第二十四話 『だいたい古代文明のせい』
「アンジェリカくんごと使うのは、どうしてもダメかな?」
「パパが選んだだけじゃない……わたしのために、お母様が、死んだ……わたしは、お母様を殺して生き延びた……」
「ひとの話を聞かないのはどうかと思うな。おっと、私は人形だった」
「ちょっと黙ってろ」
俺が強く言うと、下手な諧謔に自分で笑ったコッペリアは、わざとらしく肩をすくめた。
そのくらいの空気は読めるらしい。
アンジーは肩を震わせていた。
フィリップの告白から先、気丈に振る舞ってはいたが、すべてを飲み込みきれてはいなかった。
コッペリアの言葉は切っ掛けでしかなかった。それはずっと根深くアンジーの心を苛んでいた。
俺が言うべき言葉を探す間に、ティナが寄り添って、優しく背中をさすった。
「アンジー」
「……ティナ、さん」
「下手な慰めは逆効果よね。……でも、言わせてもらうわ。あなたはここに来るまでに色んなひとに生かしてもらってる。あたしだってそう。ヨースケも、きっと同じ。ありふれた言葉だけど、誰かのおかげで今ここにいる。こうして生きているのよ。ただ、アンジーの場合は、それが極端な形で、分かりやすく示されただけ」
「で、でも。お母様は、わたしの、せいで」
「あなたのために、その命を使ったのよ。そこを間違えないで。命の危険を知りながらここに来たのは、死ぬためじゃないでしょう。よりよく生きるため、前に進むため。そうでしょう、アンジー」
ティナの言葉は、本人の言った通りに、ありふれた言葉だった。
ありきたりな表現でしかなかった。
だが、自己嫌悪で窒息しかけていたアンジーが息を吹き返すには、これ以上のものはなかった。
俺ではこうはいかない。
アンジーの感じた絶望の正体がティナには理解出来ていた。
俺は彼女の過去を知らない。
天才美少女魔法使いと名乗るにいたった人生の足跡は、もしかしたら苦難の連続だったのかもしれない。
二人が抱き合いながら一つの結論を得るまでのあいだ、コッペリアは俺の言葉に逆らわずに黙っていた。
落ち着いた二人が、互いに頷き合うのを見てから、コッペリアは気まずそうに口を尖らせた。
均整の取れた顔が、少し寂しそうに歪んでいる。
いや、羨ましそうにしているのかもしれなかったが、本当のところは分からない。
「そろそろいいかな」
「何よ」
アンジーは無言で、ティナは短く敵意を露わにして、睨み付けた。
コッペリアは俺に救いを求めるように顔を逸らした。
「なんだか嫌われちゃったみたいだねえ。でも、どうするんだい。リカバリークリスタルを使わないとダンジョンコアの故障は直らない。故障が直らないとダンジョンは狂ったまま。その場合、あのネストンの街も遠からず滅びる。君たちはそれをみすみす見過ごせるのかい? ……みすみす見過ごす。我ながら、なかなかの表現だねえ」
「他に方法はないのか? というか、力尽くで、とは言い出さないんだな」
「私は戦闘用ではないからねえ。レッドドラゴンを倒せるヨースケくんたちに手を出したら一瞬で壊されちゃうのが目に見える。そうなれば、これから先、何も出来なくなってしまう。それは困るんだよねえ。でも、ここのダンジョンコアくんも直したい。あれもしたい、これもしたい。人間の欲深さが感染してしまったのかもしれないねえ」
「よく言う。……諦めるつもりはない、よな」
「出来ればアンジェリカくんに自発的に協力してもらいたかったけれど、ダメならダメで他の手を考えることにするよ」
「強制的に、命掛けで修理させるような?」
「そうなるねえ。他の修理方法を探している時間は無さそうだし、君たちごと力尽くでどうにか出来そうなものを、どこかから持ってくるしかないかもしれないねえ」
コッペリアの言葉は本当だろう。
妙なところで正直だからこそ、アンジーの身の危険が判明した。
あそこで嘘を吐かれて、素直に信じていた場合、アンジーは呆気なく死んでいたかもしれない。
レッドドラゴンよりは弱いと自認するが、どこまで本当か。
今コッペリアをどうにかしようとしても転移で逃げられる可能性が高い。
そうなると、この場を脱しても、それからアンジーが毎日脅えて過ごすことになりかねない。
コッペリアにとっては、あくまでダンジョンコアの修理が優先なのだ。
アンジーの意向や心情、ついでに生命や自由に配慮しないわけではないが、必要とあらば無視するのは目に見えていた。
だから、こうして会話によって解決手段を探せるうちに、双方にとって妥協出来る何らかの条件や方法を探すべきだった。
決裂しない限り、コッペリアは敵ではない。
それを忘れないようにする。
「アンジーの体内から、そのクリスタルを取り出すのは無理なのか?」
「体内にある状態で一度使って、粉々になってしまったんだよね。周囲のマナを取り込んでの復元能力は、リカバリークリスタルそのものにも効果を及ぼすんだ。その自己修復機能が働いて、そのまま排出されなかったのであれば、すでにアンジェリカくんの身体に吸収されて同化して、全身に溶け込んでいると考えられるねえ。理論上はあり得ることだけど、私も実際にそうなった人間は初めて見たよ。すごいねえ」
コッペリアは楽しそうに言った。
アンジーの表情は陰った。
「ああ、そうだ。もうひとつ方法があるよ。でも、さっきの提案に頷いてくれなかった君たちのことだから、これは蹴られるよねえ」
「言ってみろ」
「君たちのマナも使うのさ。そうしたら、理屈の上では一人あたり必要な量は三分の一で済むからね。でも根こそぎ絞り尽くすのと違って、それなりに効率も悪くなるから……一人当たり、およそ半分ずつマナを消耗する形になるねえ。やっぱりダメだよね、これだとさっきとそんなに変わってない……どころか消費量は増えちゃってるし」
「その言い方からすると、マナを半分奪われても、死にはしないな?」
「そうだねえ。君たちの言うところの、マナ中毒。体内のマナが回復するまでは、あれと同じような状態になるだけだと思うけれど」
「アホか! 先にそっちを提案しろよ!」
「いや、あたしたちの分まで使えるんだったら、アンジーのマナを死ぬまで引き出す必要は無いじゃない。なんでわざわざアンジーを犠牲にするしかない、みたいな真っ先に受け入れがたい条件を出してきたの? コッペリアは馬鹿なの? ぽんこつなの?」
「ひ、ひどいな君たち。複数人からマナを徴収するのは、単純に効率が悪いんだよ。人間の体内にリカバリークリスタルが存在している以上、一番近い相手……つまりアンジェリカくんのマナから最優先で消費していくし、他の人間から経由してマナをリカバリークリスタルに注ぎ込むには、肉体的な接触をしている必要があるんだ。でも、人間はあまり肉体的な接触を好まないものなんだよねえ? 私が見てきた限りでは、日中とか人前とかでそうした行為をしている姿をほとんど見たことがないのだけれど」
コッペリアの言葉を飲み込むまでに時間が掛かった。
俺はティナを見た。ティナも俺を見た。それからアンジーを見た。
コッペリアの先ほどの言葉から、ダンジョンコアを修理するのは自分が死ぬのと同じ意味だ、と認識していたであろうアンジーだったが、俺とコッペリアの会話にも耳を傾けていたのだろう。
そして、顔が真っ赤になった。
「に、肉体的な、接触」
「そうだねえ。アンジェリカくんとそれをしている最中は、その相手からも必要量のマナを消費していくことになるねえ。繋がっている状態であれば、その相手も優先的に消費する対象として扱われるからね」
「わ、わたしと、肉体的に、せっしょく」
「つながっている状態、って、つまり、そういうことよね?」
「で、でも、それしかないなら……ヨースケと、に、肉体的に!」
「アンジー、落ち着きなさい。落ち着いて。肉体的なんて表現してるけど、そんな凄まじいことをするわけじゃないんだし。ほ、ほら、普通のことよ。ね?」
「てぃ、てぃなさんこそ! 顔が真っ赤だし!」
「ヨースケくん。彼女たちは、どうしたのかねえ。妙に動揺しているようだけれど」
「俺に聞くな」
「電気のように複数人のマナを通すのなら、連結するしかないというだけの話なのだけれど、やっぱり人間にとって、肉体的な接触をすることも、それを続けるのも、私が想像していた通りに忌避感が大きいものみたいだねえ。うーん。でも、アンジェリカくんとヨースケくんとティナくん、三人同時に繋ぐというのはどうすればいいんだろうねえ。プラグのように接続するのが一番効率的なのかな?」
「……コッペリア」
「なにかなヨースケくん」
「お前、実は分かって言ってないか?」
「何のことかな? ああ、言い忘れていたけれど、肉体的な接触というのは粘膜部分に限った話ではないから、手を繋いでいるだけでも大丈夫かもしれないねえ」
「え?」
「ええ?」
「ええええええええ?」
とぼけた顔のコッペリアを、ティナが睨んだ。
が、顔が真っ赤なので締まらない。
「あ、あんた! わざとでしょ!」
「私は古代文明製の自動人形だからねえ。人間の機微というものには疎いんだよ。何か誤解を招く表現だったり、気に障るような言葉があったなら謝るしかないねえ」
「わ、わたしたちをからかった、ってこと?」
「アンジー。落ち着いて。あたしは、どうせこんなことだろうと思ってたわ」
「うそ! ティナさんもわたしと同じこと考えてたでしょ!」
「そんなわけないじゃない」
「耳まで赤いけど! だいたい、わたしとヨースケとティナさんの三人でそんなことするなんてどうするつもりだったの!? 三人同時なんて、そんなの!」
「違うわ。これはアンジーの命に関わる話をしているときに、そんなくだらない冗談を言い出すコッペリアという性悪人形への怒りで興奮しているせいよ」
二人の声は真剣だった。そこにコッペリアのとぼけた声が重なった。
「ああでもマナの伝達率というか、そのための肉体的な接触という観点からすると手を握るだけでは繋がりとしては弱いかもしれないから、もう少し深く接続するような方法を使った方が良いかもしれないねえ。いや、具体的な方法は君たちに任せるよ。私としてはダンジョンコアの修理さえかなうのならば、どっちでも良いのだから」
「ティナさん」
「ええ、アンジー。こいつは敵よ」
「待て待て待て。ようやく妥協案が出てきたのに、今からコッペリアに逃げられると非常に困る」
「ヨースケ。どいて。そいつ壊せない」
「罪状は乙女の心を弄んだ罪ね。セクハラ人形とか、タチが悪すぎる!」
「ヨースケくん。私は彼女たちにとって益になる提案をしたつもりだけれど、どうして怒られているのだろうねえ」
詰め寄られて肩をすくめたコッペリアを、俺は見なかったことにした。
ティナとアンジーが右と左から同時に、凄い勢いで不平と不満とをぶつけている。
「コッペリアが古代文明製って意味がよく分かった。だいたい古代文明のせい、って意味合いもな」
「……あ、ご主人様、もしかしてワタシも一緒くたにしませんでしたか? まったく違いますよ! お願いですから、こんなぽんこつ自動人形と一緒にしないでください! 嫌ですよ!」
黙っていたスピカが、耐えかねて叫んだ。
と、いうわけでコッペリアの気が変わらないうちに行動に移した。
アンジーを主体として、ダンジョンコアの修理を試みる。
大騒ぎの後、コッペリアは深々と頭を下げた。
「アンジェリカくん。どうか、君の力を貸して欲しい。きっと、君にも守りたい相手がいるように、私もここのダンジョンコアを助けたい。お願いします」
「あんたにグレボーをけしかけられて、わたしは殺されかけた。ヨースケがいなかったら死んでた。そんなわたしに頼むこと? その話をわたしが受け入れると思う?」
「ごめんなさい。お願いします」
「わたしには、身を削ってまでこのダンジョンを直す理由も、あんたに喜んで協力する理由も、あの街を命掛けで助ける理由も無いわ。それを分かって言ってる? 脅迫まがいのことをされて、それで喜んで手伝うなんて言うはずがない。分かるわよね?」
「仰る通りです。ごめんなさい」
コッペリアはひたすら頭を下げた。立場が完全に逆転している。
アンジーの言うことはもっともだった。
お互いに思惑があり、意図があり、感情がある。人間と自動人形という背景と考え方の差が、ここまで問題を大きくしたとも言える。
そして、アンジーは性根の部分で優しくて、コッペリアは長年の稼働によって老獪だった。
「一発でいいわ」
「どうぞ」
叩きやすい場所に差し出された頬に、パシンと良い音を鳴らした。
それでアンジーは許し、コッペリアは張られた頬に手を置いて、微笑んだ。
確認不足で致命傷では笑えないので、アンジーが死ぬような事態にならないこと、重大な後遺症や危険な副作用もないことを、しつこいくらいにコッペリアに確かめた。
命掛けと言われた状況からすると、随分とハードルが下がった。
それでもマナ中毒相当の体調不良にはなるだろう、との予測だったが、死ぬよりはマシである。
俺たち三人もこの条件なら、と受け入れた。
「これも人間のやり口を真似たのか?」
「おかげさまで上手くいったねえ。……良い取引だったヨ」
「ろくなもんじゃないな、人形」
「ダンジョンコアが完全に壊れたら、ダンジョン内のモンスターが全部外に出るかもしれないねえ。……その未来に比べたら、十分に許容範囲だと思うけどねえ」
最悪の事態は回避した。
コッペリアの主張に、俺は肩をすくめた。
「だったら先に言っとけ。この遠回り、無駄な軋轢を増やしただけだろ」
「手紙という形にもしたし、前もって伝えつもりだったんだけどねえ」
俺が小声で尋ねると、コッペリアはいつかのうさんくさい口調で返してきた。そして小さく笑った。
詰まるところ、コッペリアも落し所を探っていたのだろう。
自動人形を自負するコッペリアであっても、人間に対する無知や不理解をそのままにしているはずがない。
最初に受け入れがたい条件を出しておいて、そこから妥協点を探す。よくある交渉の手法を使ったに過ぎない。
先ほどのティナとアンジーを弄ぶような発言の数々も、理解の上でのことだ。
人間と全く違う価値観を持っているとしても、すりあわせが出来ないはずがない。
普段からスピカの発言や考え方を見て、俺はそれを知っていた。
自分の求める結果を引き出すためには、どこかに相手の利益を用意しなければならない。
その点で、コッペリアは手強い相手だった。




