第二十三話 『機械仕掛けのなんとか』
目の前にいるのは黒ローブ。
何も無い玄室の真ん中に、ぼんやりと佇んでいた。
見間違えるはずもない、あの都内の路地裏で遭遇した謎の存在だった。
俺がスピカと出逢った……いや、黒い魔導書を手に入れた契機でもある。
電車賃を残してほぼ全財産で、あのとき黒い本を買った日が、随分と遠く感じる。
すべてはそこから始まったのだ。
ただ、懐かしく思うには、出くわした状況が少々特異に過ぎた。
どう見ても、手放しでは喜べない事態だった。
俺にとっては、ここにいることは、あまりにも想定外の相手だったのだ。
「……ヨースケの知り合い?」
「アンジー。近づかないで」
ダンジョン最下層の玄室だ。手紙に記されていたこの場にいる以上、黒ローブがネストンの異変の関係者であることは間違いない。
ティナはアンジーを庇うように前に出て、いつでも事を構えられるように杖を握り直した。
「うん? ああ、君たちがこの場所を訪れたということは、入り口を塞いでいたレッドドラゴンを撃破した、ということだねえ。それは大変素晴らしい」
「聞きたいことは山ほどあるが……あんたは、ここで、何をしている?」
「何と聞かれても困るのだけれど、あえて言うなれば、君を……いや、君たちを待っていたと答えるべきだろうねえ」
初めて遭ったときには全く意識しなかった。
あるいは、出来なかったが、黒ローブの声は実に中性的だ。
所作からも性別が分からない。
目深に被っている黒いフードの奥の顔も暗くていまいち判然としない。
だが、影男のように全身が影で構成されているわけではなく、実体のある人間、だと思われる。
性別不詳、正体不明、目的も実力も分からない謎めいた存在である以上、どうして良いものか対応に困るのは事実だ。
「あんた、俺たちがここに来た理由は分かってるんだろ」
「ネストンダンジョンの異変を解決しに来た、で合っているかな。とすると、そこの少女がアンジェリカ=エメルデアくんで相違ない?」
確認を取った以上、顔と名前が繋がっていなかったことになる。
この事件における黒ローブの立ち位置が分からない。
レッドドラゴンを認識していたことや、その撃破をむしろ喜んでいる素振りを見せたこと。ここでも謎が増えた。
ここまで来てアンジーを隠していてもらちが明かない。
俺は頷いた。
黒ローブは得心がいった、とばかりに胸の前で手を叩いた。
「じゃあ、私の仕事はあと少しだ。思ったより早かったねえ。やっぱり、最善を尽くす努力は惜しんではダメだね。かけた手間は結果として戻ってくる。うんうん、やっぱり人間というのは素晴らしいねえ」
「……あんたが何を言っているのか、まったく意味が分からないんだが」
「ちっちっち。私のことは、コッペリア、と呼んでほしいねえ」
黒ローブ改めコッペリアは、大げさに指を振って、己の名を明かした。
「じゃあコッペリア。さっさとこの厄介な状況を止めてくれないか。手紙に書いてあった通り、アンジーはここに来た。条件はそれしか書いてなかったはずだ」
「そんなこと言われても困る。私には何も出来ないよ。そんな権限はないからねえ」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。ネストンの異変を止めるのは私ではなく、アンジェリカくんなのさ。ああ、もちろん市長宛の手紙に嘘は書いていないよ。そこは信じてもらっても大丈夫だからね」
手紙の差出人は、このコッペリアだった。
それが分かったところで、今更どうなるというものでもないが。
アンジーもティナも俺に対話を任せてきた。
俺とて親しいわけでも、正体を知っているわけでもなく、元の世界で遭遇して、ほぼ全財産と引き替えに魔導書を売ってくれた相手以外の何者でもない。
ネストンを引っかき回した悪辣な黒幕かと思えば、会話の内容と雰囲気からするとそれも違う気がする。
責任重大である。
「コッペリア。お前は、何のつもりでこんな真似を?」
「おやおや、怖い顔をして、何か大きな誤解があるようだ。こんな真似、と言われてもだね……私は市長宛に手紙を出して、ここで待っていただけだよ。他のことまで私の責任にされても困るのだけれど……」
「手紙を他にバラまいたのは、やっぱり別人なのか。……もしかして、ダンジョンの異変を引き起こしたのも、さらに違う誰かが黒幕だと。じゃあ、何のためにコッペリアはここで俺たちを待っていたんだ。そもそも、こそこそ動いて何がしたいんだ」
コッペリアは困った顔で肩をすくめ、それまで自分の顔を隠していた黒いフードを取り払った。
その瞬間、よく分からなかった容姿や表情がはっきりしたものに映った。
そこにあったのは、均整の取れた美しい顔だった。
ただ、顔を見てもなおそれでも中性的な印象を受けるのは、その顔があまりにも整いすぎていたからだ。
不意に浮かべた表情には隠しきれない困惑が窺えて、それでようやく安心できた。
超えがたい不気味の谷の向こう側に、はじめて人間味というものが感じられたからだ。
ひとつ壁を越えると、だんだんと見えてくるものが増える。
たとえば、淡々とした口調は思ったよりもローテンションな感じであるとか、細々な所作のひとつひとつに意外に感情がこもっていることだ。
「ええと、スピカ」
「ご主人様。一応釈明しておきますが、ワタシの知人ではありませんので! ……そっちの方も、ご主人様との出逢いの場を設けて頂いたことには感謝しますが、それを理由に便宜を図ってくれと言われても困りますからね!」
「魔導書くん。恩の押し売りをするつもりはないから、安心してくれていいよ。ヨースケくんの元に連れて行ったのも、私が勝手にやったことだからねえ」
「というか、そんな喋り方だったか? 俺に声をかけてきたときには『ちょっとそこゆくお兄サン。良い本があるヨ! 安くしておくヨ!』とか『決して表では流通しない素敵な本だヨ! 無修正だヨ!』ってうさんくさい口調だった気が」
「適切な相手を見極めて商品を売る場合はこんな話し方だよねえ。一番上手そうな作法を真似たんだけどねえ。もしかして、何かおかしかったのかな?」
「ワタシには『君にふさわしい主を捜してあげるヨ!』と声を掛けてきた気が」
「仲良くやっているようで何よりだねえ」
「……ご主人様」
「ああ、任せろ」
スピカの困った声を聞いて、ポケットにしまった。
実際、俺たちの感謝している相手であることは確かなのだ。
ただ、再会した状況が正直困るタイミングだっただけで。
人形と人間のちょうど中間に位置しているような空気感。
人間にそっくりの、何か。
それがコッペリアだった。
一つ一つ確かめるようにコッペリアから話を聞いて、俺は頭を抱えた。
「つまり、コッペリアは、望みを叶えるために動いていたと」
「そうなるねえ。私は望みを叶えるための道具だからね」
「それを望んだのは、誰なんだ?」
「ヨースケくんにはなかなかの理解力があって、大変喜ばしいね。寂しがり屋の魔導書くんとも仲良くやっているようで、大変結構だねえ」
「最後に、もう一度確認するぞ。コッペリアは、古代文明製の自動人形だ。当時から唯一稼働し続けている、最後の一体。この認識は間違いないな? その使命は、何者かの心からの願いや望みを叶えるために働くこと……」
これは、あくまで質問を繰り返し、コッペリアから聞き出した内容をまとめたに過ぎない。だからそれが事実であるかは分からない。ただ、少なくとも俺の目には、この人間と見まごうばかりの人形が嘘を吐いている風には見えなかった。
「近年だと、その魔導書くんの主……つまり、君を捜すまでが一番大変だったね。まさか世界を渡る羽目になるとは、古代文明時代のマスターたちですら見通せなかった希有な事例だろうし。いやはや、偶然を通り越して奇跡的ですらあったねえ」
俺にとっては衝撃の事実だった。
問いに対する解答の信憑性については、もはや問題ではなかった。コッペリアが人間ではなかったことには、むしろ安心したが。
「答えてくれ、コッペリア。誰の願いだ。何を求めたら、こんな事態に繋がる?」
「ヨースケくん。最後まで聞かずとも、すでに想像は付いているだろう?」
「ダンジョンそのもの、か?」
「正解! より正確にはダンジョンコアと呼ばれる、ダンジョンの運営を円滑に行うシステム……に、組み込まれた意思ある存在の要請に応じて、私はここに来たんだ」
「ご主人様。ダンジョンは大半が古代文明時代に作られたものです。スピカも実物は見たことがありませんが、ダンジョンコアというものが存在するのは事実です」
「だいたい古代文明のせい、って話だねえ」
コッペリアは自動人形らしからぬ苦笑を浮かべた。
こうしていると、人形とはとても思えない。
「自動人形だから、最後の命令に従っているとか、そういう話か」
「ちっちっち、ちょっと違うねえ。私はあくまで仲間のために働いているんだ。そこの魔導書くんも、ここのダンジョンコアくんも、私にとっては救うべき同族なんだよ。同じ古代文明製の道具で、意思在るマジックアイテム。そんな彼らが不遇な状況にあるのが我慢ならなかったから、その苦境を抜け出すお手伝いを自発的にしているのさ」
「それがどうしてネストンの異変に繋がる?」
「ああ、また何か誤解しているようだけれど、道具には道具なりの矜恃があるんだ。この状況がダンジョンコアくんの意図通りとは思わないでもらいたいねえ。ダンジョンコアくんは自分の使命を全うするのが望みなんだ」
意味が分からない。俺の怪訝な顔に、コッペリアは少し考えてから言った。
「簡単に言ってしまえば、故障したのさ。ダンジョンコアを作る際、古代文明が組み込んだ物質召喚システム。それにガタが来てしまっていてね、修理用のリカバリークリスタルを使う必要があったんだ。ほら、本来なら制作者なり技術者が定期的にメンテナンスする予定だったんだけど、古代文明はあっさりと滅びちゃっただろう? だから長年動き続けていたこのダンジョンも、ついに限界が来て、一部故障してしまったんだねえ」
「……おいおい」
リカバリークリスタル。その名称だけで、何を指し示すものか予想が付いた。
死にかけたアンジーを死の淵から蘇らせた、フィリップが研究していた謎の宝石。
治癒能力を秘めた不可解な結晶。
「リカバリークリスタルには、元の状態に復元する機能があるのさ。少なくとも、意図せずに変わってしまったモンスターの分布は、元の状態に戻るはずだねえ」
ダンジョンコアが故障して、モンスターの出現パターンに狂いが生じた。
それを修理するためにアンジー、というか、アンジーの体内に残っているだろうリカバリークリスタルが必要だった。
一応、筋は通る。
通るが、疑問はまだある。
「アンジーの名前はどこで知った? いや、そもそもの話だ。手紙で呼び寄せるなんて回りくどい手段を使わずとも、アンジーを攫ってここまで連れてくることも、コッペリアには可能だった。違うか?」
「ええと」
「まだ何か伏せている話があるだろ」
「別に大した理由じゃないんだけどねえ。手紙に書いたのは、単にリカバリークリスタルの所有者として表示された名前をそのまま書いただけさ。居場所を探すためにグレボーというモンスターの特性を利用しようと試みたけど、それも失敗したしね。おかげで近くにいることは分かったけど、細かい場所までは特定出来なかった」
コッペリアは、まるでタブレット端末のような機械を取りだして、画面を見せた。
指し示された箇所を見れば、アンジェリカ=エメルデア、と記載されている。
「こう見えて私は空間転移が使えるけれど、これ、実は使い勝手が悪いんだ。生物と一緒に空間を渡るのは無理なのさ。つまり、アンジェリカくんを直接この場に連れてくることはできなかった。かといって、私にはレッドドラゴンを処理する能力はない。だから、まずはあのレッドドラゴンを倒せる人物を用意してから、アンジェリカくんを連れてきて欲しい、という意味だったのさ。一年以内に来てくれればいいな、くらいのつもりでいたんだけど……手紙を出してから、たった一日でここに辿り着くとは恐れ入ったよ。……もしかして、あの手紙の書き方だと、ちょっと分かり難かったかな?」
「コッペリアが本当に人間じゃないってことは、今、よく理解できた」
見た目以上に感覚が違う。
こうして話していて覚える違和感は、コッペリアは決して人間のために動いているわけではない点だ。
あくまで自分の仲間、知性在るマジックアイテムを守ったり助けるために、必要があって人間に声を掛けたに過ぎない。
俺とスピカの出逢いも同じだ。
コッペリアにとっては、あくまで魔導書であるスピカのために俺を捜したことになる。だからといって何が変わるわけではないのだが、そこをはき違えるとどこかで足をすくわれる。
「じゃあ、疑問も解消されたようだし、早速ダンジョンコアを修理しようか。君たちもそのつもりで、ここに来たんだよね。ネストンの異変を終わらたい、その一心で」
「……どうやって?」
「ダンジョンコアに対して、リカバリークリスタルを使うのさ」
「だから、どうやって使うつもりよ。あたしは、それを聞いているの。そのリカバリークリスタルとやらは一度使われて粉々になって、今はアンジーの体内にあるのよ?」
ずっと黙っていたティナが、横から口を挟んだ。
はっとしたアンジーは、質問されたときのコッペリアの浮かべた表情を、凝視した。
コッペリアは首をかしげた。その顔には特筆すべき感情は見当たらない。
「そのまま使うだけだけど、それがどうかしたのかな?」
「アンジーは、どうなるの?」
「そうだねえ。そもそも、リカバリークリスタルは、周囲にあるマナを根こそぎ集めて消費することで、復元力を発揮する機能を持っているんだ。それを体内に存在させたまま使用した場合、アンジェリカくんの保持している自分自身のマナ――魔力や生命力を根こそぎ吸い上げてしまうかもしれないねえ。そうなると、もしかしたら、マナの使いすぎて死んじゃうかもしれないね?」
「あんた……」
「それは仕方のないことさ。ダンジョンコアを修理するために、ネストンの異変を終わらせるために、ここに来てくれたんだよねえ。そのくらいは覚悟の上じゃなかったのかな?」
庇うティナの後ろから、アンジーが前に出た。
「ひとつ、聞かせて」
「構わないよ。何なりとどうぞ、アンジェリカくん」
「……リカバリークリスタルを使ったときに、近くに、死にかけた他の人がいたら、そのひとの体力……マナ……生命力も、奪うの?」
「構わずに奪うだろうねえ。リカバリークリスタルは単なる復元用の器材さ。何も無いところに奇跡を起こす便利な道具ではないからね。周囲のマナを使うことで、元の形に復元しているだけなんだよ。やってることは、いわゆるニコイチだねえ」
コッペリアが微笑んだ。何がそんなに喜ばしいのか、分からない。
ただ、一度でも話の分かる相手のように思えたのが嘘のようだった。
これは、俺たちにとって、相容れない存在だった。
人間にとっての道具と同じように、コッペリアは道具として人間を見ている。
「あれ? どうしたのかな。おかしいなあ。ヨースケくんも、さっきまでは快く協力してくれるものだとばかり思っていたのだけれど……私はまた、何か言葉の選び方を間違えてしまったみたいだねえ。人間というものは本当に難しい」
コッペリアは、この期に及んでもこんな悠長な口調だった。
5/27、微妙に誤解を招いたと思しき表現と誤字を修正しました。




