第二話 『ハンターの集う街』
その場に広がった自分の荷物をまとめて、取り落とされた金貨も拾った。
「じゃあ、俺はこれで」
「わ、私の金貨……!」
「まだ言うか」
娘より金貨に視線が吸い寄せられる父親に、げしげしと蹴りを入れるアンジー。
みっともなく、しくしくと泣き出したダメ親父をよそに、アンジーはそそくさとその場を離れようとする俺に声を掛けてきた。
「カゲヤマ様、父の非礼、重ねて申し訳ございません。こんなのでも父親なので、厚かましいのは承知の上で、どうぞ許していただければと存じます」
「大変だな」
「……うん」
俺は本心から同情した。顔を赤くして、アンジーは目を伏せた。
隠れているスピカの声に気づいても、そのまま触れないくらいには気を使える子供だ。
他人の前で身内の恥を晒すのは、いたたまれないだろう。
「アンジー! なぜそんな男と親しげに話すのだ!? はっ!? まさか駆け落ちか! 将来を誓い合った仲なのか!? 許さんぞ! どこの馬の骨とも知れん男に!」
「ねえパパ、昔、自分がそう言われたんでしょ。ちょっと黙っててくれる?」
「だが」
「黙ってろクソ親父」
アンジーの父は、名家のお嬢様と駆け落ちした男だったらしい。
知りたくもない親子の歴史を知ってしまった。
父親はアンジーの低くした声と視線を受けて、すごすごと口を閉ざした。
そこで引き下がってしまうのも娘が嘆息する理由と思われるが、本人は気づかないものらしい。
「ヨースケ、こんだけ失礼と迷惑かけて、ほんっとうに申し訳ないんだけど」
「分かった、次の街まででいいか」
皆まで言わせず、頷いておく。
「いいの!? ありがとう。……また、返しきれない恩が出来ちゃったね」
「せっかく助けたのに今更死なれても困るしな」
アンジーは息を整えて、怒りと呆れと恥ずかしさを全部まとめて呑み込んでから、俺に向かって深々と頭を下げてきた。
「この子さえ無事なら、たぶん、なんとかなったんだけど」
アンジーは息絶えた馬の、ひしゃげた足を見つめた。
魔猪に激突されて死んだか、その後の群れに踏み殺された。
馬車は手の施しようがないほど壊れていたし、親子に打ち身以外の怪我がなかったのが不思議な惨状だった。
街道はモンスターと遭遇しにくいだけで、出るときは出るのだ。
それでもあの魔猪の襲撃は普通ではありえないが、一度あることは二度、三度あると想定して動くべきだった。
「あのイノシシがまた出たら、今度こそ逃げ切れないと思うが」
「そうだ、グレボー!」
魔法による翻訳の結果か、グレボーはあの魔猪のことらしい。
俺が益体も無いことを考えているうちに、アンジーは父親に詰め寄った。
「ねえパパ、あのグレボーの大群の襲撃って、わたしが狙われたみたいだけど……もしかして心当たり、ある?」
「いや、まさか、そんな……」
しょげていた父親は、さっと目を逸らした。
「パパ、何か思い当たるなら言って」
「さっき黙ってろって言われたし」
「あはは。素直に喋ろうね、パパ」
アンジーは微笑んで、可愛らしい声を出した。
父は顔を蒼くした。
「い、いや、私はこんなだが、アンジーには一応相続に関わる権利があるわけで、エメルデア家本流から疎まれても仕方ないというか、目障りというか、邪魔者扱いされて……消されたりなんかしちゃったりして」
「さっきのは、家督争いに熱心な本家の方々に命を狙われた結果だと?」
「そういう可能性もなきにしもあらずかなーと」
胡乱な父の言葉を受けて真顔になったアンジーは、少し迷ってかぶりを振った。
「無いわ。ありえない」
「で、でもだね、アンジーは義母さんに気に入られてたじゃないか。万が一でも、後継者として指名される可能性が」
「お祖母様と相談して、相続権はさっさと放棄したもの。財産や権利を一切主張しない代わりに、家名を名乗ることを許してもらったわ。本家の方々は全員その約束を知ってらっしゃるから……家督争いに元々影響しない以上、わたしを殺す意味がないの」
「な、なんだって!? そんな、いつの間に!? 私は知らないぞ!? そんな大事なことをなぜ父親である私に黙っていたんだ!?」
「え、去年の夏ごろだけど。むしろなんでパパが知らないの? エメルデア家の関係者全員に報告が回ったはずよ。あと、駆け落ちだから金銭的な援助がないのは元々だし」
「横からだが、いくつかいいか」
「あ、ごめんねヨースケ。こんなときに、お耳汚しな話聞かせちゃって」
アンジーも混乱しているのか、普段の口調とお嬢様喋りが混じっている。
「一つ目だが、その親父、関係者扱いされてないだけじゃないのか」
俺は嘆息しつつ、第三者としての意見を告げた。
アンジーと父親は、互いの顔を見合わせて、あ、と同時に納得した。
「二つ目。そこの親父が金の無心をしたことは、アンジーの約束を反故にしたと見做されてそうだが、そこは大丈夫か」
「考えたけど、それは問題無いと思う。もしパパが私の名前を使って勝手にお金を引き出そうとしたら屋敷から叩き出して欲しい、ってお願いしてあったし」
「き、聞いてないぞアンジー!」
「言ってないもの。お祖母様がお金を恵んでくれたのは、家を出た娘の夫があまりに見窄らしかったから、小銭を与えて追い払った……そのくらいの感覚だと思うわ」
血涙を流しそうな悲痛な顔の父を、アンジーは鼻で笑った。
「三つ目。エメルデア家ってのが金と権力を持ってるのは分かったが、だからといってグレボーの……いや、モンスターの行動を操作できるのか。出来たとして、アンジーや特定の人間を狙わせたりはありえるのか?」
「聞いたことないわ。パパは?」
「うう、なんてことだ」
ショックを受けた父親は、ぶつぶつと未来予想図を語った。
「いつかアンジーがこんな窮乏に苦しむ生活から抜け出して……」
「パパ……」
おっ、と思った。父親らしいことも言えるのだな、と。
「あのいけ好かない連中だらけのエメルデア家に戻ったら裏から支配して……」
「……ん?」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。
一瞬喜んだアンジーが表情を消して、こめかみを押さえていた。
「華々しい権力の中枢に潜り込んで大金を右から左に動かすアンジーを眺めつつ、その頼れる父親として悠々自適の生活を送るという私のささやかな夢がああああっ……」
「ねえヨースケ、この生ゴミ、ここに置き去りにして先を急ごう?」
「いいのか」
「パパなら大丈夫よ、運だけはあるもの。普通ならママと駆け落ちなんか上手くいきっこないのに、何故か成功しちゃったし、さっきだって打ち身だけで済んだでしょ? 心配して損しちゃった」
確かに。
グレボーの襲撃の瞬間、この父親は馬車の中にいたのだ。
突撃されグチャグチャになって原形を留めていない馬車と、馬の亡骸の無惨と比べ、当の本人はこうして元気に妄言を吐けるくらいだ。
「ほらほら、ヨースケ。さっさと行こっ」
いつの間にか、アンジーは散らばった荷物をまとめていた。
いつでも動ける体勢を整えていた彼女の周到さに驚く間も無く、背を押されて街道へと出ていた。
「はっ、アンジー、パパを置いていかないでくれ!」
「着いてこないでくださいます? お父様」
「ああっ、その冷たい視線も死んだ妻にそっくりだ! うう、懐かしい」
「お母様、なんでコレと駆け落ちしたのか……」
嘆息するアンジーは、表情に呆れを全面に出しつつも、少しだけ笑んでいた。
途中でグレボーの再襲撃はなく、偶然に遭遇したゴブリンも即座に逃げ去った。
俺たちが無事に次の街へと辿り着いたころには、すでに空は暗くなりつつあった。
宵の口にも明るく騒がしい街が見えてきた。
入り口と思しき門には守衛の姿どころか、塞がる扉すら見当たらない。
鉄製の門が、誰でも歓迎するかのように開きっぱなしだった。
そもそも街の周囲も、ハミンスのように巨大で堅固な壁に覆われてもいない。
申し訳程度に柵で囲ってある程度、それすら所々大きな隙間が空いていて、防壁としての役割は始めから期待されていないようだった。
意味を成していない錆色の門をくぐり抜けると、行き交うひとびとのバリエーション豊かな姿が目に飛び込んでくる。
通れないほど混雑してはいないが、それでもひとの通行は絶え間ない。
人の流れの向こう側にある建造物は、どれも大半が石造りで、民家商店にかかわらず頑丈そうだ。
俺が周囲の様子を観察していると、アンジーがなるほど、と頷いた。
「ヨースケはこの街は初めて?」
「ハミンスから出てきたんでな」
「ふん、田舎者だな」
「パパは黙ってて」
アンジーの向こうを歩く父親、フィリップの目が細くなった。
彼の名前は本人でなくアンジーから紹介されたが、どうにも目の敵にされている感じは拭えない。
歩いているうちに、ひとの流れにぶつかった。
飛び交う声のやかましさと雑踏、そのせいで二人の声が聞こえにくい。
「ちょっとだけ案内するね。まあ、見ての通りなんだけど……騒がしい街とか、閉ざされない街とかって言われてるんだよね。……ほら、あの通り!」
指し示されたのは、この時間から大盛況な酒場だ。
ひとつ、ふたつ、みっつ、すぐ見える場所に複数の大衆酒場が建ち並び、そのすべてが満席だった。
色白な隣の親子とはまったく違う雰囲気の男たちの酒盛りが目に飛び込んでくる。
たくわえた口髭こそ似てはいるが、肉体的にはフィリップ二人分から三人分の分厚さだ。
どこを見ても混じっている筋骨隆々とした体格は、以前出逢いそして戦った剛剣ブラスタインを思い起こさせる。
そんな連中が外に用意されたテーブルを囲んで、ときに唄いながら、大抵は大騒ぎしながら酒を煽り、豪快に料理に食らいつき、そして陽気に大声で喋り続けている。
彼らは、冒険者だ。
誰もがハミンスで目の当たりにした姿とは似通っていて、少しだけ違う。
モンスター退治から帰ってきて直接、腹ごなしに来たような物々しい者もいれば、着替えて少し洒落た格好の連中も行き交う。
街に入ってすぐの場所から、奥を見やれば、そっちにも店が居並ぶ。
頭上の暗さを追い出すように、地上の建物からはオレンジの光が膨らんで、足下を明るく照らしている。
あちこちの店は繁盛し、通りには不思議な活気と熱気が溢れている。
まるで昼の市場の勢いに似た雑踏のやかましさ。
夜の静けさはどこかに追いやられ、あらくれどもの厳めしさは街を楽しむ様子に紛れてしまって、太った財布を握りしめた彼らの面相は、どこか楽しげに弛んでいた。
物騒な気配はあっても、血の臭いはほとんどしない。
無数の酒場と食堂の煙突から争うように噴き出す大量の煙が、焼ける肉や香草、ついでに酒、その他の上手そうな香りであたりを染め上げている。
これだけの人の集まり具合だ。
もちろん客引きも多い。
隙を見て、折を見て、払いの良さそうな男に声をかけたり、さりげなく近づいて小声で呼ぶ小男の姿も見える。
酒場や食堂の裏手にあるのは娼館だろうか。
ニヤニヤとスケベ面をした男達が奥に向かった。
店の灯りの外側には、辻立ちに、娼婦に、夜鷹と、呼び方は何でも良いが、そうした夜の蝶、宵に花咲く女性たちがそれと分かる格好をして、道行く男の袖を引く。
いや、袖を引く相手は男に限らなかった。
今、薄絹を羽織った一人の綺麗な女性が、一晩の遊びを呼びかける様を見た。相手は格好からすると冒険者で、女性だった。
そして彼女は微笑むと、誘いを断らずに、どこかの宿へと連れだって歩いて行った。
それをつい目で追ってしまった。
いや、粉掛けられた側もビキニアーマーみたいなスゴイ格好だったから納得ではあるのだが。
目の前に、暗さと明るさの混在した場所が広がっている。
粗野ではあるが、不思議と楽しげにも見える光景が、あちこちに見えていた。
その盛況っぷりが普段からなのだと言いたげに、アンジーが目を細めた。
「ここはネストン。ハンターの集まる街、ネストンだよ!」
涼しげな空気をひっくり返す熱気と活気が立ちこめていて、フィリップは絶え間ない喧騒に眉をひそめているが、その騒がしさに負けない声でアンジーは言った。
慣れた様子でそこかしこに覗く荒くれどもを一望し、どこか自慢げにその小さな胸を張っていた。