第六部 勇者の降臨(1)
今回から第六部開始です。
公開済みのシリーズ中、一番の長編となる予定です。
お読み頂けたら幸いです。
「つまり、私はこの国を救えば良いのだな?」
目の前の子供に向けて、私はそう告げた。
見た目の年齢と実際の年齢が必ずしも比例している訳ではないという事は、今までの経験で承知している。
出来るだけ無礼にならぬよう、だが威厳を忘れぬよう重々しく振る舞う事にした。
純白のローブを纏ったその子供は、全く表情を変える事もなく私を見ている。
やはり、手練れの魔術師の類なのであろう。
僅かに魔力の気配を感じる。私を恐れさせぬ為にそうして気配を隠しているのだろうか。もしくは、試すために、か。
このように何者かによって異なる場所へ召還される経験は幾度かあったので、実際私には突然のこの状況に対しても大きな恐怖も躊躇いもないのだが。
私はそっと銀の輝きを放つ兜を脱ぐと、その魔術師の前に片膝を付いた。
状況が分からぬ今、無礼な対応を取る事は時には命取りにも成り得る。
そうして片手で兜を抱え、もう片手は地に付いて恭しく言葉を続ける。
「では、私に事の顛末を話して頂けるだろうか。魔術により私を召還した賢き方よ」
それでも目の前の魔術師は微動だにせず、そんな私の事を静かに観察しているようだった。
・・・品定めされているのだろうか。
何故だか、背筋がぶるりと震えた。
「申し遅れた。私はアルノルド・ロシュ。僭越ながら『勇者』の名を戴いている」
貴方の力になれるのならば、我が微かなる力をもってこの世界の安寧を再び取り戻す為に尽力したいと思う。
そう言葉を続けても、やはり魔術師の表情は揺るがない。
既に幾度も同じように召還されし者がおり、その彼らでは成し得なかった苦難が立ちはだかっているのだろうか。
だからこそ、その瞳には期待の色はなく、私の勇者という称号の前でさえ期待の表情を浮かべる事無くただ静かに立っている。
…また、私は数多の屍を乗り越えてその先にある障害を目指すのだろうか。
幾度も生命の危機を乗り越え、仲間を喪いながらも常にその先の未来を見据えて進んで来た。
明日をも見えぬ絶望も、深淵に迫る悲しみもどれ程味わった事か。
それでも生まれ持った己の能力、その血筋は我が誉れである。
多くの命を救い、そこに再び平和を咲かせる為の力を持つ事が許された事に私は感謝しているのだ。
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「どうしよう、なんか凄い人が来ちゃったよぉ」
かんなが半泣きでローウェに訴えた。
無表情だったのは、自らが召還した相手が『いかにも』世界を救って来たであろう人物だった事に戸惑っていたからだ。
「そんなの知るかよ」
とは言え、滲む出るようなオーラは歴戦の戦士そのものだと、ローウェの直感が確かに感じていた。
かつて己が属していた世界にも、確かにそういう猛者がいた。・・・ただ、彼らが戦意をぶつける先にあったのは同じ人間だったのだが。
こんな時にサエが不在だというのはかんなにとって大きな不安だろう。そして、自分自身も同じ気持ちだ。
サエからさりげなく溢れる豊富な知識、優雅で落ち着いた物腰、何よりかんなを守るかのようにそっと側に居るという安心感。
今はただ、かんなの召還によって現れてしまった、いかにも『救世主様』然とした男をどう扱ったら良いのか、ふたりで考えあぐねている。
しかも、どうやら相手はかんなの事を随分過大評価しているようだ。
日頃のかんなの姿をうっかり見せてしまったら、怒りに震えた勇者に文字通り一刀両断にされてしまうかも知れない。
「取り敢えず、お前は出来るだけ口を開くな。相手の話をひたすら聞け。分からなくても頷いておけ」
アドバイスになったのかどうかすら不明な言葉と共にかんなの頭をローブ越しにぐしゃぐしゃと掻き回す。
かんなはコクコクと頷いて、リビングで立っている『勇者』の元へゆっくりと歩き出した。
ローウェは普段使う事など殆どないキッチンから来客に供する為の茶葉やら器やらを探して右往左往し始めた。
サエの不在は本当に大変だと改めて思う。
が、自分が今こうしてここに居る事でかんなが少しでも落ち着いてくれているのなら、たまにはそれも悪くない、とも思った。
途端、サエによって丁寧かつ巧妙に積み上げられていたまるでトラップのような瓶詰めの食材が雪崩の様に頭上から落ちて来て、ローウェは間抜けな声と共にひっくり返った。
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「ここの民は、どんな危機に晒されているのだ?」
単刀直入に私は魔術師に尋ねた。
見た所、人の姿は殆どない。
だが自然は豊富で、動物達もあちらこちらに姿を見せている。
ここだけを見ている限り、魔物の気配もなく穏やかに繁栄しているようにすら見える。
それは、この幼い姿の魔術師の力故なのだろうか。
「それよりも、貴方の話を聞かせて…ください」
そうだった。私はまだ最低限の情報しか彼らに提供していないのだ。
高位の魔術師には気難しく、また気位がやたら高い者が多い。
こちらが手の内を見せ敵意がな事を示し、過去の『業績』を開示しなければ認めたりはしないのだ。
そして私自身という生き物が何者なのか、信頼に値するのか、それとも捨て駒として利用する程度なのか、それらを見定める前に彼らの持つ危機的状況についての内情を話す事などしない。
それでもついぞや真実を語らぬ者も居る。
…そうなれば、私も立ち去るのみ。私とて『勇者』と呼ばれる者のひとり。矜持が無い訳ではないのだ。
例え、それで彼らを敵に回す事になるとしても。
そして、どうやら目の前の魔術師もそう言った手合いらしい。
慎重な、ある意味狡猾な魔術師。幼い姿形をしているのも、純粋さを装う事により得られる油断や保護を期待しているからかも知れぬ。
成る程、まだ経験の浅い者ならばそれについ心を許してしまう事もあろう。だが幸い、私は経験が少ない方ではない。
これは、思ったよりも面倒な腹の読み合いになるやも知れぬ。
そんな覚悟をしつつ、私は重々しく口を開いた。
「私の生まれた家は古くから多くの『勇者』を輩出して来た、世に認められし勇者の家系。僭越ながら、私もそのひとりとして勇者の名を冠する栄誉に預かった」
10歳の頃、将来を希望されていた訳でもなかったアルノルドは突如王室の庇護下、勇者となるべくして修練を積む事となった。
それは世間から見れば若干遅い年齢あった。秀でた力を持つ者はもっと幼い頃から力の片鱗を示し、早々に王室に身を置く事となったからだ。
だがそれまでは彼の身には能力の片鱗もなく、一族の名誉に甘んじて、ただ名も無き者として一生を終える立場に属していると誰もが考えていた。
しかし、変化は突如現れた。
ある朝アルノルドが目覚めると、彼の体は真っ白な何かに覆われていた。
その白に飲み込まれそうになり、彼は必死でそこから這い出した。
そこに居たのは、王国の象徴でもあり、国王のみが所有を許されている聖獣そのものだった。
白い羽根に白く輝く体、その頭上には一本の角を冠し、獅子を連想させるその尾は一振りで人間どころか大型の魔物すらふたつに切り裂くと言われている。
初めは、アルノルドの元に現れたその聖なる獣は気紛れに王城から抜け出て来たのだろうと誰しもが思った。
だが、その聖獣は異変に気付いた家人や下働きの者の目前で彼を咥えて天高く飛翔すると、真っ直ぐに王城へと向かって飛び去った。
そして王城で待ち構えていたもう一体の聖獣の前にそっとアルノルドを降ろすと、二体は黙ったまま暫く視線を合わせていた。
どのくらい経ったのだろう。
どこから現れたとも知れぬ獣は、己の役目を終えたとばかりに突如その場で姿を消した。
飛び去ったのではなく、文字通り姿を消したのである。
残されたのは、王家の証である聖獣一体と、その足下でぽかんとしている幼いアルノルド、そして今し方消えた聖なる獣の替わりとばかりにそこに残された剣。
アルノルドはまだ知る由もなかった、それこそ彼の家系に伝わる『勇者』の賜りし剣であった。
事の顛末を見ていた王城の兵士や城下の者達により、その話はすぐに国中に広がった。
そして、彼が認められるのにそれ以上の理由は必要なかった。
アルノルドはその日の内に王城へ召し上げられ、それ以降はひたすた様々な術を磨く事に専念した。
己を無力だと思い、せめて誰にも恥じぬ人生をと幼いながらも考えて生きていた彼ははじめて己の人生に高揚した。
勇者の血筋だからともてはやされても歪んだ自尊心を持つ事も無く、鍛錬による苦しみや挫折も全て己の血肉とするかのように、寡黙にそして確実に吸収した知識を身に付けて行った。
卓越した才能ではなく、誰よりも自惚れを棄て自らの矮小さを認める事で彼の力は他の者達に追い付き、やがて追われる立場になっても決して鍛錬の手は緩む事はなかった。
やがて彼は名実ともに『勇者』の名を引き継ぎ、あの日姿を現した剣を改めて己の物として所有する事となった。
そこまで一気に話しふと目前の魔術師を見てみると、何か思う所があるのだろうか、両手を組んで目を閉じてじっとしている。
今の話を吟味しているのだろうか。
一見無防備だが、それすら私を試しているように見える。
その時、奥の方から何やら賑やかな音が近付いて来た。
盆の上にふたり分の飲み物らしき物を乗せてこちらに運んでいる男がその音の元であった。
身なりからすると、使用人だろうか。
「遅くなっちまっ・・・じゃない、遅くなりましたが、どうぞ」
使用人はそう言ってガシャリと私の前に茶器を一客、そして小さな魔術師の前にもう一客を置いた。
気のせいだろうか、その時に彼が魔術師の椅子を蹴飛ばしているようにも見えたが、どうやらまだ日にちが浅いらしい使用人の全く洗練すらされていない行動のひとつとも思えなくもなかった。
「すみません、まだ慣れていなくて・・・」
魔術師が使用人の不手際を詫びた。
しかし、この供された飲み物を果たして口にして良いものか。やけに濃い緑色をしている。これは罠なのか、私を試しているのか。
戸惑っている私の目の前で魔術師は何の躊躇もなくそれを口にして、少し苦い、と呟いた。
その表情や仕草が余りにも無防備で、つい私も同じようにそれを口元に運びかけてハッとした。
完全に相手のペースに呑まれていた。何という事だろうか。
やはり、この魔術師は一筋縄では行かない者のようだ。
私は改めて背筋を正した。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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