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第五部 夢の欠片(1)

番外編のつもりで書いていたのに、気が付いたら随分長編になってしまったので本編にしてしまいました(笑)。


というわけで、第五部です。

ある日、男が収穫したばかりの野菜を保管するために物置(兼脱衣所)に足を踏み入れた時の事だ。




薄暗いそこに、白い肢体が転がっていた。



「うっ…うわああああああ!!!!!」



男は素っ頓狂な声を上げた。

日頃は長いローブに隠されているとても細い手足、うつ伏せになった体には申し訳程度に白い布がかかっているが、剥き出しのうなじと肩の白が、薄暗い小屋の中でぼんやりと光を帯びているようにさえ見える。

言うまでもなく、かんなである。




しばらくすると、サエが駆けてきた。

小屋から飛び出して言葉にならない声で口をぱくぱくとさせ、ローウェは人差し指で小屋の中を指し示す。

サエは何事もないように薄暗いその中を覗き込む。



「死んでるのかしら?」



男からはサエの後ろ姿しか見えず、表情が一切読みとれないためにそれが本音なのか冗談なのか本当なのか分からない。

一瞬の間を置いて、サエが振り返る。


…ごめんなさい、冗談よ。


少しだけ、口を滑らせてしまったことへ後悔しながら。

そう、彼は戦禍の中、愛娘を目の前で看取ったというのに。


日頃ならそんな失言などしないサエがついそんな言葉を発してしまったのは、サエもまた不安だったからでもあった。

申し訳なさそうな様子のサエの様子は男にとっては新鮮でもあったから、一瞬過ぎった娘の記憶も静かに心の奥へ収まっていった。

それだけの時間と変化が彼自身にあったこともあるのだが。



「…かんな」



サエがそっとかんなの細い肩を揺さぶる。呼吸に合わせて静かに上下している体を見た時から、生命(いのち)に問題がないことは分かっているからだ。

しばらくそうして倒れていたのだろう、そこはひんやりと冷えている。くしゃくしゃになってかんなの体に巻き付いているローブを少し苦労して引っ張ると、体全体を覆うようにそっとかけてやる。

その間、男はと言うと敢えてかんなのそんな姿を見ないように特に何もない宙に視界をさまよわせていた。

かんなの体がぴくりと動いた。



「ローウェさんも、そんなにあからさまに目を逸らさなくてもいいのよ」



サエは苦笑しながら、不自然に外を見ている男に声をかける。

何度も彼と一緒にお風呂に入りたいと言っては激しく拒まれているかんなの姿は何度も見ている。

もっとも、サエ自身もやんわりとかんなのお願いをかわし続けているのだから、人の事を言えた義理ではないが。



「あ、あれぇ?」



寝ぼけた声でかんなが起きあがる。

取り敢えずは、いつものかんなのようだ。もそもそとローブに袖を通し、きょろきょろと周りを見渡す。



「あった!」



自分から少し離れている場所に落ちていた『それ』を見つけると、かんなは大切そうに手を伸ばして抱き締めた。




---------




「おまえは、馬鹿か。馬鹿なんだな?」



しょぼんと椅子に腰掛けるかんなの真向かいには男が座っている。

その険しい表情は、だがかつてのものとは違い、かんなの身を案じ、そしてその後の安堵から沸き上がって来た呆れと怒りによるものだ。


ふたりを隔てているテーブルの上にはたっぷりの水の入った水差しと大きめのグラス、そして一冊の本が置かれている。

その一冊の本こそが、かんなが脱衣所でぐったりとしていた理由であり、原因だった。



「だって、お風呂で本を読むと『でとっくす』って言って体にいいって前にあかりお姉さんが言ってたんだもん・・・」



あんた、本を読みなさいよ。そう言って泣きながらかんなを抱き締めた少女のことである。

この世界に星空を送り届けて還って行った、かんなにとって忘れがたい人間のひとり。



「かんなにはまだ必要ないのよ」



サエは苦笑して、まだしっとりと塗れたままのかんなの髪をくしゃっと撫でる。

あのお洒落が大好きだった少女は、かんなにまで色々な知識を与えていったらしい。

結果、かんなはそれを実行してみたものの逆上せてしまい、何とか脱衣所まで戻った所でぐったりと倒れ込んでしまったというのが事の顛末だった。




そう言えば、あれほど頑なに拒んでいた本を、かんなは少しずつ手を取るようになってきていた。

それはかんなにとって好ましい変化なのかも知れない。



「そうか、おまえは字が読めるんだなぁ」



男は羨望の眼差しでその本を見た。

自分は読むことも書くことも知らず、計算も出来ない。自分が特殊な訳ではない、生まれた時には既にそういう世界だった。

それが寂しいことだと感じたのは、かんなが本を手に取る姿を見るようになってからだ。



「ローウェさんもこれから学べばいいのよ」



サエが穏やかに微笑んだ。

それに、ここにある本の言語はバラバラで全てを読むことなど常人には不可能だ。

少しずつ、本当に少しずつ理解していくしかないのだ。



「学ぶ、って誰にだ?」



当然サエしか居ないのだが、男は手を頬について呟いた。

あえて不貞腐れたような態度をしているのは、こんな年になって物事を学ぶ、というのが何だか嬉しくもあり、恥ずかしいようなくすぐったいような心持ちでもあったからだ。



「あ、じゃぁボクの読んでる本を貸してあげるよ!これならおじさ…ローウェさんもすぐに読めるよ!」



かんなが得意げに立ち上がって、先ほどまでテーブルに置かれていた本を差し出した。

古そうだが美しく仕上げられた、ずっしりした本だ。

いかにも高尚な内容だろうと思われる迫力を感じる。



こんな立派そうなもん、読めるわけないだろうが。



そう思いつつも、かんななりの励ましだろうと思いそっとそれを受け取ってページを繰ってみる。

わくわくとした表情で男の反応を伺っているかんな。

しばしの沈黙。



「・・・なんだこれ、文字がないじゃないか」



どこを見ても、一切文字らしきものは見当たらない。

絵、絵、絵。全てが文字ではなく、絵で表現されていた。

もっとも、描かれているそれらはちらりと見ただけでも緻密に描き込まれているのだが。



「うん、絵本って言ってね、誰でも読めるから」



男は、手にした絵本とかんなを交互に見てから言った。

悪意のない笑顔が余計に油を注ぐ。



「おまえは俺を馬鹿にしてんのかあああああ!!!!!」



男の怒鳴り声が炸裂した。

なんでぇー!?と耳を塞ぐかんなの声。

その一方で、そのやりとりを想定していたサエはとっくに別室に避難していた。




ここも賑やかになってきたわね。

うっすらと微笑んで、満天の星を見つめながら。




…でもでも、見たことのないような生き物がいっぱいなんだよぉ?

半泣きで訴えるかんなの声が夜空に吸い込まれていった。




---------




ローウェは静まり返ったリビングにひとり、まだ燃え残っている燭台の前で本を広げていた。

何だかんだでかんなの『オススメ』の本に目を通すことにしたのだ。


その後拗ねて寝室へ引きこもってしまったかんなに呆れつつも、子供なりに考えてくれたのだろうという親心に似た思いも湧いて、感想か文句のひとつでも話してやろうとも思っていた。

しかし見れば見るほどに描き込まれた線はとても緻密で、色使いも細やかだ。

少なくとも、こういった書物をじっくりと読む機会は自分にはなかった。そう思うと、ページを捲りながらもその作業が新鮮で心地よくさえ思える。


全く見知らぬ生き物もいたし、自分の居た世界にも食用にと放し飼いにされていたものや野生のものなどの懐かしい生き物の姿もあった。

知っている生き物がまるで生きているかのように描かれているからこそ、見知らぬ生き物の姿も同じように想像することが出来た。

気が付くと夢中でひとつひとつの生き物を時間をかけて目で追い、歩き方や鳴き声まで想像していた。

なるほど、かんながあんな状態になるまで夢中になるもの無理もないかも知れない。



「あら、その本・・・読んでるのね」



気が付くと、替えの燭台を持ったサエの姿があった。

育った環境ゆえに人の気配には敏感なはずだった自分だが、何故かこの女性に対してはそれが通じない。

時々幽霊なんじゃないかとさえ思っていたのだが、今まさにテーブルに燭台をそっと置くサエの、仄かな明かりに照らされたその横顔を見るとむしろ女神なのではないかと思ってしまう。


サエの今は片方に纏められた髪はしっとりと塗れている。それが淡い光の中でいっそう艶めかしく見える。

どうやら湯上がりのようだとローウェは気が付いた・・・途端に、妙な気まずさが襲ってくる。


咳払いをひとつして、ローウェは再び絵本に没頭しているふりをした。

すると今度はサエがローウェの肩越しに屈み込むようにして本を覗き込んだ。

見事に逆効果だ。柔らかい香りと穏やかな息づかいに包み込まれて、ついには冷や汗さえ出て来る。


もしかして、サエは悪魔なのではなかろうか。

ついそこまで考えてしまう。



・・・ああ、神様、この状況を何とかしてくれ。



肝心な神様が現在は寝室で拗ねたまま眠ってしまった『アレ』なのを承知で、ついそんなことを考える。

サエはしばらくそのページを眺めていたが、スッと立ち上がった。

そのままテーブルの向かい側に腰掛ける気配がする。

安堵と若干の名残惜しさを感じつつも、それを悟られないようにローウェの目線は相変わらず絵本に向けたままだ。



「まるで生きているみたいでしょう?」



頬杖をついてサエが語りかける。

どうやら、サエは既にこの絵本を手にしたことがあるらしい。

男は黙って頷いた。知らない生き物が沢山いることも、自分が昔飼育していた家畜のことも話す。

その都度、子供のようにそのページを探しては示してみせた。

サエはにこやかに耳を傾けている。



「かんなも夢中になっちゃうの、分かる気がするわね」



しかも、どの生き物も『知らない』のだもの。

そう言うサエの言葉に、いちいち驚いたりはしなくなっていた。

もう、男も『かんなの世界』に慣れつつあった。




多くの事を知らないかんな。

かつては世界の全てを識る存在だったろう、その成れの果ての空っぽの姿であるという事実。



「どこかで、懐かしいと思ったりしないもんかね」



今まで知識を得ることを恐れていたのは、偽りの過去に対しての贖罪なのか、それとも真実へ近付くことを無意識に避けているのだろうか。



「そうね、どうなのかしら」



それは分からないけれど。

多分、かんな自身も良く分からないのでしょうね。



「でも・・・かんながどう変化したとしても、わたしはかんなの側に居ると決めたの」



そう語るサエの瞳は何らかの決意を秘めているようだった。

そんな表情を彼女がするのをローウェは初めて見た。


自分の知らない、かんなとサエの過ごした時間。

結果的にこの世界に留まる事を選んだ自分自身にはまだ存在しない、何らかの絆。

サエの事を全面的に信頼しているかんな、静かに微笑みながらかんなを見守るサエ。




かつての自分と娘も、そんな風に生きていた。

ふと過去に想いを寄せて、それでも男の気持ちは直ぐにこの世界に住むふたりに戻って来る。

心の痛みは消えないが、ぽっかりと空いた心の穴を少しずつ新しい何かが満たしていることに気付いていた。

だからと言って、心の中を占めている娘の居場所が減っている訳ではない。自分の中の世界が広がっているのだ。


それを識る、人生の続きを与えて貰えた事。

何故、娘ではなく自分だったのかと何度も考えた。

そんな事を考えても意味が無いと知りつつも。




それでも、流れる時間とともに少しずつ気持ちは動いていった。

かんなの世界に、自分自身が少しでも色を与える事が出来たら、それでいい。

自分は『救世主様』とやらではない、それでもかんなが探す何かを見つける為の日々に。



お読みいただき、ありがとうございます。

感想などいただけたら嬉しいです!


また3日後にお会いしましょう!

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