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夜の茶屋3

 通された部屋を見てみると、そこはお凛が思ったよりも広い部屋だった。しかし、とても古くて手入れがあまり行き届いていない。あの主人の贅沢な着物を見た限り、もう少し金をかけられそうなものなのにとお凛は首を捻った。

 お凛は押さえきれぬ好奇心から、部屋に足を踏み入れる前に中の様子をきょろきょろと見回していた。しかし、仄かな行灯の光りに照らされている大きな布団が妙に艶かしいような気がして、つい顔を背けてしまった。人生で初めての出会い茶屋だ。どうしても要らぬ緊張をしてしまう。

「やれやれ、あの主人の品格じゃあ、この店は繁盛しないだろうなぁ」

「しかし、さっきの主人の着物は絹でしたよ。こんな場末の茶屋の主人にしては随分贅沢な身なりです」

 部屋に入るなり、恭次郎と誠之助は涼しい顔で話をし始めた。まだ戸口で固まってしまっているお凛は、あまりの露骨な部屋に目を丸くするばかりだというのに。

 ここがどんな場所なのか承知して来たつもりだったが、実際に目の前でそれを見てしまうと、何とも落ち着かない気持ちにさせられる。

 そんなお凛の様子を見て、恭次郎はわざとらしいまでの笑顔を浮かべておいでおいでと手招きをした。

「そんな所に立っていないで、お凛さんも中にお入りなさい」

 にたりと笑う恭次郎は、すっかり寛いだ様子で布団の上に足を投げ出して座っている。まるで床にでも誘うような様子の恭二郎にお凛は困惑したが、それを内に隠して精一杯微笑むと、部屋に備え付けてある鏡台の前に座って中を調べ始めた。

「のんびりしている暇はないんですから、恭二郎さんも手伝って下さい。何か少しでも手がかりを見つけなければ、ここに来た意味がありません」

 鏡越しに恭次郎をねめつけて、お凛は鏡台の引き出しを上から順に開けていった。何も入っていない。空の引き出しをしまいながらお凛はため息を吐いた。そもそも、こんな場末の出会い茶屋にお美代が来たなど、今でもとても信じられない。

 それでもお凛は目につく所を片っぱしから調べて、お美代が居た痕跡を見つけ出そうと必死だった。

「それらしい物は何にも無いねぇ」

 恭二郎は半ば諦めたように部屋の中をうろうろと歩き回っている。お凛もため息に似た返事を返した。しかし、誠之助が押し入れから取り出してきた小さな赤い袋を見て、お凛の顔色が変わった。

「それ、私が昨日お美代ちゃんに渡した香袋です!」

「では、やはりお美代さんはここに来ていたのですね」

 誠之助は押し入れから見付けた、もうひとつの物を皆の前に出した。それは香を焚く時に用いる小ぶりの香炉だった。

「おふたりとも、この部屋に入った時に変わった香りを感じませんでしたか?」

「あのねぇ誠之助さん。こういう所で香を焚くのは良くある事なんだよ」

「それは分かっています。しかし、この部屋に残る香りは、普通の香とはどこか違います。店の主人は、この部屋は今夜は使用していないと言っていました。昨日お美代さんがこの店に入ったのは四つよりも後。それ以降、他の客がこの部屋に通されたとは思えません。この店は昼間は営業することはない。つまり、この残り香はお美代さんたちが焚いた香のものだと思います」

 ここで誠之助は、鼻を僅かにひくつかせた。

「見てください、灰が固まっているでしょう。香を焚き終わった後に灰をかき混ぜていない証拠です。こうなると灰自体にも香の匂いが移ってしまうんですよ。本来なら良くないことなのですが、そのお陰で直前に焚いた香りが良く分かります」

 そう言われて、お凛も目を閉じて大きく息を吸い込んだ。誠之助の言うように、ほんの微かではあるが何かの匂いを感じ取ることが出来た。しかし、それがどんな香りなのかは正確には分からない。誠之助は相当鼻が利くようだ。

 お凛は香炉を鼻先まで持ち上げ、灰に残っている香りを注意深く確かめてみた。重く甘ったるい香りとともに、体の芯が痺れていくような刺激のある匂いを感じた。

「これ、何の香りでしょうか? こんなの初めて」

 ひとり何の香りも嗅ぎ取れなかった恭次郎は、ふんと鼻を鳴らした。

「あのねぇ、そんな香が何の手がかりになるっていうんだい。この後のお美代さんの消息は、結局分からずじまいじゃないか」

「そう言われれば、確かにそうですね」

 お凛は途端にしゅんと項垂れる。

「まぁ少なくとも、ここにお美代さんが間違いなく来た事だけは分かった。今日は一度家へ帰ろう。それとも、本当にこの部屋を堪能してみるかい? 三人で――」

 おどけた様子で着物の襟をくつろげる恭次郎を、誠之助が鋭い視線で睨み付けた。お凛は部屋に敷かれたままの布団をまた意識してしまい、顔を赤らめて首を小さく振った。

「残念だね」

 愉快そうにくつくつと笑いながら、恭次郎は腰をあげた。彼はいち早く廊下へ出ると、女中を一人捕まえてお美代の行方を知らないかと尋ねている。

「お嬢さん、さっきから動揺が顔に出すぎです。だから恭次郎さんにからかわれてしまうんですよ」

 お凛を振り返る誠之助の眉間には、いつにもまして深い皺が刻まれている。お凛はそれを見つめながら「ごめんなさい」と口にした。誠之助の仏頂面は相変わらずだったが、今はなぜか彼がとても怒っているように見えたのだ。

「おふたりさん。もう夜も遅いから早く引き上げよう」

廊下から恭次郎の声が聞こえてきた。

「さっき店の者に聞いたんだが、お美代さんたちは裏口から店を出ていったらしい。裏口は人気もほとんど無いようだから、残念だけど彼らを目撃した人はいないかもしれないね」

 今しがた仕入れた話を披露しながら、恭次郎が先頭になって廊下を歩いた。折角だから自分たちも裏口から出たいと彼が申し出ると、女中が皆の草履を裏口に運んでくれたそうだ。

「出会い茶屋には人目につかないように裏口を設けている店も少なくない。普段は便利だと思っていたが、今回ばかりは裏口を作った輩が恨めしいな」

 用意された草履を履きながら、恭次郎が呟いた。普段から彼はこんな店を使っているのかとお凛は呆れたが、あえて何も言わずに頭巾を深く被った。藪をつついて蛇が出てきては堪らない。隣では、誠之助も素知らぬ顔で草履を履いている。

 三人が店を出ると、目の前には大きな池が暗い水面を晒して静かに広がっていた。池のほとりには背の高い木や草が生えており、それらは店から出てくる者たちを人目から隠す役割をしていた。

「肝心なことは分からずじまいだったが、気を落とさないでおくれ」

 恭次郎がお凛の肩をそっと叩く。

「私は大丈夫です。本当に辛いのは、ご両親とお美代ちゃんですから……。恭次郎さんこそ今日はお付き合いしてくださって、本当にありがとうございました」

「こちらこそお役に立てて光栄だよ。それじゃあ、私はこの後寄る所があるからこれで失礼するよ。さっき待たせておいた籠はふたりで使うといい」

「でも、それじゃあ恭二郎さんは?」

「私の用事はこの近くだから歩いて行けるのさ」

「待ってください。私、お部屋の御代がまだです」

「言っただろう。こういうのは男が払うものだと決まっているんだよ。お凛さんと出会い茶屋に行けただけで、今夜は良い思い出が出来た。願わくは、今度はふたりきりで行きたいねぇ」

 するりと頬を撫でてくる手からそっと距離を置くと、お凛は恭次郎に深々とお礼を述べた。さきほど誠之助から指摘されたように、動揺を顔に出さないように苦労したのだが、なぜか恭次郎は笑いを圧し殺しているようだ。

 恭二郎が手を振りながら去っていくと、誠之助が苦笑いしながら頭を掻いた。

「お嬢さん。恭二郎さんと話している間中、ずっと目が泳いでいましたよ」

「え、そうでしたか?」

 誠之助はふっため息を漏らした。

「でもまぁ、そこがお嬢さんの可愛らしい所なんでしょうね」

 お凛は今度こそ二の句が告げないほど顔を火照らせて、被っていた頭巾を目元までひき下げた。ふたりが籠の中で微妙な距離を保ったまま屋敷に戻ったのは、月が西の空へと降りていく頃になっていた。

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