第六部 勇者の降臨(6)
こんにちは。
6話に入りましたがまだ続きそうな感じです。
激しく降り注いでいた細かな凶弾も収まり、妙な静けさが周りを包んでいた。
純白のローブの右肩から腕までを覆っていた生地はズタズタに引き裂かれ、最早役目を果たす事も出来ず足下に落ちていた。
右肩だけではない、身体のあちこちがズキズキする。
ふと目を遣ると左の脇腹あたりからもひときわ大きな赤色がローブを染めている。
少し意識が朦朧として、額を汗が流れるような感触がした。
かんなはそれを左手で拭ってみた。赤色の体液が手の甲を濡らしている。
思ったより怪我をしてしまったらしい。
いつもの『かんな』なら大騒ぎだろうとかんなは思う。
そうして、目の前の男がいまだ自分に剣先を伸ばしているのを肩で息をしながら見た。
『堕天の神』と男はボクを呼んだ。
つまり彼の世界でのボクは、そういう存在となっているのだろう。
それを肯定も否定もしないけれど。
彼らが己の力で考えて、生き延び、何かを生かし、世界に安寧をもたらす姿を見たかった。
彼らを見守るのは幸せだった、と思う。
叡智の塔を積み上げるというひとりひとりの想いは個々を超えて受け継がれて、関わった全ての命がひとつの意志を持った生き物のようだった。
それは、ボクには決して生み出せないモノのひとつだったから、ボクの持っていたものを彼らが更に昇華させ、発展させていく姿を飽きること無く日々眺めていた。
そして、ボクは、あの日。
そう。・・・アノ時ノ痛ミヲ忘レナイ。
右肩を庇うように手で押さえ、何とか立っている様子のかんなを見るアルノルドの瞳には迷いはなかった。
誰かがかんなの名を呼んでいる、その悲痛な声すら最早その耳には入らない。
大いなる目標、一族の悲願であった最後の敵を目前に、その誇りと力の全てを持って対峙出来たその事に、アルノルドは喜びすら感じているようだ。
でも、貴方の求めているものを、ボクは持っているだろうか。
伝えないという選択もあった。けれど、勇者の真摯な瞳の前ではそれは出来なかった。
「例えボクを倒したとしても、貴方の呪いは解けない」
その呪いをもたらしたのは、ボクではなく貴方たち人間だから。
かんなのその言葉に、一瞬勇者の瞳に何かが浮かび上がった。
だがそれ以上の言葉を続けるより前に、アルノルドは獣じみた声を上げながらかんなに襲いかかった。まるで、これ以上何も聞きたくないと言わんばかりに。
勇者の剣が眩い輝きを放ちながら、かんなの最も弱っている右肩に狙いを定め、今度こそ引き裂こうと振り下ろされた。
それは最早勇者ではなく、一人の人間であるアルノルドとしての、疑心と恐怖に囚われかけた己を払拭するための一撃。
勇者の力などではない、ただの一人の男として渾身の力を全て振り絞った。
伝説の『勇者』の力などよりもっと恐ろしいもの、それは時にはひとつの命が己の信条全てを賭した強い想い。
それが例え素手であったとしても、どんな力や予言をも上回ることもあるのだ。
アルノルドのその一撃もかんなの想定内ではあった。
『真実』とは時に己を奮起させるための偽りの言葉であり、そこを突く行為は諸刃の剣なのだとも知っていた。
それでも、ボクは、嘘をつきたくなかった。彼が真摯であればあるほど、高潔であろうとすればするほど。
かと言ってかんなにアルノルドの一撃を避けるための決定的な術はない。
あの時から弱ったままの自分では彼の願いは受け止めきれない。
ただ、諦めるつもりはない、可能性はほんの少しだけあった。予兆もあった。
それにかんなは、全てを賭けた。
相手がそうしたのならば、自分も今の己の全てを載せるべきなのだ、それだけが自分の出来る事だ。
そして、どうしてボクはこんなに必死なのだろう、とふと思った。
やけにゆっくりとその剣筋が自分に向かって来るのを観察することが出来た。
いつだったか、かんなの少ない『ともだち』であるローウェが言っていた、本当にヤバい時は時間がゆっくり見えるんだぜ、と。それを思い出してふと口元が綻んだ。
その感覚を共有出来た事を、こんな状況でありながらも嬉しく思った。
ああ、ボクもこんな風に感じられるんだな。
右肩に向けて、まさにアルノルドの剣は振り下ろされんとしていた。
昔ならいとも容易く無力化出来た程度の力。
そして今は、ボクの身体を修復不可能にするには充分すぎる力。
ただ、賭けるしかなかった。
刹那。
かんなの目の前が暗くなる。
だが同時に温かな体温、優しい香りに包まれていた。
・・・庇われている。
誰に。誰に。
大丈夫よ、と囁くいつもの声。
考えるまでもなかった。
かんなの、『かんな』の心が激しく震えた。
叫び声は声にはならず、ただ喉に張り付いた。
やめて。
誰も、自分の命を投げ出してボクを助けないで。
そんなものは、ボクは要らない。
ボクよりも価値のない命なんて、ひとつもないんだ。
アルノルドは自分の背後にいたはずの彼女が、『堕天の神』と己との間に突如現れた事に驚愕した。
一瞬の剣戟の間にどのようにふたりの間に割って入ったと言うのか。
そして何故、自分はその気配に気付かなかったのか。
彼女を傷付けてはいけないと本能的に感じた。
そうして駆け巡る思考と共に、己の身体を全力でコントロールしようと最後の力を振り絞る。
だが、思考の流れが生み出す時間とは異なり、誰にも等しく時を刻む現実の、残酷なほどに正確なそれの前では彼の努力も空しいものだった。
最早誰もが最悪の事態をはっきりと予測出来た。
お読みいただきありがとうございました!
3日後にまたお会いできたら嬉しく思います。




