第六部 勇者の降臨(5)
勇者の降臨、第5話です。
思ったより長編になりつつ・・・最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
かんなは浅い眠りと目覚めの間を行き来していた。
いつもならとっくに熟睡している時刻だ。
だが、昼間の出来事もあり落ち着かない。
波に漂うような意識の中でぼんやりと考える。
あの人は、強くて優しい人。
それははっきりと分かった。今まで、たくさんの世界を見て来た人。
あの人には残された時間がない。
ボクはその大事な時間を奪って召還してしまった。なのに。
・・・『ちがう』んだっていう事も、ボクには分かってしまった。
あの人は、『救世主様』じゃないんだ。
ボクは、一体『誰』を捜しているんだろう。
何度も己自身に投げかけて来たそれに再び想いを寄せながらも、かんなの意識は眠りに落ちて行こうとしていた。
その時、嫌な感覚がかんなを襲った。
だがそれは、この世界の出来事ではなかった。
「ボクの・・・砂時計」
かんなの銀の砂時計。
この世界と、そして『召還』された人間との世界を繋いでいたそれに、突如蓋をされたような感覚。
その人の代わりに送られる、『召還』された人間の時間と生命の流れを乱す事なく、奪う事なく刻む為の大切なそれ。
その存在が、突如何かの力によってかんなの関知できない状態になったのだ。
何らかの異変が起きた。かつてない出来事が。
不安に駆られてかんなは布団を抜け出した。
サエさんはまだ起きているだろうか。ローウェさんは。
どうしよう、今までこんな事は一度もなかった。
このままじゃ、ボクはあの人を元の世界へ返せなくなってしまうかも知れない。
そして、部屋を飛び出したかんなは新たな異変を察した。
力の片鱗を感じる。それが大きく広がろうとしているのを。
昼間、アルノルドさんが剣を抜いたあの時に感じたのと似てる、と思った。
でも。似ているけれど何かがちがう。
それがボクを呼んでいる。
まだ灯りが零れてくるリビングへ、かんなは走り出した。
見慣れた家が、知らない場所のように感じられた。
こんなに広く、こんなに静かで心細かっただろうか?
それでも歩みを止めず、自分を求めて流れて来るような何かを遡るようにしていつもの場所へと進んだ。
これは誰の力?良く分からない。
けれど、それはボクの周囲を取り囲み、ただボクが行くべき場所へ誘っているようだった。
そしてリビングへ辿り着くや否やかんなの目に飛び込んで来たのは、いつも通りに凛と立つサエの姿、サエの前で体を屈めて両手を広げ、だがその瞳だけは相手をしっかり見据えているローウェ、そしてかんなに背を向ける恰好でふたりに対峙しているアルノルド。
あの魔術師をここへ、とアルノルドが冷たい声で告げるのを聞いた。
そして剣の柄を掴んだ瞬間、一段と強い力が狭い部屋を満たした。
瞬間、かんなの中で何かが弾けた。
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「ボクならここにいるよ」
ボクはとても静かな声で告げた。
アルノルドさんは肩をびくりと震わせて、ボクを振り返った。
日頃よりも低い『かんな』の声に、一瞬戸惑ったようでもある。
ボクをここへ招いた者の企みは成功したらしい。
彼にボクの気配を悟らせる事なく対峙させたのだから。そして、かんなの中の『ボク』を目覚めさせたのだ。尤も、そこまで計算していたのかは分からないけれど。
「どうしてこんな事を?」
ボクが一歩近付こうとすると、びくりとアルノルドさんの体が大きく反応した。
動くな、と言う声はどこか震えているようにも聞こえる。
『堕天の神』、とアルノルドさんは呟いた。
それがボクの事を言っているのだと分かるまで、少し時間がかかった。
この人間たちはお前の配下の者か?と言われて、戸惑った。
何を言っているんだろう?
「かつてお前は人類を破滅に導こうと、甘言と魔力をもって天より悪意の手を伸ばした」
先程までは、もしや目の前の女性こそが『堕天の神』なのだろうかとも疑っていた。
計り知れぬ肝の底、そして美しすぎるその姿。
少なくとも、常人ではないことは間違いないだろう。
だが、今しがた姿を現した幼い姿のこの魔術師は。
一切己の存在を悟られる事も無く、私の背後に立っていた。その声も仕草も、昼間に見た幼さとは異なる雰囲気を放っている。
先程聞いた話を裏打ちするようなこの魔術師の得体の知れぬ力。
疑う余地などなかった。
遂に、静かに鞘からゆっくりと剣を抜く。夜の、ほの昏くあたたかな蝋燭の灯りを蹂躙するかのような光の暴力が辺りに広がる。
身に纏った臙脂色のマントがその肩の高さを超えて彼の背に舞い上がる。まるで赤い炎の様に。
光を直視した恰好で目眩ましのような状態となったローウェは覚束ない足下で、それでも背後にいるだろうサエを手探りで捜す。
その手をそっと取ったのは、ひんやりと小さな、細い指。
掴んだローウェの手を引き、サエは部屋の隅へと誘った。こんな時だと言うのに、その姿さえどこか優雅だ。
逆らう事も忘れ、サエの導くままにそちらへローウェは歩みを進めた。まるで夜会で踊りに誘われたかのように。
そうしてサエの手が離れた瞬間、ローウェは我に返った。
ようやく機能を取り戻した目で慌ててアルノルドの様子を探った。だが彼はかんなに正対したままこちらの動きにはさして関心を示していないようだった。
安堵するローウェの身体をそっと壁に押しつけ、サエは静かに微笑むと踵を返した。そうしてかんなとアルノルドの元へ戻っていく後ろ姿が逆行を浴び、影のように浮かんだ。
つい流されるままに従ってしまった事に気付き、慌てて後に続こうとしたローウェだったが。
「なんだこれ、身体が動かねえ・・・」
まるで自身の影を壁に縫い付けられてしまったかのように、そこから進む事が出来ない。
暫く見えない束縛から逃れようとしたが、遂には諦めた。
サエが何者かは知らない。
だが彼女が警戒し、恐らく自分をそこから遠ざけようとしたのなら、自分などは何の役にも立てないだろう。それをようやく理解したからだ。
『堕天の神』なんて知るもんか。
俺の知ってるかんなは、人なつっこいバカで甘えん坊の子供そのままだ。そして、寂しがり屋の・・・。
そんな奴を、虐めてくれるなよ・・・。
ローウェは拳を握りしめた。
ごめんな、かんな。
俺はいつだっておまえの力になれてない。
子供を助けるのは大人の仕事だ、かんなを助けるだけの力がなくても・・・やっぱり俺はおまえを助けたいのに。
実際におまえが見た目通りに子供ではなくても、やっぱり俺はお前を守りたい。その気持ちだけが空回りしている、いつだって。
眩い光が剣から放たれ、白く輝きながらかんなの周囲を牽制するように渦巻いている。
かんなの大きめのローブがバタバタと激しい音を立てる。
勇者のマントは血の滑りを連想させるようにゆったりと揺らめく。それと対象的に、どこまでも白いかんなのローブは心細そうに震えているようにすら見える。
勇者は見定めるような目で、目の前の小さな魔術師を見下ろした。
「あなたが言っているのがあの時の事だとしたら」
表情からは何も読み取れないその子供が口を開いた。
まさか相手自ら、過去の話を語り出そうとは予想していなかったアルノルドは少しの動揺を抱いた。
「人間から差し出された小さなたったひとつの手を、ボクは掴んだ、それだけなんだ」
己の存在を否定する事もなく、淡々と。
最早隠し立てを諦めたのか。いや、それともこの私をも取り込もうとしているのか。
「戯れ言を・・・お前が世界を刻み、分断した。それは紛れもない事実だろう」
まるで己が被害者であるかのような言い分に苛立ちを感じる。
その感情のままにアルノルドはかんなの周囲を渦巻く白い蛇のようなそれの包囲を縮めていく。威嚇するように。
やがてその白蛇はかんなの細い身体を締め上げるだろう。
しかし、純白の光を放つそれの眩さにも、激しい風にもさほど動揺する様子もなくかんなは言葉を続けた。
叡智の塔がついに天上に届かんとした時、小さな手がボクに伸ばされた。
ボクはその手にそっと手を伸ばした。
・・・その次の瞬間、四方八方から伸びた数多の手がボクを掴んだ。
数多の手によってボクの体は引き裂かれそうだった。
彼等が何を求めているのかはボクには分からなかった。
でも、ボクには自分を護る力はもうなかった。
何が起きたのかも理解出来ないまま、時間だけが過ぎていった。
そして全てが終わった時にはただ『そこ』に打ち棄てられた、誰にも気付かれない程に小さく弱く成り果てたボクだけが残っていた。
「それが、ボクの識っているボクの記憶です」
そしてそっと目を伏せた。
「何だ、それは!」
勇者は激昂した。
未だにその幼い容姿に固執し、今なお己の事を『弱い存在』などと言い放つ、目の前の化け物に。
今更、そんな狡猾な言葉は我が耳に届かない。
アルノルドの感情の揺れに共鳴して、かんなの周囲が一変した。
激しい風は突如時間が止まったかのように一斉に動きを止めた。
次の瞬間それらはかんな目掛けて細かな刃物のように全方向から襲いかかる。さながら細かな氷柱、もしくは硝子の切っ先のように。
かんなはそれを素早く察するとフードを奥深く被り、両手で顔の前を庇った。
純白のローブには何らかの魔力が編み込んであるのだろう、致命傷には至らないが、それでも所々には裂け目が現れ、そこからうっすらと赤いものが滲んできた。
「お前は『堕天の神』なのだろう?違うとでも言うのか」
勇者は次は右手で剣を握り直すと、かんなに向けて腕ごと剣を真っ直ぐに突きつけるような姿勢を取った。
自分自身が、高揚している事がはっきりと分かる。それはますます己自身に力を与える。
質問を投げかけてみたが、最早返答の有無など大した問題ではなかった。
あれこそが、我々の最初で最後の敵。
勇者となった時から心に刻み、求め続けて来た最強の。
ああ、今なら何でも出来そうだ、と勇者は思った。
未知なる力がどんどん湧き出て、相棒もそれに応えているではないか。
本能が、血の系譜が識っているのだ、目の前のこの存在を。
ずっと待ち続けた、この『終わり』の瞬間を。
「我が一族の積年の恨み、そして呪いからの解放・・・いざ!」
天然かんなはどこへ・・・。
お読みいただきありがとうございました。




