第三部 可哀想なわたし(2)
「星、星が・・・」
少女は声を枯らして何とかそれだけを声にした。
その反応を予想していたのだろう、サエは少女にそっと水を差しだした。
「大丈夫?」
水を一気に飲み干した少女の手はがくがくと震えている。
「真っ暗だった・・・」
何もかもが、闇。
大地も、空も、空気も。
曇りの空とも違う。
雷雨の前のものとも違う。
・・・何にもなかった、月も星も。
ぽっかりと、穴が開いているみたいに。
それとも、わたしたちが周囲を囲まれた箱に閉じこめられて、蓋をされたみたいに。
学校で習った空は、円を宇宙に向けて広げていた。地球を等しく包むように。
わたしは、空が落ちてこないことは知っている、そう習ったから。疑ったこともない。
だけどここでは、その円形が大地に押しつけられるみたいにも見えた。真っ黒な布が、わたしたちに向けて垂れて来ているみたいに。
そのまま落ちてくるんじゃないかと思うほどに。
「ええ、ここには『星』なんて存在しないの」
ここは、全ての場所から遠ざけられた場所だから。
サエはそう言うと、少女の震える手から空になったコップをそっと取り上げた。
「唯一の灯りは、この場所、この家だけなのよ」
初めて知った、本当の『闇』に少女は打ちのめされた。
ここの灯りが消えたら、この奇妙な世界の夜は本当に何ひとつ道標が無くなってしまうんだ・・・。
あの子は、かんなはここでひとりで暮らしているって言ってた。
初めから、星なんて知らないなら怖くない?寂しくない?分かんない。想像も出来ない。
でも、わたしはあんな夜はイヤだ。
少女は窓から見える、星一つない外の闇に目を背けた。
「サエさん、わたしに手伝えること、ある?」
ママにも長いこと言っていない言葉。
でも何かして気を紛らわせていないと先ほどの景色を思い出してしまいそうだったから。
サエさんはわたしが外へ出ている間に下ごしらえを終えたみたいで、鍋は火のない場所に移動していた。
「そうね」
そう言って、サエさんは椅子が4つ並んだテーブルの方を見た。
「じゃあ、女同士の話に付き合ってもらえるかしら?」
なかなか、そういう機会がないのよ。
そう言って、わたしをそちらに招く仕草をした。
さっきまで何もなかったテーブルの上には、美味しそうなお菓子が何種類か、大皿にたっぷりと乗せられている。
誰のための準備なのか、気遣いなのかは言葉にするまでもなかった。
わたし、こんな大人になれるのかなあ?
サエさんには全く歯が立たないと痛感しつつ、わたしは向かい合った席に座った。
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朝、起きたら知らない女の人がいて、ボクはびっくりした。
寝ぼけて召還してしまったんだろうか?
オロオロしていたら、聞き覚えのある声が降ってきた。
お姉さんの声だ。
昨日見せてくれた『すまほ』のお姉さんと、昨日来た時のお姉さんと、目の前のお姉さん。
すごい。姿を変える魔法を仕えるのかな。
ボクに使い方教えてくれないかな。
そう思ってお姉さんをじっと見つめていたら。
「何見てんのよ。仕方ないでしょ、メイクとか出来ないんだから!」
良く分からないけど、怒られた。
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ぶわっと広がった栗色の髪には昨日みたいな作り物の艶もなく、毛先は思い思いにうねっている。
まつげも寂しげになり、眉毛に至っては辛うじて生えている、という感じだ。
クレンジングもないのに顔を洗っただけでこの洗浄力。
一体どんな成分でここの水は出来ているんだろうかと少女は不気味にすら思った。
仕方なくシュシュで髪を全て後ろにまとめ上げる。
この状況で敢えてサイドの髪を前に下ろす一工夫で女子力アップ!なんて気分にもなれない。
服も、サエさんが貸してくれたシンプルなワンピースだ。
先ほど部屋に置かれていた鏡を見て、コンプレックスの一つであるメリハリのない自分の体のラインにがっくりしたばかりだ。
こんな未開の土地なのに、置かれている鏡はしっかりと作られたもので、まざまざと現実を見せつける。
かと言って、ここへ来た時に着ていた服は汚したくない。
「ねぇ、お姉さん」
不意にかんなが少女をのぞき込んだ。顔の距離が近い。
サエさんもだけど、このかんなも整った顔立ちをしている。
自分が持っている宝物に気付いていないし、持っていて当然だって思っているんだろうな。
少女がそんなことを思いながら無言でかんなを見ていると、
「一緒に畑に行かない?サエさんが野菜採って来てって」
昨日、ずいぶん遅くまでふたりで話し込んだのに、サエはいつも通り早くから働いている。
気を使ってもらったことはいくら自分が鈍くても理解出来るから、サエの手伝いになるのならと、少女はかんなに並んで歩き出した。
「ボクねぇ、嬉しいんだ」
かんなが長いローブの裾に風を含みながらくるりと一回転しながら少女を見た。
現実感のない真っ白なローブ、重さを感じさせない細い体のその動きは、今にも羽が生えて空を舞って消えてしまう妖精だと言われても違和感がない。
「お姉さんが来てね、サエさんも最近良くここに居るし、ボクひとりじゃないのって嬉しいんだ」
「いつも、ひとりの時はどうしてるの?・・・夜とか」
あの、何もない、敢えてあるとしたら『孤独』しかないような夜を思い出して少女は初めて自分から問いを投げかけた。
そうして、部屋に置かれた沢山の本を思い出した。
あの本の山に没頭していれば、夜も早く過ぎるのかも知れない。
「夜・・・空を見てるかなぁ」
意外な応えに少女は立ち止まった。
あの何もない空を?ひとりで?
本とか、読めばいいじゃん、と思わず声に出してしまった。
かんなは少し悲しげにうつむいた。
「ボクが勝手に見つけた本で世界をこんな風にしちゃったから。だから」
本は、もう読まないんだ。
そうして、ぽっかり開いた自分の記憶の代わりに与えられた『過ち』について淡々と打ち明ける。
傲慢だった自分がかつて犯した罪を。
それがかんなの知る、唯一の『真実』だったから。
少女はかんなの言葉を黙って聞いた。
次第に、その言葉を確実に消化出来るように、かんなの言葉を心の中で反芻するように言葉のひとつひとつに真剣に耳を傾けた。
「だから、夜、空を見て思うんだ。『救世主様』はどこにいるんだろう、って。でも、何も見えないんだ」
何もない、あの夜空をただ見つめる幼い子供。
さびしいと告げる相手もなく過ごす毎日。
先ほど自分が羨んだ顔立ちだとか、そんなささやかな事すら話す相手もいないかんなが、果たして自分の姿形や性格をどこまで把握してるのかも分からないという現実。
自分が何者かも分からないまま、どこに居るかも分からない人を捜して待ち続けているんだ・・・。
「早く採って来ないと、お湯が煮え過ぎちゃう!お姉さん、行こう!」
サエさんに怒られちゃう!
突然かんなは顔を上げて、何事もなかったように走り出した。
その軽い足取りが演じているものなのか、本来の自然なままの姿なのかと少女は思いながら慌てて後を追った。
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その夜、かんなが寝室へ引き上げるまでの時間まで少女はそわそわとしていた。
サエに聞きたいことが山ほどあったからだ。
サエはそんな少女の様子にとうに気付いていたらしく、暖かいミルクティーをふたり分用意して穏やかに席についた。
少女はその暖かな飲み物がすっかり冷えてしまうまで夢中でかんなから聞いた話をサエに語り、サエはゆっくりとミルクティーを口に含みながら、黙って耳を傾けていた。
時々、静かに相づちを打ちながら。
サエは、少女に隠すことなく『真実』を伝えた。
この世界へやって来た人間に、サエは嘘をつかない。
捏造された過去を聞かされてこの地で生きているかんなと、世界に本当に起きた出来事について。
正直、少女にとってはそんな話は実感などなかった。でも。
「かんなは、ここにある本を読めないって言ってた」
真っ直ぐにサエを見る。
サエや、かんなをこの世界へ隔離した人々への腹立たしさもあった。
「自分の過去の過ちを悔やんでいるからって」
なのに、それが嘘だなんて。
あまりにも残酷だと思った。
誰も真実を教えてくれない、偽物の日々。
なのにかんなは罪を、偽物の罪を今でも背負っている。
どうして誰も教えてあげないの。
少女はサエに静かに問う。
大声を出すような怒りとも、涙声になるほどの悲しみとも違うなにかが少女をどこか冷静にしていた。
そうね、とサエは相変わらずの穏やかな表情のまま応えた。
自分の想いがきちんと伝わっているのか、その表情からは読みとれない。
しばしの沈黙。
サエはミルクティーをまた一口ゆっくりと飲んだ。
その静かな時間が、少女をまた冷静にする。
かんなと長い時間を過ごしてきたサエさんの心なんてわたしは理解出来ないに決まっているんだ。
なのに、気が付けばサエさんを責めるような言い方になっていた気がする。
違う、そういうことが言いたいんじゃないのに。
自分が余りにも子供に思えてもどかしかった。
「でも・・・きっとわたしも話せない」
沈黙の後、少女は呟いた。
サエは表情を変えない。
かんなが『真実』を知った後にどうなってしまうのか、その分岐点に自分が立つことはとても恐ろしく思えた。そんな勇気はなかった。
そう、とサエは短く言った。
自分の心を見抜かれている気がした。
冷めたミルクティーに気付いて、少女はそれを一気に飲み干した。
真っ暗な夜空を見た、あの時のように。
主人公が誰なのか良く分からなくなって来ました・・・?
主人公はかんなです!かんなでございます!!
次回の更新は3月19日20時です。おっと、私の誕生日だ!(だから何だと言うのでしょう)
3日に一度、まったりファンタジーをどうぞ。