第二十話 『はかりごとこわれど』
決して短くはない道だ。急ぎ足で進む間に、人目を忍んでスピカと相談しておく。
昼までは穏やかだった空には、いつの間にか大きな雲が立ちこめていた。西日を受けて、その雲が燃えるような赤や紫に色づいている。
普段なら馬車が通っている道と聞いたが、今日に限っては一台も見当たらない。
結果、自分の足で動くしかなかった。
「まず守備隊で話を聞いて、収穫がなかったらその足で盗賊ギルドだな」
「ご主人様、これまで誘拐犯は周到に追跡を免れていたわけで……そんなに早く情報が入っているものでしょうか」
「今回はやけに手口が荒いみたいだ。手掛かりくらい残ってるんじゃないか? 今までは犯人の影すら掴めなかったんだし、今回は現場も被害者も判明してる。大規模な捜査網が出来てもおかしくない。だったら人手が多いに越したことはないだろ」
ハミンスの街において、外部からの出入りを管理する正門守備隊は、街中の警邏隊と密接に繋がっている。
命令系統が同じかどうかまでは知らないが、誘拐犯や被害者の情報は必ず守備隊長であるナスターシャの元へと集まってくる、と聞いたばかりだった。
この場合、大至急、大人数で捜索して追い詰めれば、犯人逮捕から被害者救出まで一気に事態が大きく動くかもしれない。
「問題は、雑になった理由の方だ」
「と言いますと」
「この街から逃げ出す算段がついたから、最後の荒稼ぎに走ったとしたら、どうだ。こうなると他人の目や大声なんて大した抑止力にならない。ソフィアを止めたのもそれを危惧してだ」
「急がないと、スタンも街から連れ出されてしまうと?」
「何事も手遅れはあるからな。もし見つかっても捕まる前に逃げられるなら、この動き方の変化にも説明がつくだろ」
「なるほど、さすがご主人様。素晴らしい推理です!」
スピカの追従に、俺は首を横に振った。
「自分で言っておいてなんだが……逃げ道を確保できても、最後の一稼ぎで派手に動くリスクが減るわけじゃない。俺だったら最後まで静かに行動する。それに……」
「それに?」
「目撃者の存在だ。見られたことに気づいてない、はずがないよな」
「そうでしょうか」
「こんな手際の良い誘拐犯なら、目撃者には気づいただろうし、なら普通はすぐに始末するんじゃないか? 見られた相手を放置して逃げ出すとか……ないだろ」
「誘拐専門に誇りを持っていて、殺しはしたくない、みたいな」
「じゃあそれこそ、目撃者ごと一緒に攫えば済む話だ。……ほら、妙だろ」
言っておきながら、スピカも信じていない口調だった。
結論が出ないまま、正門守備隊に辿り着いてしまった。
ここには何台もの馬車が揃っている。結構な人数が仕事をしている姿が見える。
ここでも何か引っかかりを覚えたが、その正体が掴めない。詳しく考えている暇も惜しんで、守衛の一人に声を掛ける。
良かった。ナスターシャはまだ詰め所にいた。
先ほど辞去したばかりの詰め所に間を置かず戻った俺を待っていたのは、ナスターシャの不思議そうな顔だった。
「どうしましたー? 何か忘れ物でもー……はっ、まさか! 今度こそ私に対する愛の告白をするために戻ってきてくれたんですかー?」
「冗談を言ってる場合じゃないんだ」
微笑を浮かべていたナスターシャは、俺の真顔に首をかしげた。
急いでいた俺をからかっている風ではない。
「そーですかー。残念ですねー……って、本当に何かあったようですねー?」
ナスターシャも真剣な顔をして席に着くよう薦めてきた。俺は椅子に腰を下ろし、再びお茶の支度を始めようとする彼女を制した。
さっそく話を切り出そうとした瞬間、違和感の正体を理解した。
この空気だ。
変事が起きたと思えない、当たり前の雰囲気が漂っていたのだ。
おかしい。
ついさっきの出現した誘拐犯、そこで攫われた被害者の情報、さらには初めて目撃者が出たなんて重大な情報が、犯人捜しに躍起になっているこの守備隊に、すぐさま回って来ないはずがない。にも関わらず、俺が帰ったときと変化した様子がない。
俺は何か重大な見落としをしたかもしれない。
そう考えた瞬間、血の気が引いた。
俺は急いで、スタン誘拐にまつわる一連の話を伝えた。
たった今気づいたことや推測も交えて。
話を聞くにつれ、ナスターシャの表情が険しさを増した。
「ちょっと失礼しますねー」
部下を呼び、どこかへと走らせる。
俺はナスターシャから何か新しい一報は入っていないかと尋ねた。
「そんな情報は、ひとつも届いていません」
彼女の態度と詰め所の雰囲気から、薄々この答えは予期できていた。
ナスターシャは嘆息し、最悪ですねー、と一声漏らした。
「先刻ヨースケさんにお伝えした通り、誘拐事件及びその被害者について、守備隊に即座に情報が入るのは間違いありません。街の入出管理は守備隊の業務ですからー」
彼女は口元を歪め、声を低いトーンにした。
「考えられる可能性は三つ。ひとつ、誘拐事件そのものが狂言である。ヨースケさんが考えた理由によって、これはあり得ないと判断して良いでしょう。理由も、必然性も足りません」
彼女は肩をすくめて続けた。
「ふたつ、警邏もしくは守備隊に犯人の内通者がいる。誘拐犯の協力者が街にいることはこれまでの情報から間違いないので、これは否定できません。とはいえ、この手が使えるのは一度だけ。追求されればごまかしが利きませんから、最後の一稼ぎと考えればあり得ますが……この場合、内通者も街の外に逃げ出す手はずを整えていますねー」
乾いた笑いを漏らしたナスターシャは、少し頭を振って、頭痛を抑えるように、こめかみに手をやった。
「最後、三つ目。誘拐は本当、しかし警邏は偽者だった場合」
ナスターシャの言葉にこめられた心底嫌そうな響きに、俺は目眩を覚えた。
それだ。
俺が見落としていた可能性は、これだった。
ますます厳しくなる彼女の表情と声に、俺は腰を上げようとした。
これをナスターシャから手でそっと制された。
話はまだ終わっていません、と。
「二番目との違いは、我々守備隊や警邏の中に裏切り者がいない点です。だからといって状況はさほど好転しません。というのも――」
「――あの警邏が偽者なら、どうして両親に、スタンの誘拐をあえて伝えたか。狙いは他にもあるってことだろ。決まってる……ソフィアだ」
俺が言葉を引き継ぐと、ナスターシャは頷いた。
「若くて、可愛らしい女性。先に捕まえた餌をちらつかせて、警邏という信頼に足る立場から誘導する……かなり悪辣ですねー。これまでと違って目撃者を残すような手口の雑さもそれなら納得です。つまり……」
「元々、目撃者なんか存在しない」
「それが答えでしょうねー。目撃者の発生も放置も、これまでの犯行からは考えられないほどの手抜かりです。もちろん犯人も人間ですからミスはあるでしょう。意図的に情報を残したパターンもありえます。しかし、私たちに情報が上がってきていない。ソフィアさんを狙った誘導であると考える方が自然です」
被害者の発生も、目撃者の情報も、最初から関係者に警邏であると近づけば、それ以上は広まらない。探すのも報告するのも自分たちだけで完結させる。
誘拐より詐欺に近い手法である。
間一髪だったのだ。
ナスターシャは俺を見つめた。
「犯人の想定外は、ヨースケさんの存在でしょうねー。この情報が間を置かず私たちに届いたのは偶然ではなく、必然です。つまり……いるべきときに、そこにいた」
声のトーンが、少しだけ元に戻った。
「先ほどの時点で、すでに指示は出してます。今までの誘拐は無差別と思っていましたが……犯人も相手を吟味していた可能性が高まりました。いま一番危険なのはソフィアさんである。これは私も同意見です」
話の途中で部下を動かしていたのは、警護に回してくれたのだ。
これで一安心である。
犯人が警邏のなりで動いていることを周知すれば、おそらく逃げ切れまい。
となると俺は事態が収拾するまでソフィアの近くで守ればいい。
この偽装によって、敵はようやく本物の尻尾を出した。
一人二人捕まれば、あとは芋づる式に逮捕出来るだろう。
ナスターシャに頭を下げ、とりあえずソフィアの店まで戻ろうとした。
顔を上げると、いつの間にそんなに時間が経っていたのか、窓の外に夕闇が広がっていた。
そのときだった。
「隊長!」
「待ってましたー。さっそく犯人を捕まえましたかー?」
「それが……」
大きな音を立ててドアが開かれた。そこには息を切らした守備隊員の姿があった。
言葉を躊躇う彼に、ナスターシャは表情を消した。
すでに良い報告でないことは察している。
構わず言ってくださいねー、と促す声は、どこか冷え冷えとしていた。
「ご指示の通り、警邏に扮していた怪しい人物二名は捕まえたのですが……」
誘拐犯と思しき、偽警邏の逮捕には成功したらしい。
それにしては言葉に窮している彼の様子に、嫌な予感が沸き上がってくる。
「歯切れが悪いですねー。……もしや、誰か怪我でも負いました?」
「いえ、そうではなく、その……指示通り、現場近くで捜査中だった三班が急行したのですが、保護対象とされた女性の姿がどこにも見当たらないとのことで、現在、付近を捜索中です!」
「は?」
その瞬間の報告者の、怯えの入った、ひきつった頬が見えた。
自分で思ったより、俺の声は刺々しかったらしかった。




