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清純派魔導書と行く異世界旅行!  作者: 三澤いづみ
第一章 ハミンス・ワルツ
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第一話 『黒い本(無修正)』

 

 確かめてみたところ、アオナカで買ったスーツには、ほつれひとつない。

 いまどき珍しい本物の閉店セールで買ったシングルのスーツだ。無職だった俺にはもったいないくらいの良品である。


 このスーツがボロボロになっていなかった。爆発に巻き込まれたにも関わらず、焦げ目どころか汚れひとつ見当たらなかった。

 いったい何が起きたのか。どれだけ考えても、さっぱり分からない。

 ただ、爆発であの電車が消し飛んだとか、俺だけ吹き飛ばされたとか、そういうリアルな気配を感じられない。

 何もかも日本っぽくないのだ。


 冷血残忍な面接官が跋扈する東京はともかく、北海道から沖縄まで、全国をあちこち回った経験が囁く。

 ここは日本とはかけ離れた地域だ。空気の感じもそうだし、景色や空の色、匂い、光が違う。


 爆弾に吹き飛ばされて、日本ではない国に飛ぶ。

 それとも死んでしまったんだろうか。

 あり得ない話ではなかったが、分かりやすい理由に思い当たらなくもない。

 早い時点で気づいてはいたのだ。目を逸らしていただけで。


 俺は足下を見た。怪しげで巨大な魔法陣について想いを馳せた。


 少し離れて、もう一回見た。

 やはり魔法陣、どう見ても魔法陣である。


 二つの三角が重ね合わされている。いわゆる六芒星だ。周囲を二重の円が囲んで、内側と外側の円のあいだには、見たこともない不思議な文字がびっしり描いてある。


 呪文だ。何と書かれているのかは一切読めない。

 これはいわゆるドッキリだろうか。気を失っていた俺をこんな場所に運び込んで、あたふた右往左往するのを遠くから眺める。

 もしそうなら随分と趣味が悪い。


 ただの現実逃避だ。分かっている。ドッキリの可能性は低いと。

 では何が起きたのか。

 ありえないと、頭の冷静な部分が否定する。

 一方で、ゲームが好きだった子供時代が囃し立てる。


 召喚。


 まさか、と否定できなかった。状況が状況なのだ。もしそうだとすれば、随分とファンタジーな出来事に遭遇してしまったらしい。

 そんなこと、あくまでフィクションだから笑って見ていられるのであって、現実に起きたら途方に暮れるしかない。


 今のところこの考えを否定する材料がない。いや、召喚されたならされたで、それでもいい――本当は良くはないが、とりあえず――として、なら召喚した誰かがいても良さそうなものである。

 見回しても、それらしき人物はいない。

 万が一、自動的に召喚する装置とかだったら非常に困る。


 遺跡の周囲には道などない。

 謎の植物で囲まれていて、獣道すら見当たらない。

 得てして植物というのは丈夫だ。道具も無い状態であの緑の壁を切り開くのは不可能と考えて良い。


 そもそも近づいても大丈夫な植物であるかどうか怪しい。

 あの緑の植物、うねうねと動いているのだ。

 風に揺れている感じではない。

 分かりやすく表現すれば、その場で踊っている。


 正直近づきたくない。

 アレもまたファンタジーの産物だろう。とすると、俺が近づくとあの植物は襲いかかってくる、もしくは毒か何かを放出しかねない。

 考えすぎなら嬉しいが、甘い期待は捨てた方が良いだろう。


 こうなると結論はひとつ。ここは地球ですらなさそうだった。


 動ける範囲だけ確認してみた。この遺跡というか跡地は、案外広かった。

 どこまでも瓦礫の山である。外界への道のりはみっしりと緑の壁によってふさがれており、隙間はない。

 食料もない。この場に誰もおらず、ここが地球でない懸念が正しいならば、まっとうな救助も期待できない。

 不気味で危険な謎植物を前に、俺はどう動くべきか。


 近づいても問題無いかもしれない。俺の手でも簡単に折れたり引っこ抜けたりするような脆い植物かもしれない。かじっても毒も無く、当分の食料として使えるようなありがたい種類かもしれない。

 全部、かもしれない、だ。

 何も考えずにチャレンジをするには、状況が異常すぎる。


 もう少し考えよう。


 ひとつ俺に有利な情報がある。あの不気味植物は根を張っている。

 ツタが触手めいて伸びても、一定の距離があれば大丈夫そうだ。


 仮説の後は実証である。

 近くの崩れた壁の一部分、手頃な石を植物に投げた。

 当たった途端、周囲の謎植物は一斉にツルをムチのように振り回した。

 離れていたおかげで被害はなかった。五分ほど暴れ回っていたが、成果が無いことに気づいたようにだんだん大人しくなった。


 謎の植物はヒマワリに似ている。

 太陽に似た花はなく、異様に背が高く、葉の代わりに長いツルが出ていて、伸びたりムチのようにしなったりする。

 竹のように密集して、高さは二階建ての家の屋根くらい。

 背丈の高さゆえか、圧迫感が凄い。もし動いていなくても、たぶん怖い。隙間の向こうにも緑がびっしり見える。


 さて、どうしよう。


 下手に近づけない。食虫植物の反応に似ているが、石をぶつけられて怒った、あるいは獲物が来たと勘違いしたのだから、攻撃か捕食、あるいは両方を能力もしくは意志として持っている。

 感知の手段は何だろう。

 温度。衝撃。音。振動。視界。気配。匂い。


 植物ではなく野生動物を相手にしていると思った方が良さそうだ。

 植物に目や耳、鼻や皮膚があるわけではないが、一般的な知識や常識に捕らわれていては足をすくわれかねない。知覚が感覚器官頼りとも限らない。


 さて、植物相手には火攻めと相場が決まっているが、あいにく俺はライターなんて持ち歩いていない。スーツのポケットにあったのはハンカチとボールペン。そしてすっからかんの財布。

 この状況では役に立たない。


 最後まで握りしめていた鞄に何か無いだろうか。近くに転がっていた愛用の鞄をひっくり返すと、手帳、印鑑、筆記用具など、大した物は出てこない。

 タオルに手袋、そして最後に落ちてきたのは、黒い本だ。


 謎の黒ローブから買ったエロ本。

 まだ中を見ていない、表紙が真っ黒の、そこはかとなく雰囲気のある本。


 よく見るとエロ本的な安っぽさが皆無である。

 何か重厚な感じ、とでも言おうか。ゲームに出てくる貴重で恐ろしい魔術書めいた気配すらある。ハードカバーで二百ページくらいのサイズだ。全ページ写真だったとしたら紙一枚の厚さが違うため、百ページ分くらいだろうか。


 おかしい。


 俺はどうしてこれをエロ本だなどと思ったのか。神保町あたりの古書店の奥にひっそりと佇み、ありえない価格の値札が付けられていそうな印象がある。

 事態を打開する鍵になるかもしれない。

 疑問に思いつつ、期待を胸に真っ黒な本を開いてみた。


 今となってはエロ本とは考えていない。

 それらしいカラーページが目に飛び込んでくることを想像したりはしない。

 当然、無修正なんて響きに期待しない。


 ただ可能性は零ではないはずだ。


 万が一ゼロと表記されていたとしても、小数点以下の数字が表示上切り捨てられているだけで、可能性はゼロではないのだ。

 開いたところ、本の中身は白紙であった。

 ページをめくってもめくっても、どこまで行っても白紙が続いていた。

 写真や絵はおろか、言葉すら、一文字足りとも出てこない。


 騙された!

 黒ローブに騙された!

 純真な心を弄ばれた!

 俺はただちょっとエッチなお姉さんとか、可愛い子が見たかっただけなのに!


 ちくしょう!

 今なら世界すら焼き尽くせそうだ。それほどの激怒が胸の内から沸き上がってくる。


 黒いエロ本。

 いや、エロが存在していなかったのだから、これは黒本だ。


 黒本。

 ありもしない希望を見せつけ、それから絶望にたたき込むこの所業!

 あの頃、俺は若かった。そして……ずっと無垢だった。


 あの言葉を信じた。信じてしまった。

 可能性はゼロではない。そんな言葉に踊らされた俺の悲しみが、怒りが、絶望が、ふつふつと沸き上がってくる。

 やり場のない怒りと悲しみを叩きつけるように、この黒本を投げ捨てようとした。


 そのときだった。


「待って、待ってください!」


 聞こえた声に俺は手を止めた。若い女性の声だ。助けが来たのかも知れない。

 しかし声の主はどこにも見当たらない。

 謎の巨大植物による包囲に穴は無く、周辺に変化はない。これは幻聴か。それとも何かよりファンタジックな事態に巻き込まれつつあるのか。


「ここです! ここですってば!」


 よくよく聞いてみると、声は若いと言うより、幼さを残していた。

 十代前半くらいの、少女の声。


「もうっ! ご主人様ってば、全然気づいてくれないんですから!」


 聞こえてくるのは、俺の右手の中、強く握りしめた黒本からだった。

 じっと見ると、黒本が嬉しそうにしているのが分かった。


 ……あの黒ローブ、単なるエロ本詐欺ではなかったらしい。


 

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