第十四話 『市長シュヴァイン』
「あっぶねーなあ! 速度落とせよっ」
馬車は通行人の横すれすれを、普段より速度を上げたまま駆け抜けた。
街の入り口から臨んだネストンの夜は、いつものように明るく、騒がしかった。
夜闇に包まれながら、街の灯は地上から膨らむように広がっている。
大通りに面した酒場の外テーブルで、男達が誰も彼も楽しげにジョッキを持ち上げ、大声で不思議な節回しで歌いながら、楽しげに笑ったり、笑いながら罵ったりしている。
店の中から弾き語りの音楽も流れてきたし、また別の店では、隙間から、ちらりと覗いた薄着の踊り子が暖色の明かりに照らされて、肌に浮かんだ汗の煌めきでどこか艶めかしく見えた。
そこにあるのは、普段通りのネストンの夜だった。
「……以上が、今、ダンジョンで起きたこと、起きていることです」
「まさか。いや、しかし。……それは、本当なのか。本当なのだな」
俺たちは、すぐさま冒険者ギルドへと向かった。
馬車の上でお互いの持っている情報を交換し、相談した結果、キーツが報告することに満場一致で決まった。
冒険者ギルドの職員はやきもきした様子で待っていた。
ほぼ安全圏だった入り口すぐの広間、そこにオーガが出現した時点で脱出して報告に走った者がいたのだ。
ネストン冒険者ギルド長がすぐ現れて、応接室に通された。
ギルド長とキーツが対面で座り、キーツの後ろに立ったまま、俺、ティナ、ロイのパーティーのサブリーダーと並んだ。
その他の面子は建物内で、話し合いが終わるのを座って待っている。
ギルド長は、三十才くらいのすらっとした男で、オズボーンと名乗った。
オズボーンは銀縁眼鏡を掛けており、そのレンズ越しに切れ長の目が覗いた。
体格からしても、雰囲気からしても、冒険者といった感じは受けない。冒険者ギルドのトップには、戦闘能力は必要ない、ということだろうか。
キーツ以外は黙って話しの推移を見守っている。コメントを求められたときに話すくらいだ。
俺以外は別にオズボーンのことを怪訝そうには見ていない。
「すまない。疑っているわけじゃないんだ。君たちに嘘を吐く理由も無いことは分かっている。遠からず他の者も戻ってくるし、確認のために部下も現地に向かわせた。しかし信じがたい……信じたくないのだ」
「気持ちは分かります。実際に現場にいた俺も、目を疑いましたから。……でも、ロイのやつは戻ってこられなかった」
キーツが感情を出さないよう、極力声を抑えている。
ギルド長オズボーンは、眼鏡のふちを触りながら、落ち着き無くキーツを、そして後ろに立っている俺たちの顔を見回した。
「そうだ、それだ。今日ダンジョンに入った冒険者の名前と照らし合わせてみれば、金貨級を倒せるパーティーの大半が未帰還じゃないか。奥に進んで戻ってきたのは、そこにいるビッテンルーナ嬢とその連れの男だけ。金貨級が手強いのは分かる。いるはずのない場所に強敵が出現して、奇襲を受けたりして動揺するのも――私はハンターではないが、この街の冒険者ギルド長だからな――理解は出来る。だが、気づいて逃げることすら出来ないものか? いったい、どうしてこんなことになった?」
言葉は責めているようだが、口調は違う。
ただただ、不可解そうだった。そして、声は震えていた。
「キーツ君。どうしてだ、いや、私はどうしたらいい? 救助隊を出すべきなのか? 年に数回はある、遭難者を助けるような形で……」
「オズボーンさん。こう語るのは業腹ですが、たとえ志願者だけであっても、救助隊は出すべきではないでしょう」
「……やはり、手遅れか」
「もしかしたら、中にはまだ命を拾ったヤツもいるかもしれない。来るかも知れない助けを待って、今も必死に堪え忍んでいるかもしれません。だけど、こうして狂ったダンジョンに潜るのは、小銭稼ぎするうちに調子に乗ってはぐれた間抜けを探しに行くのとは、わけが違う。死にます。……下手をすれば死ぬかもしれないって可能性の話じゃない。足手まといを連れたまま動いたら、確実に死ぬんだ。それも無駄死にって形で」
残酷な沈黙が、応接室を満たした。
その場に集った誰からも反論の声はなかった。
オズボーンがキーツから目を逸らし、ゆっくりと顔を上げ、俺たちを見つめたが、その視線を受け止めることはできなかった。
彼の満足する答えは出せない。それだけが事実だった。
「君も、昔言っていただろう。……あのダンジョンは、狩り場としては最高だと。安全な場所だと。それは……嘘だったのか」
「俺が若い頃に言った言葉をよく覚えてましたね。でもな、分かってくれオズボーンさん。あのときは嘘じゃなかった。だけど、その楽園は、今日……いや、ついさっき、終わったんだ。自分の力量を見極めて潜る分には、本当に安全な場所だった。最高の狩り場だった。こんなことが起きちまったらもう、今まで通りとはいかねえんだ」
キーツの言葉は荒くなった。
その声に含まれた真実味をようやく受け入れて、オズボーンは天井を見上げて、それから強く目をつむった。
そのとき、応接室の閉じられたドアがノックされた。
「大事な話し合いの最中だ。重要な要件でなければ後にしてもらえ」
「ギルド長、それが……」
許可もなく、扉は開かれた。
そこに立っていたのは、良く言えば恰幅の良い、脂の乗った中年の男だった。
額に汗が浮かび、小刻みに肩を上下させながら、ドタドタと騒がしい足音を立てて踏み込んできた。
「きゃっ」
「ミルシア君、大丈夫か!」
従者だか部下だかを引き連れて、どこか怒りに満ちた顔をしている。
案内してきた受付嬢が小さく悲鳴をこぼした。小柄なミルシアは体勢を崩し、廊下に倒れてしまった。
「教育がなってないぞ、オズボーン!」
「うちの職員に手荒な真似はやめていただきたい」
「はっ、吾輩は触ってすらおらん。吾輩の顔を見て勝手に避けて、自分で体勢を崩した間抜けにまで、なぜ吾輩が責任を取らねばならんのだ」
オズボーンは舌打ちをした傲岸な男の顔を目にすると、苦悩に満ちた先ほどの表情を、動揺によって歪ませた。
よく肥えた男は周囲の白い視線をまったく意に介した様子もなく、冒険者ギルド長オズボーンへと駆け寄った。
その走り方の鈍重さが、全員の表情や部屋にあった雰囲気と全く噛み合っておらず、ここまで張り詰めていた緊張感を、彼のたるんだ頬肉のように弛ませた。
顔の形といい、二重顎といい、鼻息の荒さといい、豚にしか見えなかった。
「いったい何用ですか、まだ入室の許可を出していないはずですが」
「ふん、それはこっちの言葉だ! なぜ街にとって重要な議論に、真っ先に吾輩を呼ばなかったのか、下手な言い訳を聞かせて貰おうか! あまり調子に乗るなよオズボーン! お前なんぞ吾輩の意向ひとつでいくらでも首のすげ替えが出来るのだからな!」
硬い声を発したオズボーンに、豚男は嘲笑混じりの言葉で返した。
「ああん? なんだその目は。オズボーン、吾輩の立場を忘れたのか? 忘れたのなら思い出させてやろう。さあ言ってみろ、吾輩は何だ?」
「申し訳ありません、町長……いえ、市長どの」
「そう、そうだ。吾輩はネストンの市長! つい数十年前までは、荒野に孤立する、ちっぽけで貧相なつまらない町に過ぎなかったネストンが、ここまで大きくなり、これほどに繁栄したのは吾輩、いや、吾輩の父祖の功績に他ならない! さあ、我が名を称えよ! 吾輩こそはネストン市長シュヴァインなるぞ!」
豚男は、シュヴァインと名乗った。
似合わない名前にもほどがある。
あの顔と体格でシュヴァインって響きは結びつかない。
いや、もしかしたら、クーゲルシュライバーみたいな意味かも知れないが。
「と、いうわけだ、常識知らずのハンターども。まさか吾輩をこの大事な話し合いから除け者にするような愚かな真似はせんだろうな? 繰り返すが、ここネストンは吾輩の! このシュヴァインが市長を務める街なのだぞ! 吾輩にはネストンの今後を憂う責任があるのだ! ハンターはギルドからダンジョンに潜る許可を得ているようだが、その冒険者ギルドの存在を許しているのは、すべてネストン市長たる吾輩の温情に他ならん! にもかかわらず街の運営に関わる重大事で吾輩を無視して、こんなしょぼくれた冒険者ギルド長なんぞに先に話しを持っていったことの愚かさを知るがいい!」
見た目、話し方はさておいて、言っていることには一応筋が通っていた。
あのダンジョンの存在で興隆しているネストンの街、そして市長シュヴァインにとっては、自分を無視して勝手に話し合いをもたれては、存在意義が問われる。
異常事態が起きて出る影響は、街全体に及ぶどころか存亡に関わる事態だった。
「分かりました。市長も話し合いに加わっていただきましょう」
「当然だな!」
ふん、と鼻息を鳴らし、堂々と前に進んだシュヴァインは、オズボーンが薦めた椅子に勢いよく腰を下ろした。
ネストン市長と冒険者ギルド長とのやり取りを目の当たりにして、自分が代表者でいいのかと少し困惑気味なキーツをよそに、自然と三者による鼎談の形となった。
軋んだ音を立てた椅子に、シュヴァインは不満げに呟いた。安物か、と。
オズボーンは肩をすくめただけで、それ以上の反応をしなかった。
「ここに駆けつけた以上、市長も状況についてはすでにご理解のことと考えます。早速、対策についての話を進めましょう。……キーツ君。改めて、ダンジョンの異常事態にどう対処する。金貨級を相手取れるハンターの多くが未帰還、しかし救助隊は出せない、出すべきではないとする君の意見は理解した。得がたい人材を失ったことを納得したわけではないがね……そもそもこのダンジョンの異変は一時的なものではないのか?」
「待て! オズボーン! なんだ、何の話しをしている?」
「市長? ダンジョンに異常が起きた件について、どう対処するか。我々の取るべき行動は何なのか。それを話し合うために冒険者ギルドを訪れたのでは?」
シュヴァインは目を丸くした。
先ほどまでの傲岸不遜、ネストンの支配者は我であるといった自負に溢れたその姿が、突然に不安そうに目を泳がせた。
「聞いてない、聞いてないぞ! なぜ真っ先に吾輩にその報告が届いておらんのだ!」
「待ってください。この件で来たのではなかったのですか。……では、市長はいったい何のためにここを訪れたので……いえ、先ほどの言葉も意味が変わってきます」
キーツは困ったようにオズボーンを見た。
市長以外の全員が、話しの雲行きが怪しくなってきたことに、顔を見合わせた。
大至急の話し合いに横やりを入れておいて、この発言は無いだろう。
オズボーンは、とんとん、と指で自分の膝を叩くことで苛立ちを我慢している。
それでも抑えきれない怒気を込めた問いかけに、しかし市長シュヴァインは、つばを飛ばしながら怒鳴り返した。
「昼前に、吾輩の元にこんなものが届いたのだ! 最初は吾輩を妬んだ者によるタチの悪い嘘か何かだと思って捨て置くつもりだったがな、先ほど、慌てた様子で冒険者ギルドに駆け込んだ者がいると耳にしたのだ! 一度ならともかく、二度目ともなれば、吾輩に来たこれと関わりがあると考えるに決まっているだろう!」
シュヴァインがテーブルに叩きつけたのは、一言で言えば脅迫状だった。
全員が一度に見るわけにもいかず、オズボーンが手にとって、周囲に聞こえるようにゆっくりと読み上げた。
『粛啓
絢爛たるネストン市長シュヴァイン様におかれましては、ますますご健勝にてご活躍のことと存じます。
平素は何かとここネストンの街の隅々にその類い希なる光輝なるご尊顔と、他に類を見ないご立派な体格、そして匂い立つような恐るべき黄金の香りを分け隔て無く振りまいていただき感謝申し上げます。
今回このような形でお手紙を差し上げましたのは、不躾ながら、この素晴らしきネストンを守るために、可能な限り速やかに、且つ確実に、実行していただきたいお願いがあるためです。
このような些事に、ご多忙なシュヴァイン様の手を煩わせることになり大変心苦しいですが、万が一このお願いが叶えられなかった場合、ご厚情と義侠心に溢れた英邁たる市長シュヴァイン様のみならず、ネストンの存亡が問われる事態になると強くご忠告申し上げねばなりません。
もちろんネストンの真の支配者たるシュヴァイン様がこの手紙あるいはお願いを無視されることはご自由です。
繰り返しますが、あくまでこれはお願いに過ぎません。
この手紙が届くころには、既に事態は進行しているものと考えられるため、ネストンに訪れる厳しき試練を運命として受け入れることも、市長の選択に委ねられています。
また、このお願いを受け入れなかったことによる不利益が生じても、熟考に熟考を重ねた上での選択の結果であると考えますので、一切の責任は取れないことを重ねて申し上げます。
話を戻しましょう。
お願いの具体的な内容は「アンジェリカ=エメルデアを、ネストンダンジョンの最下層へと生きたまま連れて行く」ただそれだけです。
たったこれだけで、由無くネストンに降りかかっているはずの異変は即座に終了するでしょう。
逆に言えば、アンジェリカ=エメルデアが最下層に足を踏み入れない限り、この異変は永遠に続くことになります。
これは栄華を極めたるネストンの輝きが曇りを晴らすため、絶対に必要な条件なのです。
ご覧の通り、お願いは、極めて単純な内容です。
たったこれを行うだけで、ネストンの未来が拓けるならば安いものだと考えていただきたい。
明晰にして高邁たるネストン市長シュヴァイン様ならお分かりと思いますが、すべてはネストンのため、ネストンに生きるか弱き住民達が長い年月をかけて作り上げた活気ある生活と素晴らしき街の秩序を守るため、そしてネストンのダンジョンを糧として生きるハンター諸氏の希望と、彼らが産み出す財産と輝かしき未来を取り戻すためであり、一時の感情、くだらない雑音に心を惑わされることなく、真に賢き選択をしていただけることを、祈っています。
なお、この話の真偽をもしお疑いであれば、ネストン冒険者ギルドの様子を確かめると良いでしょう。
それでは、末筆ながら、ダンジョンとハンターの街たるネストン市長、叡智と名誉に溢れたるシュヴァイン様と、この素晴らしき街の、ますますのご栄達を祈りつつ、正しき選択を為されることを心よりお願い申し上げます。頓首再拝』
「……以上だ。宛名にはシュヴァイン市長の名はあるが、手紙を書いた人物による署名は見当たらない」
読み上げたオズボーンが、手紙をテーブルの上に投げ捨てた。
全員が一様におし黙りながら、その手紙から目を逸らせなかった。
回りくどい表現と、シュヴァインをやたらと持ち上げた文章に頭が痛くなるが、抑えておくべき点は二つだ。
この手紙の主は、ダンジョンの異変が起きることを知っていた。
そしてアンジェリカ=エメルデアなる人物をダンジョン最下層に連れて行けば、この異変は終りを告げると手紙に書いた。
各自が頭の中でこの内容について沈思黙考しているなか、たったひとり、入ってきた瞬間には醜悪で鈍重なな豚男でしかなかったシュヴァインが椅子を蹴飛ばし立ち上がり、市長を守る為政者の顔で、居並んだ全員を睨み付け、最後に目を伏せたオズボーンへと近づき、その顔を無理矢理上げさせた。
座っていたオズボーンは胸ぐらを掴まれ、シュヴァインの顔を間近で見た。
シュヴァインは顔を真っ赤にしていた。
全身で怒りを現すような、荒々しい動きでオズボーンを立ち上がらせた。
シュヴァインは口元の鋭く歪み、弛んだ頬肉は引っ張られて、そこに豚ではなくオーク、あるいは、オーガを思わせる鬼気迫る顔が現れた。
「分かっただろう、オズボーン。吾輩がどうしてこんなむさ苦しい冒険者ギルドにわざわざ足を運ばねばならなかったか。このくだらん手紙に振り回されるのは業腹だが、ネストンに脅威が及ぶのなら吾輩は座して見ているわけにはいかんのだ。いつもの澄ました貴様にしては珍しい顔色で、このふざけた手紙を即刻焼き捨てるべきではないことは確信した。ダンジョンにいったい何が起きたのだ! このネストンを脅かす異変とはなんだ! このネストン市長たるシュヴァインに、貴様の知っている限りを包み隠さず教えろ!」
「分かりました、市長。手を、お離しください」
それまで苦悩に満ちた顔だったオズボーンは、少しだけ穏やかな顔をした。
シュヴァインの怒りを垣間見て、自分は普段の冷静さを取り戻したらしかった。
「……すまん、つい貴様に強く当たってしまった。手短に頼むぞ。事実ネストンにおそるべき脅威が迫っているのなら、吾輩はそれを急ぎ排さねばならん。それこそがネストン市長たる吾輩の責務だからな!」
キーツが、安堵の息を吐き出した。




