第十七話 『金の靴を残して』
一歩遅れたらしい。
金の靴亭には、すでにハンターと市民の一部が押しかけてきていた。
入り口の扉を塞ぐように仁王立ちした恰幅の良い女主人が、頭に血が昇った大勢を苛立たしげに見下ろしている。
「いいからあの娘を出せ!」
「おかみさん、あの娘なんだろ? アンジェリカってのは」
居所の発覚が早すぎる。
露見した理由にはいくつか思い当たる節があったが、さっきの今でこんな人数が詰め寄せるものだろうか。
十数人が宿屋の前を塞いでいる。裏手に回れば勝手口もあるだろうが、見咎められたら面倒なのは変わりない。
強行突破をされていないあたり、現状の立場としては女主人に分があるようだ。
宿の手伝いとして姿を見られたアンジーが、手紙によって名指しされたアンジェリカ当人である確証は、まだ、彼らにはないと思われた。
打開策を思案していると、女主人と目が合った。
「あんたら、さっさとどきな! ほら、うちのお客様の道を塞ぐんじゃない! そこも邪魔だよ、いい加減にしないと営業妨害で訴えるからね!」
「どうしたんだ、この騒ぎは」
促されるままに前に進むと、道を塞いでいた連中は嫌々ながら道を開けた。
ティナも俺の後ろをついてくる。
「さあね。うちには何の関係もない話さ。それよりヨースケ、昨日の今日でいきなり女連れとはやるじゃないか。モテる男はつらいねえ」
「勘弁してくれ……」
「おっと、そっちの嬢ちゃんも泊まるなら宿代はもらうよ」
聴衆を完全に無視する形で、女主人は俺と話し始めた。
なるほど、騒ぎに水を差せとの仰せらしい。
ちらり、とティナを見た。
「一緒に夜を過ごすには、この宿は騒がしすぎるな」
「なっ、なっ」
「そうかい。確かに……これじゃあ、雰囲気も何もあったもんじゃないさね」
顔を真っ赤にしたティナに、女主人が追撃を仕掛けた。
という体で面倒な集団に遠回しに嫌味を告げた。
これだけ宿の前を占有して騒ぎ続けていれば、さすがに迷惑の自覚はあったのか、その中の一人が大人しく引き下がることを口にした。
「さっさと帰りな。客でもない冷やかしに用はないんだよ!」
「じゃあ、私が一泊すると言ったら?」
「悪いね。今んとこ空きがないのさ」
「その判断、後悔しなければいいですな。金の靴亭さん」
背後で口々に文句を言う市民とハンターの混成チームをなだめつつ、その一人は女主人に捨て台詞を残していった。
呼び方が屋号であることから、彼は市民、それも街の商売人か同業者と思われた。
女主人は鼻で笑って、去りゆく十人以上の集団が角を曲がるまで動かなかった。
屋内に入ると、女主人は後ろ手に扉を閉めた。
「ヨースケ。こっちに来とくれ。悪いが、そっちの嬢ちゃんはそこで待っててほしいね。冷たい飲み物でも出すからさ」
「アンジーのことか。だったらティナも一緒に連れて行った方が良い。顔見知りだ」
「なんだ、知ってたのかい。あんたも、顔見知り、ねえ」
「アンジーが荒野でグレボーに襲われたことは聞いただろ。そんとき、助けようとしてくれたもう一人だ」
「ああ、そうだったのかい! 昨日、アンジーから聞かされたよ! あんたがあの大量のグレボーを殺すため、ど派手な魔法をぶっ放したって女魔法使いだね!」
「ええ。あたしの名前はラクティーナ=ビッテンルーナ。見ての通り凄腕美少女天才魔法使いにして、今もっとも二つ名に近いと世間でも評判の一流冒険者よ」
落ち着いた口調で名乗ったティナだったが、微妙に顔が赤かった。
「……照れずに言えたらもっと良かったのにな」
「自己紹介も、派手だねえ」
「な、仲良くなるには最初が大事って聞いたことがあるもの!」
反論しつつ、ティナが目を泳がせた。
出逢った当初のひどいぼっち臭は、この騒ぎが始まってから、しばらく鳴りをひそめていたが、女主人を前にすると再び蘇った。
「やれやれ、こりゃまた難儀な娘を引っかけてきたねえ。ヨースケ、あんた女泣かせになるんじゃないよ!」
「それはもういいから。大事な話なんだろ?」
「アンジーは部屋にいるから、ちゃんと話を聞いてやってあげな。あの手紙が出回ってからこっち、暗い顔で、ずっと部屋に閉じこもってるのさ。まあ、隠れてたのは結果的に良かったんだろうがね」
女主人は、市長への手紙が大勢が一度に集まりそうな場所に無差別に投函されていたことを教えてくれた。当然、この金の靴亭にも。
幸い、真っ先に見つけたのはこの女主人だった。
泊まり客は明るく手際の良いアンジーの手伝い姿を目の当たりにしていたため、他に漏らさないことを約束してくれたという。女主人が宿賃をおまけしたことも功を奏した。
だから、この宿でアンジーの存在が露見したのは、他のルートと考えられた。
「あの馬鹿ども、いったんは引き下がったけど……たぶん、すぐにまた来るだろうからね。他にそれらしい人物が見つからなかったって話だし。どいつもこいつも自分のことしか考えてない馬鹿ばっかだ。格好悪いったらありゃしない! ああ、あんたに言うこっちゃなかったね」
案内された部屋の扉を数回叩いて、中からフィリップ、つまりはアンジーの父親の声が帰ってきた。
「ヨースケが戻ってきたよ。ほら、うるさい年寄りは外に出て、後は若い者だけにしてやんな」
「ゆ、許さんぞ! 絶対に許さんからな! 私のアンジーとあんなケダモノとを部屋で二人きりにしたら! いったいどんないかがわしい真似をされるか! 一晩あれば……いや、小一時間もあれば、あんなことやこんなことやそんなことまでたっぷり十分にされてしまうのだぞ! 私が妻とゆっくりと育んだようなことを、超高速でガンガン仕込まれてしまうかもしれないのだぞ! そこを分かっているのかミセス・ダーリントン!」
「いきなり何を口走っとるか馬鹿親父!」
部屋の中ですごい音がした。
きっと全力で蹴り飛ばされたフィリップが椅子だかテーブルだかに叩きつけられて跳ねた音だろう。
よかった、元気になった。
「ご、ごめん。ヨースケ、来てくれたんだ。中で話そ……」
扉が開き、アンジーが俺を迎え入れてくれようとした、そのとき。
ティナが俺を押しのけて、前に出た。
アンジーが首を傾げるのを構わず、ティナは名乗りを上げた。
「あなたがアンジーね。あれから幾たびも困難に襲われているらしいけど、ここで改めて名乗ってあげるわ、さあ目を懲らし、耳を澄ませ、心に刻み込みなさい! あたしの名前はラクティーナ=ビッテンルーナ! 見ての通り凄腕美少女天才魔法使いにして、今もっとも二つ名に近いと世間でも評判の一流冒険者よ! そしてヨースケと同じようにティナと呼んでも良いわよ! いえ、むしろそう呼んで! そしてあのときはごめんなさい! あたしの配慮が足りなかったせいで、助けるつもりで余計に危険な目に遭わせてしまったわ! そのお詫びと言ってはなんだけど、出来る限りあなたの力になるから!」
わー、ぱちぱちぱち。
練習通りに上手く行った、とやり遂げた感満載のティナの顔に、突然すぎて目をぱちぱちと瞬かせるしかないアンジー、その奥では目を回したフィリップが床に倒れ、俺の隣りでは女主人ことミセス・ダーリントンがゲラゲラ笑っている。
俺は拍手をした。
アンジーも呆けていたのは一瞬で、俺に倣って拍手を始めた。
シリアスはどこにいった。
言いたいことを全部一気に詰め込んだ早口気味のティナの発言を、アンジーが飲み込むまでには少しの時間を要した。
女主人は仕事に戻った。
言い終えてからのティナは、若干、申し訳なさそうに目を伏せている。
だが、理解した途端、少し陰っていたアンジーの表情が明るくなった。
「すでにご存じのようですが、改めて名乗りを。私はアンジェリカと申します。ティナさんが助けようとしてくれたことは、ちゃんと理解しています。ここに感謝を。そして、どうぞ気に病まないでください。償いも不要です。ティナさんの善意からなる人助けは素晴らしいことです。その失敗に付け込むような浅ましい真似、私はしたくありません」
ティナを前にして、年若きアンジーの頭の下げ方も、感謝の言葉も、以前見たのと同じく堂に入ったものだった。
違和感を覚えたのは、俺相手にはあった名乗りの内容が違ったことについてだ。
状況から、家名を伏せることを選んだなら分かる。
俺の疑問にいち早く気づいたのは、知らぬ間に復活して傍に忍び寄っていたフィリップだった。
「ふん。やっぱり察しが悪い男だな。アンジーは名乗るとき、基本的に家名は伏せるぞ。名乗りによって明かすのは、よっぽどの場合だけだ」
よっぽどの場合。
助けようとしてくれたティナと、実際に助けた俺の差か。
「……貴様のような男をアンジーが気に入っているのは業腹だがな! なんだ、たった数日のうちに女を侍らせおって! アンジーだけじゃ足らんと言うのか! それともアンジーの幼児体型が気にくわないのか! もしや本当に奴隷商人なんじゃなかろうな!」
「お父様」
「だいたいだな、グレボーとかいうモンスターに襲われて、助けに入るにしても、あれはタイミングが良すぎだろう。もしや上手いこと私を亡き者にしつつ、アンジーを助けて連れ去って食べ頃になるまで育ててガブリンチョ、とする予定だったのではないか? くそっ、なんて卑劣な男だ!」
「クソ親父様」
「そもそもだな、当初より私の見立てでは、どこぞでアンジーを見て可愛いあまりに惚れさせようと画策して、今回の一件を仕組んだのではないか、と推測していた。どうだ、この完璧な推理は。ヨースケ=カゲヤマよ。もしも違うというのなら、貴様がグレボー襲撃やネストンの異変の犯人でない証拠を持ってくるがいい!」
さらっと悪魔の証明を求められた。
「先ほどから、カゲヤマ様に対して、いかなる言いがかりを付けていらっしゃるのでしょうか、クソ以下の反吐が出るような唾棄すべきゴミ、もとい血縁上一親等にあたる素晴らしきお母様ではない方」
娘による、絶対零度の視線と、ウニかイガグリみたいな言葉がぶつかって、フィリップは針金のような身体をくねらせた。
アンジーの赤毛は怒りを表している、と言われたら信じそうな苛烈さだ。
「口が悪いぞアンジー! 誰に似たのだ!」
「クソ親父に似なかったことを、今日ほどお母様に感謝する日はないわよ」
「しかしだな、街に入ってから家名については一切口にしていないだろう。アンジェリカ=エメルデアの名も、街の者には知る機会は無かったはずだ。たとえ私たちの名前を元々知っていた者がいたとしても、たまたま街を訪れたタイミングで、いきなりこんな騒ぎが起こるものか? 私の懸念は分かるだろう、アンジー」
突然真面目ぶった顔をしたフィリップに、アンジーは口を噤んだ。
「パパの言いたいことは分かるわ。わたしとパパが何日か前に、ようやくネストンに足を踏み入れたことを、このアンジェリカ=エメルデアが街の中に入ったことを、ヨースケの他には知ることは出来なかった。そう言いたいんでしょ? ……もう一人、知ってるひとがいるわよ」
アンジーが指摘したのは、すでにこの場を離れた、ここ金の靴亭の女主人、ミセス・ダーリントンのことだった。
昔なじみである以上、やはり彼女も知っていたのだ。
「馬鹿を言うな! ミセス・ダーリントンが漏らすわけがないだろう!」
「同じよ。ヨースケだって言いふらすわけないでしょ。前にも言ったけど、家督争いにも無関係なわたしには、ここに来て命を狙われる理由はないの! それにヨースケが黒幕だったとしたらグレボーに踏みつぶされて死ぬわたしを見捨てて……そうでなくても、弱っているわたしにトドメを刺すだけで良かったんだから」
「だから先ほどから言っているだろう! 元から殺す気はなく、そして男は誰しもみな狼なのだ! 女と見れば見境が無くなるケダモノなのだ! アンジーを自分のモノにしたいと考えたヨースケが、あの手この手でアンジーを籠絡するための策略に違いないと! 私は知っている、弱っている女子は差し出された手に縋りたくなるものだと……」
「そうやってお母様を口説いたの? 弱みに付け込むように? 最っ低」
「い、いや、誤解だ! 私は妻に対して後ろ暗いことは何も無いぞ! 私はちゃんと正面からぶつかったからな! そもそも、隠し事しても全部見破られたし……」
「ヨースケに謝って。失礼、非礼にもほどがあるわ」
「だ、だが」
「パパ。お願いだから、わたしにパパのことを嫌いにさせないで」
「……正直すまなかった」
フィリップは不満たらたらだった。
それでも下げたくない頭を下げたことで、俺としてもそれ以上責める気にはなれなかった。
「まあ、大事な娘のことになると気が逸るのは仕方ないということで」
「……立派な赤毛ね。よく手入れしてあって、アンジーには似合ってるわ」
「どうした、突然」
ティナが言った。視線の先にはアンジーの真っ赤な髪があり、褒められたアンジーは少し照れくさそうにした。
「いえ、あの手紙なんだけど……どうしても市長にアンジーを確保させたかったとか、さっき宿の前にいたような連中をけしかけるなら……容姿の特徴とか、手紙に記しておくのが当然の配慮よね。一言付け加えるだけなら手間でもないし。手紙以外でも情報をバラまくなら赤毛の若い娘、って教えるだけで特定が簡単になるわ」
「つまり?」
「だってこんな見事な赤毛よ! 他人に説明するなら、これ以上無い特徴だもの。これを意図的に抜かして名前だけで探させる必要は無いでしょ? 逆説的に、この状況を画策した犯人は、アンジーが赤毛であることすら知らなかった人物と考えられるわ」
手紙の差出人は正体不明のままだが、ティナの言葉には一理あった。
「あえてアンジーが赤毛であると知っている人間が、自分が疑われないために書かなかった可能性もあるのでは?」
「パパ?」
「い、いや、別にヨースケとは言ってないぞ!」
「アンジーは、家名はともかく赤毛は隠してなかったでしょう? だったら手紙に書こうが情報をバラ撒こうが、特定される材料にはならないわよ。昔アンジーに会ったことがあった、あるいは見たことがある誰か、アンジーを直接知っている誰かから情報をもらった……どれであっても赤毛の情報は得られるし、これを書くのは簡単よ。逆説的に、この手紙を書いた誰かは、アンジーの名前は知っていても、その細かな特徴を知らなかったってことになるわね」
「それこそ意味が分からんぞ。なんで、そんなよく知らないアンジーを、わざわざダンジョンの最下層なんて場所に向かわせる必要がある?」
「問題はそこなのよね。この一連の騒ぎがすべてあの市長への嫌がらせだとしても、アンジーを名指しする理由には繋がらない。逆にアンジー憎しで湧いて出た便乗犯だとしたら、あまりにも杜撰というか、狙うだけの必要性も、感情も、何もかも薄いのよね。ただ思いついた名前を乗っけておいた、その程度のニュアンスしか読み取れないし……」
どこを見ても、ちぐはぐだった。経緯からして、手紙が善意だったとは考えにくい。
かといって悪意だけにしては少々引っかかる部分がある。
すべてを合理的に説明出来る理由が思いつかないのは、先刻の議論も、今のやり取りでも同じだった。
「まさか、本当にただの偶然だったりしないでしょうね」
ティナの呟きに、俺は眉をひそめた。懸念がひとつ解消するかもしれないが、それはそれで別の問題が発生する。
手紙の主は、実はアンジーがネストン入りしたことを知らず、解決策と称して市長に無駄な時間を使わせ、無意味に苦労させるため、街にいないはずのアンジーを探させようと試みた。
そしてアンジーの名前を手紙に乗せたのは、ただの思いつきだった。
それこそ、まさか、だ。
否定できる材料は今のところなかった。
手紙に真実があるとは限らない。単なる犯人の気まぐれとか、無意味な文字列が、偶然に意味を持ってしまったという可能性だってありえる。
しかし、俺はそうは思わない。
ダンジョンの異変は避けがたい現実だった。ネストンの破綻も現実味を帯びてきていた。その状況でただひとり名指しされたアンジーだけが無関係と考えるのは、あまりにも楽観的に過ぎる判断と言わざるを得ない。
ティナも本気で偶然と思っていたわけではないのだろう。
ハミンスでの誘拐騒ぎでも思ったことだが、軽々な判断ほど後に響くものはない。即断即決が解決の糸口になることもあるが、判断するための材料がもう少し欲しいところだった。




