第十七話 『真っ赤になあれ』
店に戻ると、ソフィアが軒先に立って、少し寒そうに肩を震わせていた。
俺に気づくと、小走りで駆け寄ってきた。
街の治安がよろしくないと聞いた矢先である。注意しておこうと思ったのだが、ソフィアの勢いに先手を取られた。
「良かった……。ヨースケさん、大丈夫でしたかっ?」
「どういう意味だ」
「スタンの様子がおかしかったので聞き出したんです。あの子ったら……!」
自業自得というか、あの幼稚な嫌がらせが露見したらしい。
昼前に店を出たにもかかわらず、俺が帰ってきたのは夜も更けてから。
それがスタンの嫌がらせに端を発しているとなれば心配もするだろう。
ソフィアがスタンから聞き出したのは、俺を迷子にさせた点だけだった。
治安の悪い場所の近くに置き去りにしたことは省略されていた。
将来有望な悪ガキである。
姑息というか、ずる賢いというか。
顔色を変えたソフィアに、俺は多少トラブったが、大丈夫だったと安心させておいた。
強盗紛いのチンピラに囲まれたこと、盗賊ギルドに足を踏み入れたこと、そのあとの流れについては語るべか迷ったが、すでに申し訳ない気持ちでいっぱいのソフィアに伝えるのは避けた。
危険がなかったとは言わないが、結果的にプラスになった部分もある。
「ごめんなさい。あの子、本当にどうしちゃったのか」
「まあ、気持ちは分かるからな……」
「こんなことする子じゃなかったのに……。やっていいことと悪いことの区別がつかないなんて。……明日また改めて謝らせますから。本当にごめんなさい」
「ソフィアが頭を下げることじゃない。気にするな」
すでに散々に叱ったことは目に浮かぶようだ。
それがスタンの反抗心を余計に煽るとに気づかないのは、ソフィアが当事者だからだ。
理由に思い悩むのは分かるが、俺がそれを教えるのも筋違いなので口を閉ざしておく。
スタンにしてみれば、自分のせいで、ソフィアが俺に頭を下げることになる。
自業自得である点は都合良く目に入らないのだろうが、子供心に何を思うか。
状況によってはスタンにキツイお灸を据えようと思っていたが、その余地も必要も残っていないかもしれない。
あの子、今頃悔しさと情けなさで悶えてるんじゃなかろうか。
「悪かった。こんな時間まで待ってたとは思わなくてな」
「え、あ、……今日も泊まっていってくださいます、よね?」
「……頼む」
理由と状況のせいで、もしかしたら仕事も手に付かなかったかもしれない。
俺のせいとも言えないが、ちょっと悪いことをしてしまった気分だ。
「支度しておいたので、ここの部屋を使ってください」
案内されたのは昨日とは違う部屋だった。
父親の寝室と言っていたか。
物置代わりになっていたようだが、綺麗に掃除されていた。
礼を言うと、ソフィアははにかむように笑った。
「あ、お夕飯は」
「悪い。色々あって酒場に寄ったんで、そこで少し腹に入れてきた」
「……そ、そうですか」
ソフィアは笑顔で頷いたが、かすかに残念そうだった。
「そ、その、ヨースケさん」
「ああ」
「わたし、もう少し起きてますから。何かあれば、遠慮無く言ってくださいね」
それだけ言ってソフィアは店側へと戻っていった。
まだ作業を続けるつもりだ。この時間なのにパジャマ姿ではなかった。
俺はベッドの脇に用意されていた寝間着を手に取った。
「ご主人様」
「どうした」
静まりかえった部屋に、妙に明るいスピカの声が響く。
「ソフィアさんはあんなに意識してるのに、ご主人様がこうもつれない態度だと、むしろ逆効果ではありませんか?」
「そうか?」
「さすがご主人様。良くも悪くもおおらかですっ」
「褒めてないだろ、それ」
ぐっすり眠って、明朝。
用意してもらった朝食を食べ終えてから、店を出ることにした。
いってらっしゃい、とソフィアが見送りのため、店先まで顔を出した。
一応、外の様子を確認しておく。
同じことの繰り返しにはならないと思うが、誤解が解けたわけではない。
「ヨースケさん、お帰りは何時頃になりそうですか。それによってお夕飯の時間と内容も考えますけど」
誰の姿もないが、なんとなく視線を感じる。
どこからか確認する前に、ソフィアから聞かれて振り返った。
俺は首を捻った。
目の前で、ソフィアも同じようにした。
「ヨースケさん、今日はもしかしてお昼までには帰ってきますか」
「そうじゃなくて」
当たり前に俺の帰る場所がソフィアの店に固定されていた。
「そろそろ悪いし、宿を探そうかと思ってたんだが……」
「あ、わたしなら大丈夫ですから! その、せっかくお部屋も用意したし、もっと泊まっていってください」
「……そ、そうか?」
「はいっ。遠慮しないでくださいっ」
いいのだろうか。
厚意に甘えておきながら心配になる。
「でもヨースケさん、絶好の機会だったのに手を出さなかったじゃないですか」
さりげなく忠告したところ、ソフィアが目を細めて、呆れたように言った。
それをあっさり口に出せるくらいには、整理が着いたのだろう。
「心配は嬉しいですけど、そういうことは自分の行動を顧みてから言ってください!」
ソフィアがどん、と手に持っていた小さな包みを前に突き出してきた。
中身はパンと果物だ。先んじて、昼食を用意してくれていたらしい。
「こっちも気持ちも知らないで、まったくもう……」
なんで俺が責められている感じになるのか。
まったくもって女心は難しい。
「さすがご主人様。自分の行動の棚上げっぷりも堂に入ってます!」
「スピカ、しつこい」
「あうっ」
歩き出して、ソフィアから十分に離れたタイミングでスピカが言った。
俺はポケットの中に手を入れて、魔導書の表紙を指で弾いてやるのだった。
雲一つ無い晴天である。爽やかな風が抜けていく。
朝早くだからか、道行く人の姿は少ない。
道を確かめながら、散歩のつもりで歩いて行った。
街の様子を眺めていると、昨日一昨日には見えなかったものも目に留まる。
通りに面している場所には小さな店が立ち並ぶ。
中世ヨーロッパ風な外観を持つ建造物が多く、石造りにレンガ積みの家などが大半だが、完全にそれ一色でもない。
木造建築もあるにはあった。
簡易の屋台めいた小型店が目立つが、そこそこの規模の建物も時折出てくる。
当然ながら和風、もしくは日本家屋めいた館や屋敷はまったく見当たらない。
さて、今日の予定はリーナから頼まれたお使い第二弾である。
手紙の配送屋になったつもりはないのだが、大した手間でもない。盗賊ギルド、冒険者ギルドと来て、次は守備隊の詰めている正門を訪ねることになる。
宛先は守備隊長ナスターシャ。
渡すものは、このラブレターもどき。
白い封筒を懐から取りだして眺めた。
一度開けたものだから、軽くのり付けしてあるだけで、封蝋さえされていない適当さだ。
ここまで簡易な封だと、本当にリーナの個人的な手紙とも思えてくる。
そもそも封筒を再利用する時点で問題があるのだが。
「まさかとは思うが、また頼まれたりしてな」
「二度あることは、三度あると言いますし。覚悟はしておいた方がいいかもですね。ところでご主人様、気づいてらっしゃいます?」
「……分かりやすいよな」
「やっぱりわざとでしたか、今の」
スピカが苦笑混じりな言い方をした。俺が手の中で弄んでいるこれは、外見上は完璧にラブレターである。
それを見せびらかすように取り出せば、当然のように引っかかった影が一つ。
ルピンとリーナが警戒していた謎の相手、ではない。
あからさまな視線に、俺でも分かる気配。
一応こっそり尾行していたのだろうが、ソフィアの店を出てから、ずっと追い掛けてきている人物がいたのだ。
ちらり、と周囲を見回すフリをして、肩越しに背後を覗く。
慌てて物陰に身を隠そうとする小さな人影。
スタンである。
今日になってソフィアに再度叱られたにしては、タイミングが合わない。
おそらくは何か言われる前に家を出たのだ。
立ち止まっても距離を詰めてこないし、謝罪に出向いた風でもない。
「俺から声をかけた方がいいのか?」
「どうなんでしょう。相手は子供ですし、なんとも」
「まあ、確かに弱い者イジメしてるみたいか」
正直、子供は苦手だ。
特に敵愾心を燃やしている相手とは関わりたくない。
スタンのこれまでを鑑みるに、指摘されたら意固地になりそうに見える。
スピカも困惑している。さほど害はない相手だ。
あまり治安のよろしくない場所に置き去りにされた以上、ちょっとした迷惑は被ったのだが、所詮は子供の悪巧みに過ぎない。
好きな相手に叱られたこと、しかもそのせいで彼女が俺に謝ることになったのを知れば、十分に報いは受けただろう。
俺を見張っているつもり、という表現が一番正しいかもしれない。
つかず離れずを保つスタンを尻目に、俺はまだ慣れない道をゆっくりと進む。
「……邪魔ですねえ」
「ああ」
スタン本人にはそんな狙いはない。
角を曲がるときに覗いた表情からも分かるが、尾行を察知されていることに気づいていない。
それだけに煩わしい。
前を向いたままの独り言っぽくせざるをえず、スピカとの会話も気を使うのだ。
かといって撒くために下手に道を逸れて、二日連続で迷子になるのも恥ずかしい。
身体能力の差で走って引き離す手もあるが、子供相手にそれは負けた気分になる。
早々に飽きてどこかに行って欲しいが、俺の望みは叶わなかった。
幼稚な尾行だから逆に振り払いにくく、結局そのまま正門に辿り着いてしまったのだった。
守衛の一人に声を掛けたところ、詰め所にいたナスターシャがすぐに顔を出した。
そのまま詰め所内に迎え入れられた。
ちなみにスタンは離れた場所の木陰に潜んで、目だけこっちに向けている。
頭隠して、であることにはまったく気づいた様子がない。
「おやおや、ヨースケさんではありませんか。さっそく私を訪ねて来るなんて、もしかして、何か困ったことでもありましたかー?」
「あー、その」
周囲には同僚と思しき数名が席に着き、書類仕事に精を出している。
聞き耳を立てられているのは、なんとなく分かった。
用件の内容が内容である。
俺は口に出すのをためらった。
態度を不審に思ったナスターシャが首を傾げる。
俺は懐から白い封筒を取りだして、ナスターシャにそっと差し出した。
「これを」
「……これはまさか」
「ええ、考えている通りのものです」
それらしく渡せと、リーナから脅迫……もとい命令……いやいやお願いされたのだ。
途端に真剣みを帯びた彼女の表情。
どうやら、言わずとも察してくれたらしい。
ナスターシャが封筒を受け取った。これで俺の仕事は完遂した。
「そう……そうでしたかー、ヨースケさん」
そして中身を見ることもなく、大事そうに胸に抱えた。
「私に一目惚れ、してしまったんですねー」
「……いや、その」
嫌な予感がして、俺は説明しようとした。
開きかけた唇は、ナスターシャに人差し指で押さえられた。
「いいえそれ以上言わなくてもいいんですー。そう、やっぱり若い子には私の隠しきれないの魅力がびんびんに伝わってしまうんですねー。うふ、うふふ。でもまさかラブレターだなんて……私、人生で初めて! 恋文というものを受け取りました!」
真顔だったナスターシャは、いつの間にか口元をほころばせている。
というか、にやにやしはじめた。
最初に顔を合わせたときには見え隠れしていた威厳など、今やどこにもない。
とてつもなくふにゃけた笑顔が覗いている。
「それでヨースケさん、結婚式はいつにしましょうかー」
気が、いや、展開が早すぎる!
うふふー。
と浮かれ気分で、声まで弾んでいるナスターシャを前に、俺は自分が今窮地にあることを知った。
拙い。
下手に冗談だったと言えない流れだ。
近くで様子を窺っていた他の隊員が、顔を真っ青にして視線で合図してくる。
もう一人はナスターシャから見えない位置で、腕でジェスチャー。
彼は手でバツを作ったり、出口を指し示したりして、教えてくれた。
やばい、ダメだ、早く逃げろ。
ずっと彼氏なし、だから、こじらせてる。
細かな動きで、そんな情報までも伝えてくれた。
逃げたいのは山々だが、ナスターシャの視線は俺から離れてくれない。
そして腰を浮かせた彼らが、そそくさとその場を離れた。開いたままのドアから音もなく抜け出し、俺とナスターシャを二人きりにしやがってくれた。
見捨てられた。
「あっ、その前に恋人として、あんなことやこんなことをしないと!」
人間の喜ぶ姿とは、こんなにも背筋が凍るものだったか。
下手な答えをしたら死ぬかもしれない。
解決を先送りにすればするほど落差が怖い。
まさかこんなところに罠があるとは。
俺、ここで終わるのか。いや、ここで黙っていたら状況が悪化するだけだ。
幸い、周囲から人の目が消えた。
「それ、り、リーナさんから預かったものです」
俺は彼女の勢いに逆らって、なんとかこう告げた。
室内で風など吹いているはずもないのに、吹き飛ばされそうな向かい風を感じた。
「とりあえず、読んでもらえると」
言うが早いが、笑顔を硬直させた彼女は、ラブレターもどきを破る勢いで中の手紙を取りだし、文面に凄まじい勢いで目を走らせると、だんだんと膨らませた頬が真っ赤になっていった。
なんとか破れずに済んだ封筒は、はらりと手から零れ落ちた。
彼女の耳と首筋は、熟れたリンゴのようになった。
「…………。こほん、もちろん知ってましたよー?」
彼女は軽く目を逸らすと、表情と雰囲気を取り繕って、てへ、と舌を出した。
その仕草は、ちょっとだけ可愛らしかった。
これを、吊り橋効果という。




