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第六部 勇者の降臨(4)

サエの話が終盤に向かっていた時、それは突然起こった。

それまでは相槌を打つのみだったアルノルドが不意にサエの言葉を遮ったのだ。



「・・・『堕天の神』をご存じか」



勇者の瞳が、声が、鋭利な刃物のような鋭さを帯びている。

それまでの雰囲気とは打って変わった、冷たい声。

ほんの少し離れた場所に立っていたローウェすら背中がぞくりとする。この懐かしくも忌々しい感覚。



「神でありながら卑しきものへと姿を変えたそれは、地上に栄えし人類へその魔手を伸ばした。そして神を疑う事を知らぬ、人類とその世界を破壊せんとした」



数多の者が『堕天の神』に戦いを挑み、儚く散って行った。

それまで共存していた生き物達も、ある種族は魔の世界の生き物となり誰彼構わず襲いかかり、またある種族は人々を捕食の対象と認識し、力なき者達はそれらの餌食と成り果てた。


人類と共に戦った者達、一方的に蹂躙されて滅び去った者達、力を振るう事に喜びを見出し、弱者を打ち倒して昏い快楽を味わう者達。

激しい戦いの中でやがて憎しみの相手が神から地上に棲まいし生き物同士、そして同じ種族同士の血で血を洗う凄惨な世界へと移り行く頃には『堕天の神』は姿を消していた。



その時、生き延びる事が出来た者はどれ程だったであろう。



戦いによって大地は大きく裂け、最早全てのものが消えゆくのみと悟った人類は決断した。

この崩れ去る世界のかけらひとつひとつを元の姿に戻す事は叶わない、ならばせめて新たなる場所でそれぞれの生を全うする事を。


それが出来るのは数多なる生き物の中でも人類のみ。つまりは我々が諦めれば全てが終わりなのだ。


神から与えられた叡智の集大成を、神により破滅に追いやられようとしている今、各々を生かす為の最後の手段として使う。皮肉にもそれのみが希望への道。

二度と世界がひとつに戻ることも無く、互いが互いを忘れ行くとしても、人としての叡智と矜恃のみは守ろうと互いに誓いながらその力は行使された。


広大だった世界の欠片と成り果てたそれらはひとつずつ、別々の時空へと消えて行った。清きものも、悪しきものも全てその裂けた大地の欠片にそれぞれ内包したまま。

人類の最後の抵抗、最後の望みはそうして今、アルノルドの住む世界を存在たらしめているのだ。

そして、かつて同じようにアルノルドを召喚した幾つかの世界をも。


そうしてそれぞれの世界は独自の刻を刻む事となり、互いの世界を認識出来る者も今はどれ程存在しているのか分からない。

異世界への探求が熱心に行われているアルノルドの国の識者達に依れば、ひとつの世界の中でさえ独自の文化、独自の言語が興っている所も珍しくはないと言う。

人類が力を合わせ神に復讐する事のなきよう、『堕天の神』によりその言葉さえ分断されたという見識さえある。




アルノルドは静かに、とても静かにその伝承を口にした。

それは、今し方サエから聞いた話と酷似している部分もあり、だが決定的に異なる点があった。

その一点こそ、アルノルドの人生においては何よりも大きく、常に心の中を占めているもの。



人々が『神』を貶めたのではない。

『堕天の神』が人々を、世界をその手で破壊したのだ、という事を。

その時の呪いにより、我が血族は消えて行くのだ。それは紛れもない事実。



「それなのに何故、そのような戯言を私に吹き込むのか」



アルノルドはサエの瞳を見据えた。その反応を、本性を伺うかのように。

ローウェはゆっくりとサエに近付いた。本能が、彼女の身に迫っている危機を感じていた。聞く耳を持つ相手ではないと。

狂信的な信者は己の信仰を唯一の正義とし、その証明のためには命を賭す。己の命は勿論、他者の命ですら。

どんな優れた人物であろうと、その妄執の前では歪んだ道を進んで行く。

そう、あの世界のように。



「私の一族は呪いを受けた。貴女が言う『神』により。それを私は知っている」



『堕天の神』による呪い。各々の世界の救済を果たした者達の力が絶えん事を。清らかな獣たちを従え、闇にも光にも呑まれぬ輝きを湛えた剣を振るう類い希な力が永遠に失われんことを。

・・・そう、私は長い旅の中で常に探し求めてもいた。憎き『堕天の神』という名の魔王を。


我々は未だ『堕天の神』の所在を知り得なかった。

存在の有無さえも。

だが、アルノルドはその存在を疑ったことはなかった。己を蝕む呪い故に。


遂に、私は見つけたのだ。

長きに渡る旅の末に。

そうして脇に抱えていたままだった銀の兜を、深い決意と共にしっかりと被った。




「『うちのかんな』の事なんて何も知らねえくせに」



そう毒突きながらもローウェの手がサエの細い手首を掴んだ。そしてその身を庇おうと、後ろへ引いた。

しかしサエは意外なほどしっかりとその場に立ち、ゆっくりとローウェの手を外した。

大丈夫よ、といつもと変わらない声が小さく聞こえて来る。



「そなた達は騙されているのか、それとも・・・。あの魔術師はどこにいる」



サエの瞳の奥の想いがアルノルドには全く読めない。不自然な程に。

むしろ、己の想いを淡々と見透かされているような不安を胸に抱く。

この女も、人間の姿をしているが或いは・・・。


私はこの世界に引き込まれた時からずっと、偽りの使命に踊らされていたのか。

日頃の警戒心さえ気が付けば薄れていた。

このまま『世界を救う』という言葉のままに、罪のない者達に仇なす者となっていたかも知れないのだ。

これ以上の侮辱があろうか。


自由になった左手が、右腰に携えた剣にゆっくりと伸ばされる。

もしもこの世界の姿が偽りだと言うのならば、我が盟友たるこの剣が真の姿を曝いてくれよう。

そして次の瞬間には我が盟友たる白き光がこの世界の偽りを全て吹き飛ばし、爛れた世界の本性を現すのだ。

一体、この世界の本性がどれ程に爛れ、醜い悪鬼の巣窟なのだろうかと緊張と高揚が交錯する。



「そなた達もまた奴に謀られているのだとしたら、決してそなた達に危害は加えぬと約束する。あの魔術師をここへ」



これが最後と警告するかのようにアルノルドは柄を握り、力を込めた。

必要以上の力を受けた金属が軋んだ音を立てる。

だが、それよりも己の鼓動が大きく激しく打ち鳴らされていた。久しく忘れていた感覚。

ローウェが今度こそ、サエを庇うように前へ出た。




「ボクならここにいるよ」




歴戦の勇者に全く気取られることなく、小さな体が勇者のその背後に立っていた。



お読みいただきありがとうございました。


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