第一部 はた迷惑な召喚士(4)
お兄さんが帰る日がやってきた事を、ボクは感じた。
どうしてなのかは分からない。
いつも、突然ボクは『救世主様』を召還する時を感じ取り、そして元の場所へ還る時を悟る。
でも、何故だろう。
いつもなら、もっと早くその予兆を感じられるのに。
今は、もう時間がない。どうして。
俯いて手をきつく握るボクに気付いて、お兄さんが怪訝そうにボクの顔をのぞき込む。
「お別れだね、お兄さん」
たくさんの言葉が出て来ないで、喉にひっかかっている。
なのに、言えたのはたったそれだけ。
唐突にボクがそう告げると、お兄さんは目を見開いた。
「ど・・・」
どういうことだよ、とお兄さんが言い終わる前に、静かにお兄さんの姿は消えていった。
そこにポトリと落ちたのは、一つの砂時計。
「・・・おかえりなさい」
ボクはそれをそっと拾うと、ローブのポケットに収めた。
いつものように、気がつくとサエさんがすぐ側でそんなボクを見ていた。
「なまえ」
ボクは気がついた。
ボクに名前をくれたお兄さんの名前を、聞くのを忘れてしまっていたことに。
変なお兄さん。
うっかり者のお兄さん。
肝心な名前を、ボクにだけ与えてくれて、お兄さんの名前は教えてくれないなんて。
もっと、お別れにたくさん話したかった。
ボクのことをもう忘れてしまうお兄さんに。
お礼を言いたかった。
ボクに名前をつけてくれて、ありがとうって。
ありがとう、って。
「かんな」
何もない、何もなくなってしまった草原をぼうっと見つめていたボクに、サエさんが声をかけた。
「もうすぐ日が暮れるわ。体が冷えてしまうからお家へもどりましょう?」
今夜は、暖かいポトフを作るわ。
サエさんはそう言うとボクを促した。
振り返ると、お兄さんが作ってくれた小屋が相変わらずそこにあった。
お兄さんがここに居たという、確かな証拠・・・思い出。
ボクは、ボクが記憶している限りはじめて、声を出して泣いた。
そして、サエさんははじめて、その夜ボクに添い寝をしてくれた。
ひとりきりじゃない夜は初めてだった。
「おかあさん、みたい」
温もりに包まれてボクは呟く。
「おねえさん、でしょ、かんな」
同じような会話をつい最近したばかりだなぁ・・・そう思いながら、ボクは眠りについた。
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『ほら、ボサッとしてんじゃねぇぞ、ヨハネス!』
夢の中で、お兄さんが誰かに怒鳴られていた。
でも、その声には優しさが感じられる。
『ちげぇよ、さがしてんだよ!』
お兄さんが負けないくらい大声でそれに答えていた。
しばらくして、おにいさんは長方形の、木で作られた何かを取り出した。その、ずっしりした質感の木の真ん中あたりには、鈍く光る刃がついている。
『なんだよおめぇ、かんななんて持って。俺に適わないからって中途半端に投げ出しやがったくせに』
お兄さんより年輩のおじさんが、ニヤニヤと笑っている。
『うるせぇな。俺はこいつの扱いならおやじの・・・いや、世界一の男になるって決めたんだよ!』
そう言って、お兄さんがおもむろに板の表面にその長方形のものを走らせ始めた。
鳥の羽根のようにふんわりとした木のくずが、次々と舞い踊る。
きれいだな、とボクは思う。
かんなっていうものの形はあんまり素敵じゃないのに、あんなに綺麗なものがふわふわと生まれているのがとても不思議だ。
『へえ、さっそく神隠しの御利益ってわけかい』
そんなお兄さんの姿をみて、おじさんは満足そうに笑った。
まぁ、俺を抜かそうなんて簡単じゃねぇぞ?と付け加えながら。
『いいんだよ。俺はおまえがかんなになれ、って言っちまった。だから俺も、この相棒を・・・恥ずかしくないように使いこなしてみせる』
そんで、あの小屋をもっと綺麗に仕上げてやるんだ。
そう言って、茶色の羽根を舞い上げ続けるお兄さんの顔は真剣だった。
おじさんも、その姿をしばらく眺めていたけれど、やがてそれぞれの作業に没頭するように無口になった。
・・・ああ、なんて素敵な夢だろう。
こんな風にお兄さんがボクのことを覚えていてくれたなら。
みんながボクを忘れてしまうのに。
誰かが、ボクがここにいるって覚えてくれていたなら、ボクが生きているって知っていてくれたなら。
もし、お兄さんにまた会うことが出来たなら・・・。
今度は、ボクがお兄さんの名前を聞くんだ。ちゃんと聞くんだ。
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サエは穏やかに眠る横顔を見ていた。
こんな風にいつも側にいてあげられたなら、そんな想いが一瞬胸を灼いた。
「でも、もうあなたはひとりじゃない」
気付いていないかも知れない。
でも、あなたは確かに召還したの、待ち望んだ『救世主様』を。
あなたに名前を与え、この隔離された世界に変化をもたらした初めての人間を。
きっと、これからあなたも、この世界も変化していく。
そして、神をなくした人間も。
あどけない寝顔のこの子が、それに気付くには気が遠くなるような時間が必要かも知れないけれど。
それでも、その日まで私は側にいるから。
少しずつ朝の色に染まりいく空気を感じてサエはそっと布団から抜け出した。
幸せな夢を見ているのか、穏やかな笑みをうかべたその小さな子供を起こさないように。
「さあ、今日は何を作ろうかしら」
そう、世界はまだ始まったばかり。
かんなの見る夢が叶う日はきっとやって来る。
サエは大きな伸びをひとつすると、新しい木の匂いに囲まれた小屋へ向かった。
いかがでしたでしょうか。
第一部、大工のお兄さん編はこれで終了となります。
ですが、かんなの物語は進んでいきます。
次回の更新は3月4日の予定です。
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