第十話 『おみせできません』
「つまり、リスペクトがあればいいんだ」
「……リスペクト」
ソフィアは真顔で繰り返し、しっかりと頷いている。
「ベースが同じでも、元の形から離れるように違う意図を織り交ぜれば、そこにオリジナリティが出来る。なんでもそうなんだが……例えば料理なら、まず食事のためって目的があって、その上で美味しさが必要とされるから、色々な種類が生まれる。プラスアルファがつくことで、求められるものも変化していくわけだ」
張り詰めた弓の弦をさらに引き絞る、そんな雰囲気だ。
ソフィアは俺の言葉を繰り返しつつ、何かを思い描いている。
最終的には二人してノリノリで、びっくりするほど話が弾んだ。
その分だけ、ちょっと切なくなった。
俺の顔を真正面から見てくれた女の子など数えるほどだったのだ。
こうして普通に会話できるだけでも嬉しい。
内容や話の流れが普通かといえば、そんなこともなかったが。
昼食に誘われたので、ありがたくご相伴にあずかった。
時間が足りなくて余裕がないのは間違いないらしい。
貴族から受けた注文の納品日まで、あまり日がない。
オーダーメイドの服飾と考えるとかなり厳しい。寸法は採ってあるが、職人ゆえのこだわりが彼女を苦悩させたようだ。
妥協か、ぎりぎりまで思案するか。二択を迫られた追い詰められていた彼女が見つけたのが、俺のスーツだった。
期限の問題もあるし、決断するなら急ぐべきだ。
というわけで俺は今、ひたすら説得を試みている。
このスーツをベースにしてアレンジしたやつでいいんじゃね、と。
もちろん俺の着ていたスーツをそのまま提出したり、このスーツをちょっと改造して商品でござい、とやったらそれは完全にアウトだ。
しかし彼女の望みも、要求されていることも、そうではない。
アウトラインやコンセプトを参考にしつつ、その上で、あくまで彼女の作品を作ればよいのだ。
自分が見て、良いものは取り入れ、要らない部分は切り捨てる。
あらゆるジャンル、あらゆる商品、あらゆる人間がそうしてきたように。
「で、でも……このスーツは、ヨースケさんの、たった一着だけの……」
「ソフィアはこれを良いと思ったんだろ。だったら広めればいい。自分の手でこのスーツを超えるものを作りだし、誰かに着てもらえば良い」
「わ、わたしの手で」
「自分が信じて送り出したものは、まわりが勝手に評価してくれる。不要と思われればすぐに廃れるし、必要なら誰もが欲しがる。何もしないのが一番ダメだ。挑戦にこそ価値がある……!」
「挑戦を、する……」
「想像してみろ。自分の手で作り上げたものが、誰かに喜んでもらえることを」
俺は何を言っているのだろう。自分でもよく分からなくなってきたが、ソフィアは感動したように話を聞いてくれている。
「わたし! やります! やってみせます! あの方に、女性用にデザインし直したわたしなりのスーツを着ていただいて……そして喜んでいただけるよう、精一杯努力するんです!」
「その意気や良し!」
「ヨースケさん!」
「ソフィア!」
「あ、ありがとうございました! わたし、頑張ります! やってみせます!」
やりすぎたかもしれない。
完全にぽーっとしてしまっている。
瞳が濡れたように潤み、表情は熱に浮かされたよう。半日、ひたすら話に付き合ったからだけでは理屈が合わない好意的な視線だ。
しかしこうもあからさまに好意を示されて、気分を害するはずもない。
「夕食、食べていってくれます、よね?」
「悪いな」
「泊まるところも決まってないんですよね。なら、どうぞうちに泊まってください」
「いいのか」
「はい、是非!」
まじまじと見てしまった。不思議そうに見返された。この反応、もしかしたら分かってない可能性がある。
話していて分かったように、ソフィアは服となると常識や躊躇がすこんと抜け落ちるというか、あらぬ方向に飛んでいっている。
このスーツを参考にすればいい。そう煽ったのは俺だ。しばらくはソフィアの仕事に付き合うと口に出した。
「この部屋、使ってください」
店の奥から繋がっている住居側に通され、夕食まで馳走になり、そう言って最終的に連れてこられたのは寝室だった。
どう見ても、ソフィアの寝室であった。
少しだけお洒落を意識した、少女らしい趣味が垣間見える。
寝台はひとつだけ。
鞄を壁際に置いて、ベッドを見る。
さっとパジャマに着替えたソフィアも、真後ろについてきていた。
「いや、俺がここに寝ちゃうと、ソフィアはどこに」
「い、一緒に寝れば良いじゃないですか」
うわずった声だった。
「同じベッドのなかに入るのか」
「……イヤ、ですか?」
俺の耳はおかしくなったのだろうか。
それとも、《共通言語》の誤作動だろうか。
違うよな。これ。
さりげなくソフィアの顔が赤らんでいる。
「ソフィア。意味分かって言ってる?」
「……はい。そ、その、わたし、初めてなので、その」
先ほどからの態度と発言は彼女なりのアプローチだったと。
そう思いたいのは山々だったが、ひとつ気づいてしまったことがある。
ソフィアは表情こそ繕っているが、指先に、隠しきれない震えが覗いていた。
ほんの僅かで、幽かな小刻みの動き。
赤らめた頬や色香を振りまくような態度の裏側に隠そうとしている本心。
強烈だった。
浮かれて、舞い上がるには、その細やかな所作に滲み出た感情は、俺には無視出来そうになかった。
もちろん見なかったことにするのも考えた。
彼女が積極的な素振りで誘っているのだから、据え膳食わねば男の恥、と押し通すことは容易かった。
ソフィアと俺は出逢ってまだ一日も経っていない。そんな簡単に身体を許すなど、たった半日の付き合いでも彼女らしくないと分かってしまう。
その覚悟に、俺は恐れおののいた。
これが異世界。
これが、俺の今いる場所なのだ。
俺が口を開かなくなったことで、行き場を無くしたソフィアの言葉と歩み。
目が泳いでいた。
せっかく決めた覚悟に水を差すような真似をされて、どう思ったのかは分からない。
ただ視線が合った。
勢いのままに進めなくなった、年相応の少女がそこにいた。
どれだけの時間が経ったのか分からない。
寝室の入り口で立ち尽くしていた俺は、同じく身動きが出来ずにいたソフィアに、優しく声をかけた。
「なあソフィア」
「……は、はい」
「お礼のつもりか? それとも」
俺への好意がまったく無いとは思わないし、思いたくない。
だが、今ソフィアがもっとも求めているのはスーツの方だ。
悲しかった。
半日のあいだ、ずっと話をしていた時間は濃密だった。
服のことだけではなくて、ソフィアは色んな話をしてくれた。
この店が父親から受け継いだこと。
両親がすでに亡くなっていること。
そしてこの店が大事で、決して手放したりしたくはないこと。
貴族からの無茶ぶりのせいで、どれだけ追い詰められているかも話しぶりから分かった。
別にスーツを人質にしたり、貸すと告げたことを反故にはしない。
そう伝えるとソフィアの顔が泣きそうに歪んだ。
「ち、ちがっ――違うんです、ヨースケさん……」
「違うって、何が」
「そ、その」
「親から貰ったのは店だけじゃなくて、その身体もだろ。大事にしたほうがいい」
ソフィアは息を呑み込んだ。
「……う、ううう」
泣かれてしまうと、俺はもうお手上げだった。
対人関係には自信がない。
無駄な威圧感とやらで就職出来なかった人間なのだから、対等の友人なんてものにもお目に掛かったことがない。
であればこそ、こうした可愛らしい女性に上手く対応できるはずもない。
スピカに呼びかけることも考えたが、ここで相棒に頼るのも違う気がする。
ここまで口を挟まないのは、俺一人で切り抜けろという意味だろう。
「よ、よぉすけさぁん……」
先ほど寝台に誘ったのと同じ人物とは思えないほど弱々しい声を発し、ソフィアは俺の腹のあたりの服の裾を掴み、涙声で続けた。
「わ、わたし……わたし……そんなつもりじゃ、うう、うあああああん」
そのままもたれかかってきたソフィアだったが、身体から力が抜けた。この状況で身を預けられてさらに当惑する俺だったが、違和感がある。
「ソフィア? ……寝てるのか」
彼女は寝室の入り口で意識を失った。手を離したらそのまま倒れそうな、やわらかな身体を抱き留めつつ、俺は途方に暮れるしかなかった。
ここしばらくずっと思い悩んでいて、毎日睡眠時間も削ったと聞いたばかりだ。
つまり、とうとう限界だったのだ。
もしかしたら。
いや、もしかしなくても、疲労がピークを越えて、普段では絶対に行わないような軽挙に突っ走ってしまったのだろう。
軽率。
そう言い表してしまうのは簡単だ。
しかし、そこまで彼女は追い詰められていた――こんな形で暴走するまで、周囲の者たちは放って置いたのか、気づかなかったのか。
そちらの方に怒りを覚えた。
たまたま目に入ったスーツは、垂らされた蜘蛛の糸だった。
彼女は、いったいどんな気持ちでそれを見たのだろう。
ずっと心細かったはずだ。辛かったはずだ。苦しかったはずなのだ。
俺は、たった半日一緒にいただけの、出逢ったばかりの余所者に過ぎない。
そんな俺にまで、こうして縋ろうとしたのだ。
周囲にいる他の誰でもなく。
俺は彼女を起こさぬよう、そっと抱きかかえて、ベッドまで連れて行った。
服の裾を掴んだ指先は固く、起こさないよう慎重に一本ずつ引きはがした。
涙に濡れたままの寝顔を見下ろした。
赤らんだ目元。はだけた胸元。
完全に無防備になっている姿がそこにあった。
もちろん手は出さない。出せるはずがない。
ただ、こんな彼女を放って、どこかに去るわけにもいかない。
俺自身も一日の疲労が溜まっていた。全部、今日のことだった。あまりにも色々ありすぎた。
眠気に逆らえず、結局、部屋の外に出て、廊下の床に横になった。
ソフィアにかけた分とは別に、部屋の片隅に置いてあった毛布を借りた。
なんというか、濃い一日だった。
俺は間違ってない、よな。
誰に聞かせるでもなく呟くと、寝る直前、スピカの返事が聞こえた。
「……はい、どうぞご主人様の望まれる通りに」




