第一部 はた迷惑な召喚士(2)
「まさか、本当にこんなことがあるなんてな」
男は青ざめた顔のまま、サエが差し出した水を一気に飲み干して呟いた。
全く見知らぬ風景・・・人気もなく、明らかに他の人間の生活の気配もない。
あんな子供が一人で暮らせるような場所ではないのは一目瞭然だ。
そのくらいは、二日酔いの鈍った頭でも理解できる。
だとしたら、あの子供は・・・。
咄嗟に素知らぬ体を装ったけれど、本当はそれすら見抜かれていたのではと男はぶるりと震えた。
「ただの、おとぎ話だと思ってたぜ」
サエは、みんなそう言うのよ?と口元に手を当てて笑った。
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男の住む国では、皆子供の時に物語を聞かされたり、恵まれた子供なら豪奢な絵本を持っていたものだ。
もちろん男は前者だったのだが。
幾つものおとぎ話の中のひとつ。
子供が生まれれば、ほとんどの親が子供に聞かせるだろう物語のひとつだった。
神隠し。
満月が『銀の雫』と呼ばれる星の上を通る夜、突然世界のどこかで誰かが消えてしまう。
探しても、探しても、その誰かは見つからない。
もちろん、人が行方不明になるなんていうことは彼らの世界では別段特殊なことではない。
盗賊、人さらい、夜逃げ、駆け落ち、運悪く出くわした獣の食事・・・挙げればキリがない、日常の一部だ。
ただひとつ、おとぎ話とも言われるその神隠しには、それと分かる出来事があった。
消えてしまったその誰かの身代わりのように、生活の痕跡の残るその場所に手のひらに乗る大きさの砂時計が置かれているというのだ。
その砂時計の砂は、たとえ上下を逆にしても振り回してみても、一方向へただただ流れ続ける。
そしてやがて全ての砂が落ち切ると、まるで幻だったかのように、その小さな砂時計は姿を消してしまう。
その後どうなるのか、もう人々は知っている。
砂時計が消えたその夜になると、神隠しにあったその誰かはふらりと帰って来るのだ。
どこへ行っていたのか、何をしていたのか記憶がない。
ただ、その誰かはその後、抱いていた夢を叶えたり、かつての自分とは異なる新しいスタートを切り、おおよそ成功を収めたりするのだ。
だから、こうも言われている。
『幸運の神隠し』。
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「じゃあ、今頃うちの親父あたりが工場にでも置いてんのかね、俺の身代わりを」
男は頭をボリボリと掻きながら天井を仰ぎ見た。
だが、そもそも『銀の雫』なんて星は実際に見たことも聞いたこともない。
どうかしらね、とサエは微笑む。
そうしてしばらく二人の間に無言の時が流れ、しばらくすると軽やかな足音が近づいて来る。楽しそうにさえ聞こえる、その足音。
「採ってきたよ!サエさん!」
息を弾ませながら袋いっぱいに入ったハーブをサエに差し出して嬉しそうに笑う。
あどけない子供の笑顔。
まるで、お客様が来てくれたことが嬉しくて仕方がない、そんな無邪気な笑顔だ。
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夢を見た。
男の知らない、豊かな町並みがそこにはあった。
高い建築物が立ち並び、大勢の人々が行き交う。
男は鳥のように空を飛んでいた。
同じように、いや、もっと高いところすら飛翔する生身の人間たちがいた。
その隣には、大きな羽の生えた獣がいる。
男に知るその獣は、男の住む国では人を喰らう恐怖の生き物だった。
なのに、互いにどこか楽しげに共に宙を舞っている。
街の向こうには、穏やかな田園地帯が見て取れる。
そして、そのもっともっと向こうには、頂上が霞むほどに高い塔を中心に真っ白な建築物が放射状に建てられている。
一転、突然世界が闇に包まれた。
狼狽えたのはほんの一瞬、男の中に大量の知識が流れ込んで来た。
かつて。
人類は神を失い、神は己自身を失った。
あらゆる生命の中で最も叡智を極め、神への畏れを失ったがために、愚かにも天上の世界へ手を伸ばした人類。
掴んだそれは余りにも小さく、あっさりとそれは地上へと『墜ちて』しまった。
神は初めて人間を呪い、すべての祝福は人々から消え失せた。
人々は加護を喪い、信仰を喪い、拠り所を喪い、道標を喪った。
神に一番愛され、最も神に近かった人間は最早ただの『動物』として病に怯え、飢餓に怯え、獣たちに怯え、同族同士の戦いに怯えることとなった。
天上から人類がその手で引き下ろした『神』から呪いとともに放出された力は世界の半分以上を破壊して、そして全てが失われたそこに残っていたのは『神』の残骸・・・小さな子供が、ただひとり、そこに佇んでいた。無垢な赤子のように。
そしてその子供は、今もひとり、そこへ取り残されている。
自分が何者なのかも忘れて、ただひとり、悠久の時を暮らしている。
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「きっとね、後悔しているのよ」
男が起きると、珍しくサエの姿があった。
新鮮な果物を、狭い石造りの部屋には不似合いな、とりあえず設えられたような木の棚に並べていく。
そう言えば、この半分壊れかけた石造りの建物はかなり汚れてはいるものの、明らかにかつては純白のそれだったのだろうと思える。
サエが今、ここにいること。それは偶然ではないのだろうと男は思った。
そして、彼が知らない異国の飲み物を差し出したサエに、さきほど見た夢について全て語った。
この女性は、おそらく自分があの夢を見たことを知っていて、ここに来ているのだろう。
そんな確信があった。
サエは自分は立ったまま、同じ飲み物の入ったカップを口に運び、一口飲んでからそう言ったのだった。
後悔している、誰が?何を?
「・・・後悔。何もかも失った神様が、か?」
男はようやく夢の影響から抜け出した頭で呟いた。
一晩の睡眠、それがとてつもなく長い時間として彼の中を占拠し、感じ、体験し、まるで自分の記憶のようになりつつある。飲み込まれそうな感覚を振り払うのには、サエとのやりとりがとても有り難かった。
「記憶がなくなっても、力がなくなっても、あの子の本質は忘れていないと思うの」
かつて最も愛した人類を呪ってしまった己自身を。
地上のすべての生命の安寧を委ねた自分の分身たちを。
「だからって、こんな風に人間を拐かして・・・どうしたいっていうんだ」
その問いに、サエが応えることはなかった。
ただ、いつものように静かに微笑んでいた。
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ドキドキが止まりません!
小説って、切り所が難しいですね。変な所で切っちゃってるんじゃないかと悩みながら連載にしてます(汗)。
またふらっと立ち寄ってくださいませ。出来れば遅くとも3日に一度の更新を目指してます!
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