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清純派魔導書と行く異世界旅行!  作者: 三澤いづみ
第二章 ネストン・ラプソディ
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第十八話 『フィリップの仕事』



「もう、いい」


 答えのでない議論に疲れた頃、フィリップが呟いた。


「アンジー。街から出よう」

「……パパ」

「ネストンに長く留まる理由はない。この状況なら仕方ないと、ミセス・ダーリントンが隣町までの旅費を出してくれると言っていた。アンジーが危険を冒す必要はない。そうだろう?」

「それは、そう、だけど」

「未曾有の災禍に見舞われて街が大変なのは分かるが、アンジーはもともと無関係だ。巻き込まれただけだ。なら、さっさと逃げたって良いだろう? 私と一緒に、他の街に向かおう。荷物はまとめてある。元々ほとんど失ったようなものだからね」


 フィリップは、その針金のような体躯を折り曲げ、頭を深く下げた。

 その相手は、ティナだった。


「ミス・ビッテンルーナ。先ほどアンジーが貴方の申し出を固辞しておいて、何を、と思われるかもしれないが、強力な魔法使いである貴方にお願いする。どうか、私どもの脱出に手を貸していただきたい。持ち合わせは今は無いが……上手く逃げ切れたら、どんな仕事に身をやつしてでも謝礼は弾ませていただく」


 真面目そのものなフィリップの言葉に、ティナは頷いた。

 これまで俺相手にあれこれ余計なことを言ったり、アンジーに叱られていたダメ親父の素行からは想像も付かない、しっかりとした態度だった。

 親子だなあ、と感心している俺に、ぐるり、とフィリップは首を回してきた。


「き、きさまにも、頼む。アンジーの安全に気を配ってもらいたい」

「パパ、ヨースケがわたしを守ってくれるのは疑ってないんだ」

「仕方ないだろう! 実績があるんだ! アンジーが無事なら、私だって、この男にでも頭を下げるに吝かではない!」


 アンジーが苦笑し、フィリップが悔しそうに顔を歪め、そんな二人をティナが微笑ましいものを見る目で眺めた。


「ごめんね、パパ」

「……アンジー、どういう意味だ? なぜ謝る」

「わたしはダンジョンの最下層に行きたい。……いえ、行かなきゃいけない。ヨースケ、連れて行ってくれるよね?」


 その言葉に、俺は驚かなかった。フィリップが血相を変え、ティナが怪訝そうな顔をするのを前に、アンジーはきっぱりと言った。


「ダメだ! そんな危険なことは許さない! 私と一緒に街を出るんだ!」

「……アンジー。理由を聞かせてもらえるかしら」

「ミス・ビッテンルーナ!」

「ティナさんも見てたでしょ。大量のグレボーが、わたしを狙っていた光景。その後にすぐ、ここネストンのダンジョンに異変が起きて、その解決手段として、わたしが手紙で名指しされた。全部、理由が分からないまま。これが偶然だと本当に思う? たまたまわたしの名前が選ばれたなんてこと、あるわけない」


 年に似合わぬ皮肉げな笑みを浮かべ、アンジーは肩をすくめた。


「パパだって本当は分かってるでしょ。ここで逃げたって、きっと何も解決しない。わたしが狙われたことも、わたしの名前が書かれていたことも、そしてわたしがダンジョンの最下層に辿り着くことにだって意味がある。今のところ、見当も付かないけど……それには、きっと何か大きな意味があるのよ。ねえパパ、もし今すぐ他の街に逃げたとして、そこでも同じようなことが起きたらどうするの? また、そこから逃げ出すの? その先は? その次は? 何度も何度もいつまでもどこまでも……何も分からないまま、永遠に逃げ続ける? そんなこと、出来るとは思えない」


「逃げたっていいじゃないか。それに、同じことが起きるなんて確証はどこにもない」

「同じことが起きないって保証も無いよ。何も知らないままじゃ、どこまで逃げれば良いのかだって分からない。わたしは知りたい。いえ、知らなくちゃいけない。今、何が起きているのか。どうしてわたしなのか」

「だ、だが! その結果が、もっと悲惨な未来に繋がっていたらどうするんだ! 私はアンジーに傷付いて欲しくない……逃げられるのなら、逃げるべきだ」


 悲壮感すら漂わせて、フィリップがアンジーの肩に手を置き、語りかける。

 それはほとんどすがりつくような勢いで、涙こそ流していないが、泣き顔に見えた。

 撫でつけられたブラウンの髪に、紳士風の髭、針金めいた矮躯の中年男性が、美しい娘に必死の形相で思いとどまるよう説得を繰り返すが、しかしアンジーは己の心のように燃える赤毛をなびかせて、フィリップをじっと見上げた。


「わたしは、これはチャンスだと思う」

「な、なにを言うんだアンジー……今度こそ死んでしまうかもしれないんだぞ! グレボーに襲われたとき、私は、私は本当はアンジーが死んでしまったんじゃないかと……そう思ったら、狂いそうだった。違う未来を想像しないと、本当におかしくなりそうだったんだ!」

「そうね。パパの言う通り、短期間に二度も死を覚悟する羽目に陥って、気づいたら三度目が迫ってるわね。でも、見ての通り、わたしは無事よ。ヨースケに助けてもらえた。命の危険はあったけど、それは決して避けがたい死の運命なんかじゃなかった」


 もし俺がいなかったら。

 あのとき、偶然にも居合わせていなかったら。


 フィリップはともかく、グレボーに執拗に狙われ続けたアンジーは、荒野でずたぼろになった亡骸を晒す羽目になっていたのは間違いない。

 馬車から投げ出され、助ける力を持ったティナの元まで辿り着くことすら出来なかったはずだ。


 あり得た未来、いや、本来そうなるべきだった道筋を、アンジーから滔々と語られたフィリップは声を詰まらせた。


「きっと、手紙もそのひとつ。何も無いまま前に進んだら死ぬ。けれど、ここから逃げたらゆっくりと追い詰められていく……そんな気がする。だけどパパ、ヨースケとティナさんの助けを得られる今なら乗り越えられるかもしれない。いえ、もしかしたらわたしが立ち向かうための、たった一度だけのチャンスかもしれない。そう思ったの」

「彼らと出会えたのは運命で、それを信じるとでも?」

「違うわ。わたしが信じるのは、わたし自身の人を見る目よ。今このとき、ここにいてくれたヨースケとティナさんに、わたしは命を……いえ、未来を預けたいの」

「し、しかし!」


 咄嗟に反論しようとして、言葉が出て来なかった。

 アンジーの決意は固い。

 親であるフィリップには、俺やティナよりよっぽどそれが理解出来ている。


「パパ。おばさんが持ってきてくれた手紙の言葉、覚えてる?」

「アンジーを最下層に連れて行けばネストンの異変が終わる。そう書かれていた。あんなもの一度見れば忘れられるか。で、それが何だ」


「手紙に書いてあったお願いは、正確には、『アンジェリカ=エメルデアを、ネストンダンジョンの最下層へと生きたまま連れて行く』こと。そのあとに『由無くネストンに降りかかっているはずの異変は即座に終了するでしょう』と続くのよ。大事なのは、生きたまま連れて行くって内容。一人で行かせろとは書いてないわ。明らかに、誰か同行者の存在を想定してる。最下層に辿り着くまでに、わたしの命が脅かされるのは困るはず」


「だが、そんなものは!」

「うん。所詮、誰とも知れない手紙の差出人の言葉に過ぎない。信頼には値しないわ。だけど、条件は最下層に辿り着くだけ。そこで待ち構える何かが、わたしを殺すつもりか、あるいは利用するつもりかは、実際にそこまで行ってみないと分からないけれど……少なくとも、手紙に書かれている内容の真偽と、そこで待っている何かの正体は確かめられる」


「たかが……たかが、そのためだけに、たったひとつしかない命を賭けるのか? 妻と同じように、お前も、私を置いていくのか、アンジー……」

「ううん。わたしは生きて帰ってくるよ。パパの元に。この場所に。だからお願い、ヨースケとティナさんの力を借りて、ダンジョンの最下層に向かうことを許して」


 フィリップは苦悩の顔を隠さなかった。むしろ、うめき声を上げた。

 ティナを見て、アンジーを見て、俺を睨んで、もう一度アンジーを見て、歯がみしながら、手を硬く握りしめ震えさせながら、色々飲み込んで、腹の底から声を絞り出した。


 ティナは、アンジーの言葉を聞いてからは、止めるつもりは無いようだった。

 危険は承知している。ダンジョンの中には金貨級が大量に湧いて出ている。

 自分だけでも油断すれば命の危険が多い場所に足手まといを連れて行くことの意味は、十分に承知しているはずだった。

 それでも思うところがあった。

 神妙な顔で、フィリップがいかなる返答をするのかをじっと観察している。


 アンジーは、そんなティナの顔を見て、わずかにほっとしていた。

 横から制止されてしまえば想定もご破算だ。

 俺とティナ、両方揃ってでなければ、危険地帯と化したネストンダンジョンでアンジーを護りながら最下層まで進むのは不可能だった。


 一方で、俺については確かめる素振りすらなかった。

 アンジーがこう言い出すのは予想が付いていたし、止めるつもりは最初から無かった。


 ただ、アンジー自身に見透かされていたような感じで、それは少し面白くない。

 俺はそんなに分かりやすいだろうか。


「わ、私も着いていくというのは」

「無理よ」

「無理だな」

「ダメでしょ」


「……な、なぜ三人で口々に言うのだ」


「いや、金貨級がわんさか出る場所で、素人二人のお守りは流石に……護衛対象が二人になった場合はね、リスクが二倍じゃなくて、二乗になるのよ。あたしと同程度の実力の冒険者が、最低でも四人はいないと守りきれないわ。それも、ただのハンターじゃなくてきちんとした冒険者よ。狩り専門のハンターで見繕うなら七、八人は欲しいわ」

「そもそも最下層を目指すだけなら、人数が少ないほど良いんだ。戦闘を回避した方が安全性も高い。知っての通り、俺とティナは魔法使いだ。避けられない戦闘でも、ある程度の連携が取れるし、俺たちはどっちも、一人で多数を相手取れる」


 ティナと俺が説明するが、まだ不満げなフィリップに、アンジーが言った。


「パパが来ると、邪魔」

「……だ、だが!」

「わたしの安全を考えるなら三人だけで行くべきだって話よ! パパ、それでも一緒に行きたいの?」


 目の届かないところで娘が危険な目に遭うことを受け入れがたいのは、当然の話だ。フィリップが苦悶に身をよじる。


「私がアンジェリカ=エメルデアだと名乗るのはどうだ! 手紙の差出人はアンジーの顔も容姿も知らないヤツなんだろう! だったら!」

「女装でもするつもり? バレるに決まってるでしょう」


 はっ、と目を見開いて、何かを思いついたフィリップが口走ったのは、自分がアンジーの振りをすることだった。

 娘の口調は冷たかった。


「……で、では、ミス・ビッテンルーナ!」

「確かに、あたしがアンジーの身代わりをするのは悪くない手ね……。容姿を知らない相手なら年齢も誤魔化しやすい。ただ、相手が本当に顔や特徴を知らないのかは不明瞭。書いたときは知らなかったけど今は把握してる可能性もあるし、万が一、その場でアンジーの真贋を見分ける手段があったら、その瞬間に露見するわね。で、何もかも手遅れ」

「そんなものあるわけが……! ……ある、わけが」


 即座に否定しようとして、フィリップが言葉を詰まらせた。その顔には、これまでとは全く違う種類の焦りと、心配になるほどの脂汗が浮いていた。


「パパ。何に気づいたの」

「い、いや、アンジー。なんでもない。なんでもないんだ」

「なんでもないわけないでしょ。言って」


 俺とティナが見抜いたものより、より多くをアンジーは読み取った。

 問い詰める声に含まれた緊張は、ひどく張り詰めたものだった。


 宿の部屋に静寂が満ちていた。

 長らく重苦しい沈黙が続いたが、アンジーは引き下がらなかった。

 自分の迂闊さを呪うような素振りをして、フィリップはやがて、ゆっくりと語り出した。


「アンジー。日頃、私が何を仕事としているか、知っているだろう?」

「ああ、あの趣味?」


 俺と一緒にネストンに来た初日、宿の女主人からフィリップが金食い虫扱いされていたことを思い出した。

 アンジーとミセス・ダーリントンは趣味と切り捨て、フィリップは仕事である言い返した。


「違う、研究だ。何度も説明しただろう。決して趣味や道楽ではないんだ。私の研究はちゃんとした仕事なんだ。ただ、莫大な研究費がかかったり、発見があってもすぐさま儲けには繋がらないだけで……学術的な見地だけでなく、利便性や再現性さえあれば、十分に商売として成り立つものなんだ」

「それで、具体的には何の研究なのよ。それが今、何の役に立つ話なの?」


 すでに何度も親子のあいだで交わされた話なのだろう。

 娘の無理解に苛立つ親、という構図そのままだ。

 但し、娘であるアンジーが生活費を稼いでいたようなので、消費優先と思われるフィリップが傍目には放蕩三昧に見えるのも仕方ない。


 単刀直入に本題に入らなかったことで、アンジーが答えを急き立てる。

 アンジーの焦りは当然だ。

 こうしているあいだにも、刻一刻と状況は悪化しているかもしれない。

 ネストンにバラ撒かれた手紙の内容が街中に浸透し、宿に先ほどの比ではない数百人規模で押しかける危険だってある。

 俺とティナを伴って、さっさと目的地に急ぎたい気持ちを抑えながら、父の納得を願っている、今はそんなときなのだ。


「私が研究しているのは貴重なマジックアイテムだ」

「これみたいな?」


 ティナが、ダンジョンで使っていた懐中電灯もどき、マジックライトを取りだして見せると、フィリップは目を輝かせた。


「そうだ、これもその一つ。今は有用性が認められてよく出回るようになったが、二十年ほど前には使用方法が分からなかった。……実は私が使い方を解明した、そう言ったら君たちも驚いてくれるかね?」

「ほ、本当に?」


 ティナが目を丸くした。おだてるわけでなく、真実驚愕の表情だった。

 そのティナの態度を見たことで、アンジーもフィリップの言葉を信じたらしかった。


「だからといって大金が私の懐に入るわけではなかったがね。あくまで、持ち込まれたものの使い方を調べただけだ。その後の流通には関わっていない。ともあれ、私の専門は古代文明製、あるいはドロップ品と呼ばれる高性能のマジックアイテムだ。当然、研究するには現物がいる。しかし、マジックアイテムは例外なく高額だ。どれだけ予算があっても潤沢とはいえない。……だが、知識だけは、それなりにある」

「だから、アンジーが本人かを判別するマジックアイテムにも心当たりがあると?」

「……ああ」

「嘘よ」


 フィリップは頷いた直後、アンジーがそれを即座に否定した。


「嘘なものか。マジックアイテムには、そうした機能を持つものが……!」

「そっちじゃないわ! パパのさっきの驚き方は、そんな道具の存在を思い出したからじゃない! もっと重要なことでしょ。もっと、致命的な何かが頭を過ぎった。だから誤魔化す言葉を探してた……違う?」

「だ、だがな」

「娘を誤魔化せると思った? ねえパパ、何年一緒にいると思ってるのよ。どんなに誤魔化そうとしたって、分かっちゃうんだから。……だから、お願い。パパには口にしたくないことなんだろうけど、言って」


 アンジーの言葉は穏やかだった。

 フィリップは動揺を隠しきれなくなった。


「……別に、さっきまでは、秘密にしようと思っていたわけじゃ、ない。ただ、ずっと忘れていただけだ。二度と思い出すことなんて無いと信じていた……それは本当のことだ。……頼む、信じてくれ、アンジー。私の娘、アンジェリカ」

「信じるわ、何を言われても。何を聞かされても。だからパパ、……お父様。何を隠そうとしていたのか、はっきりと言ってほしい」


 フィリップは、瞳を潤ませ、アンジーをじっと見つめた。

 己の娘、アンジェリカ=エメルデアを前に、傍らにいた俺たちのことなどすっかり意識の外に置いて、ただ娘の燃えるような赤毛を、その幼くも美しい母似であるという顔を、じっと見続けた。




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