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第四部 戦禍の瞳(1)

第四部のはじまりです。

少しずつ、かんなの過去なども触れて行きたいと思いつつ、先は長いようです。

下半身を失った娘を抱きしめる。

とうに命はないと知りつつ、名前を呼ぶ。

そうしなければ気が狂ってしまうと思った。いや、既に狂っているのかも知れない。




やがて、どのくらい時間が経ったのか。

娘の赤く色づいていた唇がふくよかさを失い、乾いていくのを男はぼんやりと見つめていた。

自分が泣いていることに、今更気が付いた。


己の涙を人差し指で拭い、それを乾いた娘の唇にそっと塗ってやる。

それでもなお、色も艶やかさも失ったままのそれに、今度は己の傷から流れる血を同じように拭い取り、再び丁寧に塗り付ける。

血の赤に染められた唇は、たったそれだけなのにほんの少し顔に色がさしたように見える。

乱れていた少女の髪を男はそっと手櫛で整えて、その襟元を丁寧に正してやった。


そうして男は静かに立ち上がると、少女の亡骸に背を向けてふらふらと歩き出した。

埋葬する場所などどこにもない。

埋葬などする意味もない。


しばらくすると、先ほどまで男が娘と共にいたその場所に炸裂音がしたが、背後から押し寄せる風圧と体に当たるいくつかの破片を背中に受けつつも、男は振り返ることなく歩き続けた。




…全てを失った。




行く宛てもないまま、男は瓦礫の中をただただ歩いた。

ところどころで数人がぽつりぽつりと佇んでいたが、互いに寄り添うことも、声をかけることもなかった。

時々、どこかで炸裂音がしたが、最早誰もが気にしていないようだった。

幼子は力なく目を閉じ、その子を見守る母の瞳にも生気はない。


そうして暫く瓦礫と爆撃の中を彷徨い歩いた男は、ついに自身の側に着弾した爆撃の衝撃により激しく体を投げ出された。

自分の順番がようやく来たと思うとともに、意識は深く沈み込んで行った。




--------




「『救世主様』、ですか?」



次に目を開いた瞬間、体の痛みと同時に飛び込んで来たのは、あどけない子供の大きな瞳。

男はその瞳を食い入るように見つめる。


娘と同じ年頃の、10代に入ったばかりであろう子供。

少し緊張を含んだ、だが穏やかな瞳。

地獄など知らぬだろう、傷一つない艶やかな肌、清潔な服。


娘の姿が脳裏に浮かぶ。

娘と、この子供の違いはなんだというんだろう?

娘は死んだ。なのにこいつは生きている。

何故そんな穏やかな顔をしている。

同じ人間なのに。同じ子供なのに。




・・・何故。




気が付くと、男は目の前の子供の高価そうなローブの胸元を掴んでいた。

そうして子供に向かって激しく何かを叫んでいる自分の声がひどく遠くに感じられた。


途端にその瞳が怯えた色を宿した。娘と同じ瞳。

そう、その瞳だ。




子供は皆、怯えて生きるのだ。自分は大人になれないだろうという諦めと、明日をも約束されない日々に。




次の瞬間、男は再び衝撃と共に宙に弾き飛ばされた。爆撃のそれとは明らかに違う、音も熱も、砕け飛び散る瓦礫もない…ただ、男だけを拒絶するかのような激しい光と衝撃に。

男は宙を舞いながら、目の前の子供の体を包んでいる光の残滓を見た。

そうして男が地に投げ出されるより前に、その子供は光を失いながらその場に崩れ落ちた。




-------




「そう、それで貴方は娘さんを失ったのね」



男の話に耳を傾けているのは言うまでもない、サエだ。

かんなはベッドに横たわり、きつく目を閉じている。たまに小さくうめき声を上げるのはうなされているからだろうか。

サエはそんなかんなの姿を心配そうに見つめている。




狭いかんなの部屋で、二人の男女は長いこと話し込んでいた。

サエがかんなの傍を離れないため、状況の分からない男はやむなく部屋の出口に近い場所に座り込んでいる。

立ち上がる気力も体力もなかったために、ぐったりと壁に背を預けながら。


サエの処置によって出血は止まったものの、未だ傷は男の脈に合わせて鈍く深い痛みを刻んでいる。

だが、混乱した男にとってはその痛みこそが唯一の自分の拠り所にすら思えた。

全てが夢なのか、それとも現実なのか、自分は死んだのか、何もかもが心許なく感じられた。




娘、そう、俺には娘がいた。

それだけは夢でも幻でもない。

この痛みは、傷よりもっと深い処から生まれる痛みは。



「ここは、静かなんだな」



死と破壊を招く音がない、それはいつ以来だろうか。

こんなふうに屋根も窓もある建物の中に身を置けるのは。

娘は、喜んだだろうか。安堵しただろうか。

また心の奥を鋭い針が貫く痛みを感じる。



「そうね、ここはずっと静かだったわ」



サエは、かんなから目を離さず答える。


男の話から推測するに、何らかの力がかんなから発動されたのだろう。

激しい恐怖なのか、それとも拒絶なのか。

かんなの中の何がそれを起こしたのか。


そして、それからかんなは目を覚まさない。

サエが知る限り、そんなことは今まで一度もなかったはずだった。

この人は、かんなを傷付ける人なのだろうか。

今まで出会った人々の記憶がサエの中で蘇る。

優しい人ばかりではなかった。それでも、かんなはいつも笑っていた。




男はサエの返答を違う意味に受け取った。

ずっと静かな・・・戦いのない場所。

男がそう呟くのをサエは聞いた。

そして男は、その子供はあんたの子供か?と付け加える。


サエは初めて振り返って、黙ったまま男を見つめた。

その瞳がどこか悲しげに見えて、それ以上尋ねることは出来なかった。


代わりに男は言った。



「お互い、辛い人生ってことか」



娘の変わり果てた姿など見たくなかった。

人づてに彼女の死を聞き、形見の一つでも受け取った方がこんなに苦しまずに済んだのだろうか。

乾いた唇に死化粧とばかりに塗った、己自身の血の赤。

手櫛で整えただけの髪。

不思議と、穏やかだった表情…。




それでも自分の方が今、目の前の女性よりもいっそう深い絶望の中にいるだろうと心の中では思いながら。




---------




『我』ハ、彼方ナル下界ヲ見下シテイタ。



人類ガ築キシ塔ガ、少シズツ此方ヘ近付イテ来ルノヲ。



命短シ者タチノ叡智ガ詰メラレタ、『我』ヘト至ル塔。



長キ年月ヲ経テ、脈々ト引キ継ガレタソレハ確カニ此処ヲ目指シテイル。



『我』ハ只、ソレヲ見テイタ。



此処ヘ至ル者ガ『我』ニ届クノナラバ、ソノ日マデ見届ケタイト。




お読みいただきありがとうございます。


ちょっと「まったり」では無くなっちゃった感じではありますが、次回もお読み頂けると嬉しいです。


3日に一度の定期更新予定です。

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