第十八話 『とてつもなく恐ろしい気配がする』
なんとか誤解を解くことに成功した。
用事も済んだことだし、俺はその場を辞することにした。
「じゃあ、そういうことで」
「ヨースケさん」
「……なんでせう」
逃げようとした瞬間、がっしりと肩を掴まれてしまった。
握力はさほどでもないのだが、彼女のプレッシャーで動けない。
「私のことを弄んだ責任を取ってください」
声が真剣みを帯びている。
目が笑ってない。
すごく怖い。
こわい。
「というのは冗談ですがー。あの子、ヨースケさんの知り合いですかー?」
ナスターシャが話題を変え、同時に掴まれていた手を離してくれた。
指し示された先には詰め所の窓、その向こうに子供の背中が見えた。
建物内に入ってしまった俺を盗み見ようと、回り込んでいたらしい。
遠ざかっていく背格好から、スタンなのは間違いない。
頷いた俺の様子から何かを察したのか、ナスターシャは苦笑を浮かべている。
やっぱり、お仕置きとしてゲンコツ一発くらいやっておけば良かった。
「ヨースケさん、私たち、詰め所の中を覗き込むくらいで目くじら立てたりはしませんよー? 勝手に中に入り込んでくるなら叱りますけどね」
しかし、それならば気に掛ける必要もないはずだ。
首を傾げる俺を見て、ナスターシャは嘆息した。
「そうですねー……んんー。こうなると無関係でもないし、ヨースケさんには話しておきましょうか。ちょっと長くなるかもしれませんし、お茶でもいれますねー」
先ほどの一件もある。
部下が全員退出したせいで、ナスターシャが手ずから茶菓子などを用意してくれた。
「皆には困ったものです。ここでの待機もお仕事のうちなんですが……」
詰め所の外や正門近くで時間を潰しているのだろう。
ほとぼりが冷めるまで様子見しているようで、窓の向こう側に先ほど見た顔が覗くことがある。
守備隊長なんて地位にあっても、お茶の支度の手際はよい。
てきぱきとテーブルにセットされていくカップと皿。
手つきも最初のイメージよりずっと優雅だった。
温めたポットから紅茶を注ぎ、話を始める前に、お互い一口喉を潤す。
ふう、と一息吐いて、ナスターシャは手紙を指した。
「まず、この手紙についてですが……中も見てないようですし、内容を聞いてもいないですよねー。……読んでみますかー?」
「いや、でも、大事な手紙なんじゃ」
「そうですねー。ラブレターじゃないことだけは確かですねー」
俺がばつの悪い顔をすると、ナスターシャは満足げに手紙を手渡してくれた。
「大丈夫ですよー。ほら、中身はリーナからの近況報告だけです。見ての通り、それ以上のものではありません」
あまり気は進まなかったが、ざっと目を通す。
ナスターシャの言葉通り、そこに書かれているのは最近どんなことがあったか、先に結婚した友達の祝賀会をどうするか、手紙を届ける配達者を怒らないであげてほしい、などなど。
読み方が違うとか、暗号の可能性も考えて二度読み返した。
俺が躍起になって解読しようとするのを、ナスターシャは笑って止めた。
「ぶっぶー。違いますー。大事なのはこっちですから」
彼女はずっと手にしたままの封筒を見せつけるようにひらひらと揺らした。
ルピンから預かり、リーナを経由して、ナスターシャに届けた。
このラブレターもどきの白い封筒。
「なるほど。こっちが本命ですか」
「はい、その通りですー。この封筒そのものが重要だったんです。といっても、この封筒そのものが特別なわけではありません」
「大事なのは、どんなものが届くのか、それさえ伝われば良かったわけですか」
「現物が届くのが一番ですが、配達者さえ無事なら目的は果たせますからね」
俺が納得したのを見計らって、ナスターシャは微笑んだ。
「万が一を考えての取り決めですー。おじさまらしい仕掛けと言えますねー」
一手でいくつもの効果と機能を持った策だった。
俺が納得することまで見越しているあたり、周到すぎて手に負えない。
彼女は俺を見つめてきた。
「どうして街に来たばかりのヨースケさんが、おじさまの依頼を受けることになったんですかねー。……もしかして、昔から繋がりがあったりしました?」
リーナといい、ナスターシャといい、ルピンは『おじさま』の呼称で統一しているようだ。
問いに関しては、俺は首を横に振った。
先日の流れを簡単に説明すると、ナスターシャは頭痛をこらえる仕草をした。
「ヨースケさん、おじさまからよっぽど気に入られたようですねー。……いつもは、この手の連絡にはツルぴかさんがいらっしゃるんですが」
……ツルぴかさん。
もしかしなくとも、ホークアイのことだろう。
「それとヨースケさん、そんなに畏まらなくてもいいんですよー?」
「いや、でも」
官憲相手に下手に出てしまうのは、癖だった。
スーツ姿なのに職質でやたらと時間を取られ、面接に遅刻する羽目に陥ったことも少なくない。
三時間のうちに三回職質で足止めされたことすらあった。
俺の渋面に、ナスターシャは微笑んだ。
「ラブレターでちょっと期待したんですけどねー」
分かってますよね、と二重音声で聞こえた気がした。
微笑みが突き刺さる。
俺は頷くより他に選択肢がなかった。
話の続きだ。
「おじさま的にはどう転んでも良かったと思いますよー。思惑があるのは当然ですし。ネズミは地下の掟に、私たちは地上の決まりに従って動いています。ただ今回は、お互い込み入った事情があって協力態勢を取っているわけですがー」
盗賊ギルドと癒着しているわけではないと言外に否定された。
別に聞くつもりはなかったが、立場の違う三者が協力している事情についてナスターシャは語った。
先ほども言った通り、決して俺も無関係ではないからと。
「人さらい。どこかで耳にしませんでしたかー?」
「街で頻発してる、ってのは聞いたな」
ソフィアがやけに心配されていた原因だ。
盗賊ギルド、冒険者ギルド、そして守備隊。
お互いの領分を超えて、対処に乗り出すのは分からなくもない。
表立って歩調を揃えるわけにはいかないのも理解出来る。
「狙われているのは主に子供ですが、さっきの子なら心配要らないでしょう。……そろそろですね」
ナスターシャは窓に目をやった。俺もそれに倣った。
守備隊の制服を着た隊員が一人、スタンが走り去った方向から、足早に戻ってくるのが見えた。
ほどなくして詰め所内に現れたその隊員は、彼女の前に立った。
「お疲れ様でしたー、ナニールさん。ちゃんと家に入るのを見届けましたかー?」
「この目で確かに。しかし今朝から女子供の一人歩きは控えるよう、近隣の家々に警邏が声を掛けてまわったはずなんですがね……ご両親の雷が落ちたのを、この耳でしかと聞き届けてから戻りましたよ」
「そうですかー。では、通常業務に戻ってくださいねー」
「はっ」
どうやらスタンは、帰るまで彼に見守られていたらしい。
これまで見てきた限りでは、ハミンスは物騒な街には見えない。
とすると、その人さらいの被害がよほど甚大なのだろう。
「まったく、困ったものですねー。というわけで、私たちのハミンスに入り込んだ害虫をみんなで頑張って駆除しよう、というのが今回の趣旨なんですよー」
「そのための仕込み、と。もしかして、俺も疑われてました?」
「いいえー?」
「どうして」
「こう言ってはなんですがヨースケさん、結構分かりやすいですしー。こんな仕事をしてるんです。ひとを見る目には自信ありますからねー」
俺は肩をすくめるしかなかった。
ルピン、リーナ、そして彼女。
三人全員に見透かされた感があって、なんともいえない気分になる。
ともあれ、領分の異なる三者が共通の敵へと対処に乗り出した。
おそらく街の中に敵の協力者がいる。
水面下での調査と探り合いを続けていたのだろう。
どう転がっても良かった。
ルピンは状況の変化を求めていた。
連絡役に指定し、俺が使えるなら更に良し、そうでなくとも何らかの反応はあるはずだと。
「ああ、それと……容姿の良い女性にも被害が出ていますからー。ヨースケさん、お近くに狙われそうな方がいたら気をつけてくださいねー。あとヨースケさん。何か事情を抱えているのは、見るひとが見ればバレバレですから注意するようにー」
ナスターシャには何か感ずるところがあったのだろう。
「うふふ。さしあたっては、その未熟な魔力の制御」
「……あ」
「早いうちにそれ、どうにかした方がいいと思いますよー?」
ね、自称魔法使いさん。
最初に名乗ったときのことを蒸し返して、ナスターシャは意地悪く笑った。