第一話 『野営地にて』
「では、どんなつもりで先ほどのご提案を?」
簡単には納得しませんよ、と重なって聞こえるようなスピカの声だった。
ここは野営地。
街道に沿って設営された、それなりの広さを確保された区画である。
イメージ的にはキャンプ場が近いだろうか。
森の中にぽっかり空いていることもあれば、荒野の真ん中や、岩場に囲まれていることもある。
どの場合でも共通するのは街道上にあること、そして適度に整地されて砂利などが無いことだ。
均された地面があるおかげで、テントを拡げて休むのに丁度良い。
早朝のうちに出発したのだが、ちょくちょく休憩を挟んで一日中歩きずくめ、だんだんと空が暮れ始めた頃合いに、この場所に辿り着いたのだ。
「すごい人数ね。こんなに集まるもんじゃないと思うけど」
「そういうこともあるんだろ」
遠目にも似通った格好ばかりが集まっていた。野外に大勢が揃っているのを見るのは珍しい光景だが、どこかに既視感もあった。
見ているうちに理解した。場所としてはキャンプ場だが、人間の動き方としては高速道路のサービスエリアだ。
長旅の途中の休憩や車中泊をするために確保された場所。
それが野営地に求められた機能だった。
一声に野営地といっても、しっかりしたコテージが存在することは稀で、基本的には火をおこしたり水場が整えられているだけの、少し拓けた場所に過ぎない。
そこにめいめいテントや馬車を置いて、休息を取ったり宿泊したりをすることになる。
目の前には大きさも色合いも質も不揃いのテントや馬車が、申し訳程度に区切りを設けて、そのグループごとに話し合ったり腰を下ろしたりしている様子が窺える。
そうした場所の周囲では、目ざとい商人たちが商機を逃さず売り物を、あるいは旅人達が不要品を持ち寄ったり小銭稼ぎするため、小さな市場を開くこともあった。
様々な人との触れ合いは旅の醍醐味、と言う向きもあるが、俺は希有な魔導士である事実とスピカの存在、ティナはぼっち歴の長さが災いして、初対面の他人とすぐさま積極的に交流することは躊躇われた。
ティナに言わせれば、こうした野営地には手癖が悪い者もいるのだと、当然に警戒もする。
寝静まった頃に動き出す悪い鼠は、見た目だけでは他と区別が付かない。一流の冒険者たるもの余裕を持ちつつも、警戒を怠ってはならないとティナは嘯いた。
「でも、それは同じテントで寝泊まりする理由にはならないだろ」
ティナのした提案に、俺は首を横に振った。
スピカが牽制していたのは、俺が持ち運び用の簡易テントを設営していたときに、ティナが一緒に入ると言い出したからだ。
自分用のテントも荷物として持っているにもかかわらず、である。
ベッドを共にするのとは意味が違うが、それでも狭い空間に男女が収まるのは若干抵抗がある。
しかしティナはそうした心づもりや覚悟は無く、ごく単純に旅の仲間がするような身を寄せ合ってたき火でも眺めながら一晩を過ごす、をイメージしていると思われた。
「ふふん、ヨースケ分かってないわねえ! 人間、寝ている瞬間は誰だって無防備なものよ! いくら大勢の目があるといっても、誰かが常に周囲の様子を見守ってくれるわけでもないわ! 誰が信用出来るのかも分からない場所で一人で眠るのは危険でしょ! そう、あたしは当然の提案をしただけよ!」
確かにティナの言う通り、二人以上いる場合、夜の野外では同時に睡眠を取らず、火を焚きながら肉食獣やモンスターの接近を見張るのが普通だ。
そうしてお互いを信頼し合うのが旅の道連れとなった者同士の野宿における一般的な手順である。
ティナの提案に一理がないわけではない。
実のところ、ネストンを出てからここまで、野宿の必要がほぼなかった。
暗くなった頃には次の小さな村に辿り着いて、そこで宿を取れていたのだ。
「パーティを組んだ二人は一緒のテントで膝を突き付け合わせて、一人は横になって眠くなるまで、との条件で夜通し語り合うの。そして『いいわよ、先に寝ちゃってもらって。あたしは後で交代してもらうから』とか、『もうすぐこの旅も終わるわね……あら、もう寝ちゃった?』みたいなベタな台詞を口にするのよ。くぅっ」
パジャマパーティーに憧れを持つ乙女のように、小さく拳を握り込んで、どういうわけか若干興奮しているティナに、俺は嘆息で答えた。
「すまん。俺にはスピカがいるから」
「ティナさんティナさん。ワタシは睡眠を必要としないので、ご主人様の側に不届きものが接近したらすぐに気づけます。ティナさんは不寝番が必要かもしれませんが、ご主人様にはこのスピカがついているのです。ふふふ……目論見が外れて残念でしたねっ」
周囲の様子がだいたい把握出来るスピカがいれば、俺にとっては宿の一室とあまり変わらない。
なおスピカがどうやって周囲の把握をしているのかは若干の謎である。
「え、ヨースケ、まさか周囲の警戒を全部スピカに任せてるの?」
「寝てるときはな」
「本当に信頼してるのね」
「信頼というか」
「魔導士と魔導書は一心同体、一蓮托生ですからね! ワタシとご主人様の絆はティナさんごときでは割り込めない、それはそれは深くて硬くて輝かしいものなのです! たかが一時的にパーティを組んだ程度でご主人様と枕を並べて眠ったり、枕話を交わしたり、抱き枕にしたりされたりしようなどとは片腹痛いですね! ワタシには片腹どころかお腹すらありませんが!」
「いや、誰もそこまでしたいとは言ってないわよ。だいたい何よ、枕話とか抱き枕とか。……え、いや、そういう意味!?」
「ワタシはされておりますが。枕にされたままお話したり、抱き枕にされたり」
「ああ、そう」
「おやおや、ティナさん。いったい何を想像されましたかねー?」
一瞬だけ顔を赤くしたティナだったが、呆れた顔で肩をすくめた。この腹黒本、と小さく毒づいている。
「誰が黒本ですかっ! そこまで言われる筋合いはありませんっ!」
「な、なによいきなり怒って。違うわよ。腹黒本って言ったの」
「……それならまあ」
「え、そっちならいいの?」
目を丸くしているティナをよそに、俺は首をかしげた。
「背中はあるのに腹はない。不思議だな」
背表紙、という言葉はあるが、腹表紙とは言わない。言い得て妙である。
「さすがご主人様、目の付け所が違います。一方、魔導書なので目がないワタシはご主人様に目が無くて、ついでにティナさんの望みにも目が無いですね」
「上手いこと言ったつもり?」
騒ぐ一人と一冊を余所に、俺は嘆息して作業に没頭するのだった。




