表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
まきる  作者: いそぎんちゃく
1/2

さて、狩人とは

 初めましての方は初めまして。いそぎんちゃくと申します。力の限り執筆していくので、応援よろしくお願いします。感想評価、誤字脱字報告等も併せてご協力お願いします。前書き後書き欄はあまり使用しません。




   【1】




「――狩人(ハンター)


 宮藤(くどう)は言った。


「今日はそれについてのお話を、現職の方に伺います。一同、心して聞くように」


 宮藤は落ち着いていた。その冷静さが却って生徒の緊張を煽った。体育館の空気は、泥が堆積したようにしんと重く沈んでいる。

 舞台袖から出てきた背広の男にマイクスタンドを譲り、宮藤は退場した。視線が男に集中する。男はスタンドの高さを下げ、喉の痰を切った。初めまして、という声はひどく割れていた。


「狩人捜査局から来ました、葛城(かつらぎ)です」


 五十ほどの男は小さく礼をする。


「どうか最後までご静聴願います。――私が勤める狩人捜査局は、狩人を追うため二年前に結成された組織です。まず判明している範囲で、皆さんには狩人の詳細をお伝えしていこうと思います。メモをとってもらえて構いません」


 生徒たちは持参した生徒手帳のメモ欄を広げた。大勢が身動ぎし、床と接地した制服の布擦れが、沼地に浮かぶ波紋を思わせる。誰もが緊張していた。普段の、睡魔と闘うのが常の全校集会と一線を画す雰囲気であるのは明白だった。

 時期は夏。温度計の針は三十を優に超過した数字を示しており、全て開放した採光窓はほとんど機能せず、風はそよともない。粘着いた熱が館内に沈殿し、猛打するような蝉時雨に降られていた。

 暑いですね、と葛城は独りごちる。


「まだ六月末葉。ですが、結構きますね。辛くなった学生さんは素直に申し出てください。私もなるたけ、手短にお話します」


 強調するように言葉を区切る。


「――狩人。皆さんも、一度は耳にしたことがありますね。いま世間を震撼させている、殺人鬼集団の通称です」


 何人かの生徒が頷いた。


「その動きが激化したのは二年前、つまり捜査局が編成された年でした。それから現在に至るまで、実に多くの被害が報告されています。その数九〇四件。死亡千三十二、重軽傷十一。その上、数少ない生存者は全員、塞ぎ込むか目を覚まさないという按配。無論これは、狩人による犯行の被害総数です。地震津波とは決して無関係ですが、もはや厄災レヴェルだと言って差し支えないでしょう。そして人為的な被害で、これだけ大規模なものは前例がありません。内乱だらけの他国と違い、我国は各県対立していないのが取柄ですから。政府は公式に、狩人を、前代未聞の凶悪犯罪者団体と認定しています」


 葛城は渋面をつくる。


「限られた生存者から、事情聴取を行うことはほぼ不可能。故に、狩人の構成人数および目的は一切不明。殺人のみに行動を絞り、取引を持ちかけるでもなく、金をせびることもない。全てが謎に包まれている。――ただし、犯行には日本刀が使用され、また獰猛な獣を飼い慣らしているという二点に関しては、ほぼ間違いないとされています。後者は一時期、話題を呼びましたね。現場に残された唾液が、地球上のどの動物のDNAとも一致しないとかで、様々な憶測が飛び交いました」


 遺体のほとんどは刀傷による失血死だった。ところが稀に、巨大な牙や爪で破壊されたとしか思えない、無残な遺体も発見された。現場や遺体の体内から、獣の唾液や汗と思しき要素が検出され、人を襲う獣の存在が叫ばれた。しかし獣の姿を見たという証言はついぞ出なかった(同様に狩人の目撃証言も皆無である)。それどころか鳴声を聞いた者すら現れず、さらに葛城の言う通り、地球上のどの動物ともDNAが該当しなかったことが、より深い混乱を招いた。


「まず考え得るのは、品種改良です。複数の遺伝子を操作し、全く新しい動物を誕生させたとする説。鳴きもせず狩人の命令に忠実で、襲撃後、煙のように消え失せてしまう、そんな都合の良い新種の動物です。馬鹿らしいと思いますか? しかし残念ながら、最も蓋然性があります。そして皆さん、想像してもみて下さい。自在に姿を消せるということは、どこにでも侵入できるということ。つまり、どこに出没しても可笑しくないということです。言うなれば神出鬼没。事実、獣は場所を選びません。宿泊先であったり、友人宅であったり、施錠した自室であったり。それは狩人も同じこと。室内だからと言って決して安心はできません」


 葛城は狩人と、それに付随する獣の凶暴性を語った。


「狩人も獣も、――あるいは狩人は、標的を選びません。最近は都内を中心に跋扈しているようですが、千相当の被害者に関連性はなく、その観点からも狩人は厄災と同義と言えます。しかし強いて言えば、皆さんのような若い男女が、比較的狙われやすい立場にありそうです。統計が如実にそれを物語っています」


 ひとりが短い悲鳴を上げた。狩人の息を首元に感じたに違いない。

 葛城は、舞台袖に佇む宮藤と目配せする。それから意を決したように口を開いた。


「すでに聞いている学生もいるでしょう。この学内からも、被害が出ています」


 騒然としだすのを、四隅に散った教員が大声を上げて諌める。沈黙を待たず、葛城は続けた。


「これ以上の被害を抑えるため、皆さんのご協力が必要です。登下校は友達と行い、夜遊びは絶対にしない。日が高くても、路地など人通りの少ない場所には入らない。厳重に戸締りをする。不審な人物を見かけたら、即先生や頼れる大人に報告。これらを徹底してください」

「それで駄目だったんですよ!」


 悲痛な叫び。男子生徒は葛城を睨んでいた。


「ぼくらだって馬鹿じゃない。相応の対策はしてきました。それなのに、――親友は殺されたんです! 狩人に、家族全員、しかも自宅で。なにが戸締りに用心しろだ。そんなの無駄じゃないか」

「無駄ではありません。神出鬼没とは勿論比喩であり、文字通り狩人と獣が煙のごとく消えたり現れたりすることはない。それらが体積を伴う物質である限りはね。だが繰り返すようですが、密室だからといって安心できないのも、また事実。つまり狩人は、ピッキング技能を心得ている可能性が高いわけです。鍵を二重に掛けるか、あるいはドアチェーンを購入すると良いでしょう」

「親友は臆病だった。その程度の対策はしていた! それでも……」


 そこで言葉は止まり、悲鳴が反響した。


「は、はなせ」


 男子生徒の身体に腕が巻きつく。教員が数人がかりで彼を館外まで引き摺った。両手扉が閉ざされた瞬間、彼の抵抗は終わった。

 五月蝿い蝉はそれを眺め嘲笑しているようだった。


「彼は、友人を亡くしている。精神がすっかり参っているようだ。大目に見てやってくれ」


 宮藤が取りまとめ、その後を葛城が引き継いだ。


「丁度良い機会です。質問を受け付けます。何か御座いましたら、挙手でどうぞ」


 ちらほらと手が挙がる。葛城は最前列の女子生徒を指差した。


「鍵の設置以外で、対策はありますか」

「ご近所同士、ひいては地区内での呼びかけが効果的です。異常に気付いたら、その情報を共有する。共有して注意する。要は狩人が立ち入らせる隙間をなくせば良いわけです。強固な仲間意識が自己の防衛に繋がります」

「呼びかけですね……ありがとうございます」


 女子生徒は大切なお守りを胸に抱いたように頷いた。葛城は別の生徒を当てる。


「どうして狩人の武器は刀なんですか」

「正確には日本刀ですが、理由は判明していません。しかし遺体の刀傷を見るに、剣術の心得――それも相当な腕前であることが推測されます」

「うわぁ」

「そして万が一、狩人に遭遇したものなら、正義心に惑わされず、迷わず逃げてください。逃げて、そのことを誰かに伝えてください。通報することが、捜査の大きな援助になります。返り討ちにあってしまっては、ご家族やご学友を悲しませるだけに帰結してしまいますので」

「了解です。俺、足速いっすから」


 次の生徒は、獣と狩人の関係性について尋ねた。


「これも判明していませんが、先に述べた通り、獣は高確率で狩人の支配下にあります。狐狩りで言うところの、狐を追いかける犬の役割ですね」

「えっと、では、もうひとつ」

「どうぞ」

「狩人の武器は一貫して日本刀、つまり遺体が斬られていればそれは狩人の仕業になるわけです。だがしかし、獣に襲われた遺体まで狩人の仕業だと断定できるのは、何故でしょうか」

「お答えしましょう。同時に近場から発見されているためです。獣に襲われた遺体が発見される場合、刀傷が残されている遺体の横、あるいはそう遠くない距離で発見されています。ご納得してもらえましたか」


 模倣犯について尋ねた生徒もいた。


「これだけ被害が甚大だと、なかには狩人の手口を真似た、模倣犯や愉快犯が混じっているのではないですか」

「絶対にないとは言えません。しかし限りなくゼロに近いと思います。狩人の剣の腕は、素人が一朝一夕で真似られるようなものではありません。地球上に存在しない獣とくれば尚更です。どう模倣しろと言うんですか」

「すみません……」

「いや、貴重な見解をありがとうございます。――さて、他には」


 葛城は淡々と疑問に答えていく。


「狩人は個でなく集団なんですよね? それはどこ発信の情報なんでしょうか」

「規模を現実的に換算した上での、捜査局による結論です。個体にここまでの損害は出せません」

「激化したのは二年前と仰られていましたが、ではそれ以前から狩人の動きはあったのですか」

「はい、ありました。しかしそれは極小規模なもので、今では考えられないほど狭い地域に、たまに出没する程度でした」

「どうしてその時期に活性化し出したのですか」

「目下調査中です」

「メンバーのひとりも逮捕できていないんですか」

「はい、当局が不甲斐ないばかりに」

「では捜査局の動向が狩人に筒抜けということは考えられませんか。きっと内通者がいて、それで情報が横流しにされているのではないかと」

「目下調査中です」


 葛城の応答は機械的だった。きっと色々な場所で、似たような質問に幾度も回答しているに違いない。


「他には?」


 疲れたように睥睨し、中央付近の女子生徒を指差す。彼女は笑みを浮かべて立ち上がり、葛城を一瞬困惑させた。


「狩人って、人間じゃないですよね」


 葛城は、は、と口を開ける。


「と言うと?」


 生徒がざわつく。彼女は気にせず、自信ありげに続けた。


「狩人は、私たちの暮らすこの世界ではない、異世界の住人だということです」

「そう思う根拠は」

「誰にも姿を見られたことがないなんて、絶対に不自然ですもの。人間業を超えてます。そこで私、考えました。狩人はたぶん異世界に潜伏していて、攻撃の段になってから魔法を使い、こっちの世界に侵入してくるんです。そして攻撃後は、また魔法を使って隠れてしまう。そうに違いありません。それだと獣の謎にも、合理的な説明がつきますし。――地球上の、どの動物ともDNAが違って当然なんです。獣は、品種改良により産まれた新種ではないんです。まさしく、異世界に棲息する生命体だったのです」

「はあ、それで、つまりご質問は」

「狩人の正体って、人間ではありませんよね」

「ゼロではありませんね」

「ですよね!」


 うんうん、と女子生徒は満足そうに何度も頷く。彼女が座ってから、葛城は息を吐いた。


「他には?」




「ホカニハァ? ――じゃねえよ!」


 戯けるように言って、仁江(にえ)は不満を爆発させた。


「あの葛城とかいうおっさん、気取りやがって。狩人が好き勝手暴れているのは、あんたら捜査局が無能だからに他ならないだろう。そこ棚上げにして、よくもまあ偉そうに集会に臨めたもんだ。誰でも思いつくようなことを、一丁前に対策とかのたまってよ。解らないことを、さも理解してるようなふりしてな。所詮、知ったかだよ知ったか。無知の知ってやつだ。使い方あってる?」

「全然違う」


 それに、捜査が難航しているからこそ、捜査局の人間も躍起になって注意を喚起しているのだろうと汐里(しおり)は思ったが、黙っていた。

 全校集会を終え、戻った教室は心なし暗い。肌に痛い日射と抜けるような青空は健在だったが(あるいはだからこそ)、激しい運動を終えた直後のように空気が澱んでいる。無理もない。捜査員の説明には脅しつけるような圧があった。きっと、学園側に頼まれていたのだろう。生徒に危険性を、真の意味で知らしめるようにと。

 そこで狩人を恐れ、生徒が慎重になれば学園の狙いは成功だったかもしれない。だが、仁江は違った。


「まあ、いいや。それより、このあと暇?」

「なんで」

「カラオケ付き合えよ」

「あんたねえ」


 汐里は呆れた。


「寄り道するなって、さっき釘刺されたばかりでしょ」

「そうだけどさあ……一時間だけ」

「パス」

「半分なら奢るからさあ」

「悪いけど、寄りたい場所があるの」

「え、人の寄り道は批判しといて。どこ行くの」

「病院」


 ああ、と仁江は頷いた。


「ついてこうか」

「いや、いい」


 気遣いは有難いが、むしろ迷惑だ。汐里は鞄を抱えて席を立った。仁江に手を振り、下校する生徒に混じる。

 宮藤に呼び止められたのは、職員室の前を通りがかったときだった。


「帰りか」


 汐里はびくりとして立ち止まる。宮藤は二年三組の担任教諭で、汐里の担任でもある。赴任初年度からハンドボール部顧問を続任しているだけあり、頑丈な肉体をしている。


「これから、病院に行こうと思いまして」

「そうか」


 宮藤はにこりともしない。


「心意気は感心だが、あまり無理するなよ。それに集会でも話したが、夜間の外出は厳禁だ。あんまり遅くなるようだったら、親御さんに迎えを頼みなさい」

「……はい」


 宮藤を振り切り、校門を潜る。頭をもたげると眩しかった。白のブラウスに、汗が滲む。思わず息が漏れた。

 暗澹たる心持ちで汐里は歩き出す。麻痺したように重い足で一歩を踏みしめる。バス停に留まる間、幾度も引き返そうかと悩んだ。




 バスから降車すると病院の駐車場で、やはり空は青い。腕時計は午後三時過ぎを表示している。乗降するのは老人が大半で、制服姿の汐里は浮いていた。

 余所者だ、と自嘲する。服装のみならず、汐里は招かれざる客のような気がしてならない。建物に入り、その思いは強まる一方だった。空調の効いた、看護師や患者が往来する廊下を、おっかなびっくり進み行く。反対からやってきた車椅子の老人に見上げられ、汐里は息を呑んだ。落ち窪んだ双眸が(おまえ……)汐里を睨んでいるように思えた。早足でエレベーターに身を隠すと、他の客を待たずに閉じるボタンを押した。

 扉が開いたのは七階だった。そこは深海のように静謐で、仄かに薬品の香りが漂っている。よろりと前を横切った、点滴用のチューブを挿した男は痩せすぎていた。顔に生気はなく、忙しく口を開閉させる様は海に沈む魚のようだった。

 廊下を直進し、受付の窓口を(……)視線を感じながら通過する。目的の病室は奥まった位置にある。「七〇八」のプラスチック板を掲げたドアを見つけた。汐里はドアノブに触れようとして、止める。室内に人の気配を感じた。それは汐里を拒んでいた。

 ここに弥生(やよい)ヒナは入院している。狩人に襲われ、重症を負ったのだ。通報が早かったのと医師の適切な治療とで一命はとりとめたが昏睡状態にある、と宮藤から聞かされていた。ヒナは汐里と同じ三組だった。

 中学で知り合い、高校進学後は汐里と揃って剣道部に所属。初出場にして県大会行きを決めるなどの実績を収め、あっという間に一目置かれるようになる。また溌剌とした人柄が幸いし、同性に愛され、異性を魅了した。所謂、部内の人気者、それがヒナの獲得した地位だった。

 部はヒナを喪い退廃していた。稽古は散漫で、休憩中は通夜のような有様だ。ヒナが留守という喪失に加え、あろうことか狩人に襲撃された事実に慄いている。それまでの部員達は楽観していた。狩人を怖れながら、心のどこかで、自分だけは大丈夫という自信があった。しかしその自信は、ヒナの襲撃という形でものの見事に崩された。もはや狩人は対岸の火事に納まらず、腥なリアルとなって喉元に刃を突き立てる。

 見舞いに訪れる部員は少なかった。狩人に襲われた、――その一点が見舞い客の足を遠のかせた。彼らは厄が空気感染するものと思い込み、ヒナを敬遠した。ヒナの近くにいると、自分まで厄災に巻き込まれる。そう信じていた。そしてそれは、クラスメイトも大差なかった。

 ドア越しの気配は、ヒナの両親か保護者だろう。――母親かもしれない。

 ヒナは二人目の子供で、先の子は流産したらしい。その名残から、ヒナは大切に育てられてきた。だから無機物のように動かぬ手をとり、神に祈ったり縋ったり(あるいは恨んだり嘆いたり……)している人物がいるとすれば、それは母親が相応しい。

 汐里は立ちすくむ。母親の悲しみは察して余りある。そこに自分が出ていったところで、どんな言葉を掛けられよう。汐里はヒナの不幸を、重大に感じていない。汐里自身、不可解なほど平静でいられた。

 宮藤の発表があったのは、先々週のことだった。ヒナが狩人に襲われ重症。クラス中が色めくなか、汐里は落ち着いていた。微塵も衝撃を受けなかったといえば嘘になるが、しかしほとんど動揺しなかった。むしろ動揺しないことに、汐里は困惑した。後からじわじわ響いてくることもなかった。女子の大半が涙を流しているときでさえ、汐里の眼には一抹の翳りもなかった。

 友の不幸を、何とも思わない。それが汐里にはショックだった。自分は、こんなにも冷血だったのか。愕然とすると同時に、納得した。そう考えると、思い当たる節はいくつかあった。ヒナが襲われる数ヶ月前から、汐里はヒナが面白くなかった。中学時代には互いの家へ押しかけるほど親しかったにも拘らず、会話をすることすら億劫だった。遊びの誘いは、にべもなく断った。――飽きたのだと思うようにしている。ヒナと共有する時間に、ヒナという存在に、ヒナが関与する事柄すべてに飽きたのだと。

 それでも病室に通うのは、汐里の勝手だ。明確な意志もなく、ほぼ毎日のように病室に訪れては、びくびくしながら廊下に立っている。もし友の不幸を悲しまないのが罪ならば、あるいはそれが贖罪のつもりなのかもしれなかった。陰ながら負担を共有し、善行を積んだ気になる。そうすることにより得られる恩恵が、汐里の人間性を肯定する。つまりヒナを想うことにより罪は軽減され、罪から解放されたいがために、こうして今も立っている。すべては自分自身のために。


(……最低だ)


 汐里が重い息を吐いたときだった。

 カツン――と足音がして、驚いて見ると誰かがいた。咄嗟に看護師かと思ったが、違う。ひょろりと背の高い青年だった。大学生くらいだろうか、温和そうな顔をしている。

 汐里に気づき、一瞬足が止まる。大きな花束を抱いていた。青年は「七〇八」の前で、不思議そうに汐里とドアをきょろきょろ見比べた。


「入らないんですか」


 汐里は曖昧に首を振る。青年は微苦笑した。


「あれ、弥生ヒナさんにご用事があるのではないですか」

「………」

「その制服、彼女と同じ高校のですよね」

「失礼します」


 汐里は頭を下げて、青年の脇を抜ける。え、と青年は慌てて振り返った。


「あの、ちょっと」


 汐里は聞こえないふりをした。

 病院を脱出すると、突き刺すような陽光が汐里を出迎えた。そそくさとバスに避難する。バスはタイミング良く、すぐに動き出した。

 席に腰掛け、窓に目を遣る。病室を訪れた、あの青年……。手に立派な花束を抱えていた。たぶん、ヒナの見舞い客だった。今頃、彼はヒナの母親に汐里のことを話しただろうか。――だとすれば、汐里は二度と病室に近寄れない。気色悪がられたに違いないからだ。しかし、これで良かったのだと思う。汐里自身、無目的に通うのは苦痛だったし、早晩見つかるのは解っていた。これを節目に、ヒナに接近するのは控えることにしよう。そう、それが良い。

 それにしても、と汐里は首を傾げた。青年は、ヒナの彼氏ではなく、どちらかといえば親戚か従兄弟のお兄さんという出立だった。痩身長駆で、茶っぽい髪は目と肩に掛かるほど長い。やや幼く端正な顔つきは、若い女子に人気な俳優を思わせる。

 どこかで見たような気がしなくもない。似ている芸能人を見たか、それとも実際に会ったことがあるのか。判然としないが、初対面ではない気がしてならない。さらに何となくだが、また会うような予感がする。本能が青年との遠からぬ再会を告げていた。

 そしてその予感は、三日後、的中することになる。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ