第四部 戦禍の瞳(3)
「爆撃・・・襲撃だ!!・・・ちくしょう!」
衝撃に吹き飛ばされながら、男は誰にともなく叫んだ。
もうもうと白い煙が周りに立ち籠めている。
視界の隅に、頭を抱えてうずくまるかんなの姿が入って、無意識に男は駆け寄っていた。
抱きしめた体は思っていたよりずっと細く、固く強ばっていた。
娘の末期の姿が蘇る。
二度と、無くしてたまるものか。
子供は皆、守らなければいけないのだ。そして、彼等は大人になって世界を変えるのだという誓いと共に生きるのだ。
…かつて子供だった全ての大人たちの過ちを繰り返さないために。
痛いよぉ、というかんなの情けない声で男は我に返る。
余りにも力強く抱きしめられていた細い体がもがいている。
どうやら酷い怪我などはしていないようだと、安堵してその体を離す。
「大丈夫よ」
かんなに、というより男に向けてサエが言葉をかけた。
一番動揺していたのはどうやら自分だったらしい・・・尤も、ほんの最近までそういう世界で生きてきたのだから無理もないだろうと自分に言い訳しつつ、音と衝撃の犯人を見る。
周りを覆っていた淡く白い湯気はゆっくりと消えて行き、はっきりと見えてきたその中央では、地が裂かれ、そこから天高く何かが吹き上がっていた。
丁度、男が砂時計を置いた辺りに。
「間欠泉、だわ」
聞き慣れない言葉に男とかんなは目を合わせる。
どうやら知らないのは自分だけではないらしいと互いにその表情で確認して、吹き上がるそれを見上げる。
時々、小雨のようにパラパラと体に生暖かい液体が降ってきて、ふたりは気味が悪そうに服で拭う。
サエはその様子を見て珍しく声に出して笑うと、安心させるように言葉を続ける。
「そのうちに収まるだろうから大丈夫よ。それより、良かったわね」
暖かいお風呂にいつでも入れるかも知れないわよ。
その言葉に再びふたりは顔を見合わせる。
サエはそんなふたりに背を向けて、家へと足を向けた。
かんなが起こしただろう現象に、不安などなかった。
そこに根拠はない、けれども。
それよりも、ずっとわだかまりを残したままのふたりに意外な形で繋がりが生まれた事が嬉しかった。
・・・もう、大丈夫。
誰に言うともなく、再びサエは静かに口にした。
自分でも足取りが軽いことに気付く。
かんなだけではなく、わたしも変化しているのかしら。
そうね。
今日は、いつもよりも沢山の料理を用意しなくちゃ。
きっと誰もが、たっぷりと食べるだろうから。
空はますます暗くなり、星々の輝きが増していく。
薄暗くなっていく世界のなか、ふたりはいつまでも吹き上がっているそれを眺め続けた。
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「おじさん!温泉入れて!!」
サエの言うとおり、間欠泉は翌日には穏やかになり、そこには温かい湯が満ちた小さな池が出来ていた。
これが『温泉』というものだとサエに教わったかんなは、その日から足繁く温泉に通うようになった。
その場所が男の仮住まいだった所のすぐ横だったために、彼の被った被害は甚大だった。
何せ最初の頃は毎日、早朝、昼、夕方、夜と押しかけて来た。
黙って入ればいいものの、どうやらかんなは温泉を男の所有物もしくは敷地内のものと思っているらしく、いちいち丁寧に声を掛けていくのだ。
「だから、黙って入ればいいつってんだろ!」
朝の微睡みをかんなの大声で破られた男は、布団を頭から被って意地でも眠ろうと頑張っている。
しかし、衣擦れの音に気づき、ぎょっとする。
どうやら、ここで衣服を脱いでいくつもりらしいと気付き、一気に目が覚める。
「何やってんだよ!ここは脱衣所じゃねぇぞ!」
理由は違うが相変わらず布団に潜り込んだまま、再び大声を出す。
一方のかんなは気にする様子もなく、だって外寒いんだもん、と言いながらするすると衣服を脱いでいく。
そして、あ、と声を出す。
「ねぇおじさん!おじさんもたまには一緒に入ろうよ!」
今度こそ男は立ち上がって、自らが頭から被っていた布団をかんな目掛けて投げつけた。
その重みでかんなは布団ごと引っ繰り返る。
「お前はバカか!そんな年で男と風呂に入るなんてダメに決まってるだろうが!!」
そうして男はその場を立ち去り、食事時にしか立ち入らなかったかんな達の家へと肩を怒らせながら行ってしまった。
「・・・え?」
ひとり残されたかんなは、理不尽な仕打ちにきょとんとしながらも仕方なくひとりで温泉に向かうのだった。
サエさんにも断られちゃうし。つまんないなあ。
そうぼやきながら。
その後、男は結局かんな達の家に再び住まうこととなり、男の仮住まいは完全に『倉庫兼更衣室』として使われることとなったのだった。
そんな生活も悪くないな、と男は思う。
今も胸に刺さったままの娘の面影は決して消えないだろう。そして、あの戦場の記憶も。
それでも。
子供の頃に失った希望を、もう一度自分のために取り戻そうと願うことは赦されないことだろうか。
かんなが『罪人』ならば、自分だって『罪人』だと思う。
自分の意思で故郷への希望を、思慕を、娘の眠る場所を棄てた。
そう、様々な想いが、あの時に空を目掛けて吹き上がった激しく大量な水と同時に自分自身からも噴出したような気さえした。まるで、声にならない叫びのように。それとも、祈り、だろうか。
銀の砂時計は今はかんなの手元で大切に扱われている。
それでいい。後悔がないとは言い切れないけれど、今はそれでいいんだ。
サエの作った豆のスープを啜る。
男の育った国にはなかった、柔らかな緑色をしたスープだ。
あたたかいな、と思う。
それは、スープのことなのか、この世界のことなのか。
・・・そうして、ここに新たな住人がひとり、加わった。
これにて第四部は終了です。
前回の2話で、ルビの振り方を覚えました(遅い)!
そろそろ、カッコイイ話とか書きたいですね・・・気持ちだけはあるのに。
お読みいただきありがとうございました。




