第十九話 『そこにとどまりますか?』
昼食として渡されたパンと果物も、空いているテーブルを借りて食べた。
ナスターシャに薦められるままお茶の二杯目まで頂いて、すっかり遅くなってしまった。
日が沈むまでにはまだまだ時間があるが、空はだんだんと色を変えつつある。
ルピンから頼まれた仕事はこれでコンプリートだ。
話題の人さらいへの対処は、街に来たばかりの俺が首を突っ込む問題でもなく、そこまで求められてもいない。
さしあたっては、ナスターシャから指摘された問題。
当初から頭を悩ませていた、異様な雰囲気や威圧感として漏れ出る、この巨大すぎる魔力の制御についてだ。
帰り道を歩きながらスピカと相談していたのだが、結論が出なかった。
「やっぱり誰かに教えを乞うのが手っ取り早いよな」
「ですがご主人様! 魔力が大きすぎて制御できないのは、一般的な魔法使いには理解出来ないかと。魔導士が師事するに相応しい相手はそう見つかるものではありません」
「……いや、でも」
余計なトラブルを引き寄せかねない以上、巨大すぎる魔力の制御は出来るに越したことはない。ここまでは俺とスピカの意見は一致する。
その後になると、なかなか結論に辿り着かない。
そもそも魔導士である俺は誰に習えばいいのか定かでない。出発点もゴールも普通の魔法使いと違う以上、習得すべき基本が丸ごと別物なのである。
「魔法を使うにあたっては、このスピカがいれば問題ないのですし……やっぱり急ぐ必要はないんじゃないでしょうかっ!」
「……スピカ」
「な、なんでしょうご主人様」
俺の呼びかけに、ぎく、っと慌てた様子のスピカ。
何を思っているのかも何となく読み取れた。
制御について全面的に頼っている状況が変わるのが、この魔導書にとっては不安なのだ。
愛いやつである。
「安心しろ。出来ることが増えても、スピカを蔑ろにするつもりはない」
「ご主人様ぁ」
「じゃあ、当面はそれらしい魔法使いを見つけるのが目標ってことで」
「う、ううー……。で、でもでもご主人様、大魔力を十全に扱えるレベルの魔法使いなんてそうそう見つかるものではっ」
珍しく食い下がってきた。
確かにスピカの言いたいことは、分からなくもない。
「いや、制御だけ習うなら普通の魔法使いで十分じゃないか?」
「ご主人様は単なる魔法使いでなく、このスピカの主たる魔導士ですから、そこも考慮していただかないと! 具体的には三流の教えだと、たぶん役に立ちません」
俺に必要なのは、普通の魔法の使い方ではなくて、こうして勝手に漏れる魔力の余波――この恐ろしげな雰囲気とやら、醸し出される威圧感をいかに制御するか、である。
同じ悩みを抱いたことがある、巨大な魔力の持ち主を捜す必要があるわけだ。
「状況次第ですが、習う相手には魔導士であることを明かすことにもなるでしょうし、やっぱり人選は慎重にならざるを得ないかと」
「だよなあ。……っと、スピカ」
はい、と小声の返事。
スピカを、そのままポケットにしまい込んだ。
店の前で待っていたのはソフィアと、他に二人いる。
顔に覚えがあった。
横にいる二人は確かスタンの両親だったはずだ。
様子がおかしい。
スタンの両親は沈痛な面持ちで立ち尽くし、ソフィアは青ざめた顔で道の向こうを眺めている。
俺とは逆方向から駆けつけてきた二人組が、スタンの両親に声を掛けた。
こちらには見覚えがない。
警邏としての格好こそ同じだが、昨日の二人とは違う顔だった。
そこにいる皆は、この一報を待っていたのだろう。
話を聞き終えたスタンの母親が、ふらりと倒れそうになり、夫が慌てて支えた。
警邏の二人組も手伝って、彼らは自宅の方に連れだって歩いて行った。
「あ、ああ……ヨースケさん!」
一人その場に取り残されたソフィアは俺に気づいて、足早に駆け寄ってきた。
ひどく取り乱した様子で、傍目にも動揺が読み取れる。
蒼白な顔をこちらに向け、ほんの少しだけ安心したように顔をほころばせたが、すぐにその表情は曇ったものに戻った。
「何かあったのか?」
「スタンが、スタンがさらわれたかもしれないんですっ……」
泣き出しそうな顔で握り込んだ拳を震わせ、ソフィアは言った。
つい先刻、スタンは俺を尾行して詰め所まで追い掛けてきたばかりだ。それも帰宅まで守備隊員が見届けたはずである。
俺は首をかしげた。
ソフィアは声に焦りを含ませつつも、何があったかを簡潔に語った。
確かに一度、スタンは家に帰った。そこは俺の知る通りだった。守備隊の隊員が見届けたのも、この時点までのことだったのだろう。
そして勝手に家を抜け出したことで心配した両親から、こっぴどく怒られた。
昼過ぎのことである。
当然だ。
子供の一人歩きは厳禁と伝えるため、警邏隊が朝から走り回っていたのだ。
スタンは怒られながらも不満を顔に滲ませた。彼の両親はため息混じりに、同じく心配していたソフィアに息子を引き渡した。
前日の件でスタンは呼び出されていたし、また馬鹿息子に掣肘を加えるためにはソフィアの一声が一番効果的だと理解してのことだった。
で、心配半分、叱責半分の小言から始まった、近所のお姉さんと、それを慕う素直じゃない悪ガキのちょっとしたお叱りの場面は、言い諭すはずのソフィアもだんだんと言葉に熱が入り、一方でスタンも俺に対する謝罪を断固として嫌がり、どんどんヒートアップして珍しく言い争いにまで発展した。
どちらも冷静さを失っていた。ここまでなら、さほど問題無かった。
頭が冷えればお互いに言い過ぎたことを謝って終わりだった。
「ねえスタン、どうしてこんな真似をしたの?」
ソフィアがこんな問いをぶつけた。困ったことばかり起こす悪ガキと思っていたが、ここまで来るとスタンに同情の念が湧かなくもない。
「いつものスタンは、あんなひどいことしないよね。それに今日だって、ご両親に心配かけるようなことをして……その理由が、ヨースケさんを尾行してた、なんて。わたしもお世話になってるし、ヨースケさんに迷惑掛けるような真似しちゃダメよ?」
こんな言い方で、ソフィアは優しく言い諭したそうだ。
完全に逆効果である。
後悔先に立たず、多少なりとも問題の根本について伝えておくべきだったかもしれない。
「わたしは知ってるの。スタンはすっごく良い子なんだから。ヨースケさんが帰ってきたら、しっかり謝るのよ。大丈夫、ああ見えてヨースケさんは優しいから、スタンが心から謝れば、ちゃんと許してくれるわ。……ね?」
そして話の途中から俯いてしまったスタンの肩に手を置いて、いつものように笑いかけた。
俺はますますスタンに同情せざるを得なかった。
これでは再度家を飛び出すのもやむなし、と思ったのだが、ソフィアによればこの上さらに一悶着あったのだという。
ようやく顔を上げたスタンは泣き笑いの表情で、震える肩と声のまま、俺がナスターシャにラブレター(もどき)を渡していたことを、ソフィアに対し告げ口した。
実態は異なるとはいえ、先刻スタンが詰め所の外からちょうど覗き見ていた場面で、そう見えてもおかしくない状況ではあった。
それから、スタンはどこから聞きつけたのか、俺のことをソフィアのみならず冒険者ギルドの看板娘リーナに粉をかけ、今日になったら守備隊の女隊長に恋文を送るような、やたらと手が早くて節操のないナンパ野郎であると、身振り手振りに推測憶測妄想までを交えて語り、最後には「だからソフィア姉ちゃん、あんなスケベな最低男、とっとと家から追い出して急いで関係を断ち切るべきだ!」と締めくくったのであった。
スタンにしてみれば必死の懇願であり当然の助言だったのだろうが、今度はここまで色々と(スタンよりも、近くで接した自分の方がよく分かっているはずの)俺について勝手なことを言われて、子供の言うこととしばらく黙って聞いていたソフィアも、ついに我慢の限界を超えたらしい。
カッとなって、売り言葉に買い言葉である。
単なる激怒であればどちらも捨て置くのだが、お互いに相手を心配している部分がスタート地点であった。
引くに引けなくなり、争論は加熱を重ね、やがて致命的な一言が口を突いて出た。
「ヘンだよ、おかしいよ、なんであんなヤツを庇うんだよ! ぜったい騙されてる! あいつのせいで、姉ちゃんはおかしくなってるんだ! そうだ、やっぱりあいつになんか弱みを握られてるんだろ……っ!」
「スタン! 言って良いことと、悪いことがっ」
ぱしん。スタンの頬を張った。
乾いた音だったと、手をさすりながら、ソフィアが悔やんだ顔で言った。
「だってそうじゃなきゃ、ソフィア姉ちゃんがオレよりあんな男を……」
手を挙げられてもスタンはめげずに、すぐに吐き捨てた。
スタンは顔をしかめて俺を罵る言葉を何度も告げた。これを聞かされたソフィアは、普段あげたことのない大声でいい加減にしなさいと告げた。
「ねえ……スタン。あなたがヨースケさんのことが嫌いなのはよく分かったけど、どうしてそんなひどいことを言うの? でも、スタン。ちゃんと聞いて。わたしにとって、ヨースケさんはとても優しくて、親切で、頼りになって……好ましいひとなの。そんなヨースケさんを、弟みたいに思ってるあなたに悪く言われると……悲しいのよ。ねえスタン、お願いよ、お願いだから……あなたを嫌いにさせないで。ね?」
ソフィアは声を和らげて、そっと語りかけた、らしい。
そのときちょうど、普段のお説教とは様子の違う二人を見るため、スタンの両親が顔を出した。
緊迫した雰囲気に驚いた両親は手を広げ道を塞ごうとしたが、この咄嗟の制止を振り切って、スタンは逃げるようにそのまま家から抜け出た。
三人は追い掛けたものの、スタンの足は非常に速かった。
彼の背中はあっという間に見えなくなって、角を曲がってしまえばもう行き先が分からなくなった。
途方に暮れた三人だったが、すぐさま人さらいの危険があることを思い出し、たまたま通りがかった巡回中の警邏に、走り去ったスタンの捜索を依頼したのだ。
この二人は応援として寄越された人員らしく、もちろんその場にいるのなら顔なじみの警邏二人の方が良かったのだろうが、えり好みしている余裕は彼らには無かった。
今日は市内の警邏隊は全員駆り出されて市中を走り回っているし、こういった場合は初動の速度が非常に重要となる。
咄嗟の判断としては正しいと言える。
まだ日が高いから大丈夫のはずだ、と三人は自分たちに言い聞かせていた。
その後、警邏の二人が戻ってきた。
見ての通り、先ほど姿を現したのは、スタンを探しに行ってくれた二人だけだ。
もたらされたのは、期待した報告ではなかった。
彼らが得た情報は、むしろ不安を増大させるものだった。
「子供が攫われた瞬間を目撃した方がいたんです」
「目撃って、人さらいを?」
「はい。気絶させられて、麻袋か何かに詰め込まれていたと。あまり近寄らない方が良いって言われてる区画があって……、スタンは一人でそこに行ったみたいなんです」
攫われた子供の特徴は、やはりスタンである可能性が高いらしかった。
自分とした口論の結果が、思いも寄らぬ悲劇に繋がったとなれば、ソフィアの衝撃は計り知れなかっただろう。
そこに俺が戻ってきたものだから、つい縋るように詰め寄ってしまったと、ソフィアは長い息を吐き出すのだった。
「ご、ごめんなさい。こんな話しても、ヨースケさんを困らせるだけなのに」
「気にしなくていい。それより多少は落ち着いたか?」
「はい……なんとか」
話すことで混乱した思考や気持ちに多少の整理が着いたようだ。
俺にしがみつくように迫っていた状況に気づくと、彼女ははっとして自分から身体を離した。
「……わ、わたし、スタンを探しにっ!」
「今から行ってどうする。すでにスタンは攫われた後だし、目撃者に話を聞くのは警邏が済ませたんだろ? さっき、若い女性も狙われてるって話も聞いた。もし本当に犯人がその辺にまだ潜んでるなら、わざわざ自分から捕まりに行くことになるだろ」
俺の主張が正しいことは、ソフィアも最初から理解している。
それでも探しに行きたいのだろう。
「ソフィア」
俺は、唇を噛み締めたソフィアの名を、強く呼んだ。
「……は、はい」
「スタンの救出については……何箇所か、手を貸してくれる相手に心当たりがある。まずはそっちを当たってみるから、俺に任せて、ソフィアは家にいるんだ」
「え……ヨースケ、さん……」
実のところ、最初はスタンの狂言を疑っていた。
ソフィアが嘘を吐いているとは考えにくい。引っかかっているのは、警邏が見つけ出した目撃者の存在の方だ。
ついさっきナスターシャから人さらいの話を聞いたばかりだ。
曰く、問題の誘拐犯は、これまでずっと尻尾を掴ませなかった。
大半の場合、誘拐の犯行場所も曖昧で、実行のタイミングすら誰にも気づかれなかった。
被害者の不在に気づいてようやく誘拐事件と判明するパターンが多かった。
だからこそ、対応に苦慮した三者が手を組んだ。
それが今日に限って場所も時間も明らかで、あまつさえ目撃者まで残した。
異様に周到な誘拐犯にしては、あまりにもお粗末な証拠を残している。
ただ、スタンの狂言誘拐にしては警邏まで巻き込んだのは大げさだし、これに彼らが協力するとは考えられない。
何かがおかしいのは分かる。
しかし、何がおかしいのか、それが判然としない。
先日までは巧妙な誘拐だったものが、今になって雑になったというか、ある種なりふり構わなくなった風に見える。
影に隠れてこっそり行っていたことを、力尽くであからさまにやり出した可能性がある。
「ソフィア、人さらいの被害なんだが……聞いた話と手口が変わってる。家に無理矢理押し入ってきて攫われる危険があるんだ。もし誰かが訪ねてきても、信頼できる相手でなければ鍵をかけたまま対応してくれ。いいか」
「……あ、は、はいっ。信頼できる相手……」
ちらちらと上目遣いに見てくるソフィアに、俺は続けた。
「スタンを探すためでも一人で外に出るなよ。どうしてもって場合は誰かと一緒に行動するように。たとえば、スタンの両親とか、近所の知り合いとか」
「は、はいっ。その、いいんですか、ヨースケさん。あの子……スタンは、ヨースケさんに迷惑ばかりかけていたのに……」
「確かに困った子供だな。俺は見知らぬ場所に置き去りにされたし、勝手に覗き見ておいて適当なことを吹聴するし……」
う、とソフィアが言葉に詰まる。
俺には、いなくなったスタンを積極的に助けたいと思う理由が無い。
「でもな、ソフィアにとっては大事な弟分だろ。助ける理由としては十分だ」
俺の言葉に、ソフィアが目を潤ませた。
「あー……あと俺としても、仕返しというか、お仕置きのためにゲンコツ一発くらいは食らわせておきたい。本人がいなくなったらそれも出来ないからな」
ちょっと格好付けすぎた気がして、慌てて付け加える。
目をぱちくりと瞬いたあと、硬かった表情を和らげて、ソフィアはくすりと笑った。
まだ無理をしている笑みだった。
それでも、十分だ。
「ま、そういうわけだから、ちょっと行ってくる」
「……はいっ、お願いしますヨースケさん!」
そして俺は、今なら情報の入っていそうなナスターシャの元へと、急ぎ足で引き返したのだった。




