。
平時であれば、街道から少し離れたあたりに、ワンダリングモンスターの姿も見えることがあるが、それすらない。
無人の荒野を行くが如しである。
街道沿いを行くデメリットもある。
モンスターと同じく、野生の動物もこのルートには近寄ってこないことだ。
果樹などを探す際も街道を逸れなければ見つからず、おかげで食料を現地調達するのが難しい。
やたらと硬い黒パンや干肉は買い込んであるが、そればかりだと飽きる。肉の塩味が残っているうちに千切ったパンを口に放り込み、そのまま水筒に口を付ける。
柔らかくなったパンと肉を一緒に咀嚼して飲み込んだ。
「鳥かウサギでも寄ってこないかしら。そろそろ新鮮なお肉が食べたい」
ティナが目を細めて、周囲を見回した。
「モンスターが食えたら楽なんだがな」
「死ぬと霧散しちゃうんだし、トドメ刺す前に噛みついてみたら? グレボーなんかは猪の魔物だし、癖のある肉だろうけど食べられるんじゃないかしら」
「生肉はちょっと……あと、モンスターの直喰いって、身体に悪そうじゃないか?」
「火炎系の魔法で焼けばいいでしょ。ああ、でもそうね。そのまま食べたらマナ中毒一直線かもしれない。……浮遊マナ耐性の強いヨースケなら、問題無いだろうけど」
「食べたあとにトドメを刺したら、胃の中に入った肉は残るのか? それとも一緒に霧散するんだろうか」
ティナが嫌そうな顔をした。
街道、という言葉が大まかに指し示すのは、特定のルートに沿った道筋である。
舗装されている場所は少ないが、赤茶けた地肌とはしっかりと色が異なっており、この経路に従う限り人里の合間ではぐれることはまずないと言って良い。
ちょうど馬車二台か三台程度が横に並んだ程度の横幅があって、馬車同士が街道上ですれ違うことも可能だった。
野営地も同様にそのルート上にある。
ゲーム風に表現するのなら、モンスターの出現率が非常に低い場所となるだろう。
あくまで出現率が低いだけで、街道上でもモンスターと遭遇はありうるし、横から襲撃されることも無くはない。
だからこそ、大金を払ってでも護衛の冒険者が求められるわけだ。
あるいは街道に沿わずに地図上の最短距離を突き抜けても構わない。
安全と速度を秤に掛けるのは自由だし、運が良ければモンスターに襲われずに旅程を短縮出来るだろう。
但し、その無茶に付き合ってくれる護衛がいるかどうかは、また別問題である。
なお、百匹超のゴブリン軍団が襲撃してくるのは普通はありえないらしい。ただ、ありえないはずのことが起こる、というのは俺もティナもネストンで経験済みである。
以前はダンジョン内の異変、今回はフィールドという違いはあるが、まさかまたコッペリアの暗躍じゃなかろうな、と不安になった俺は、まずスピカと相談した。
「ご主人様の心配も分かりますが、今回は関係無いのでは?」
「その根拠は」
「コッペリアの目的は、仲間というか、同族というか……意思在るマジックアイテムの望みを叶える、というものでした。……ゴブリンを嗾ける必然性が見当たりません」
「だが、あいつはアンジーにグレボーの大群を突っ込ませたぞ」
「それも目的ではなく手段です。アンジーさんを見つけるために、グレボーの特性とやらを利用した、と。……今回のゴブリンの大襲撃というか、集団暴走は……特定の誰かを狙ったり、何かを探していた風ではなく、ただそこにいたから襲ってきただけ、という感じですし、コッペリアのやり口とは違う気がするんです」
なるほど。スピカの言う通りかも知れない。
話の内容が危機管理だからか、普段のはしゃいだ感じは少なく、スピカの声のトーンは落ち着いていた。
ぼっち臭の無いティナと同じで、スピカが真面目すぎると調子が狂う。
「アンジーにはさん付けで、コッペリアは呼び捨てなんだな」
「ご主人様と引き合わせてもらったことには感謝しますが、その正体を知った今では、さん付けする気にはなれません。コッペリアは状況によってはご主人様に害を為す可能性が高い存在ですから」
「意外と融通が利きそうに見えたが」
「前回はご主人様やアンジーさんは目的達成における協力者であって、排除すべき障害ではなかったからです。敵と認識された場合、自動人形は脅威ですよ。普通の人間ではしないような手段や行動に出かねません。そして転移能力持ちは非常に厄介です」
「割と警戒してるのが意外だったな。スピカのことだから、多少なりとも同族意識があるのかと。それに、コッペリアの方からは好意的だったんじゃないか」
「出所というか、大本まで辿れば同じような括りでしょうが……ワタシからすると兄弟家族といった感覚はありません。人間で言えばせいぜいが同郷、同じ村の出身くらいの親近感と表現するのが近いです。遠縁のお姉ちゃん、みたいなもんです」
「世話になったし嫌いじゃないけど会うのは面倒?」
「さすがご主人様、的確な表現です」
そう褒め称えるスピカの口調は淡々としていて、少し歯切れが悪かった。




