第六部 勇者の降臨(2)
お読みいただきありがとうございます。
第二話、お楽しみ頂けると嬉しいです。
あの馬鹿、居眠りなんかしやがって。
全く慣れないお茶をなんとか淹れてからふたりの所へ行ったら、かんなは腕を組んですっかり眠っていた。
だから、どさくさに紛れて椅子を蹴飛ばしてやった。
『お客さん』が気付いていたかも知れないがこの際どうでもいい。
それにしてもあの『勇者』は落ち着いた静かな声であるためにこちらまで会話が聞こえて来ない。
あわよくば会話の一部くらいは聞いておきたいと思っていたローウェとしては焦れったい事この上なかった。
盗み聞きが趣味なのではない、かんなひとりに任せておいても「何を話してるのかあんまり分かんなかったぁ」などと平然と言い放つのではと言う思いからだ。
「早く帰って来ねえかな…」
つい、ぼやいてしまう。
勿論サエの事である。
彼女だったらもっと的確に行動するだろうし、あの『勇者』とやらにもちゃんと対応出来ただろうに。
いい大人である自分が余りにも無知で頼りなく、改めてがっくりと項垂れる。
逃げ惑うばかりの人生を送って来たとは言え、自分は何と空っぽなのだろう、と。
せめてもう少し、上手い事あの『勇者』に近寄る口実を思い付けないだろうか。暫く思案した後、妙案を思い付いた。
「良かったら、この辺りを散策してみますかい?」
すっかり静かなふたりの前に再び姿を現してローウェは提案した。
この古びた部屋の中の空気が耐え難い。
かんなも珍しく背筋を伸ばしてちょこんと椅子に腰掛けている。まるで背中が椅子から離れなくなってしまったように。
「そうか、それは有り難い。私としても、この世界の様子をもう少し拝見させて頂ければこの上なく助かるというもの」
そう言うとアルノルドは再び銀の兜を被り、立ち上がった。
長い剣が軽くテーブルに触れて音を立てる。その音が妙に大きく耳に刺さる。
勇者と言う程なのだから、さぞかし立派な代物なのだろうとローウェは思う。願わくば、あの剣が自分に向く事がありませんように。
そうして彼が一歩進む度に、金属音が石の床に物々しい音を響かせた。
純銀の甲冑に、臙脂色のマント。
風を受けてそれが舞う様は一幅の絵の様だ。
「カッコいいなぁ・・・」
ローウェにだけ聞こえるような小声でかんなが呟いた。
今はローウェの指示で深くフードを被らされて、表情は見えないが声は高揚している。
おまえ、俺にはそんな台詞言ったこと無いくせに。内心イラっとしながらも、先頭を歩むかんなにローウェが続き、その後を勇者が続く。
殿を見知らぬ自分に任せるとは、無謀なのか、それとも。
だが、と思い直す。
この大地にはあの魔術師によって巨大な魔法陣などが敷かれているのかも知れないし、使役している魔物などが居ればいつでも召還出来るのだ。
アルノルドは慎重に足を進めた。
だが見渡す限り、空気は清涼で世界は穏やかだ。
先程までの魔術師への不信感が徐々に薄らいでいく。
どこか懐かしい空気にすっぽり覆われているようだ。
歩みを進める程に、心身にエネルギーが満ちていくのをはっきりと感じる。
それすらも魔術師の画策したものだとすれば、最早私が敵う相手ではないのだと肝も据わった。
遙か彼方に大きな森が見える。魔物どもはあの辺りに巣くっているのだろうか。
ならば、ここは敵との最前列・・・もしくは、ここが人類最後の住処なのか。
「魔術師どの」
普段呼ばれ慣れたい名称で気付かずにぼんやりしていたかんなは、一瞬の間を置いて振り返った。
「私はまだ、貴方の事を知らない。けれど、貴方はこの場所だけでもこうして心安らげる場所を作っておいでだ」
ローブに隠れたかんなの顔は一切見えない。
だが、最早確信に似たものをアルノルドは抱いていた。
貴方の護ろうとしているものは、恐らく人が誰しも望む安寧の日々。
だが、魔物たちを遠ざけて作り上げた『仮初めの城』も、いつまで保たれるか分からない。
だからこそ、貴方は私を召還したのだな。
だとしたら私は全てを投げ打って、この世界の為に戦おうではないか。
それが、私の人生の幕引きとなろうとも。
そんな想いに耽っていたその時。
「あら、お客様?」
春を告げるような暖かな声が不意にアルノルドの耳朶をくすぐった。
慌てて声の主を見る。
途端に、まるで体中を電流が走り抜けた様な衝撃を受けた。
声が出ない。出ないが、今度こそは間違える筈などない。
あの魔術師と使用人の男がここに居たのは、この女性を護るためなのだと。
立っているだけでも高貴さが見て取れる。衣装こそ落ち着いたものであるが、それすら彼女を見事に引き立てている。
この方こそ、どこぞの姫君であらせられるのだ。
追っ手を逃れて、数少ない従者を従えてこの地へ落ち延びたのかも知れぬ。
既に国も城も敵の手に堕ち、ほんの僅かな希望を胸にこの地で暮らしているのだろうか。
何と哀れな事であろう。
気が付くと、無礼にも私は姫の前に跪きその手に祝福の接吻をしようとしていた。
すると姫はするりと私の前から身を交わした。その動きすら、華美である。
「かんな、今度はこの方を『召還』したのね」
魔術師を見て、姫は言った。静かな微笑みを湛えて。
やはり姫は己の、いやこの世界の窮地を救う為に幾度となく助けを求めていたようだ。
それにしても『かんな』とは珍妙な名前である。
が、真名を知られてはならぬ類の魔術師ならば己の素性を明かすような危険な真似はしないと聞くから、つまりはそういう事なのだろう。
気が付くと私は深々と頭を垂れていた。不覚にも、うっすらと涙が溢れて来た。
この儚く咲き誇るような姫の愛する世界ならば命を賭して護ってみせようと改めて心に誓いつつ、その涙を見られる事を恥じる想いで無礼と知りつつ姫に背を向けて、涙と鼻水を密かに拭った。
その時である。
我々の場所からほんの少し離れた森の中に、見覚えのある魔物の姿を見つけた。
旅すがら、幾度か剣を交えた事がある。
狡猾で厄介な魔物だ。一体どの位の命が奴の前に失われた事か。
「…コカトリス!!」
遠目からも分かる、巨大な鶏の頭。恰好の獲物を見つけたと言わんばかりに既にこちらを見ている。
まずい。魔術師の結界を破って忍び込んだのか。
よもや、私が『召還』された際に結界に歪みが生じたのだろうか。
その一瞬の時が奴に忍び込む機会を与えてしまったのかも知れない。
ふと魔術師を見ると、想定外の出来事に戸惑っているのかまだ何の策も取っていないようだった。
だがそもそも私が招いたであろう厄災ならば、私が奴を排除するのが良いだろう。
むしろ私の実力を示し、消えゆくかに思えた未来に一縷の希望を抱いて戴く絶好の機会とも言えよう。
左手で素早く剣を抜く。
それは勿論、遙かな時間を経て受け継がれている勇者の証である。
抜かれた剣は鞘から外界の大気に触れるや否や、魔の者を打ち払う白き輝き、穢れのない眩い光を周囲に放つ。
その輝きの前に下級の魔物ならば抜刀しただけでも消し飛び、清き者に癒やしを与えると伝えられ、実際私もそのような奇跡に幾度となく遭遇した。
だが、相手はそれなりの大物。
互いの距離もある上に、上位の存在である魔物には膨大に放たれた矢の如し光は意味を為さなかった。
こちらの様子を窺いながらゆっくりと茂みから這い出て来るそれの瞳を凝視することのないよう神経を研ぎ澄ます。
奴らの特技は言うまでもなく『石化』。相手の強さが判断出来かねる今、直接目を合わせる危険を冒す必要などないからだ。
「私が前に出る!魔術師どのは後方からの支援を!」
そう言い放つや否や、私は怪物に正対する事を敢えて避け、大きく円を描くように右斜め方向へ走り出す。勿論、敵との距離は確実に縮めつつも。
私の魔力を吸い上げ、ますます輝きを増す白き光にコカトリスは反応して、正面をこちらへ向けた。
想定通り。これで、姫達から意識を逸らす事が出来た筈だ。
私はそのまま体を敵に向けて斜めの体勢で走る。奴の吐く息を浴びればそれで終わりだ。風上を意識しつつ蹴り上げる足下の土は予想よりも柔らかく、時折足を取られそうになる。
そして、最悪な事に。
近付くにつれ、敵の個体が予想より二周りほど大きい事に気が付いた。こんな巨体に、今まで遭遇した事など皆無であった。
樹木や草原ばかりでその大きさを対比出来るものがないこの場所故に、常識のみで敵を判断していたのだ。
まだか。
魔術師の攻撃はまだか。
そちらを振り返ろうにも、私に狙いを定めたらしき巨大な怪物はゆっくりと、奇妙に静かな威厳を持ってこちらに近付いて来ている。その存在感。
一瞬でも意識を逸らせようものなら即、私は奴の餌食となるだろう。
何と言うことだ。敵を討ち取るつもりが、逆に追い詰められている。
「かんなどの!」
敵をさらに刺激するかも知れない危険を冒しながらも私はついに声を荒げた。
すると、その声とほぼ同時にコカトリスに走り寄る人影が視界に入る。
その小さな体は、あろうことか私のように迂回する事もなく、ひたすら真っ直ぐに巨体の魔物に向けて駆けていく。
まさか、近接魔法でも作動させるつもりなのか・・・?
だが、あのような捨て身の攻撃をした所であの化け物が倒せるとは思えない。
言葉を失う私。
時間の流れがやけにゆっくりに感じられた。
私はその時間の中、それでもまだ己の剣に秘められている力を解放せんと片手で握っていた剣を両手で強く握りしめた。
「アーさん、ダメ!」
その声に、私の思考と行動が同時に停止した。振り上げられた両手はそのまま、振り下ろす事も出来ずに。
コカトリスの目の前に飛び出した丸腰の魔術師。
そちらへゆっくりと振り向く魔物。
畢竟、彼らは直近で正対した。その目を見つめた相手を石にしてしまう魔物と、小さな体で姫を守るために命を賭けている魔術師と。
・・・いや、そもそも『アーさん』とは誰の事だ?もしや、私の事か。
ちらりと雑念も入り込むが、慌てて振り払う。
最悪の事態を想定して、今度は全力で疾走した。剣を振りかざしたまま威嚇するような大声を上げながら。
一瞬でいい、奴の意識がこちらに逸れてくれれば。
出来ればこのようなありふれた種族の魔物になどは使いたくなかったが、込められた最大限の魔力を用いれば討伐する事は決して不可能ではない。
我々はあの魔術師を失う訳にはいかないのだ。
だが、かんなどのは我々の目の前、躊躇う事なくコカトリスに体を投げ出した。
お読みいただきありがとうございました。
勘違いって怖いですね。
『勇者』様はいつまで天然のかんなに気付かずにいられるのか・・・。




