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清純派魔導書と行く異世界旅行!  作者: 三澤いづみ
第一章 ハミンス・ワルツ
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第二十二話 『最善手』


 その男の姿は、いくら暗くとも、遠目にも見間違えるはずもない。

 浅黒い肌に、四角い顔。

 服の上からでも分かる重厚な体躯。

 つい先日、一緒に酒を飲んだ相手だった。


 鞘に入ったままではあるが、腰に差した大剣の柄に手をやっている。

 見たところ他にも数名の冒険者が乗っているはずだが、そちらは出て来ない。


「なんだ、守備隊じゃねえか。今から西南の壁に行くんだが、まさか伝わってないのか?」

「いえいえ、連絡はありました。冒険者ギルドからの応援ですよね。これから、外壁部の防衛に参加されるんですよねー?」

「ならなんで止めた。今は緊急事態だろ。モンスターが街中に入り込んだらことだぜ」

「……ええ、緊急事態です。なので剛剣のブラスタインさん。そちらの馬車の中を改めさせていただいても構いませんよね。ご存じの通り、大急ぎなのでこんな問答で時間かけたくないんですよー。当然、ご協力いただけますよねー?」


 二人共が落ち着いた様子で会話しているだけだった。

 お互い、さりげなく槍と剣に手をかけてはいるが、相手に向けてはいない。

 だが。

 そんなことは関係無いと言わんばかりの険しい雰囲気で、緊張が張り詰めている。

 空気がビリビリと軋むような、そんな気配だった。


「た、助けて! なかに姉ちゃんが、ソフィア姉ちゃんが!」


 どたん、と地面に落ちた音がした。

 睨みあう二人を覗き、全員の視線が集まった先には、縄でぐるぐる巻きにされた子供。

 そこにいたのはスタンだった。


 口を塞いでいたはずの布がズレている。それで声を出せたのだろう。

 ナスターシャとブラスタインだけが、互いに目を離せずにいる。


「チッ、クソガキが目ぇ醒めてやがった! まずいぞ、どうする剛剣!」

「馬車を止めたのって、やっぱり守備隊長のクソ女じゃねーか! やべえ、やべえぞ、槍の腕は二つ名クラスだって話が……」

「お前ら焦ンなよ、こっちには人質がいるンだぜ?」


 馬車の死角から機を窺っていた守備隊員は、スタンの救助に飛び出そうとした。

 たが、ブラスタインの強烈な殺気によって足を止められた。


 馬車から抜け出せたスタンも、自由に身動きが取れないままだ。当然、逃げられない。

 即座に飛び出してきた残り三人によってすぐに囲まれてしまった。


 必死になって身を捻ったスタンは、周囲の様子を探るうち、あの男の存在に気がついた。

 夜闇に包まれた今時分、有名な顔や武器が視認出来るまでに、タイムラグがあったのだろう。

 囲みの隙間から、期待の表情で、希望に満ちた声で、助けを求める叫びをぶつけた。


「……っ! 本物の剛剣だ! 剛剣のブラスタイン! 助けてよ! こいつら人さらいなんだ! 今すぐ悪いやつをぶっ飛ばして、姉ちゃんを助けてよ!」

「うるせえなガキ、黙ってろ!」


 思いっきり蹴飛ばされたスタンだったが、痛みにうめき、咳き込んでいる最中すぐに服を掴まれ、無理矢理立たせられた。

 さらに表情を険しくしたナスターシャと、苦い顔をしたブラスタイン。

 守備隊員たちと睨みあう形になった、スタンを盾にする三人の誘拐犯。

 涙目になったスタンは、視線を彷徨わせた。


「どいつもこいつも馬鹿野郎が……」

「なるほど、貴方たちが本命ですかー。でも……二つ名持ちが、どうしてこんな真似を?」

「悪ぃな。何も言わず気づかず通してくれりゃあ、殺さずに済んだんだが……こんなところを見られたからには、たとえ女であろうと生かしておけねえ」


 ナスターシャは、ゆっくりと、槍の穂先を地面から浮かせた。

 それに合わせてブラスタインは身体を捻り、鞘から大剣を抜き放った。

 どちらも隙を窺い、しかし手を出しあぐねている風だった。


「クソガキ! お前のせいだぜ。お前のせいで女が捕まって、こいつらは全員死ぬんだ。てめえが大人しくしてりゃみんな幸せだったのになぁ」


 冒険者の格好をした男、おそらくは追われていた誘拐犯当人だ。

 そいつが持ち上げたスタンの頭をバシバシ叩いて嘲笑していた。

 残る二人もそれに倣った。


「う、うそだ」

「ひひひ、なンだこのガキ、さっきの威勢はどうしたンだァ? ああ、そうか、剛剣を応援してたんだったな」

「剛剣が……あの剛剣が悪いヤツだったなんて……」


 信じていたものが崩れた瞬間の顔なんて、何度も見たいものではない。

 スタンは膝から崩れ落ちそうだった。それを無理矢理、立たせられていた。


「傑作だぜ、あーあ可哀相だなクソ女、わざわざ助けに来たてめえより、おれたちの剛剣のがやっぱり頼りになるんだってよぉー! あひゃひゃひゃひゃっ!」

「悪ぃな坊や。恨むなら俺を恨め」


 ブラスタインは一瞥すらなく、低い声で謝った。

 スタンは目を見開いた。


「ま、そーゆーわけだクソ女。武器を手放してもらおうか」

 

 三人組はそれぞれ武器を抜いた。

 抜き身の剣がスタンの首筋に当てられて、雲間から差す月影に白白と煌めいた。

 ナスターシャは無言のまま、ブラスタインと対峙し続けている。


「ひひひ、こっちには人質がいるンだぜぇ? いいのかー、そんな態度取って」


 さらに無視を続ける守備隊長に、ブラスタイン以外の三人は苛立っている。

 子供の憧れを裏切った剛剣はただひとり、彼女に向けた切っ先を動かさず、機を窺う。


「本ッ当にムカつくぜこのクソ女! 人質がいンだよこっちにはなァ!」

「顔だけは良いし、ここで剥いて犯してやるのはどうだ?」

「いいねいいね。ほら、聞こえたか? このガキぶっ殺されたくなかったら、武器を捨てて服を脱いで早く裸になれよ! なァ聞いてンのかおい? 聞けよクソ女ァッ!」


「……揃いも揃って馬鹿ですねー、あなたたち」


「アァん?」

「私が殺されても人質は解放されないんですから、言うこと聞くわけないじゃないですか」

「あんたたち全員大人しく殺されてくれたら、ここにいる二人を解放してやる。この条件なら頷くのか?」


 ブラスタインが言った。

 ナスターシャが嘆息し、鼻で笑った。


「うふふ、人質を取るような連中が約束を守るなんて信じられませんねー」

「だよな」


 三人の誘拐犯がスタンに視線を向けた。

 相手はひどく小物だ。頭に血が上ったら何をするか分からない。

 それが分からないナスターシャでもないだろうに、少々迂闊だった。


 いや、よく見れば額に汗が浮いている。

 冷や汗か、脂汗か、

 どちらにしても、ブラスタイン相手に余裕が無いのは事実のようだ。


「おい、分かってると思うが……絶対に殺すなよ」


 ブラスタインがフォローに回った。

 味方からの掣肘に誘拐犯が少しだけ冷静さを取り戻した。


「なんだよクソが。分かった、分かった剛剣さんよ、大事な商品だし、殺さなきゃいいンだろ。分かるよ、アンタも仕事を成功させたいもんな。……ひ、ひひひ。だったら、なァクソ女、てめえも女だし、味わいたくない女の苦しみってやつが分かるよなァ」


 目配せで察するあたり、同列の三人なのだろう。

 車内に一人が戻り、そのまま縛られて動けずにいる女性を、馬車の外に運び出した。

 手足をかたく縛られ、猿ぐつわを噛まされているが、そこにいたのはソフィアだった。


 意識はあるのだろう。話も聞こえていたかもしれない。

 目だけを忙しなく動かして、周囲を不安げに窺っている。


「……ゲスが」


 凍てつくような視線を送り、ナスターシャが吐き捨てた。

 月光降り注ぐ夜の通り、二台の馬車に挟まれた状況で、時間ばかりが過ぎてゆく。


「あれれー? クソ女の悔しそうな声がまったく聞こえないなー? ひひひ、どうしたンですかー? 人質は無意味なンじゃなかったですかねー?」

「賢い守備隊長さんに教えてあげるぜ。可愛いだろこいつ。今時珍しくこんな顔して処女なんだってさ。処女の方が高く売れるから勿体ねえけど、この際仕方ないなー。だってあの怖い怖い守備隊長が人質がどうなっても良いって言うんだから!」

「同じ女なのに人質なんかひどい目に遭っても良いってさ。ひでえよなぁー」


 単なる脅しだ。

 手慣れているし、選ぶ言葉がわざとらしい。

 それでも一定の効果はあった。


 傍目には表情が変わらなく見えるが、空気がひどく重い。

 ナスターシャは静かに激怒していた。

 先ほどは止めたブラスタインも、今度の小賢しい策略には口を出さなかった。


 事態は膠着した。

 三人のうち、常に一人はスタンの首に刃物を沿わせていて、守備隊員たちの接近を許さない。

 ただひとり、スタンが震えていた。

 これから展開される陰惨な光景を想像し、己の無力を噛み締めるように、目じりから涙がこぼれた。


 そして、ソフィア。

 彼女は地面に転がされている。ちょうど視線が低いためか、さりげなく出て馬車の影に潜んだままの俺に気づいた。

 静かに目を見つめてきて、俺はその視線に頷いた。


 男の一人が、見せつけるように、ゆっくりとソフィアの衣服に手を掛けた。

 手足を縛ったままで、上手に脱がせることなど出来はしない。

 力尽くで剥ぎ取ると、ソフィアの服は紙のように容易く、ビリビリと音を立てて破れていった。


「いいんですか、いいんですかー? 守んなきゃいけない市民が、あーんなことやこーんなことをサレちゃいますよぉ? いひ、ひひひひひ」

「逸るな!」


 ナスターシャが声を掛けたのは、動きそうになった部下の一人に対してだ。


「おぉ怖い怖い。こちとら捕まったらどうせ死罪だしなぁ。どうせ死ぬなら一人でも道連れが欲しいんだよねえ」

「そうそう、あんまり俺たちを追い詰めちゃうと、何するか分かンねえぜ。こわーいこわーいお兄さんたちが近づいて来たら、この手が滑っちまうかもなァ!」


 ブラスタインとの睨み合いに神経を削っているナスターシャは、こうした蛮行を目の当たりにしても動かない。

 動けない。

 自由に動くことが許されないのだ。


 これが人質の命に関わる危険であれば、無理にでも防ごうとしただろう。

 だが、守備隊隊長としての見識と能力で、許容できる被害として判断したようだった。


 ナスターシャが助けに入れば、それを好機として一方的な展開になりかねない。

 その場合、待つのは守備隊員全員の死だ。

 結局、人質の二人も助けることはできなくなる。


 誘拐犯は、弱みに付け込むことに優れていた。

 戦闘の力量ではナスターシャに大きく劣る三人は、そのくせ一般的な守備隊員よりもいくらか強かった。

 悪い意味での均衡がこの事態を引き起こしたのだ。


 品性の欠片もない、卑しい笑顔で、露わになったソフィアの下着姿に手を伸ばした誘拐犯の一人。

 何かを思いついた顔で、ソフィアの口を塞いでいた猿轡を外した。


 ソフィアはじっと堪え忍ぶように、目を伏せた。

 後ろから抱きついて、右手で下着越しに胸を掴み、左手はいやらしく下腹部へと伸びてゆく。


 ブラスタインを除き、誘拐犯は三人。

 一人はスタンの首筋に剣を這わせたまま、にやついている。

 一人は今まさに、ソフィアを穢そうとしている。

 残りの一人は油断なく、守備隊員の動きに目を光らせている。


 挑発だ。

 本当にソフィアを犯すつもりはないだろう。

 ナスターシャの激昂を狙い、少しでも冷静さを奪えれば優位に立てる。

 直視しがたい情景に、隊長のみならず、距離を詰めかねていた守備隊員たちの顔にも怒りと焦りが滲む。


 表情がよく見えるようにと顔を上げさせられたソフィアだったが、その目には恐怖と悔しさの色はあっても、諦めは見当たらない。


 男が汚い手でソフィアの顎を掴み、残った手で胸が乱暴に揉みしだくと、嫌悪感と痛みに表情を歪め、小さくくぐもった声が漏れた。

 猿轡を取り除いたのは、助けを請わせるため。

 あるいは悲鳴がより大きくなるように。

 期待に反してソフィアが口を開かなかったから、誘拐犯はこうした手に出た。


 それでも動けない守備隊員たちに、手をこまねいているナスターシャに、三人のクズがあげた嘲笑は大きくなるばかりだ。

 隙が出来るまで堪え忍ぶしかない守備隊が無力を感じるさまを眺めて、下劣な連中が勝ち誇って口を開こうと、


「《氷狂矢フリーズ・アロー》」

「っ」


 驚いた声は誰のものだったのか。

 唐突に聞こえた呪文に対してか、あるいは突き立った氷の矢を目にしてか。

 どちらにせよ一撃必殺、スタンの首に触れていた刃ごと凍らせた。

 腕と首と頭に三本の矢が突き刺さり、クズの一人は、永遠に動かなくなった。


「なっ、……ま、魔法使いだと!?」

「クソ、詠唱なんて聞こえなか――


「《氷狂矢》」


 ソフィアを組み敷こうとしているクズを狙いたかった。

 しかし、ここで順番を間違えるわけにはいかない。


 二人目は手の空いていた男だ。

 武器を持ったままで、そこはソフィアに近い。

 咄嗟に動いて振り返り、再度人質に刃を向けた判断は正しかったが、一言だけの呪文に勝る速度はなかった。

 背に再び三本の矢が突き立ち、後ろから前へと心臓を貫いた。


 最後の一人。

 ソフィアを後ろからしがみつく形で射線が通らないし、狙いを過ると彼女を傷つけかねない。

 氷の矢の発射方向から俺の存在に気づき、ソフィアを盾にしようとこちらに向き直ったのだったが、やはり愚物だった。


 ずっと憤怒に燻っていた守備隊員がこの機を逃すわけもなく、そして先ほどと逆の形となったブラスタインに、ナスターシャが槍の穂先を突きつけている。

 歯がゆい思いをしていた彼女が、ここで剛剣を逃して、仲間の助けに入ることを許すはずがない。


 一斉に突撃した守備隊員は、さすがに手際がよい。

 ソフィアが再び人質にされぬよう、引きはがして無力化して鎮圧する流れはひどく素早く、俺が次の呪文を用意する間に状況は終わっていた。


「おいおい……嘘だろ?」


 視界の端に一瞬の攻防を捉えたブラスタインは、構えこそ解かなかったが、魔法の飛んできた方角、馬車の脇に潜んでいた俺を盗み見ていた。

 彼はどこか唖然とした表情で、思わずといった声を漏らした。



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