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第七部 ユメワタリの樹(2)

第七部、2話です。

お読み頂けたら幸いです。

(2)


『僕達はヒトからヒトへとユメを渡っているのですが』



少し落ち着くと、ユメワタリはぽつぽつと語り始めた。



本来、ユメワタリは人間のユメからユメを渡って生きている。まるで波間を漂う魚のように。

自由気ままなようで、それでも危険もある旅だ。

それでも、彼らがユメを渡るのには大義名分も目的もある訳ではない。

単に彼らという存在が、そういう生態で成り立っているだけの事だ。


彼らは『大樹』()と呼ばれる場所から生まれ、ユメからユメを渡り再び『大樹』()へ帰る。そのサイクルを繰り返して成熟し、同時に『大樹』()もさらに大きく枝葉を伸ばしていく。

そういう狭い生態系の中に生きているに過ぎない。



『ある時、普段と違った強烈な何かに引っ張られたんです』



そのユメの『持ち主』はユメワタリを己のユメへと引きずり込んだ、あたかも水面に漂う水鳥が違う事なく水中の魚を捕らえるかのように。

とは言えそういう現象は時折起きるものであり、ユメワタリも特段抵抗はせずに従った。

例えば強い願いや恐怖、深い幸福などのユメが生み出す力はユメワタリを激しく引きつけるものだった。

そして無駄に足掻けば、運が悪ければユメとユメの境目で溺れることになる。







暗闇の中、小さな椅子に腰掛けている男の後ろ姿があった。

随分と色のないユメだった。

何故、こんなユメに自分を引き寄せる強烈な力があったのだろう。ユメワタリは困惑した。


不意に男が口を開く。

相変わらず、ユメワタリに背を向けたまま、一顧だにする事もなく。



『君なら、連れて行ってくれるのかな』



思わず息を呑む。

何故。ユメを見ている相手には、自分たちの存在は関知出来ない筈なのに。

警戒心が瞬時に頭をもたげる。


男はゆっくり立ち上がると、言葉を失ったままのユメワタリへ向き直った。

そして、行きたい場所があるのだと告げた。だがその場所へ自分では行くことが出来ない。だから助けが必要だった。そうして君がここへ来た。


申し訳ないが…そこへたどり着けない限り、君はこのユメの束縛から逃れられないだろう。



そう告げると男の姿は搔き消えた、同時にどことも知れない場所に放り出された感覚があった。

目の前にあるのは暗い闇、そしてぽつんと浮かぶひとつの珠。


君なら連れて行ってくれるのかな、という男の言葉を思い出す。

どこに。誰を。どうやって。

いくつもの疑問が交錯し、ユメワタリは途方に暮れた。

そもそも、これでは脅迫されただけではないか。選択肢など最初から用意されていない。



様々な推測を重ね、ひとつの結論に辿り着く。

恐らく彼は無意識のうちにこのユメを見ている。

・・・いや、ユメと言うにも違和感があった。

むしろ深く沈められた記憶を自分すら気付かないうちに再生してしまったような。

そして引きずり出してしまった記憶の続きをまさに今、手繰っているようなユメとは異なる何かに自分は引き込まれたのだ。

だとしたら。



・・・それは、ユメワタリの領分ではない。



なのに自分はこんな風に引き寄せられた。ただの人間によって。

いや、本当にただの人間なのだろうか?

未体験の出来事に戦慄にも似た何かが走った。



その間も風景は変わることなく、暗闇にただ、うっすらと光る珠がひとつ存在するのみ。

時間が凍り付いたようなその場所で唯一時の流れを示すのは、珠の表面を所々覆っている銀色がうねるように流れ描き続ける模様の移り変わりのみ。


タンポポの綿毛のようにユメに乗りユメへ流されるだけの自分が、強引にとは言え自らの意志で見知らぬ場所へと向かう。

そもそも、そんなことが可能なのだろうか。意識を持ってから一度たりとも試した事も考えた事もなかった。


けれどここから脱出するには彼の意向に添うしかないようだ。

もしかしたら自分はその瞬間に消え失せてしまうのかも知れない。ただのユメワタリでしかない自分がその未知なる領域へ踏み入る事が出来る保証はどこにもない。



しばしの時間をおいて、自棄にも近い覚悟と一縷の未知への希望が混ざり合い、ついに知らない場所へ踏み出す決意へと変わった。

目の前にある、この珠だけが彼の望む場所へと渡る唯一の手がかり。

それに意識を集中する。方法など手探りするしかなかった。


躊躇いがちに手を触れた瞬間。

突如極楽色の思考の海に放り出され、おびただしい感情と記憶の波に揉まれて夢中にもがいた。

・・・溺れてしまう。

縦に、横に引き裂かれた自己が織物のように再び組み込まれたかと思うとそれは膨張し円形の意識となり、次にはその内から外へ放り出されて再び引き裂かれ同じ方向へ流されていく。

こういったものをまさに悪夢と言うのだろうが、まさかユメワタリである自分がそんな経験をするとは思った事などなかった。



必死で何かの断片に掴まろうとする。

だが、濁流にも似たその中ではほんの小さな欠片さえユメワタリに取り付く余裕を与えず、むしろそれらはユメワタリを標的にした凶器のように襲いかかりさえした。

出口も分からぬまま沈み、浮かび、ついに抗う力も失いかけた時。


ぴたりと全ての流れが収まった。

そうしてユメワタリの意識に刻まれたのは幾つかの記憶の断片。







・・・な。



かん・・・な。







かんな。




---------




一転して眩い世界が広がっていた。

同時にユメワタリは、突如自分が質量を持った何かに変化していくのに気が付いた。


思念の塊であった自分たちには元来、容姿という概念はない。

それが今、己の視界からは仄かな銀の色を持つ珠を抱えた両手、そして足が見える。

不安定に頭部がぐらぐらとする。それはとても重く感じられた。揺れる度に軽い目眩を憶える。

そして脚は細長い全身を支えるには余りにも心許なく、まるで慣れないダンスのステップを踏んでいるように暫くふらついた後、耐えきれずそこへ座り込んだ。


息が荒い。全身が震えている。

なのに両手だけはしっかりと珠を抱き締めている。


どうやら無意識に人間の姿を模倣したらしい。

そしてここはユメの中ではないのだろう。あの男が望んだ場所に自分は辿り着いたのか、それとも。



落ち着きを取り戻して深呼吸をすると、改めて大地を踏みしめた。

素足に青々とした草はちくちくと刺激をもたらし、大地はほんのり温かく湿りけを残している。

陽の光はユメの中よりもずっと穏やかに世界を暖かく照らし、木々の臭いが鼻孔をくすぐる。

不意に風が体を撫でる。直に肌に触れるそのくすぐったさについ身をよじる。


これが、体を持つモノが体験している世界なのか。

その新鮮な感覚と体の重さに若干の不自由さを感じながらも歩みを進めた。

もしかしたらこれはユメなのだろうか。ユメワタリである自分がユメを見ているのだろうか。

有り得ないとは思いつつも、そう考えずにはいられない程だ。



それでもあの男の想いが確かにユメワタリを捕らえ、彼では果たせない願いを託した一連の事が幻だとは思えなかった。



そうして暫く歩き続けてどのくらい経ったのだろう。

生き物は沢山居るのに、何故だか人には驚くほど出会えない。

そうだ、相手が生きているとは限らないのだと思い当たる。一抹の不安とともにそれでも歩みを進めていると。


ひとりの人間の姿を遠くに見つけた。

緊張と警戒に身を固くする。

逃げた方がいいんだろうか、それとも話しかけた方がいいんだろうか。

この人間のような体に危害を加えられたら一体自分はどうなってしまうのだろう。


だが相手もどうやら、こちらに気が付いたようだった。

徐々に近付いて来る。



どうしよう。

どうしよう。

どうしよう。



足はもどかしい程に言うことを聞かず、逃げ出そうにも弱々しく一歩進むのが精一杯だった。

近付いてくるのは、人間の男のようだ。

こちらを見るその目は険しく、まるでお前の正体を知っていると言わんばかりだ。


あの人が、彼の捜していた人なのだろうか?

逃げることも同時に考えていたのにも関わらず、自然と足はそちらへ向かっていた。



そうしてふたりの距離はどんどんと縮まり、男が先に口を開いた。



が、その言葉を発する前に。

大地が揺れて誰かの高い声が響いた。慌ててそちらを見ると、何だか良く分からないがとにかく巨大な何かがこちらに向かって来ていた。

慣れない体の上に驚きの余りに身動きなど取れずにただ目を見開いて硬直するしかなかった。

だが次の瞬間、気が付くと逞しい腕の中に居た。

・・・これが、生き物の温もりなのか。

初めての感覚にユメワタリは高揚し、しばらく黙ったままその身を預けていた。

お読み頂きありがとうございました。

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