第十六話 『会議は踊る』
「もしかして、これは市長への嫌がらせだとお考えでしょうか」
「あるいはエメルデア家の傍流、アンジェリカ嬢に対する悪意かもしれんし、両方の可能性もある。全く違う意図が隠されているかもしれん。犯人や原因は全く別で、手紙の主が状況に便乗して自利を狙った……と考え出したらきりがない。但し、どう足掻いてもネストンにとって現況は苦難であり、厄介事が発生したのは間違いないのだ」
手紙の主が信用出来るか。手紙の内容が正しいのか。内容が正しかったとして、本当にそれを実行すべきなのか。それとも手紙に従うことこそが罠なのか。
即座に解決できない問題が山積していた。
だが、ダンジョンの変化とその悪影響は未来の話ではない。ただ静観することが正しいとは思えなかった。
シュヴァインは、どうするつもりだろう。
俺の不安を知らないだろうに、ティナが横から問いを重ねていた。
「ねえ、シュヴァインさん。お願いだから、早まらないでね」
「お前も、吾輩に『お願い』をするのか?」
皮肉たっぷりな返しに、ティナは肩をすくめた。
「ええ。お願いするわ。市長さんのために。アンジェリカさんのために。ここネストンのために。そして、あたしたちのために」
ティナは頭を下げた。
シュヴァインは思惑が外れたように、少しつまらなそうに、頬肉を自分で触ってつまんだ。
「ふん、言われずとも分かっている! この手紙の内容はしばらく伏せておくぞ。しかし同時に、秘密裏にアンジェリカ嬢の居場所も探さねばならん」
今は何より慎重さが求められた。
アンジーの名前が外に出ることも、アンジーの所在を確かめることも、後戻りできない状況を作り上げる一環となりうる。
手紙の情報の真偽や、差出人の意図が判明していない以上、シュヴァインの判断は現実に即したものだった。
「騒ぎにすることが目的かもしれんし、あるいは、この手紙の主が、吾輩にアンジェリカ嬢を探させるために名前を出した可能性もある。もしかしたら手紙には真実しか書かれていない可能性も否定は出来ん。……誤解されやすい者はどこにでもいるからな。ゆえに、手紙の内容が最適解なら、吾輩は躊躇わずそうする。誰に、なんと言われようともな。どんなことをしても、ネストンを守る責任が吾輩にはあるのだ」
シュヴァインは断言した。
顔を上げたティナは、笑みを浮かべた。
「笑うな。吾輩は、ネストン市長だ。ネストンは吾輩のものだ! 他の誰でもなく、吾輩こそがネストン市長なのだ!」
漸次、危険地域と化したダンジョンの調査を実績ある冒険者に依頼すること、アンジェリカ=エメルデアの所在の確認と、可能ならば友好的な接触を図ること、情勢がはっきりするまでは、手紙については外に漏らさないことなどを取り決めた。
冒険者ギルドの職員が、慌てた様子で室内に駆け込んできた。
ただならぬ様子に、更なる事件の発生を予期したのは俺だけではなかった。
顔を見合わせた俺たちの目の前で、座ったままのオズボーンと、ちょうど立ち上がったばかりのシュヴァインとが、声を揃えた。
「な、なんだと! それは本当かね、ヴェリナ君! 市長、今の話……」
「ああ、聞こえたぞオズボーン。……ふざけやがって、ふざけやがってッ! 吾輩をよくもコケにしてくれたな。ネストンを好き勝手に騒がせやがって。……クソが、許さんぞ、……絶対に後悔させてやる……ッ」
もたらされた報せは、まさしく、今までの長い話し合いを嘲笑う内容だった。
ここにいるネストン市長シュヴァインに届けられた手紙。
それと全く同じ文面の手紙が大量に制作されており、ネストンのありとあらゆる場所に撒き散らされた。
それを目にした市民の通報と、帰還したハンターの証言により、ネストンの今後を左右するダンジョンの異変や、その解決にアンジェリカ=エメルデアが必要であることが発覚、不安と狂騒とが街中に一気に拡散したのだ。
あるいはあったかもしれない数日の猶予は消え去り、残ったのは市長の激怒と、冒険者ギルド長の呆然とした表情、サブリーダーの苦虫をかみつぶした顔に、ティナの無表情。
「よく考えると、あの手紙、ダンジョンの異変とは直接書いてなかったよな。ネストンの未来とか、ネストンの異変、ネストンの試練と……ダンジョンの変化から来る間接的な影響だけじゃなく、ネストン自体に直接何か起こす気なんじゃ……いや、この状況がすでに直接、手を出されたのか?」
しばらく思案顔だったキーツが、唐突に、口にした。
市長は無言で、オズボーンの目の前の机に、勢いよく拳を振り下ろした。
机は真っ二つに割れた。
「……オズボーン。机は後で弁償してやる」
「市長、これから、どうなされるおつもりで?」
「事態の収拾を図る。こんな真似をしてくれた以上、名指しされたアンジェリカ嬢が、すでにこの街に来訪している可能性が極めて高い。勘違いした愚か者が余計なことを考える前に彼女を保護をすべきだろう。丁重にな」
「保護して、どうするつもりでしょうか」
もしかしたら手紙の差出人にあったかもしれない、かすかな可能性、善意ゆえの行動という線は消え去った。
たとえ誤用でない確信犯としてですら、手段としては最悪だった。
性質の悪い文面を寄越して、市長にあんな選択を強いておきながら、さらに逃げ場まで潰そうとするこのやり口。
どう転んでも、アンジェリカ=エメルデアと市長の立場は難しいものとなった。
今日明日なら、まだ影響は少ない。
だが、ダンジョンの変質による悪影響がハンターや市民の生活、ネストンの今後に影を落とすことが目に見えるほどになったとき、こうして差し出された安易な解決案、ぶら下げられた美味しい餌に食いつく者は、確実に出る。
それが抑えられるほど少数か、あるいはネストンの大半を占める嵐となるかは、シュヴァインの苦虫をかみつぶした顔を見れば明らかだった。
問題なのは、たとえ手紙に幾ばくかの真実があっても、どちらかの、あるいは両方を陥れる罠として機能することは間違いないことだった。
手紙の指示を拒絶し、ダンジョンの異変が続けば、やがてネストンは寂れる。
シュヴァインはそのときまで市長を続けられるとも思えないし、事態の推移次第では市民やハンターは自分たちでアンジーの身柄を抑えようと動き出すに違いない。
かといって、手紙の指示に従って、アンジーをダンジョン最下層に連れて行けば、ネストン市長は街のために少女を犠牲にしたと声高に叫ぶものも出るだろう。
「分かりきったことを聞くな。この吾輩が、みすみす敵の言う通りにすると思うか? この敵は吾輩を思い通りに動かそうと躍起になっている。だからこそアンジェリカ嬢の安全が最優先だ。他の連中の手に落ちたらそれこそ手に負えん事態になりかねん。市長たる吾輩のオーダーが通らないとは言わせんぞ、冒険者ギルド長!」
市長の怒りは頂点に達しているようで、顔色はますますどす黒く、握りしめた手は紫になり、唇は噛み締めすぎて真っ白になっているが、頭だけは動き続けているようだった。
見た目通りの鼻にかかった低い声で、しかも癇癪のように突然声が大きくなるのはさておき、だんだんと、このシュヴァインという人物のことが格好良く見えてきた。
「了解しました。……さて、君たち。聞いての通りだ。私はこれから子飼いの……信頼できる冒険者か、子飼いの手勢を用いて、アンジェリカ嬢を探すつもりだ。できれば君たちにも協力していただきたい。もちろん正式な依頼だ。成功報酬となるが、こちらの太っ腹な市長が、この件で支払いを渋ることはない。どうかね?」
全員が盛り上がっているさなか、俺が手を挙げた。
実のところ、部屋に入ってから、ずっとティナのお付きのような扱いだったし、俺も自分からは口も挟まなかった。しかし、沈黙を貫く意味は消えた。
何を言い出すのかと、全員の視線が集まった。
「なにかね……えーと、ビッテンルーナ氏と組んでいた、ヨースケ君だったな」
「アンジェリカ=エメルデアの居場所、知ってます」
時間が惜しいため、本題から切り込んだ。
「ほう、それは心強い! ……今なんと?」
オズボーンがふむふむと頷いてから、固まった。
これまで行方が分からない、という前提で長々と話し合いをしていたのだ。
前提をひっくり返されたら、頭が真っ白になるのも不思議ではない。
猜疑心だか、今まで黙っていたことへの怒りゆえか、オズボーンの睨み付けるような強い視線を、俺は肩をすくめて受け流した。
「これから呼んで来るんで、とりあえず、どこに行けば良いですかね」
「待て待て待て! それは本当か! なぜ今まで黙っていた! まさか吾輩が右往左往するのを笑って見ていたのか貴様!」
「知人が生け贄にされる可能性があるなら、居場所は教えないでしょう。普通」
動揺して態度のおかしくなったオズボーンに同調するように、市長も泡を食って叫んだ。
率直に答えたところ、二人を覗いた全員が納得した顔になったが。
「……そりゃそうだわ」
「そうですな」
「確かに正論だが」
「とりあえず事情を説明して、こっちに来てもらいます。なので、お約束の報酬はいりませんが、アンジーの身の安全だけ保証してもらいたい。いいでしょうか、市長」
「貴様に任せる。好きにしろ」
シュヴァインの顔は、先ほどまでどす黒い怒りに満ちていたが、今になって、少しだけ余裕を取り戻していた。
「吾輩は行くぞ。騒がしい街の連中に顔を見せてくるのでな」
真っ二つに割れたテーブルを蹴飛ばして、のっしのっしと歩いて行く後ろ姿は、大変立派な市長そのものの背中だった。
相談して役割分担を決めた。
この場にいたキーツと、サブリーダーはハンター側の抑えに回ることになった。俺はティナを引き連れて、アンジーの説得だ。
オズボーンは探るような問いをしきりに投げかけてきた。
アンジーの居場所が気になるのは分かるが、俺がはぐらかすと、それ以上は追求してこなかった。
仕事柄、彼も聞かずにはいられなかったのだろう。ただ、一切詳細を聞かずにこの場を離れたシュヴァインほど豪毅ではないことは確かだった。
冒険者ギルドから出て、少し離れると、建物の光も届かなくなる。
闇夜で足下も覚束無い道を、二人一緒に金の靴亭へと向かって歩く。ちらり、と背後を確かめるが、追跡者は見当たらない。
「あの娘、よね?」
「ああ」
身を隠せる場所がない中途半端なところで、ティナが声を潜めた。
「今すぐ街から遠ざけるのが一番じゃないかしら」
「市長からの依頼を反故にしろって?」
「多額の報酬を断ったなら、そもそも違約金も必要ないでしょ? オズボーンが正式な依頼って口にしたけど、それこそ単なる口約束だし。そもそもシュヴァインさん、それを想定してヨースケに任せたんだと思うけど」
ティナの言う通り、絶対に身柄を抑えておきたいのなら、俺と一緒に誰か自分の部下を派遣するのが最善手だし、それを市長も理解しているはずだ。
それでも俺に任せると言ったのだ。
ルピンのときもそうだったが、出来る男は風格が違う。
そして信頼されるとその分に応えたくなるのは、元の世界にいたときに、何らそういう経験がなかったことが強く影響しているのかもしれない。
押しつけられるのは嫌いだが、頼られる分にはひどく嬉しい。
悲しいかな、人間とは、そういう現金なものなのだ。
街を巡って耳を澄ませば、どこにいっても市長の悪評は絶えない。
ハンターが命掛けで稼ぎ、ネストン市民が膨らませた大金は、最後には半分ほどがシュヴァインの懐に入る、などと揶揄されている。
市長としての権力を笠に着てでも、金貨入りの袋で頬を張ってでも、自分の思い通りに物事が動かなければ気が済まない悪徳市長として、道行く子供にすら睨まれる市長シュヴァイン。
しかし、ティナに言わせれば、王国でも類を見ない発展ぶりだという。
「確かに次善の策ですね! どちらが最善か分からない以上、それを選ぶのも決して悪くはないでしょう!」
「うわっ」
「スピカ、いきなりだな」
「先ほどの話し合いの最中、ご主人様がずっと黙っていらしたのに、ワタシが出しゃばるわけにもいきませんでしたからね。ではご主人様、ティナさんになぜアンジーさんを連れてくるつもりか、ご主人様の深謀遠慮を聞かせてあげてはいかがですか!」
「スピカ、これで俺が何も考えてなかったらどうするつもりだった?」
「そういうときは、このスピカに自分の考えを推測させて、喋らせて、周囲が納得したあたりで『うむ。流石はスピカ、俺の考えをよくぞそこまで見抜いた……』みたいなやり取りをするのが最近のお約束らしいですよ!」
「却下。そのパターンは後で苦労するってどこかで読んだ。そもそも、スピカの考えたことをさも俺の思いつきのように語るのは功績を掠め取るみたいで、ちょっとな」
「うう、つれないご主人様。でもそんな矜恃の持ち方も素敵です! ちなみにワタシはご主人様のモノなので、当然ワタシのモノはご主人様のモノなのですが……そしてご主人様の喜びはワタシの喜び、として認識して頂けると!」
俺にお前のモノは俺のモノ、というジャイアン方式を強いられても困る。
とはいえ、スピカの考えは記憶に留めておくことにする。
「バカップルの会話を聞かされてるみたいで辛いんだけど」
「ティナさん、失敬な! 残念ながら、ご主人様は本に欲情する特殊な性癖の持ち主ではありませんよ! あ、でもご主人様、勘違いしないでいただきたいのですが、カップル扱いは嬉しくないわけではないですからね! むしろバッチ来いですからね! あくまでご主人様の世間体のために弁解しているだけで、このスピカはもしご主人様がお望みならばいつでも後半の頁を開く準備は出来ておりますから! もし、どんな場所で乱暴に読まれてしまっても、隅々までめくられてしまっても、嬉しいですから! ね! ね!」
何かをこじらせてないか、スピカ。
俺は戦慄した。
先ほどまでのシリアス一辺倒な話し合いの空気が、恐ろしい勢いでぶっ壊れていく。
今のはスピカなりに気を遣った話題転換だったに違いない、と考えておく。
きっと。
たぶん。
「……ティナ」
「うん、ごめん。余計なことを言ったわ」
何やら人聞きの悪い、嬉しいことは嬉しいんだが人前で聞きたくないスピカの妄言を全力で聞き流して、先ほどの言葉を考える。
手紙の意図がはっきりしない以上、アンジーを逃がすのは確かに次善策だ。
たとえ結果としてダンジョンの異変が変わらず続き、ネストンが更なる災禍に見舞われようとも、この場での彼女の安全を考えるならばそうすべきだった。
しかし、手紙に書かれた情報はすでに出回ってしまったのだ。
あるいは本人にも、このふざけた話はすでに伝わっているかも知れない。
たとえば、アンジーが今すぐ街を逃げ出したとしよう。
それから一月後か、一年後か、あるいは数十年後、ネストンが滅ぶ事態にまで陥ったとして、それを手紙で名指しされたアンジーのせいだと逆恨みする者が出ないとは限らない。
もちろん、それとは違う心配もある。
アンジー自身が何を考えるかだ。
「俺としては、アンジー本人に決めさせたい。それだけだ」
「手紙に従えば、金貨級だらけのダンジョンに連行されることになるのよ。下手しなくても死ぬ危険がたっぷりで、きっと辿り着いた先にも嬉しい知らせは無いわ。自分の命とネストンの未来を知らぬ間に天秤に掛られていて、逃げない選択肢は無いと思うけど」
普通に考えれば、誰だって逃げる。逃げても仕方ない。そしてあたしは絶対にその選択を責めない、とティナは力強く言った。
たとえ俺が反対しても、アンジーが逃げたいと言ったのならそれを手助けすると。
「普通なら、な」
「何言ってるのよ、ヨースケ。普通の女の子だったじゃない、あの子」
俺とティナとでは、アンジーに対する見解が違うのは分かっていた。
直接話してみなければ、幼げな見た目に反してなかなか頑固なところがあると気づけまい。
俺は答えず、肩をすくめてみせた。