第十五話 『冒険者ギルドのお約束』
冒険者ギルド。
それは現代日本にはありえない、ファンタジー世界の象徴とも言える組織である。
色々と発見のあった盗賊ギルドを辞してからしばらく、教えて貰った通りに歩くと、冒険者ギルドの表示が見えてきた。
まだ夕刻には早いが、少し先にはすでに商売女が立ち始めている。
周囲を行き交う者の雰囲気は、一般人のそれとはやはり異なる。
気の早い夜の女性たちがこぞって声を掛けるのも、血の気を持て余している冒険者ばかりと見えた。
あるいは金を持っているだろうとの判断からかもしれない。
俺は袖を引かれることもなく、すんなりと建物内に入ることができた。
そのまま受付へと一直線に向かう。
受付のリーナ。
窓口のカウンター内では数人の女性が忙しそうに動き回っている。
一応、容姿については聞いてはいたが、間違っては目も当てられない。
職員の一人に声を掛けて呼んでもらった。
「はい、お待たせしました。私にご用とのことですが」
建物内の椅子に座って待っていると、出てきたのは優しげな女性だった。
俺は彼女の顔を直視せず、差し出すように腕を伸ばした。
「ラブレターです。読んでください」
「……えっ」
別の言葉を予想していて凍り付いた、初対面でも分かるほど大きな驚きに満ちた表情。
周囲で聞き耳を立てていた者たちの唖然とした、あるいは呆れた、でなければ露骨に睨み付けてくる視線を感じつつ、それらにはまったく気づかないふりをしておく。
騒々しかった冒険者ギルドの屋内に沈黙が生まれた。
「あの、できれば一人で読んでもらえると」
「あ、そ、そうですよね」
受け取った封筒を開けもせず固まっているリーナに、俺は言った。
リーナはうわずった声で、顔を赤くして、背を向けた。
「すみません、ちょっと休憩入らせてください!」
「はいよー。こっちはやっとくから、ごゆっくりねー」
走ることはなかったが、早足気味に、そのまま建物内のどこかへと逃げ込むように消えていった。
あとに残ったのは無遠慮に向けられる好奇の視線。
と、結構な恨みがましい表情。
たしかにリーナの容姿は、ルピンから聞いていた通りに可愛らしかった。
冒険者ギルドという職場に似つかわしくない才媛なのに、誰にも親切で、優しくて、見目麗しい。そんな彼女に声をかける冒険者は跡を絶たないが、これまで多くの冒険野郎が告白しては玉砕していった歴史があるそうだ。
ぽっと出の野郎がいきなり粉かけやがって、ってところだろうか。
俺はリーナの向かった方角から目を背け、肩をすくめた。
ラブレターとして渡したのは、ルピンの指示だ。
用意されたのがあの真っ白な封筒だった。
手紙の入っていた封筒は、いかにもな白のまぶしい綺麗なデザイン。どう考えても傍目には気合いの入った恋文としか見えない。
そこにリーナの反応が合わされば、偽装としては完璧だ。
敵を騙すにはまず味方から。
あの驚愕っぷりからして、おそらくは彼女もこんな連絡とは思っていなかったのだろう。
針の筵に晒されながら、つとめて返事待ちの顔を保ちつつ、十分ほど経ったろうか。
据わった目のリーナが奥から音もなく出てきて、受付カウンターの脇へと手招きしてくる。
「アヴェイラさん、しばらく応接室使いますね」
告げた相手は同僚だろう。
顔を出した赤毛の女性が意地悪そうに笑った。
「どうせ二人っきりになるなら、別のとこのがいいんじゃない?」
「そういうのじゃないですから」
ケタケタと笑う赤毛の女性の言葉で、周囲の視線はいっそう険しくなった。
カウンター脇から奥へと進むと、すぐそこに応接室があった。
一応は部屋の体裁を取ってはいるが、鍵はかからないし、密室というわけでもない。
大声を上げたり、不自然な物音がすれば、すぐに誰かが飛び込んでくる。
リーナはさりげなく壁際に耳をつけて、誰かが周囲にいないかを確かめた。
「まずはお茶を入れますね」
「お構いなく」
一応断ったが、リーナは手ずからお茶の支度を始めた。
十分に間を取って、先ほど渡したラブレターもどきをテーブルの上に置いた。
それから彼女は対面に座り、長いため息をついた。
「おじさまからの手紙は読ませていただきました。ええと、ヨースケさん? そんなに畏まらなくて結構ですよ。わたし、ただの受付嬢ですから」
「なら、そうさせてもらうか」
ルピンの連絡には、俺の名前も含まれていたらしい。
最初に発した声よりもいくぶん冷たく聞こえるのは、気のせいではあるまい。
「まったく、初対面の方からラブレターを渡されたと思ったら、中身が全然違うんですから……おじさまの悪戯好きにも困ったものです」
リーナは棘のある笑いと、少しの呆れが含まれた声を発した。
ルピンの名前も出さないのは、せめてもの盗聴対策だろうか。
そう考えると、この丁寧な応対も演技めいて見えてくるから不思議だ。
「ヨースケさんにも騙されましたし。おじさまの悪戯に乗っかって、こんなお手紙をラブレターだなんてっ。わたしを驚かせた責任、取ってくださいますよね?」
特に傷ついた様子のない顔で、拗ねた口調を続けるリーナ。
ルピンの責任と弁解しても無駄だろう。
そんなことは承知の上で彼女は責めているのだ。
偽装ラブレターに荷担したのは事実なので、俺としてはただひたすら謝るしかない。
「それなら……わたしからもひとつ、お使いを頼まれてもらえませんか」
「自分で頼めない相手なのか」
「今、ちょっと顔を合わせづらい事情がありまして」
俺に連絡役を任せるための理由付けなのか、それとも本当か。
毒を食らわば皿まで。
その頼みを聞くことを了承すると、リーナは安堵の表情をした。
「折角ですからこの封筒を使わせてもらいましょうか」
「え?」
嫌な予感がした。
彼女はにっこり微笑んだ。
「もちろん、わたしのときと同じように、ラブレターとして渡してくださいね?」
「いや、でも」
「いいですよね、大勢の目の前でわざわざラブレターと説明しながら渡してくれた、度胸のあるヨースケさん?」
「……はい」
妙に迫力のあるリーナの笑顔と勢いに押されて、俺は従うしかなかったのだった。
応接室から出ると、周囲の目はいくらか同情的だった。
雰囲気が変わった理由が分かないでいると、受付から離れてこっちに来た赤毛のアヴェイラに、声をあげて笑われた。
「よっ、フラれ男さん、頑張りなよ!」
後ろから出てきたリーナが腰に手を当て、怒った。
「アヴェイラさん! いきなり何を」
「いや、だって。その手の」
赤毛の彼女が、びしっと俺の手を指し示した。
俺も見た。
リーナも見た。
そこにあるのは、先ほどリーナに手渡したはずのラブレターの封筒だ。
次の相手に渡すためとはいえ、握ったまま出てきてしまった。
真っ白な封筒は嫌が応にも目立ち、アヴェイラの言葉で建物内の目が一斉に集まってきた。
「……あ」
「ラブレターつっかえされるって、よっぽどじゃないか。いつもみたいに、お断りしたんだろ?」
「確かに、そうですけど」
「ほーら! やっぱりフラれたんじゃないか!」
告白成功なら空気も違ったのだろうが、俺の様子といい、リーナの言葉といい、明らかに付き合いだした風ではないと傍目には見えていた。
おかげで俺に対する敵意害意はさほど集まらず、これまでいた数多くの敗残兵と同じ立場になったようである。
めでたくもあり、めでたくもなし。
打って変わって申し訳なさそうな顔をしたリーナに見送られ、粛々とギルドの建物を出た。
さすがに建物内のほぼ全員から俺が囃し立てられたのを悪く思ったらしい。
同情的な目線はくれたが、さきほどの流れと真相はおくびにも出さない。
なるほど、盗賊ギルドとああした繋がりを持っているだけのことはある。
空の色は変わり、あたりに薄暗さが混じり始めた。
当初は冒険者として登録する予定だったが、そんな空気ではない。
なんにせよいったん出直したいし、リーナからの頼まれごとも増えてしまった。
冒険者ギルドの手前で相談したきり、スピカはずっと黙ったままである。
いくつか相談したいと思っていたのだが、それを邪魔するように、建物内からずっと追い掛けてきた数人に道を塞がれてしまった。
「なあ、あんちゃんよう。おれたちのリーナちゃんにラブレター渡すなんて、なにしてくれてんだコラ」
「そうだぜ。見ねえ顔だな余所者だよな。リーナちゃんと付き合いたいなら、その前に俺たちから認められなきゃいけねえんだよ」
「そう、おいらたちこそリーナちゃんファンクラブ!」
ガラの悪い男達から出る言葉とも思えなかったが、表情は真剣だ。
そしてこんな馬鹿げたノリでも、先刻、盗賊ギルド前で囲まれたときより危険な感じがした。
あっちは素人、こっちは玄人の違いがある。
俺は道を変えようと背を向けた。
が、行き先を閉ざす形で、四人の男たちが取り囲んでくる。
「鉄の掟は全部で三つ! 一つ、リーナちゃんに迷惑をかけてはいけない!」
「二つ、リーナちゃんに無理に言い寄ってはいけない!」
「三つ、リーナちゃんに勝手に近づくヤツはぶん殴れ!」
「四つ、リーナちゃんから優しくされたヤツは敵なんだ!」
妙な沈黙のあと、四人は頭を抱えた。
「しまった、四つだ! お前ら、最初からやり直すぞ!」
「しなくていい」
呆れていると、ひとりの男が、ギルドの建物内からゆっくりと追い掛けてきた。
ごつごつとした曲線の少ない骨格で、頑丈そうな四角い形の顔。
鍛え込まれた浅黒い肌と合わさって鋼鉄の箱を思わせる、そんな無骨な容貌である。
「なあ、お前ら。ギルドの前で騒ぐんじゃねえよ」
「……っ」
声の主は笑みを浮かべている。俺はその四角い顔の男に向き直り、はっとしていつでも逃げられるよう身構えた。
隙のない所作を際立たせる、余裕ある表情。
匂い立つような無骨さ、筋骨隆々とした体格に釣り合った、重厚な大剣の鞘を腰に提げている。
浅黒い肌の色、灰色の髪を短く切りそろえた、いかにも漢臭い中年男性である。
鋼を叩いて鍛えたような、ごつくて四角い顔に、大きな目玉がぎょろりと動く。
分厚い胸元を鎧ではなく鎖帷子が覆い、むさ苦しく彫りの深い顔つきが否応なく目を惹いている。
先に現れた四人もそこらのチンピラより余程強いのだろうが、こちらは歴戦の戦士か達人といった空気を纏っている。
見比べれば分かるが、あまりにも別物だった。
「おい、あんちゃん。こんなのに絡まれるなんてついてねえな」
「あんたは」
「さっきのがあんまり可哀相だったからよ、ちょっと優しくしてやろうと思ってな」
四角い顔の男は、包囲を無いもののようにまっすぐ俺に近づいてきた。
言って、じろりと見たのは、四人の男たちの方だった。
思わぬ闖入者の横入りを受けて、四人はびびりが入ったらしい。
彼らも彼も冒険者ギルドの建物内にいて、俺とリーナが繰り広げた一連の流れを見ていた。
後から出てきた男は、本当に踏んだり蹴ったりな俺を見かねて助力を決めたのか、あるいは。
咄嗟に思いついたのは、懸念をまとめて解消する方法だった。
「オッサン、それよりこの辺に安い酒場とか無いか」
「そりゃ近くにあるけどよ。安いからな、そんなに美味くはねえぞ。それを聞いてどうすんだ」
「酒場に行ってすることなんか、飲む以外にあるのか?」
「……ねえな」
「お前らも行くか?」
慌てふためいていた四人は、俺の言葉に目を丸くして、それから互いの顔を見合わせた。
一方で助力を申し出てくれたオッサンは全く動じず、にやりと笑みを深めた。