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清純派魔導書と行く異世界旅行!  作者: 三澤いづみ
第二章 ネストン・ラプソディ

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第十話 『適切な対処』

 

 

 とうとう恐れていた事態が起きてしまった。

 前方の人影、後方のトロール。


 三度往復した通路である。

 さっと逃げ込める小部屋が無いことは分かっている。

 脱出口の方角に見えた人影は、こちらに気づいていないようだ。

 その場で足を止めて、どちらを優先するかを考えてみる。


「体調は」

「歩くくらいなら、なんとか」


 つまり、まだ回復はしていないと。


「スピカ。切り抜ける手はあるか。ティナを放り出すってのは無しで」

「高濃度の浮遊マナが危険なだけなので、やりようはあります」

「この位置取りだと、距離を取るには厳しくないか?」

「いえいえ、簡単ですよ。この場で殺さなければ済む話です」


 スピカの挙げた解決策は、ひどくあっさりとしたものだった。


「あー、つまり」

「ご主人様と一緒にグレボー相手に狙っていた足止めと同じですね! あのときは! ティナさんの横やりで! 出来ませんでしたけど! たとえご主人様は気にしなくとも、ワタシは見せ場を奪われた恨みがありますからね……!」


 スピカの声はむしろ楽しげで、俺は何も言えなかった。

 確かにあのとき、スピカは準備完了していた。

 タイミングを見計らって、生かさず殺さずの繊細な威力調整を狙って、俺が呪文を唱える瞬間を今か今かと待ち構えていた。

 魔導書的には、ずっと引っかかっていたらしい。


「う、ごめんなさい。でも、トロールは頑強な肉体と再生能力を併せ持ってるわ。大火力さえあれば殺すのは簡単だけど、殺さないで身動き出来なくするってむしろ困難な」

「ご主人様とワタシなら出来ますが何か」

「……え、えーと、スピカ、さん?」

「一番良いタイミングで使ってもらえなかった魔導書相手にわざわざさん付けしなくても結構ですよ凄腕天才美少女魔法使いティナさん。実は意外と少ないご主人様との共同作業だったのですっごく楽しみにしていただけですから」


「な、なによっ。そこまで言わなくてもいいじゃない! 自分なら助けられる場面で助けちゃいけないっていうの!? あの場合、見捨てた方が正しかったとでも!?」

「だったら素直にアンジーさんから感謝されてくださいね」

「……う」


 お見事。


「ヨースケ! あんたら主従やっぱりそっくりよ!」

「ご主人様ご主人様、ティナさんからまた褒められました!」

「良かったな。そろそろいいか」

「いつでもどうぞ!」


 ティナとスピカのやり取りの最中にも、どんどん近づいていたトロール。

 ついに追いつかれた。

 ぬぼっとした灰緑の頭、その落ち窪んだ眼窩に覗く巨大な目玉が、俺たちを視認すると同時に残酷な煌めきを見せた。


 ティナを左手で抱えたまま、俺は右手をトロールに向けた。

 どの程度の威力であれば丁度良いのかなど、判断のしようがない。

 ただある程度の魔力を注ぎ、それがスピカを経由しているのを感じた。


「《轟雷嵐(サンダー・ストーム)》」


 俺の手のひらから蜘蛛の巣状に広がった紫電が、ようやく危険に気づいて身をよじったトロールの鈍重な全身にびっしりと絡みつく。

 足下から頭頂部まで余すところなく放射状に広がった雷撃の渦は、モンスターの強靱な肉体を弄ぶがごとく自由気ままに跳ね回る。

 ジババババババババと凄まじい音の刻みと肉が焦げる臭いとが同時に発生し、トロールはそのまま前のめりに倒れた。

 死んではいないが、狙い通り、動けなくもなっていた。

 やがて自儘に暴れ回った小雷撃の竜巻が収まると、焼け焦げて黒ずんだ全身の肌の再生がすぐさま始まった。

 内臓部分に受けたダメージまでは回復しきれないようで、トロールは醜悪な外見に似合わぬ小刻みの痙攣を続けていた。


「ヨースケ、ずるいわ!」

「いきなり何だ」

「さっきのと同じ呪文なのに、使い道も威力も全然違う魔法じゃない! あたしは詠唱部分いじらないと効果の調整とか出来ないのに……!」

「そんなこと言われても」

「ご主人様とこのスピカの力を以てすれば、この程度容易いことです! そんなわけでティナさんは自分が足手まといだとかお荷物だとかそうした余計なコトを考えず、大人しくご主人様に守られていてくださいね!」


 ティナが俺のポケットを、ちらりと見た。


「いいわ。今の嫌味に見せかけた言葉に甘えてあげる」

「ち、違います! 凄腕天才美少女魔法使いとか名乗ってるティナさんがここで調子に乗ってご主人様に余計な手間を増やさないようにするための忠告ですから!」

「はいはい、そういうことにしといてあげるから」


 元ぼっちにやりこめられるマイ魔導書を、布越しにぽんぽんと叩いてやる。

 こうしている間にも、トロールの炭化した外皮というか、分厚い肉の部分が、しゅわしゅわと白く泡立ちながら再生する。

 見ていて気持ち悪かったが、目を離した隙に復活されても困る。

 グロい光景を視界の片隅に収めつつ、次は人影への対処に切り替えた。


 トロール相手の雷撃魔法は光も音も派手だった。

 当然、人影も気づいた。


 遠方の人影が近寄ってくるか離れてくるか警戒していると、どちらもせずにその場に留まった。

 俺たちがダンジョンから脱出するには、あの人影との接触は避けられない。


「あの人影も金貨級だとすれば、まさか、影男(シャドウマン)……?」

「知ってるのかティナ」


「え、ええ。見ての通り全身が影で構成されたモンスターなんだけど……魔力を含まない物理攻撃は一切効かないって嫌な特徴を持ってるわ。そのくせ向こうは影の剣で切りつけてきて、その一撃はしっかりと有効になる。対抗手段の無いハンターには最悪の敵」

「俺たちならなんとかなるか?」

「安心して。ヨースケじゃなくても、普通の魔法使いなら雑魚扱いよ。防御力とか耐久はゴブリン並で、《火炎玉(ファイアー・ボール)》一発で消し飛ぶから、ただの金づる」

「でも含有マナはきっちり金貨級、と。あ! ……これは、ちょっと困りましたね」


 こっちが手をこまねいているのを知ってか、人影が少しだけ動いた。

 警戒する足取りで、俺たちにゆっくりに近づいてくる。

 接敵まで、あと三十秒。


「ふ、ふふふ。ついにあたしの力が必要になるときね!」

「ご心配なく、ティナさんの出番はありません」


 選べる手段も、冒険者としての経歴も、モンスターに対する知識も、ティナは俺よりずっと豊富のはずだ。

 にもかかわらず、一切の逡巡すらなくスピカは言った。

 ティナが呻いた。切なげな表情だった。


「いや待てスピカ、話を聞いてからでも遅くはないだろう」

「必要ありません」

「あ、あたしの話なんか聞く必要すら無いってこと?」


 ティナの声が震えていた。

 スピカは違います、とばっさり切り捨てた。


「早とちりせず、あちらを、よーくご覧ください、ご主人様」


 スピカに言われるまま、近づいてくる人影を見た。

 じっくりと見た。

 マジックライトの光を持ち上げて、その姿を照らして確かめる。

 薄暗いダンジョンの通路から顔を出したのはどう見ても人間で、影男なるモンスターとは思えなかった。


 敵意がないことを示すように、彼は抜き身の武器は手にしていない。

 ただ、カンテラや松明といった光源も近くに無いため、間違えたのも仕方ないかもしれない。


「……ティナ」

「ご、ごめんなさい……。本当に早とちりだったわ」


 スピカは無言だった。

 その沈黙に、ティナは余計に顔を赤くした。

 ハンターは、俺がティナを抱えている姿を目の当たりにしても、からかいの言葉を口にはしなかった。


「魔法使いの嬢ちゃんじゃないか! 足でもやられたか。大丈夫なのか?」

「色々あったが、なんとか無事だ。それより何があった」

「降ろして」

「あっ、無理すんな! そのままでいい!」


 男が気遣った言葉に、ティナはじたばた動いて俺の腕から抜け出そうとした。

 暴れられて落とすよりマシかと、ティナを床に降ろす。

 本調子でないのは確かだが、歩けないほどでもない。

 彼女はロングスタッフを杖代わりに、その場で息を整えた。


「怪我したわけじゃないから。マナ中毒よ」

「……そうか、こっちもか」


 心配そうにしていた男は、ティナの言葉で理解してか、険しい表情を見せた。

「こっちは突然脇道からオーガだ。一匹だったのは不幸中の幸いだったよ。怪我人出しつつも囲んでなんとか削り殺せた。で、さっきの光と音はなんだったんだ」

「あの雷撃はトロールの足止めに使った。まだしばらくは動けないと思うが……」

「トロールだと!? ああ、トドメを刺すのは難しかったんだな。しかし……いや、この場にいるよりはマシか。歩きながら話そう。……戻ってくる途中で他のハンターの姿は見てないか?」

「いや。まさかとは思うが」

「そのまさかだ。今のところ、お前らだけだよ、奥に行って戻ってきたのは……まだ判断するには早いが」


 首を二度、三度と横に振った。

 銀貨級を狩るため奥に進んだグループが複数いたらしい。俺たちの記憶にある限りでは、往復の最中にそうしたハンターとは遭遇していない。


「銀貨級の領域で、ダークスライムと、その亜種……巨大スライムも出たわ。そっちはこのヨースケが倒したけど」

「黒スラまで出て、しかもそれを倒せる実力者か。……ネストンダンジョン始まって以来の異常事態だな。ともあれ、あんたたちが無事で良かったよ」


 彼は眉間の皺を狭めた。

 状況の悪さを見て取って、俺から先に名乗った。


「俺はヨースケ。こっちはティナ。あんたは」

「ウルフハンター、キーツだ。情報提供に感謝する、魔法使い殿」


 俺とティナの訝しげな視線に、彼は力ない笑みを浮かべた。


「ネストンでは古参な方だが、こんな状況になった理由も対処法もまったく思いつかん間抜けさ。……かといって、何もしないわけにはいかんだろ?」


 キーツの先導についていく形で、俺とティナは出口へ向かう。

 が、少し進んだあたりで、ティナが声を挙げた。


「このくらい離れれば大丈夫よね?」


 ティナは立ち止まると、抱きしめていた杖を先ほどトールがいた通路に向けた。

 一直線の通路ながら、すでに相当な距離が離れていて、倒れた巨体は全く見えない。


「ここから撃つわ。浮遊マナが届かない距離なら、倒しても問題無いし」

「何の話だ?」


 キーツが訝しげな顔をした。

 ティナは杖の先の角度を調整し、地面と水平になるようにまっすぐ伸ばした。

 そこからさらに少しだけ下方にずらす。


「さっきヨースケが行動不能にしたトロールに、今のうちにトドメを差すだけよ」

「この距離なら問題ないのか?」

「断言は出来ないけど、ここなら、影響はあっても限り無く少なくて済むはず。あそこに放置して、後で回復したトロールが怒り狂って突っ込んできたら……困るでしょ?」


 俺に問うフリをして、その目はキーツの表情に向いている。

 彼女も気づいていた。キーツの口ぶりと様子から、入り口近くでもオーガ以外に何かトラブルが発生している。

 可能であれば危険の芽を摘んでおくに越したことはない。


「倒すのは良いが、金貨は回収出来ないぞ?」

「いいわよ別に。その程度、あえて引き返すほどじゃないし」


 俺が軽口を叩くと、ティナが呆れて言った。

 それからすぐ、集中した表情をして、杖の角度を固定したまま詠唱を始めた。


「賢しき風よ。震え上がる矢尻がごとく、我が敵の悲鳴を呼び起こせ。《貫雷矢(ライトニング・アロー)》」

「当たったか?」

「手応えはあったけど、やっぱりトロールは面倒ね。倒せた気がしないし、もう二発ほど撃ち込んでおきましょ」


 ティナの杖の先から放たれた雷の矢は、通路をまっすぐ突き進み、丁度トロールが倒れていたあたりに差し掛かると、落雷に似た轟音が遅れて聞こえた。

 とほぼ同時に破裂する黄色い稲妻が輝いた。


 トロールは意識を取り戻したようで、直撃した直後に絶叫が聞こえた。

 三度目ともなると、かすかな断末魔すら聞こえなくなった。

 アウトレンジからの狙撃の有用性がよく分かる一幕だった。


「さ、行きましょ」

「魔法使いってやつは、やっぱり俺らとは価値観が違うのな」


 ティナが本当にトロールのドロップに見向きもしなかったことに、キーツが目を丸くして、しみじみとした口調でぼやいた。

 ティナは目を細めた。


「違うわよ。お金は大事。でもね、あたしの命は金貨数枚ごとき引き替えにするほど安くはないだけ。無駄にしたいわけじゃないから、余裕があるなら取りに行くわよ」

「そんなもんか」

「他のハンターだって、そうでしょ?」

「……そうだな」


 キーツは一本取られたと苦笑いしつつ、深く頷いていた。



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