第二話
私の四人の友人達に、小説のリクエストを尋ねた結果、彼らが好き勝手に考えたお題はこのようになりました。
〉夢を見る人工知能
〉↑が、結婚式を挙げたいと夢見る
〉何ヲタでもいいから、オタクが出てくる話
〉ジャンル:ミステリー
この四つのキーワードからどんな物語ができるのか、ご自分で想像してから、本編をお楽しみください。
思い起こせば、僕と彼女の出会いも、僕のこのどうしようもない予知能力が関係していた。
高校に入ってすぐの僕は、ある程度自分の予知能力について把握していたし、諦めていた。誰かに理解を求めようとはしなかったし、これを使って何かをしようとすら思っていなかった。
人は、それが大人だろうが子どもだろうが関係なく、自分と異質なものに対して拒絶や忌避をする。おそらく生物学的にも自然なことなのだろう。だとすれば、平穏無事に学生生活を終えるため、生きて行くために、この絶対的異質――超能力などと言うものを、知られてはいけない。
ただただ、人に知られてはいけない。
そんな風に思っていた。
それなのに。
油断だったのだろう。
その時に限って――如月弥生に出会ったその時に限って――そう、油断してしまったのだ。
「っ――!?」
唐突に襲った鋭く鈍い痛みに、僕は廊下の真ん中でバランスを崩してしまった。
「きゃっ!?」
同時に聞こえた可愛らしい悲鳴にも、ほとんど注意を払えなかった。
脳裏を、意味不明な言葉が駆け抜ける。
予知能力だ。
はやく起き上がらなければ。
はやく現実を取り戻さなければ。
はやく何でもない顔をしなければ。
はやく――。
必死の思いで、頭痛を振り払うと、僕は無理して立ち上がり、状況を確認した。
「ごめんなさい。私が走ってたから、ぶつかっちゃって」
見ると、女子生徒が同じように立ち上がって謝っている。他に廊下に人はいない。授業が終わってから少し時間の経った、半端な時間帯だったことが幸いした。
彼女は、自分がぶつかって僕が倒れたと思ったらしい。おそらく、真実は逆だ。僕がふらついて、走っていた彼女にぶつかったのだ。
「いや、こちらこそ、ごめん」
それにしても、この女子生徒は、どうしてこんな時間帯の廊下を走っていたんだろう?
自然にそう思い、彼女の顔を覗き込んだ。
瞬間。
色々な事を考える事ができなくなった。
「――」
自信にあふれた瞳。その瞳に魅せられてしまった。
それだけ。
だから――。
「どうしたの?」
疑問形の言葉なのに、可愛らしい声なのに、不思議な自信に満ち溢れている声。
その声が、どうしたのか尋ねているから。
だから――。
「『ふたりは春になる』らしい」
だから、油断した。
「え?」
彼女が聞き返した瞬間、僕は正気に戻った。同時に、全ての現実が僕に襲い掛かってきた。
予知した内容を口走った。
言い訳もきかない。
はっきりと、脈絡なく、宣言してしまっていた。
「いや、つまり、これはその」
言葉を探す。
しかし、パニックになった頭をいくら回転させても、空回るばかりで何も名案など浮かんでくれない。
「えと、つまり、『付き合ってください』って意味?」
「違う!」
思わず否定して、自分の愚かさ加減を呪う。そういう事にしておけば良かった。確かに、そう取れなくもない。突然告白してフラれて妙なウワサを立てられるほうが良い。市原勝也は妙なことを言って、それが現実になるらしいなどと知られるよりも千倍ましだ。
「なるほど。ということは――」
何を考えているのか、その女子生徒は目を輝かせている。まるで、目の前の意味不明な状況を楽しんでいるかのようだ。
「あなたの名前は、睦月?」
「え?」
今度は、僕が聞き返す番だった。
「違うみたいね。あなた、名前は?」
「市原、勝也」
「ああ」
なにやら彼女は納得したようだ。
「つまり、イチガツ、ってことね?」
その時の衝撃は、恐らく正確に伝えることはできないくらい大きなものだった。初対面の人間に、ニックネームを言い当てられた。彼女も予知能力者かと、本気で思ったくらいだった。
「どうして、それを?」
「当たり? ニックネームとか? ふふふ。さあ、どうしてでしょう。論理的思考の結果、かな」
そう言って、彼女は楽しそうに笑った。
「旧暦かよ、って感じだけど。それにしても、あなたは、どうして私の名前を知っていたの?」
「いや、初対面だし、知らない――」
「私は、如月弥生よ。知らなかったの? あれ、じゃあなんで『ふたりは春になる』なんて言ったのかしら。突然思いついたの?」
もう、お手上げだった。
おそらく彼女は、論理的に、筋道立てて考えるというそれだけで、真実を言い当てているのだろう。
とどめとばかりに、彼女は言った。
「まるで、『予知能力』みたいね」
そして、もう一度笑った。
ああ。
その瞬間には、もうダメだった。
笑いたければ笑えば良い。明らかにその時のその状態は『一目ぼれ』だった。まさか自分がそんなモノに落ちるなんて思いもしなかった。
僕は、彼女と一秒でも長く話していたいと思った。
そのためならば――本当に馬鹿げた話だけれど――絶対他人に話すまいと決意していた、予知能力のことすら、彼女には話しても良いとさえ思った。
だから。
僕は、こんな言葉から始めることにしたのだ。
「きみこそ、まるで『名探偵』みたいだ」
それが、僕達の出会いだった。
◆ ◆ ◆
『名探偵の掟 ~人の境界~ 第二話』
◆ ◆ ◆
「そして、本当に『ふたりは春になる』ってのが当たっているから、我ながら恐ろしい」
そう呟くと、弥生がこちらを見て首をかしげたので、僕は黙って首を横に振って見せた。
僕が一人暮らしをしている安アパートに、弥生がいる。渡してあった合鍵を使って勝手に入ってきたのだ。
これを春と呼ばずになんと呼ぶのだろう。まあ、この春はかれこれ四年ほど続いている訳だが。
「じゃあ、パソコンつないじゃうからね」
僕の恋人である、如月弥生――名探偵・如月弥生は、今日も謎を手土産に僕の部屋を訪れていた。
黒衣を白衣で縁取った情報学博士。完全なる人工知能と人との境界。挑戦状。
「電源、入れるわよ」
弥生は僕の机を占領して、黒い軽量のノートパソコンを開いた。彼女が電源スイッチを押し、LANケーブルでパソコンとネットワークを繋ぐ。その間に、僕は予備のイスを出してきて、小さな画面が覗き込める位置へと座る。
……彼女の髪から良い香りがして、ドキッとしてしまったが、不謹慎なので黙っておく。謎を追いかけている時の弥生は、あんまりこのテの話に乗ってこない。
画面に、文字が現れた。
【ようこそ】
というより、文字列しかない。白い画面に、黒い文字の『【ようこそ】』だけが表示されている。どうやら、ウィンドウズもユニックスも、リナックスもアップルOSも積んでいないような自作PCのようだ。
「起動が早いわね。さすが情報学博士のお手製、ってところかしら?」
「プログラム言語がわかれば、中身を解析できるかもしれないよ?」
僕がそう言うと、彼女は肩をすくめて見せた。
「それは、名探偵のアプローチではないわね。それに、どうせC言語とかジャバとか、そういう分かりやすいのは使ってないんじゃないかしら」
「ん?」
「きっとネコ語で書いてあるのよ。にゃおん」
……もしかして、弥生さん、気に入ってる?
絶句してしまった僕の心中も知らず、弥生は涼しげな顔をしている。そして、画面に文字が表示された。
【初期設定】
〉プロフィールを入力してください。
〉ハンドルネーム:_
画面には、いくつかの質問事項が書かれている。
「これ、マウスがないけど……」
「ああ、たぶん上下左右のキーでカーソルを動かすんだよ」
「こうね」
始めはおっかなびっくり、次第に慣れた調子で、弥生はキーボードから文字を打ち込んで行く。
〉ハンドルネーム:ホームズ
〉人間/人工知能:人間
〉男/女:女
〉血液型:AB
〉年齢:19歳
〉学年:学部1年
質問事項が続く。どうやら、次は、身体的特徴を尋ねるものらしい。これは、画面の向こうの人物をイメージしやすくすることが目的なのかもしれない。しかし、その人物の中には人工知能が成りすました人間もいるはず。そう思うと、なんとなく気味が悪いようにも感じる。
〉身長:_
「……」
なぜか、弥生が固まっている。
「? あれ、弥生さん、どうしたの?」
「っ!」
思いつめた表情のまま、思い切ったように指を動かす。
〉身長:160cm
「ぷっ!」
僕は、思わず吹き出してしまった。
「あ! 笑ったわね!?」
若干顔を赤くして、頬を膨らませ気味に弥生が怒ってみせる。
「いやだって、何でそんなことするの? それってめちゃくちゃ可愛いんだけど」
「名探偵に、可愛いとか言うな! いいの、これで行くって決めたんだから」
あはは。めちゃくちゃ可愛い。
まあ、身長が彼女のほぼ唯一のコンプレックスだってことは、知ってるけどね。
〉体重:57kg
「そっちはあっさり書いちゃうんだ」
「黙ってて!」
〉髪:_
〉視力:
「え、と。これって、何を書くのかしら?」
「うーん、長さとか色? メガネかコンタクトか、ってことなかな?」
〉髪:肩に届かないくらい
〉視力:良い
さらに、項目は性格や趣味嗜好に及ぶ。
〉好きなもの:謎解き
〉嫌いなもの:よく分からないこと
〉性格を一言で表すと:沈着冷静
〉自分を一言で表すと:名探偵
「さあ、これで全部ね」
彼女は、勢い良くエンターキーを叩いた。
瞬間の間。
【ホームズさんが入りました】
初期設定の文字が全て消え、『【ホームズさんが入りました】』という、飾りもなにもない文字が、画面の一番上左から横書きで表示された。
【GameMaster】
〉遅かったね。
〉ホームズさんが最後だね。
〉パソコンの操作方法が難しかったかにゃ?
【チュール】
〉これで全員だろ?
〉6人だって言ってたからな。
【桜】
〉はじめまして、ホームズ
〉それにしても、自信満々なハンドルネームですわね。
〉誰が人工知能か、簡単に解き明かしてくれそうで
〉頼もしいですわ。
【トラップ】
〉名前に負けないように頑張るんだな。
【けんすけ】
〉まあまあ。
〉あんまり険悪にならずに行こうよ。
〉誰が人工知能かは分からないけど、
〉全員で協力した方が見つけやすいはずだからね。
「なるほど。全員が、事情を知った上で参加している、と言うわけね」
「一番上のネコ語の人が、羽賀教授か。弥生さんと同じ立場の人間があと4人いて、しかもそのうち一人が人工知能か」
そこで、ようやく僕は気付いた。
「え、え、ちょっと待って。この中に、人工知能がいるって言われても」
「そう。さすがは『完璧な人工知能』ね。文字情報だけでは、人間との境界なんて見つけられないんでしょうね。これは――」
弥生の顔に、笑みが浮かぶ。
「まったく難問ね」
可愛らしい笑み、と表現するには、瞳に宿った光が強すぎる。まさに不敵な笑み。
「名探偵の掟、その25。名探偵は、不可思議な謎、解決不可能と思われる事件に出会ったとき、笑え」
そんなのあったんだ。数ある彼女の『名探偵の掟』には、付き合いの長い僕でも、まだ知らないものがあるらしい。
【ホームズ】
〉この中にいる人工知能を見つけ出しに来たわ。
〉私を呼んだ事を、主催者は後悔するわよ。
弥生が指を動かすと、画面の下側に文字が表示されていく。エンターキーと同時に、それが画面に、これまでの会話の下に反映される。
【GameMaster】
〉強気だね。
〉さすがは名探偵だにゃん。
【けんすけ】
〉え、本当に探偵の人なの?
〉僕の交友関係でも、警察の人はいるけど、
〉探偵の人はいないよ。すごいな。
【桜】
〉名探偵と探偵は違いますわ。
〉重要な違いですことよ?
〉そうですわよね、ホームズさん。
【チュール】
〉同じじゃないのか?
〉すごい探偵が、名探偵だろ?
即座に会話が続く。
おそらく、誰かが文字を打ち込み始めたら、他のメンバーが打ち込めない仕組みなのだろう。一人の発話が終わるまで、不自然な割り込みなく文字列が打ち込まれていく。
「この中から、人間のフリをした人工知能を見つけ出すって言っても、一体どうしたら……」
僕は、思わず呟いてしまう。
言動の中から不自然なところを見つけ出して、という考え方はおそらく捨てなくてはいけない。そんなことでは、数年かかっても、人間と人工知能の間に境界を引くことなどできそうにない。なぜなら、人間も、不自然な言動をすることがあり、さらに、文字情報に抽象化された会話だけで、それを判断することは難しい。
見ると、弥生は、右手をそっと自分の右頬に当てて画面を見つめている。
本気だ。
そのポーズ――自分の右頬に触れる仕草――は、彼女が全力でその謎を解明しようとしている証拠だ。
名探偵・如月弥生は、本気でこの謎に臨んでいる。
やがて。
「だめだわ」
弥生ははっきりと言った。
「このままでは、人間と人工知能の境界線など引けそうもないわね」
「弥生さん。そんなあっさり――」
彼女はこちらを向いて、僕の唇に伸ばした人差し指を当てた。つまり、僕は黙らされた訳だ。
「名探偵の掟、その9。名探偵たるもの、解けない謎を認めよ」
そう言って、彼女は微笑んだ。
思わず見とれてしまうような、純粋に可愛いだけの笑顔。
しかし、次の瞬間それは、名探偵の不敵に彩られる。
「名探偵の掟、その13――」
ああ、これは知っている。
何度か聞かされて覚えてしまった。
13と言う不吉を象徴する数字と、インパクトのあるその内容で。
【ホームズ】
〉あなたの言う通りよ、桜さん。
〉名探偵と探偵は、
〉『名前』と『前』くらい違うわ。
【けんすけ】
〉うまいこと言うなぁ。
彼女は不敵に微笑んだまま、文字を打ち込む。
【ホームズ】
〉で。
〉私は、名探偵よ。
【トラップ】
〉自分で言いやがった。
〉いいね。面白い。
「これが、境界線を引くための道しるべになる。見つけ出してやるわよ、人工知能」
自信に満ち溢れた声。
【ホームズ】
〉みなさん、一つ、ルールを追加しませんか?
〉『絶対に嘘をついてはいけない質問』を、
〉それぞれが出して良いことにしましょう。
「名探偵の掟、その13――」
弥生の声が、僕の部屋の中で凛と響いた。
「――罠もよし」
(『名探偵の掟 ~人の境界~ 第二話』完)
続きます。
次回をお楽しみに。