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last call.

 この作品は、着想の瞬発力で発車した途端に莫大な摩擦力を受けて停止しながらも時間と根気の力業でお送りいたします。

 突然ぶるぶると震えだした携帯端末にさして驚くこともなく、ギルドの跡取り息子はポーチから長方形の札のような物を取り出した。

(ま、そろそろだろうとは思ってたけど、やっぱりな)

 黒い光沢を帯びる、フェアリー族の種族固有魔法を用いた特殊な技術で加工されたムシノシラ石製の石札の表面には、予想通りの名前が白い燐光を散らしながら浮かび上がっていた。

 目下この世界の主人公、勇者様の御尊名だ。

 表面下方に浮かぶ操作表示に直接手で触れて端末を操作し、札の上辺を耳に、下辺を口の近くに当てる形へ持っていき、最後に通話開始のパネルをタッチする。

「オーライ、こち――」

『うぅ〜、七光りぃ〜』

 情けない少女の涙声が通話時お決まりの挨拶も無視して、“こちら冒険者ギルド首領補佐、次期首領の〜”という滑らかな定型句を最初の二文字で遮った。

「……。毎度ご利用ありがとうございます。本日はどのようなご用件でございましょうか、勇者様?」

 名乗りの口上に密かな愉悦を得ているギルドの跡取り息子は憮然と応答する。

 嫌味たっぷりと。

 効果はそれなりに勇者の心を痛ましく突き刺したようで、端末越しにありありと動揺が伝わってくる。

『ふえぇ!? な、なんでそんな他人行儀……あのあの、あたしだよ? この二百年間数多の冒険者が探し求め世界が待望した、魔王を倒せる唯一の力、“破邪顕正”の光属性を陽の女神から授かりし予言の勇者――』

「存じ上げております」

 及び腰でも全力で自分をわっしょいすることは怠らないとは、流石である。

 意趣返しに名前まで言わせぬ内に口を挟むと、勇者は気勢を削がれて次の句を詰まらせた。

 すかさず鮮やかにギルドの跡取り息子は揚げ足を取る。

「ですので、“毎・度。ご利用ありがとうございます。本・日・は。どのようなご用件でございましょうか、勇・者・様。”と、伺い申し上げているのですが」

『え、えと……この通話、七光り……ですよね?』

 頑なによそよそしい話し相手に、勇者は段々本当に所望の相手本人と話しているのか不安になってきたらしい。

 弱気になってきた勇者に、ギルドの跡取り息子は攻撃的営業トーク継続で答える。

「立場的には現冒険者ギルド首領補佐、次期首領でございます」

『や、やっぱり七光り……あのあの、なんでそんなに機嫌悪い……のかな? あたし前に、なにか七光りに悪いこと、しちゃったり……とか…………?』

 前にと言うかつい今しがたと言うか、寧ろ今まさにと言うか。

(気に障るようなこと? 会った時からずっと七光り呼ばわりしておきながら、どの面下げて今更んな心配してんだ)

 などとは、口には出さずに思うだけだが。

 黙っていると、おろおろ度を増加させながら所詮一般庶民の身分であるギルドの跡取り息子に世界でただ一人の主人公たる勇者様が必死にご機嫌伺いを立ててくる。

 しかしそれも二言目には嗚咽が混じり始め。

『うぅ……七光りあの……ぐすっ、あたしほんとになにしちゃったのか、分かんなぃんだけどその……ひっぐ……謝るから……ぇぐっ……七光りに嫌われたらあたし……ごめっなさぃ……だから、許してよぉ〜』

 三言目で意味なき謝罪。

 ぐすぐすぐずりながら謝り倒してくる小娘の情けない声にしばし耳を傾け、ギルドの跡取り息子は一息つく。

(ふぅぅぅぅ……カ・イ・カ・ン♪)

 恍惚の表情だった。

 ギルドの跡取り息子、地元では名の知れ渡る腐れ外道である。

 行動を共にしていた時期はこの手のちょっかいで何度勇者に随伴するお仲間達(勇者信者)から有罪(ギルティ)されかけたことか。

 あらゆる分野の人類最強がこぞって()りにくるもんだから非常に面倒臭かった。

 お蔭で勇者一行での彼の役目が果たされた後、なんの未練もなく別れることができたのもいい思い出である。

 なにせ彼の離脱を惜しんだのは勇者一人だけだったのだから。

 あの時の周りとの温度差と自分の気持ちの板挟みで苦しむ少女の姿は、実にそそられた。

 いつ思い出してもゾクゾクする。

(ふふふ、ふくくくくく……おっと鼻血だ)

 ――思い出していた。

 通話越しの泣きじゃくる勇者の顔を想っていたら、つい。

 一頻り勇者弄りを満喫したところで、ハンケチーフで鼻を拭いつつ気持ちを切り替える意味で咳払いを一つ。

『ふ、ふえ?!』

 少し苛立たしげなボリュームになってしまい、勇者がビックリして奇声を上げた。

 目を白黒させながら訳も分からず無実の罪に対するフォローも封じられ、ただただおろおろする勇者の様子を生観賞できないことだけが、パーティから離脱して唯一惜しく思う。

 その気持ちを頭の片隅に抑制してギルドの跡取り息子は話を仕切り直す。

「冗談だ」

『ふえ?』

「だから、冗談だ。いつものことだろう? 相変わらず弄り甲斐のある勇者様がご息災なようで何よりだよ」

『な、な、な、……!』

 愉快に道化させられていたと気付かされ、渦巻く感情の持って行き場を見失う勇者。

 それから、ギルドの跡取り息子程頭のフットワークが軽くない勇者の駄々っ子のような罵倒が始まった。

(ところで頭の処理が追い付かない時によく出るこいつの『ふえ?』てのは、キャラ付けとしてアリなのか? かわいい路線狙うには古いだろ。見方によってはあざとく映って不快だし。キャラ作りの神様は大変な欠陥をあなたに与えてしまったようですね――よし。次に弄る時はこのネタから理不尽にSってみよう)

 適当に考えながら、ギルドの跡取り息子は語彙とレパートリーが少ない罵詈雑言を聞き流す。

 勇者のなけなしの悪意は、流石純心の化身たる光属性と言うべきか、二分で尽きた。

「で? 毎回ボス級戦となると一度は尻尾巻いて逃げ出す勇者は、今回もいつもの通り恥も外聞もなく敵前逃亡を果たした訳だな?」

 機を見て絶妙に本題へ切り込む。

 色んな意味で、まったく仕様のない奴だな、というニュアンスが込もっていた。

 そもそも今までの無駄な心温まる挨拶代わりのスキンシップならぬハートシップを始めたのはギルドの跡取り息子の方だが、そんなことお互いとっくに忘れていた。

 それが証拠に勇者も冒頭から何事もなくそのまま続けている会話であるかのように、しょぼくれた声で返す。

『う、うぅ……その言い方は少し、語弊があると、思います……』

 つまりだいたい合ってる。

「お前な、最終決戦くらいバチッと一発で決めて来いよ」

『だ、だって……』

 ため息混じりに呆れられるも、返す言葉もないようで勇者の反論は反論にならない。

「それで? 対策は立てられたんだろうな? ここに至っちゃもう、こちとら古今東西あらゆるアイテムをそれこそオーソドックスな消耗品から知る者さえ限られる強力貴重な非売品まで即日お届けする準備が整っているが」

 これが、勇者の常套手段、もとい、常勝パターンであった。

 ありったけのアイテムをギルドから都合してもらい、それらを全力で駆使して強敵の攻撃を耐え凌ぎ、ある程度の対策を立てられるだけの情報が出揃ったら一旦戦略的撤退の後然るべき万全を整えて再戦に臨み撃破する。

 時には戦況に応じて傾向が変わる敵もいた為、その都度撤退しては対策して再戦の繰り返し。

 故に常に後手に回るが、勇者パーティに犠牲者が出たことは一度もなかった。

 がしかし、敵の本命はそこまで甘くなかったようで。

『えっと、それが……』

「あ?」

『ひぅ?!』

 歯切れの悪い勇者を威圧するギルドの跡取り息子。

 大量のアイテムが詰まった出荷準備万端のアイテム箱の山を指でとんとんと叩きながら、危惧される事態について勇者に追及する。

「……まさか、どう対策したらいいか分からないとか言うんじゃあるまいな?」

『あのあの……あのね? 七光り、ちょっと怖いかな〜、なんて』

「いいから要るもんとっとと注文しろ」

『う……』

 にべもないギルドの跡取り息子に勇者は口ごもり、うんうん悩んだ末凄く言いにくそうに、一つのアイテム名を口にした。

『オ、オイトマイマイの脱け殻……』

「……」

 ギルドの跡取り息子、ただ失語。

「数は」

『あ、ありったけ?』

「他には」

『ふ、ふえ?』

 頭が処理落ちしてやがる。

 ギルドの跡取り息子は苦労に苦労を重ね苦心に次ぐ苦心を耐え汗水垂らしてこの日の為にかき集めてきたアイテム箱の山を撫で付け、努めて平静を保ちもう一度ご注文を承る。

「他に、ご注文はお決まりでしょうか?」

『あ、えと……いえ、以上で――』

「逃げることしか考えてねーじゃねーか!! テメェやる気あんのかあ゛あ゛!?」

『ふえぇ?!』

(ふえーはもういい!!)

 心で魂の雄叫びを上げるギルドの跡取り息子。

 見下げ果てた。

 失望した。

 基本へたれていても決める時には決めてくれる奴だと信じてたのに、最後の最後で史上最大にへたれやがった!

 主に勇者を陰で支えた功績を輝かしい将来に繋げる為に払ってきた努力とか赤字とかが泡と消えていく音をギルドの跡取り息子は幻聴する。

 というかこの大量の在庫どうしてくれる。

「じゃあせめて回復系の消耗品だけでも補充しろよ。何がなくなった?」

『え、えと……あのあの、何がなくなったって聞かれるとその………………ぜ、全部?』

 すぅ、とギルドの跡取り息子の目が細まる。

「ほーう? 消耗品を全部使いきって、それで命辛々逃げ仰せた身空で、緊急脱出用アイテム以外の補充は要らないと。面白い冗談だ」

 おちょくられてんじゃないかと、この時ギルドの跡取り息子は思い至った。

 彼は人をおちょくるのは三度の飯より大好きだが、人におちょくられるのは死ぬことの次に嫌いであった。

 よりにもよってこの局面でふざける勇者に烈火の怒りをぶつけかけるギルドの跡取り息子だが、勿論勇者は真剣で、加えて言えば、心の底から参っていた。

『あたしだって、冗談だって、言いたいよ……でも、要らない訳じゃないんだけど、なんて言うか……いくらあっても意味、ないと思う。……多分。正直オイトマイマイの脱け殻だって次は…………ねぇ七光り、どうしようあたし……もう、どうしたらいいか……』

 その勇者のいつにも増して弱気な声音に、ギルドの跡取り息子は舌の上で出撃体勢にあった悪罵の群れを投下する寸でのところで、思わず引っ込める。

 頭を冷静に切り替え、これまでにもたまにあった、対策構築に助言する頼れる兄貴分気取りへ。

「……なにがあった?」

 余計なじゃれ合いに引っ張り込む前に、最初にこう聞いてやるべきだったかもしれないと、ギルドの跡取り息子はやや後悔した。

『うん、あのね……』

 勇者はつい数時間前のことを、まるで昨夜見た悪夢を思い出し思い出し語るかのように、ぽつりぽつりと話し始める。

『魔王には、会えたの。魔王城はこれまでのどの砦よりも広くて、複雑で、徘徊してる敵も、これまでとは一線を画す強さだった。それこそ、竜族魔族の巣窟。たまに、昔戦ったボスクラスのクローンみたいなのもいて……でも、そいつらの傾向はどれもどこかで見たようなものばかりだったから、以前の対策の流用で、多分、一体残らず根絶やしにできたと思う』

 相変わらず雑兵に容赦ない勇者だった。

 さらりと郎党皆殺し発言が飛び出てギルドの跡取り息子は冷や汗を一筋垂らす。

 魔王軍を放っておけば被害が拡大する一方にも拘わらず、何故勇者一行がボス級の強敵を目の前にして常に一時撤退を選択し続けてこれたかというと、その前に敵軍に対して致命的な被害を与え部隊を壊滅に追い込んでいたからである。

 最早部隊としての役目を果たせなくなったボスが部隊再編を整える前に、勇者一行はさっさと全回復した後これ以上ない的確な対抗策を用意してスピード再戦を挑み、大半は一方的に袋叩きにしてきた訳である。

 そして今回もこれまで通り雑魚は一掃された。

 つまり、ついにこの二百年間猛威を奮ってきた魔王の軍勢も、残るはラスボスである魔王ただ一人にまで追い詰めたのだ。

『でも』

 だと言うのに、勇者の声色は優れない。

『魔王は、違った』

 どことなく、勇者の言葉にある感情が帯びる。

 それは――恐怖。

「魔王とは、戦ったんだな?」

『うん……』

「それで、なにがあった?」

 再度問う。

 光属性を持つ勇者が恐怖に囚われるなど、余程のことがなければ有り得ない。

 一体、どんな恐ろしいことが起こったのか……

 固唾を飲んで返事を待つギルドの跡取り息子の耳に、勇者の口から、辛辣な一言が、告げられた。

『三秒でアイテム、全部、奪われた……』

「!!!!??」

 ギルドの跡取り息子の心象に激震が走った。

 かくかくと膝が笑い始めているギルドの跡取り息子に、勇者の捕捉という名の追い打ちが続く。

『あたし達の戦い方、全部、魔王まで上がってきてたみたいで……いつもみたいに初戦は様子見のつもりで、最初にステータス上昇系のアイテム使おうとしたんだけど、そしたら突然、“アイテムなんぞつまらん無粋持ち込んでんじゃねぇぇええ!!”って、魔王が叫びながら殴り掛かってきて、即総員防御で受けきったんだけど、なんかその攻撃に強奪効果みたいなのが付いてたみたいで、持ってたアイテム、一切合財全部、一発目で奪われちゃって……』

「なんという……なんてこった……」

 ギルドの跡取り息子も、呆然と呟くことしかできない。

 視線は足元に釘付けだった。

 魔王戦ではアイテムが使えないどころか、所持さえ許されない。

 それはこの、足元に転がっている大量のアイテム類が、ただの廃棄物と化したことを意味していた。

 この、ギルドの跡取り息子にとっての戦いの集大成が……

「いや、だが待て。それじゃあおかしいぞ勇者。ならお前はどうやって逃げてきた。アイテム全部ってことは、オイトマイマイの脱け殻も盗られたんだろ? まさか自力で逃走できたって訳じゃああるまい?」

『うん……アイテム取られた次にすぐ、逃走を選んだんだけど……今度は、“敵に背を向けるな恥知らずがあぁぁああ!”って……物凄い形相で回り込んできて……逃げ道塞がれた。空間移動系魔法も無効のエリアだったし……多分、オイトマイマイの脱け殻が唯一の脱出手段……』

 アイテム取り上げられたと見るや攻撃も試みず逃げの一手とは勇者一行も大概へたれが板に付いてるが、どうにもギルドの跡取り息子は、魔王にもそこはかとないユーモアな熱血を仄かに感じずにはいられない。

 がそこを深く掘り下げるのは何故だがとても危険だと直感が告げているのでそれは置いておくとして、それでも勇者が逃げ帰ってきているということは。

「……そういやシンワの地下大迷宮で全追加効果スキル加護の装飾品手に入れてたな。パーティの中でそれを装備してた奴がいて、そいつの所持アイテムは無事だったってことだな?」

 辛い現実を受け止めまいと逃げ道を探るギルドの跡取り息子だったが、勇者が目の当たりにした現実はやはり受け入れざるを得ない過酷なものだった。

『ううん……精霊王のアミュレットは導師さんが付けてたんだけど、意味なかった。加護を打ち消すようなスキルでも持ってるのか、強奪そのものがメインの技で追加効果加護の対象にならないのか……ホントに一瞬のことで、あたしにも何が起こったのか……ただ気付いたら、全員全てのアイテム奪われてて……』

 魔王の名に恥じぬ、貫禄のデタラメ具合である。

「それでどうやってお前はオイトマイマイの脱け殻使って逃げてきたんだ。全部取られたんだろ?」

 腑に落ちないもやもやを抱かされている気分のせいかギルドの跡取り息子はともすれば雑な非難にもなりかねない口調になってしまう。

 途端。

『うぅ』

 ここまでなんとか勇者の中で均衡を保っていた何かが決壊した。

 勇者は泣き付く勢いで捲し立てる。

『そうなの……だからね、いつものね、悪い手癖でね、なんとかオイトマイマイの脱け殻だけくすねたのぉ〜』

 光属性を授かってなければ勇者は今頃立派な女盗賊だとギルドの跡取り息子はつくづく思った。

 しかも自分で悪い手癖とか言ってる辺り世話ない。

 呆れながらもギルドの跡取り息子は平常でない勇者から情報を引き出す。

「人数分か」

『そぉ〜。でも魔王凄く強くてね、隙が全然ないし、一個ずつしか取れなくて、みんなの内の誰がいつ殺されちゃってもおかしくなくてね、それがすごい怖くて、なんとかこっそり五個盗めたんだけど、最後だけバレてね、わたし一人しかもういなくて、死ぬかと思ったよぅ〜』

「なんだ、お仲間は我らが勇者様を置いてさっさと逃げたのか?」

『ううん、わたしが取り返した傍から近い順にね、使って逃がしたぁ〜』

「あほ。そりゃバレるわ」

(たぶん魔王、お前一人になるまでわざと盗らせてたんだろーな。まあ結局まんまと勇者にも逃げられてる辺り魔王もお惚けてるが)

 とにかく状況は分かった。

 そして次に自分がどうするかもとっくに決めていたギルドの跡取り息子は、その後延々と続く魔王戦での泣き言に話し半分で相槌を返しながら、残る勇者に送る最後の支援物資のつもりだった大量のアイテムの処遇について検討を始める。

『……あのさ、七光り』

 ふと、通話越しで勇者の雰囲気が変わった。

「ん?」

 気になって話し半分の意識を自重するギルドの跡取り息子。

 それを確かめるかのような間を置いてから勇者は、なんだかんだこれまで一度も言わなかったセリフを、言い出した。

『あたし、ね。もう…………帰りたぃ……』

「……」

 ギルドの跡取り息子は即答できなかった。

 何度か口を開きかけながら、うまい言葉を探して見付からず、もたもたしてる内に勇者が言葉を重ねる。

『ダメ、かな……やっぱり。勇者がこんなこと言うの。……でもね、ずっと、がまんしてたんだよ。防ぎ方が分からない攻撃を受けるたんび……攻め方が分からない敵に出遭うたんびに……いつも、いつも。……でも、魔王を倒せる力を持ってる人間は世界であたしだけで。その為にみんなが……七光りが……あたしの知らない人もたくさんの人たちが……あたしの為に頑張ってくれて、助けてくれて、応援してくれてっ……』

 元々はただの町娘だった勇者の心は、旅の道中、人類の希望を背負い続けた。

 押し潰されて破れた殻から滲み出るような、感情の吐露。

『だからあたしも……予言の勇者って呼ばれた時から……誰かの目がある所ではいつも、気丈で、強気で、正義感とかが勝手に湧いてきて……みんなを悲しませないよう、元気付けることを第一に考えたりとか……安心させてあげられるようなカッコいいセリフを……気付いたら言っちゃってたりとか……本音ではどうしようって、ムリだよって思ってても、みんなのことを想うと、そんなの絶対表には出せなくて……』

 それは、少女が陽の女神から光属性を授かったと同時に受けた、言わば“勇者の呪い”だった。

 本人の本質がどうであろうと、世間に対して勇者は世界の希望であろうと振る舞う。

 そういう風に、陽の女神は勇者を設定しているはずだ。

『あはは……おかしいね。なのに七光りには……いつもたくさん……弱音吐いてばっかり。……思えば、最初っからかな。旅を支援するって、冒険者ギルドから迎えに来た時から、七光りにはあたし、勇者っぽくない自分でいられてたかも』

「……っ、魔王を放っといたら、この世界はどういうことになる」

 話が自分のことに及びそうになり、ギルドの跡取り息子は反射的に魔王の話を持ち出した。

 強引な線路切り換えであるのは分かっている。

 どちらも決して脱線ではないということも。

 勇者の声に、半端な付き合いでは気付けない程度の、寂しげなトーンが混じった。

『きっと、世界は救われない。残るは魔王一人だけど、実際……もう全部あいつ一人でいいんじゃないかなってくらい、圧倒的に強いもの。魔王が動ける範囲は、あいつは自身の魔分が濃すぎて魔素が薄いこっちじゃ存在できないから、あたしたちが魔界と繋がってるゲートを破壊してきたことで今は最後のゲートがある魔王城周辺くらいだけど、時間をかければ魔王一人でもこの世界を魔素で満たすことはできるらしいし、また魔界から兵を呼び寄せて軍を再編されれば、結局あたしが現れる前に逆戻り……だと思う』

「それでも勇者は逃げるのか。逃げれるのか? 一緒に旅してきた、仲間たちがいて」

 誰かの目があれば勇者は勇者的行動を自然と取ってしまう。

 苦楽を共に歩み勇者を信頼しきってここまで付いてきた勇者パーティの面々は、世界で最も勇者を勇者然とさせてきた者たちだ。

 意気込みや信念がどうあれ、勇者から片時も離れないとは知らず知らずそういう意味を持ってしまう。

『みんなはね、もう、それぞれの故郷に帰ったよ』

「は?」

 本気で理解できず、ギルドの跡取り息子は聞き返した。

 勇者は自嘲のような笑いを漏らす。

『さっきの魔王戦でね、戦線復帰が、難しく……なっちゃった人が出たの。あとの人は無事だったんだけど、とても魔王相手にできることがないって……みんなもう、思い知らされちゃってて。それでも最後までお供させてくれって、言ってくれたんだけどね。そう言われたらあたし、“あとは私がやる”って。“秘策があるから大丈夫だ”って。“確実とは言えないが精一杯それに賭けてくる。みんなも巻き込むかもしれない力を使うから、私を信じて、みんなはみんなの大切な人の傍にいてやってくれ”って――』

「……半獣族の若頭はどうした」

『……っ』

 勇者が強く息を呑む。

 ギルドの跡取り息子は勇者パーティの面々とはいずれも面識があった。

 誰にも言ってないが、彼らを勇者に引き合わせるのが彼が勇者の旅に同行した最も大きな目的だったのだ。

 肉弾戦担当の半獣族の若頭と共にいた期間は長くなかったが、それでも一目で分かる程度には、彼は勇者に惚れ込んでいた。

『……うん。若頭さんも、帰ったよ。さっき言った戦線復帰できなくなった人ね、若頭さんなの。アイテム取られて混乱してるところを一番にあたしが狙われて、若頭さんが、それを庇って身代わりに……』

 言っている勇者の感情の裏に、自責の念をギルドの跡取り息子は読み取った。

 そんな相手に対しても勇者的に振る舞ってしまう彼女が、彼にどう引き下がらせたのかも、その時の心境も、想像に難しくない。

『若頭さんだけは、ずっと、最後までついてくって、言ってくれてた。その、一番大切な人は……あたしだって。だから最後まで傍にいるって、言ってくれたのに……あたしはっ……あたしは顔色一つ変えずに、“気持ちは嬉しい。けど、君には他にもっと大切にすべき人たちがいるだろう”って、“もはや戦う力のない君を再び死地に連れていく訳にはいかない。部族にとって君は欠かせない存在だから、ここは私を信じて、早く部族の民たちを安心させてやれ”――だってさ。だから、今はもう勇者パーティは、あたし一人』

 故に今日の通話は、付近にも耳がないという本当に二人っきりの世界にいるつもりになって話ができるから、本音の深い部分まで曝け出せているのかもしれない。

『ホント、酷い勇者だよね。口先ばっかりでみんなを安心させといてさ。一人になった途端……こんなに、心細いくせに……なにも、できないくせに……』

 何度目かの嗚咽。

 堪えようと喘いでも止まらない涙が、耳元で繋がっているのに触れることはできない頬を撫でていく。

『お願い、七光り……一緒に逃げよぅ?』

 滑り出たセリフは、心の奥底に仕舞われてあるべき、正真正銘一人の少女に残された、最後の望みだった。

(――ああ、勇者。よく頑張ったよ、お前は)

 言ってやりたい。

 だが今勇者を救ってやる訳にはいかない。

 あと、もう一回だけ。

(すまん。耐えてくれ)

 ギリ、と奥歯を噛んで、ギルドの跡取り息子は心を鬼にする。

「逃げ場なんてどこにある」

『それは……ない、かもしれない……けどっ! 事実上魔王もしばらくは攻めてこれない、はずだし……その間にどこか、誰も知らない、魔王城からも一番遠い、誰もいない静かなところへ……大丈夫だよ、探せばきっと……!』

「何が大丈夫なんだ。勇者を信じた人たちはどうなる。故郷へ帰した仲間たちは。魔王が健在のまま勇者が消えたら、世界は必ず勇者を探すぞ」

『そうはならないっ……あたしは言った……確実じゃないって。でもそれしかなくて、その力は制御が利かない危険なものだってっ。きっとみんな、あたしがいつまで経っても戻らなくて、魔王もいなくならないままだったら、あぁ、ダメだったんだって。勇者は魔王に負けて、世界はまた新たな光を待つしかないんだって……そう思い込むっ』

「世界を騙す気か」

『結果は変わらないよ……あたしが本当に死ぬか、実は生きてるかの違いだけで…………勇者の最後の秘策なんて、ホントはないんだからっ……!』

 語気を強くしていく勇者の様子は、自分の言葉で自分を傷付け、次第にそれをエスカレートさせていく、見るに耐えない自傷行為をギルドの跡取り息子に幻視させた。

 彼女をそこまで追い詰めているのは――

「そんなに恐いか」

 しかし、せねばならない。

 彼女の逃げ道を、最後の帰り道を、潰してやらねば。

『……恐い……恐い……恐いょ……だって、死んだらもう……』

「お前が魔王から一番遠い場所に逃げても、世界は魔王城から近い順に、一つ一つまた消されていく。一番近い場所にいる人はいつまで持つかな。いずれは俺の故郷だって」

『!! それは……』

「お前の故郷は最後の方まで残れそうだな。だがあそこだっていつかは餌食さ。そうやって世界が喰われていくのを、世界の果てで見て見ぬ振りしながら、最後まで生き残るのか。逆に人類最後の一人として? とんだ大逆転劇だな」

『イヤ!!』

 突然勇者が大声を上げてギルドの跡取り息子の口を遮る。

 もう聞きたくないならもっと簡単に逃げられる方法があるのに、まるでまだ大事な宝を置いてきているかのように、見捨てたくても絶対に諦められない理由があるとでも言わんばかりに、苦しくて辛くて、でも決して通話は切らず。

『いや! 嫌! イヤ! もうやめて! いやなの! 恐いの! だって、死んだらもう、あたし――』

 大きく息を吸い込んで、勇者は絶叫する。

『七光りに二度と会えない! なによりあたしは、それが恐いの!!』

 ギルドの跡取り息子の手にある携帯端末がビリビリと振動した。

 勇者の喉を潰さんばかりの、不安に揺れる魂の震えが伝わってきているかのように。

『あたしは、あなたにはずっと感謝してきた。……旅の序盤から、あたしを導いてくれて、一緒にいる間は、とても、心強かった……! 早い内から、もう、隣にあなたがいるのはあたしにとって当たり前だったのに……旅の中盤で、いよいよ戦いが本格化するって時に、突然、パーティから外れるって、言い出した時は……本当に、泣きたいくらい、ショックだった……』

「天才魔法使いが加入したからな。あれでもう、パーティ内での俺の役割はなくなったろ」

『分かってるよ。……けど、あたしはずっと、あなたは最後まで付いてきてくれると思ってたから……でも、あなたはギルドの要人で、戦いは専門じゃないから、無理にこれ以上危険な旅に巻き込む訳にはいかないって……だから。それからは、もう一度あなたに会うってことだけを、こっそり、支えにして、旅の目標に……してきたんだ。魔王を倒せば帰れるって。あなたの元へ、笑顔でまた会おう……ってさ。……でももう――』

 続きはあまりにも小さくて、ギルドの跡取り息子の耳には聞こえなかった。

 ただ不規則にひゃくりあげる勇者の音声を吐き出す携帯端末を握り締め、空いた手でギルドの跡取り息子は目頭を覆う。

(なんて酷い運命なんだろうな。……できるならもっと別の形で、別の時代に出会っていたら……なんてな)

 栓なき妄想。

 魔王が魔界を広げようなどと考えなければ、もっと他の誰かが勇者だったら、最後まで旅に付いていられたら、魔王が滅んだ後の時代に生まれてこれたら――夢想は止めどなく溢れてくる。

『だから……お願い、七光り…………あたしと、二人で……逃げて…………お願い……』

 頼りない少女の懇願。

 ここを無下にしたら彼女は全てを諦めてしまうだろうとギルドの跡取り息子は敏感に悟る。

 幾度も重ねた通話での会話も、終わりが近い。

「そう……だな」

『……!! じゃあ……!!』

 一瞬救われたように勇者の声に喜色の花が咲いた。

 しかしそれは次の一言で戸惑いに変わる。

「そうできたら良かったんだけどな」

『? あのあの、それってどういう……?』

「さてここで問題です」

『ふ、ふえ??』

 突然明るい調子でおどけ出したギルドの跡取り息子に勇者は付いていけない。

 構わずギルドの跡取り息子は続けざまに謎かけを投げる。

「今魔王城の一番近くにいる人物は、一体誰でしょう?」

「ふえ? そんなの……あたしだよ? 一番近くの、もう誰も住んでない村に、今はあたし一人で……ここから先は大気中の魔素が濃すぎて、普通の人じゃこれ以上は近付けないから――」

 勇者の回答に、満足げに口角をつりあげるギルドの跡取り息子。

「では、俺は今、どこにいるでしょう?」

『……? 何を言って……冒険者ギルドの、総本山でしょ? いつも七光りはそこからあたしたちに物資を手配してくれて――』

「お前な。海を越えて一気に強力になる魔王軍が我が物顔で彷徨いてるような危険地帯に、易々とか弱い職員をアイテム担がせて行かせると思うのか?」

『ふえ?』

 最後の通話を噛み締める程、この鬼畜な精神は浮き立つ。

 ずっと隠していたタネを明かす瞬間の一種の高揚、面白いくらい反応してくれる相手がもたらす爽快感が、ギルドの跡取り息子の舌を軽くする。

「どんどん奥地へ踏み込んでいくお前らの注文に合わせて、一介の配達人が即日お届けできるか? 普通の市場に、強力なモンスターからドロップするようなアイテムがラインナップに並べられるか? お前らが素通りしたダンジョンの隠しトラップの中に隠されてた秘宝なんて誰が取ってこれる?」

『ふえ? ふえ? ふえ?』

 吹き出しそうになるのを堪えて、ギルドの跡取り息子は言い切った。

「破竹の勢いでレベルアップしていくお前らに合わせた品揃えなんてな、用意できる訳ないんだよ。一般人が一般人のレベルで運営してる組織なんかじゃな。考えろよな、誰が今までお前らへ送る物資を世話してきてやったと思ってる?」

『ちょ、ちょっと待ってよ、そんな……ふえ? 嘘でしょ七光り、まさか……あなた今……どこにいるの?!』

 遅ぇよ――ギルドの跡取り息子は口の中で小さく嘯いた。

「魔王城のど真ん前。デッケェ城扉だよな。どんだけデカイもんが飛び出してくんだ?」

『……な……な……っ?!』

 驚愕も通り越して勇者は言葉が出ない様子だ。

 仕掛けたイタズラを見せびらかす気分で、ギルドの跡取り息子は意図的に仕掛けた伏線を拾い上げる。

「なぁ勇者。一番近くにいる奴は、いつまで持つかな?」

『……七光り!!』

 切羽詰まった怒声に思わずギルドの跡取り息子は携帯端末を一瞬耳元から離した。

『やめて。そんなの、冗談にしても、趣味悪いよ……ね、嘘だよね? だって、そこはもうヒトが生きられる場所じゃ――』

「俺は平気なんだ」

『バカ、言わないで。ホントに死んじゃうよ……』

「嘘じゃない。それに、勇者パーティがこの中まで入れたのは誰のお蔭だって」

『それは……』

 反論する手掛かりを掴めず口ごもる勇者。

 間を逃さず、ギルドの跡取り息子は素早く指先で陣を結び、パチンと指を鳴らした。

 次の瞬間、家屋倒壊のような轟音が端末の向こうで上がる。

『わきゃあ!! ……ふ、ふえ? なに?』

 通話相手が移動する気配。

 扉の軋む音がして、聞こえる音声から閉塞感が消える。

 勇者が表に出たのだ。

 予想通り、勇者は意味もなく宿屋の個室に引き込もって通話をかけてきていた。

 いつもの癖だ。

 そして勇者は目にしたはずだ。

『……! これって……』

 代わりに、大量のアイテム箱がギルドの跡取り息子の足元から消えていた。

「今日のこの時に、勇者に送る為に集めたアイテムの全てだよ。オイトマイマイの脱け殻だって使いたい放題だ。ま、取られなきゃの話だが」

『空間移動魔法……?』

 信じられない、と言外に勇者は呟いた。

 空間と空間を繋いで物質を転送する魔法は、そんじょそこらの魔法使いでは扱うことができない、べらぼうに高度な魔法だ。

 一度にこれだけの量をこの距離までしかもこれ程の精度で飛ばすなんて、天才魔法使いでもできるかどうか。

「俺、これからちょっとウチの勇者様泣かした魔王殴ってくるから」

 有無を言わせぬ断言に勇者は何も言えない。

「まあ光属性じゃねーから倒せはしねーけどよ、それなりに弱らせておいてやるから。だからよ――」

 どうも柄にもなく清々しい。

 真っ黒なこの身で人を信じる気持ちとか、笑える程似合わねーと失笑しつつ。

「ちゃんとトドメを刺しにきてくれよ? 勇者様?」

 通話が来る前から用意していた締め台詞をくれてやると、中々感慨深いものが込み上げてきた。

 狙い通り、勇者の方では予感が膨れ上がったに違いない。

 とてつもなく悪い方の。

『待って。止めて何する気?! お願い戻って!!』

「嫌だ断る俺は行く」

『……っ、なんで、分かってくれないの……? 死んじゃうんだよ?! あたしはあなたに生きて欲しい! その為に戦ってきたのに!!』

 ギルドの跡取り息子を思い留まらせようと、勇者は必死に言い募り、精一杯の想いをぶつける。

『最初はただ……流されて戦ってただけだった。けど、いつの間にか、なんとなく……そして今ならはっきり言える。あたしは――魔王を倒して、平和になった世界でずっと、ずっと、あなたと一緒に生きていきたかったから……!!』

「なんだ。やっぱり倒したいんじゃないか、魔王」

 まだその気があると聞けただけで、ギルドの跡取り息子は満足だった。

 消えかけていた火がまだ消えていないことを、彼女自身に気付かせてやれたのだから。

『それは……そうだよ。でも――』

「なら、俺は勇者に魔王を倒して欲しい。勇者に魔王を倒してもらう為に、俺はここまで戦ってきたんだからな」

 あとは風を送ってやって、下火を煽ってやるだけ。

「これが俺の最後の仕事だ。俺は俺の目的の為にやれるだけのことをやる。あとは勇者――お前に任せる」

『……っ! ……っ! ……っ!』

 通話口から勇者が何事か喚いているが、ギルドの跡取り息子はすでに耳元から端末を離している。

 炎は再び灯せただろうか。

 とにかく、言いたいことは全部言った。

 これで通話を切っても良かったのだが、ふと、思い付きで一言。

「じゃあな。信じてるぜ、勇者」

 意地悪な台詞を言い残して、通話を切った。

 すぐにそれをポイッと、隣に立つ宿屋の一人娘に投げて寄越す。

「かけ直してくるかもしれないけど、もう俺それ使う気ないから。好きにしていいぞ」

 次の瞬間宿屋の一人娘に渡された携帯端末がブルブル振動を始めた。

 表面に浮かんでいる名は見なくても分かる。

「……えい」

 寸分の迷いもなく、宿屋の一人娘は端末を真っ二つに割った。

 沈黙する携帯端末。

 見かけによらず相変わらず大胆な幼馴染み兼許嫁にギルドの跡取り息子は苦笑した。

「なにも壊すこたないだろ。これでも長年愛用してきて、それなりに愛着も持ってたんだぜ?」

「あなたに繋がらないなら無価値。ゴミ」

 感情が読めない半目無表情を変化させずにでばっさり切り捨てる。

 やれやれ、と肩を竦めるギルドの跡取り息子を見詰める半眼に、しかし今は非難の光が宿っていた。

「またな。くらい言ってあげればよかったのに」

「果たせない約束はする主義じゃないんだ」

「男はそれで決まるつもりだろうけど。女からしたらそれはただの意気地無し」

「ぐぅ」

 ぐぅの音を上げて気まずそうに頭を掻くギルドの跡取り息子。

 宿屋の一人娘は無表情の仮面を被ったまま、拗ねるようにそっぽを向いた。

「情けない。魔神の末裔のクセに」

「しょうがないだろ。何世代も跨いで大分血は薄れてんだよ。おらいいからお前ももう帰れ。魔素結界そろそろ切れるぞ。ったく結局こんな所まで付いてきやがって」

 しっしっと手で追い散らす仕草をしながら巨大な城扉に向き直るギルドの跡取り息子。

 背後でがさごそと帰還用アイテムを取り出している気配を確かめる。

(――いざ)

 と、城扉に両手をかけようとしたその時にぐいと右の肩口を引っ張られた。

「おわっ」

 油断していてつい声が出た。

 強制的に回れ右させられたギルドの跡取り息子の視界一杯に、宿屋の一人娘の寝惚け面。

「むぶっ?!」

 そのまま伸びてきた唇に唇を重ねられた。

 体を捩る格好で硬直する魔神の末裔を残し、唇を離して数歩下がった宿屋の一人娘は珍しく、幼馴染みだって初めて見るくらい珍しく、頬を僅かに朱に染めていた。

「……これで勇者からは。一歩リード」

「あ、ああ……」

 しどろもどろに魔神の末裔が頷くと、宿屋の一人娘は唇の下に人差し指を当てて、なんと。

 驚くべきことに。

 微笑を湛えて許嫁を見返した。

 魔神の末裔が目を見張る。

「まだ私と勇者の決着も着いてない。私はあなたと結ばれて。冒険者ギルドとの提携を強め。ウチの宿屋を全土に展開する。そういう野望もある」

「そんな理由かよ」

「それにあなたのことは私が一番よく見てきた。一番よく知ってる。だから勇者には負けない」

 半分下がった瞼の下に大いなる自信をチリつかせ、宿屋の一人娘が宣言すると、その足元から淡青の燐光が立ち上り小柄な体を包み込む。

 帰還用転送魔法の前触れ。

「あなたが帰ってこないと私と勇者は永遠に決着が着かないから。早く帰ってきて。……待ってる」

 言うだけ言い残して宿屋の一人娘は消えた。

 ぽつんと一人魔王城の前に佇む魔神の末裔を空寒い風が撫でていく。

(……言いたいことだけ言っていなくなるって……反則だよな)

 まるで同じことを魔神の末裔は勇者にやった。

 あの時はただ独り善がりな満足感に浸っていたが。

(謝る予定、できちまったかな)

 分厚い暗雲立ち込める赤黒い空を見上げる。

 勇者は今頃魔王城へ向かって全速力で荒野を駆け抜けているだろうか。

 今はそれを信じて、前を向く。

 魔神の末裔が、対極に位置する陽の女神の力を持つ少女を信じて。

 巨大な門扉を押し開き、暗黒属性の塊が闇の城に飲まれていく。

「んじゃ一つ、エラーイうちの御先祖様の言い付けを忘れた魔王風情に、お灸を据えてやりますか」




 ――後に、世界は魔王の魔の手から救われる。

 予言の勇者は救世の英雄となり、世界中で伝説として称えられる。

 しかし救世の英雄は、歓喜に溢れる人々の気付かぬ間に、忽然と姿を消した。

 噂では町娘を一人お供に連れて、人を探す旅に出たらしいが。

 それを最後に英雄の目撃証言は途絶える。

 その後、平和になった世界で、彼女たちの旅の行く末を、知る者はいない――

 連載の方を更新しろよ!! などと自分の中で何かが喚き散らしてます。

 どうも読了ありがとうございます。作者の一休です。


 にじファンが閉鎖されてからこっち、どうにもつい見切り発車しがちです。

 いや見切り発車って初めは速攻で書き上げられるような気がしませんか?

 書いてみたらアラ不思議。一晩か長くても二日で勝つるという見込みからあれよあれよと十日ほど消えていきました。

 その間他の趣味に多大な皺寄せがいきまして、八月中に殿堂入りの予定がまだバッジ3つですよ! どうしてこうなった!?


 閑話休題。

 一休個人の目標で、いつかは異世界長編ファンタジーやりたいなと思ってるんですが、最近異世界物のクライマックスだけ抜き出して短編で使っちゃう傾向が出てきてますね……書いてる途中でいつも思います。

“勿体ない”

 でも見切り発車から執筆中に広がった世界観なんて扱いきる自信がないので、どんどん広がろうとするのを頑張って頑張って抑え込みながら放棄してました。

 跡取り息子VS魔王とか、跡取り息子がどこへ消えたとか、女の子二人旅の行方とか考えはあったんですけどね。

 なんか一休的にしっくり纏まっちゃったんで投げました。

 ……機会があればいつかその辺を描くことも、あればいいなぁ……


 取り敢えず今回は時間をかけすぎたというかその間一日分の労力をこちらに割きすぎたんで、ちょっとこれからアイデンティティーを守る戦いに赴いてきます。

 ……連載の方も一月放置なんで、いい加減やらな。

 ああもうなんて難産なのかしらこれだから見切り発車ってやつは!


 では、またいつかどこかでお会いする時を楽しみにしておりますm(__)m

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