第九話 『おみせできます』
「こ、ここです。……えっと、カゲヤマ、様」
「陽介でいい。俺は別に偉いわけじゃないから、様付けもしないでくれ」
「で、では、ヨースケ、さん? あ、わたしもソフィアと呼んでください……」
笑顔ではあった。
顔を青くしながらも逃げずに店に誘った彼女を褒めるべきなのだろうか。
根性によるものか、物珍しいスーツ目当ての職人魂なのか、それとも一度は声をかけてしまった責任感からか。
ソフィアの店までの道中、彼女の顔見知りによる視線を感じ続けた。
といっても、振り返ると全員そろって目を逸らすのだが。
そんなにヤバイ気配なのだろうか。ちょっと切なくなった。
互いに自己紹介をした。
もちろん言えないこともある。とりあえず、他国からきたことにした。
ここハミンスの街は旅人の出入りが多いようだ。
ソフィアと話すのは、門で出逢ったナスターシャと比べれば気は楽だった。
なにしろ俺と同じ一般市民相手だ。気軽に雑談をしても問題はない。
この異世界に来てから初めての、普通の話が出来る存在とも言える。
相手から俺がどう見えているかについては保留しておく。
考えると切なさが増すので。
少しでも話が途切れないようにと、精一杯、話題を探したのだろう。
ソフィアは店に着くまでに、ここハミンスの特徴を教えてくれた。
地理に疎いことを察して分かりやすい大通りと、街の造りなども簡単に説明してくれたが、一番ありがたかったのは彼女が自分の言葉で話したことだ。
おかげで色々と考える材料になった。
俺が正門を通ってきたと知ったあとは、若干だが緊張が和らいだ感じもした。
あの守備隊は市民から篤い信頼を集めており、なかでも正門警備は花形の部署らしく、女隊長ナスターシャも相当な有名人だそうだ。
到着したのは、やはり仕立屋で、こじんまりとした店であった。
ディスプレイ用に何着か服が飾ってある。
ほとんどが女性用のドレスだが、男性用の衣服もある。ここが仕立屋である以上、オーダーメイドが基本だろう。
吊しとして置かれているのは毛糸のケープやセーターだ。あまり体格に関係なく使えそうなものを、手が空いているときに作って売り物にしていると思われる。
すれ違った市民の格好を思い返すに、スーツと全く同じものが存在しないだけで、そこまで服飾文化が異なるとも思いにくい。
ちょっと素朴な着こなしだと感じる程度で、あまり違和感を覚えなかった。
江戸時代から明治維新あたりの日本を考えれば、地域の特色として納得出来る範囲である。
じっくり見ている最中、ソフィアが恥ずかしそうに言った。
「あ、あんまり流行ってませんが……」
様子を窺いつつ、どもりどもり喋られる相手である。
「分かった。で、このスーツが見たいんだろ」
「す、すすす、スーツって言うんですかこの服!」
「はいどうぞ」
脱いでそのまま渡してやると、受け取った瞬間からソフィアはスーツの布地から裁縫の程度からじっくり観察を始めてしまった。
肩の部分や首回りもなめ回すようにして凝視している。
完全に見入っている。
「すごい! 大量生産みたいなのに……こんなに綺麗に縫ってある……!」
「分かるのか」
「分かりますよ! 手縫いじゃこんな風には出来ませんから!」
「お、おう」
さっきまでどもっていたことなど忘れたかのような大声であった。
スーツを拡げて見て、布地を触ってみて、匂いをかいで、袖口を開いて。
表から裏から、ありとあらゆる角度から眺めた挙げ句、ソフィアは、はぁ、とため息をついた。
まるで恋する乙女のような、完全に熱っぽい表情、上気した頬で、スーツの手触りをもう一度。
「全く魂が籠もっていないのに、こんなに正確に仕立てられているなんて……! それにこのデザイン! なんてすごい! とても洗練されたシルエット……。この手触りも不思議……羊の毛のようだけど、他にも織り交ぜてある……?」
ひとしきり眺め、存分に感触を楽しんだ後、はっとしてソフィアは振り返った。
俺の存在をようやく思い出したらしかった。
みるみるうちに顔色が変わった。
お茶くらい出してくれると思ったのだが、完全に放置されていた。
椅子も出てこなかったので、立ちぼうけである。
一瞬口ごもり、ソフィアはいった。
「……あ、あの。袖を通してみても、いいですかっ?」
「どうぞどうぞ」
「軽い……大きさは仕方ないにしても、これなら」
この後、ちゃんと店の奥に通されて椅子とお茶とお菓子を出してくれた。
もう少し見せてあげても良かったのだが、スーツは一応返してもらった。
ワイシャツだけだと、ちょっと寒かったのである。
「すすすす、すみませんっ。あた、わたし、服のことになると自分でもわけがわかんなくなっちゃうんですっ」
「いいからいいから」
色からすると、紅茶だろう。
食文化にも大きな差異は無さそうだ。
テーブルに出されたカップから立ち上る香りもなかなか良い。
ばたばたと慌ただしいわりに、手つきは案外滑らかだ。針仕事しているのなら器用なのも納得ではあるのだが。
熱中して我を忘れるのは誰にだってあるが、うら若き女性がそれだと色々と問題がある気もする。
店内奥には客が待っていられるように椅子とテーブルが備え付けられていた。
視線をずらすと、店と繋がっている裏側部分への扉がある。そこが居住スペースだ。
ソフィアの他に店員はいない。十五、六程度の年齢にも関わらず、一人で店を切り盛りしているのは違和感があった。
「や、やっぱり、変ですか、ね。わたしみたいなのがこういうお店やってると」
「どういう意味だ」
「その、年とか、女だからとか、そういう」
ソフィアから言い出してくれて助かった。率直な意見を求められているようだし、ここは正直に言っておくべきだろう。
女性にありがちな、単に同意を求めるだけの問いとも考えにくいし。
「変かどうかは俺の口からは何とも。ただ、不思議ではある」
「え、えっと」
「大丈夫なのか」
若い娘が一人でやっている店。
仕入れや販売、商売全般において不利なことが多いはずである。
吹っかけられたり、仕事にケチを付けられて支払いを渋られたり。
俺の持つ常識から判断すると、どうしても順調に経営をしている風には思えない。
俺の危惧を察したようで、ソフィアは力なく笑った。
「は、はは……見ての通り、わたしの店には、お客さん、あんまり来ないみたいです」
「みたいだな。客が来ないだけが問題なのか」
「その、近所の皆さんも気を遣ってくださいますし、あ、わたし、腕には自信があるんです。だから、たぶんヨースケさんが心配しているようなことは、無くて。でも」
「でも?」
表情が曇っていた。
「このあいだ、わたしごときでは見たこともない、すごく位の高そうな貴族の方が当店に来てくださいまして……」
「言いづらいことなら無理は聞かないが」
「い、いえ。どうせ恥ずかしいところを見られちゃいましたし、このまま聞いていただける方が」
愚痴をはき出してすっきりしたい、という感じだろう。
スーツに並々ならぬ関心を示した、その本題に関わる部分のようだった。
「それで、わたしに一着、服を作れとの仰せでした」
「つまり、無理難題を吹っかけられたか」
「……はい。あの方のお求めは『貴女は下々の者とはいえ腕はまあまあのようですから斬新でスタイリッシュ且つフォーマルな感じのピシッとしてパシっとしたエレガンスの香り漂う、しかしながら決して華美過ぎてはいけないことを留意しつつスペシャルでエクセレントな一着を私のために作らせてあげるから涙を流して喜びなさい! おーっほっほっほ! おーっほっほっほっほ!』とのことで。でも、あの方が満足出来るものを作れなければ、お父さんから引き継いだこのお店、続けられなくなるんじゃないかって……」
……?
一瞬固まってしまった。
翻訳魔法《共通言語》の不備じゃないよな。今の。
伝聞だから若干ズレているのだろうか。
いや、ソフィアの口調と仕草から、それらしいニュアンスの発言であったことは確実である。
「……わたし、もうどうしたらいいか分からなくてっ!」
「奇遇だな。俺も同じだ」
そんな台詞聞かされたらフリーズするに決まっている。聞く限りでは女性用の服だ。スーツを見て何かの参考になるのだろうか。
聞いてみたところ、力強く頷かれた。
「なります! あれほど完成された形式は初めて見ました! あのお貴族様が仰られたなかで一番困ったのが華美過ぎてはいけないという部分でして……っ」
確かに。
見回せば、ソフィアの専門はドレスのようだ。
ソフィアがデザインしたという店内にある何着かを、再度見てみる。
胸元が強調されたり、華やかさが花開くようなものが多い。
どれだけ見ても、職人としての腕がどの程度なのか、素人の俺には巧拙の判断は付かない。
滑らかな曲線を描いた布地の組み合わせは、縫い目からすると手縫いに思える。
雑巾を縫った経験しかないこの身には、何をどうしたらこんな風に縫えるのか、綺麗に組み合わさって完成品としての服になるのか、どれだけ眺めてもさっぱり想像つかなかった。
幼い頃から職人として技術を磨いてきたのは間違いなさそうだ。
「誰も手を伸ばしていない方向性は何かを付け加える――増やす方にしかないとばかり思っていたのですが、わたしはヨースケさんのスーツ姿を一目見た瞬間からその思い込みを粉砕されてしまったんです! あれほどシンプルでかつ貧相ではない、むしろ無駄をそぎ落としたフォルムにシルエット! しかも袖を通して見て分かりました。一件窮屈そうでありながら、裏地にも気を遣い機能性を追求した着心地!」
興奮してきたらしい。声はどんどん早口に、口調は流麗になっていく。
熱弁を振るっていると喋りが上手くなるタイプのようだ。
どんな職種でもそうだが、自分が好きなこと得意なことをしている、話している瞬間は見ていて気持ちが良い。
目的のために一直線という感じがして、非常に好感が持てる。
「これなら! そう思ってしまったんです……っ!」
「だったらこのスーツの作り、真似すればいいんじゃないのか」
「そんな恥知らずなことはできません!」
「職人の矜恃ってやつか」
「あっ、そ、その、すみません。せっかく来ていただいたヨースケさんに、こんな話をして、その上で大声なんか出してしまって……」
しゅんとしてしまった。
ここまで聞かされて放っておくのも、なんだかなあという気分になる。一応、スーツについてはじっくり見せたし、望まれたことは果たしたが、どうしたものか。
俺が考え込んでいると、ソフィアの表情に陰が差した。
それはほんの一瞬だった。
確認するためにじっと見ると、ソフィアは気恥ずかしそうに笑顔を見せた。
俺はほっとして、話を先に進めた。




