魔法学園に通う十一歳。遠足の班決めで余ったわたしを、班に入れてくれた子がいた
「では遠足の班は好きな人どうしで四人ずつ作ってくださーい」
先生がそう言ったとたん、五の星・白の組の教室が、わっとわいた。
いすががたがたと鳴った。みんなが立ち上がって、教室じゅうを歩きまわりはじめる。「いっしょになろ」「こっち来て」「あと一人、だれにする?」。あちこちで名前を呼ぶ声がした。
王立アステリア魔法学園の、五の星。十一歳のペネロペは自分の席に座ったまま、動けなかった。
アステリアでは、学年を星の数でよぶ。入学した年が一の星。一年ごとに、制服のむねの学年章の銀の星が、一つずつふえていく。
つくえの上で両手をぎゅっとにぎった。手のひらがじっとりしていた。心臓がどくどくと、耳のおくで鳴っていた。
――どうしよう。
好きな人どうし。
その言葉がいちばんこわかった。
四の星まではだいじょうぶだった。いつもサシャがいた。一の星のときからの親友。班決めのときはサシャがペネロペの手を引っぱって「ペネロペはわたしと!」って言ってくれた。
でもサシャは春休みに、お父さんの仕事で、北の港町に引っこしていった。
五の星になって組がえがあった。知っている子は何人かいる。話せる子もいないわけじゃない。でも、「いっしょになろ」って、自分から言える子はいなかった。
ペネロペはつくえの木目を見つめた。顔を上げたら、だれかと目が合ってしまう。目が合ったら、その子をこまらせてしまうかもしれない。
――あ、ペネロペさん、まだ決まってないんだ。どうしよう、うちの班、もういっぱいなんだけど。
そんなふうに思われるのが、こわかった。
「三人そろったー! あと一人!」
「ねえ、ミレーヌちゃん、こっち入らない?」
「入る入る!」
まわりの声がどんどん「決まった」に変わっていく。
ペネロペはえんぴつを一本、手に取った。何か書いているふりをしようと思った。でもつくえの上には何も書くものがなかった。えんぴつを持ったまま、木目を見つめた。
五分くらいたったころ、先生が、ぱんぱんと手をたたいた。
「はーい、決まった班から、座ってくださーい」
みんなが班ごとに、ばらばらと席にもどっていく。
教室がしずかになった。
ペネロペのまわりだけ、ぽっかりと、だれもいなかった。
「あら?」
先生が名簿を見ながら、首をかしげた。
「四人の班が七つで、二十八人……一人、まだの人がいるわね。ペネロペさん?」
教室じゅうの目がいっせいにペネロペを見た。
顔がかあっと熱くなった。耳も首も。のどのおくがきゅうっとしまって声が出なかった。
――見ないで。
だれかがくすっと笑った気がした。笑っていないのかもしれない。でもそう聞こえた。
姿消しの魔法が使えたらいいのに。でもそれは高等科になってから習う魔法だ。
「では先生が決めましょうか。ペネロペさん、どこか、入りたい班は――」
先生の声がやさしいのが、よけいにつらかった。
ペネロペはうつむいた。目のおくがじんわり熱くなってきた。泣いたらだめ。ここで泣いたら、もっとみんなに見られる。
そのとき。
「先生」
教室のまどぎわから、声がした。
「ペネロペ、うちの班に入れていいですか」
ペネロペは顔を上げた。
まどぎわの席で手をあげている男子がいた。
トリスタンくん。
五の星・白の組で、たぶん、いちばん人気がある男子。足が速くて、運動祭のリレーでいつも最後を走る。休み時間はいつも男子たちと中庭で球あてをしている。女子ともふつうにしゃべる。声が大きくてよく笑う。
ペネロペとは五の星になってからほとんど話したことがない。
「トリスタンくんの班? もう四人でしょう」
「ゴーちゃんが、五人でもいいって言ってます。な、ゴーちゃん」
トリスタンくんのとなりで、体の大きな男子が、まんまるの顔でにっと笑った。ゴーティエくん。みんなに「ゴーちゃん」とよばれている。
「いいよー。五人のほうが馬車の席、楽しいし」
同じ班の女子、ジョゼちゃんと、ポレットちゃんも、「いいよー」とうなずいた。
「先生、遠足って、五人の班でもいいんですよね? 去年の六の星、五人の班あったし」
先生は少し考えてからにっこりした。
「そうね。いいわよ。じゃあ、ペネロペさんはトリスタンくんの班ね」
教室がまた少し、ざわざわした。
「えー、トリスタンの班、五人?」
「ずるーい」
ペネロペはいすに座ったまま、ぽかんとしていた。
つくえの下で自分の指先を見つめた。さっきまで、いすの上で小さく丸まっていた体が、まだ、こわばっている。耳のおくで、心臓の音が、どくどく鳴っていた。でもさっきまでの、つめたいどくどくとは少しちがった。
まどぎわの席をもう一度だけ、こっそり見た。トリスタンくんはもうゴーちゃんと、遠足のおやつの話をしていた。銅貨三枚まで。果物はおやつに入るのか、入らないのか。いつもの、うるさい声。
ペネロペはつくえの上で両手をそっと開いた。手のひらに、つめのあとが、四つ、赤くのこっていた。
息をゆっくりと吐いた。教室の空気がさっきより少しだけ、あたたかく感じた。
――どうして。
どうしてトリスタンくんが。
ペネロペのことなんて、たぶん、名前くらいしか知らないはずなのに。
トリスタンくんが、まどぎわの席から、こっちを見た。目が合った。トリスタンくんは少しだけ、口のはしを上げた。
ペネロペはあわてて目をそらした。
顔がさっきとはちがう理由で熱かった。
――かわいそうだから、かな。
きっと、そうだ。一人だけ余って泣きそうになっていたから。トリスタンくんはやさしいから。リレーでも転んだ子に、いちばんに手をのばす人だから。
そう思ったら、胸のおくが、少しだけ、ちくりとした。
放課後、班ごとに集まって、遠足の計画を立てることになった。
行き先は王都の外れの、森の丘公園。学園の大きな乗合馬車で一時間。午前中は班ごとに森の小道を歩いて、魔法の目印をまわる。木の幹に光る印がついていて、杖を当てると、班の札に星が一つ、うかび上がる仕組みだ。お昼は草原の広場でお弁当。午後は丘の上の遊び場で遊んで帰る。
トリスタンくんの班は教室のうしろの、つくえを四つ……五つ、くっつけた。
「えーと、まず、班の名前と、旗をつくるんだよな。それと、目印のまわり方を決める」
トリスタンくんが、先生にもらった地図をつくえの真ん中に広げた。
小道がくねくねと何本もあって、目印の星が、六つ。どの順番でまわってもいい。早くまわれた班はごほうびの光るシールがもらえる。
「旗、だれがかく?」
ジョゼちゃんが言った。
「おれ、絵、むり。犬かいたら、ぶたって言われる」
ゴーちゃんが言ってみんなが笑った。
「わたしもむりー」
「あたしもー」
みんなが顔を見合わせた。
ペネロペはひざの上で手をにぎった。
絵は好きだった。家では毎日かいている。ノートのはしっこに教科書のすみっこに。サシャはペネロペの絵を、「ペネロペの絵、いちばん好き」って言ってくれた。
でもここで「わたし、かけるよ」って言ったら、出しゃばりだって思われるかもしれない。
「――ペネロペ、かけるだろ」
トリスタンくんが言った。
ペネロペは顔を上げた。
「え……」
「四の星のとき、図画の時間に、学園の絵、かいてたじゃん。ろうかにはってあったやつ。すっごいうまかった」
ペネロペはまばたきをした。
四の星の、図画の時間。「わたしたちの学園」という題で学園の絵をかいた。ペネロペは校舎を空を飛ぶ鳥から見たみたいに地図っぽくかいた。教室の場所、講堂、飼育小屋、図書室、塔。先生がほめてくれて、ろうかに、しばらくはってあった。
でも四の星のとき、トリスタンくんは別の組だったはずなのに。
「旗、ペネロペにたのんでいい?」
トリスタンくんが、みんなに言った。
「いいよー」「やったー」「ペネロペさん、絵うまいの?」
みんながペネロペを見た。さっき、教室で見られたときとはちがう目だった。
ペネロペは小さくうなずいた。
「……かく」
声が少しふるえた。でもちゃんと出た。
トリスタンくんが、にっと笑った。
「よっしゃ。じゃあ、班の名前、決めようぜ」
次の日の朝、げた箱で室内ばきにはきかえていると、うしろから、女子の声がした。
「ペネロペさん、よかったねー。トリスタンくんの班、入れてもらえて」
同じ組の、三人組の女子だった。いつも休み時間に、教室のまん中でわいわいしている子たち。
「トリスタンくん、やさしいもんね。余った子、ほっとけないんだよ」
「ねー。ほんと、やさしい」
三人はくすくす笑いながら、階段のほうへ行ってしまった。
ペネロペは室内ばきのかかとを指でつまんだまま、しばらく動けなかった。
――余った子。
分かっていた。分かっていたけれど、ほかの子の口から聞くと、胸に、小さなとげがささったみたいにちくちくした。
教室に入ると、まどぎわの席で、トリスタンくんがゴーちゃんとしゃべっていた。ペネロペは目を合わせないように自分の席に座った。
「ペネロペー」
ゴーちゃんが大きな声で呼んだ。
「旗の絵、もう考えた? おれ、おにぎり、梅干しがいい。昆布でもいいけど」
ペネロペはまばたきをした。
「え……う、うん。まだ」
「おにぎりの具、大事だからな。たのむぞー」
ゴーちゃんはにっと笑って、また、トリスタンくんのほうを向いた。
さっきの三人組が、教室の前のほうでちらっとこっちを見た。それから、つまらなそうに前を向いた。
ペネロペの胸のとげが、少しだけ、ぬけた気がした。
旗は家で三日かけてかいた。
一日目の夜、お母さんが、居間のテーブルで画用紙を広げているペネロペをのぞきこんだ。
「あら、なにかいてるの?」
「遠足の、班の旗」
「へえ。ペネロペが? だれにたのまれたの」
「……班の、男の子」
お母さんの目がまんまるになった。それから、にんまりと笑った。
「へええ。男の子」
「ち、ちがうの! 班のみんなにたのまれたの!」
「はいはい」
お母さんはくすくす笑いながら、台所にもどっていった。
ペネロペはえんぴつをにぎりしめて画用紙をにらんだ。顔が熱かった。
その夜、ベッドに入ってから、ペネロペは引き出しのおくから、一通の手紙を出した。
北の港町のサシャから、初夏に、伝書の小鳥が運んできた手紙。「ペネロペ、新しい組、どう? わたしはまだ友だちできない。ペネロペに会いたい」。何回も読んで、紙のはしっこが、やわらかくなっていた。
――サシャ。わたし、班に入れてもらったよ。
まだ、返事を書いていなかった。友だちができた、って書けなかったから。
遠足が終わったら、書こう。ペネロペは手紙を胸にのせて目をつぶった。
画用紙に、丘と、太陽と、五人の顔。班の名前はゴーちゃんの意見で「おにぎり隊」になった。ゴーちゃんの顔がおにぎりみたいだから。ゴーちゃんはぜんぜんおこらずに、「おれ、梅干し味な」と言った。
五人の顔は一人ずつ、よく見てかいた。
ゴーちゃんの、まんまるい顔。ジョゼちゃんの、二つに結んだ髪。ポレットちゃんの、まるい眼鏡。
トリスタンくんの顔をかくとき、えんぴつを持つ手が、少しだけ止まった。
短い髪。笑うと、目がくしゃっとなる。左のほっぺに小さなえくぼ。
――知ってる。
ペネロペはトリスタンくんの顔をなぜか、よく知っていた。思い出そうとしなくても、えんぴつが勝手に動いた。
自分の顔はいちばん小さく、すみっこにかいた。
次の日、旗を持っていくと、班のみんなが、わあっと声をあげた。
「すげー! おれ、おにぎりじゃん!」
「ジョゼ、かわいくかいてもらってるー」
「ペネロペさん、天才じゃない?」
トリスタンくんは旗をじっと見ていた。それから、すみっこの小さなペネロペの顔を指でとんとんとたたいた。
「ペネロペ、自分だけ、ちっちゃい」
「……え、あ、それは」
「もっと大きくかけばいいのに」
トリスタンくんはそう言うと、旗をくるくる巻いて、大事そうにかばんに入れた。
ペネロペの心臓が、どくん、と鳴った。
遠足の日はよく晴れた。
乗合馬車をおりると、森の空気は教室よりずっとつめたかった。落ち葉のにおいと、土のにおい。木のあいだから、鳥の声が聞こえた。
「おにぎり隊、出発ー!」
ゴーちゃんが旗を高くかかげた。
五人で森の小道を歩きはじめた。地図はトリスタンくんが持った。目印は六つ。ほかの班に負けないように早足で。
ペネロペは班のいちばんうしろを歩いた。
小道は思ったより急だった。木の根っこがあちこちに出ている。息がはあはあと上がった。ジョゼちゃんとポレットちゃんは前で楽しそうにしゃべっている。ゴーちゃんは旗をふりながら歌っている。
ペネロペはだんだん、おくれはじめた。
――待ってって言えない。
言ったら、みんなの足を止めてしまう。おにぎり隊はごほうびのシールをねらっている。ペネロペのせいでおそくなったら。
足を早めようとして、木の根っこに、つま先が引っかかった。
「わっ」
体が前にかたむいた。
転ぶ、と思った。
うでをつかまれた。
「……あぶね」
トリスタンくんだった。
いつのまにか、前から、もどってきていた。ペネロペのうでをぎゅっとつかんで引っぱり上げてくれた。
「だいじょうぶ?」
「う、うん……ごめん」
「ごめんじゃないって」
トリスタンくんはペネロペのうでをはなすと、前を歩く三人に大きな声で言った。
「おーい、ちょっと休けーい! 地図、見なおす!」
ゴーちゃんたちが、ふり返った。
「えー、もう?」
「ここ、分かれ道なんだよ。どっち行くか、決めないと」
トリスタンくんは近くの切りかぶに地図を広げた。
ペネロペはその横顔を見た。
分かれ道なんてなかった。まっすぐな一本道だった。
トリスタンくんは地図を見るふりをしながら、ちらりとペネロペを見た。それから、小さな声で言った。
「息、ととのったら、言って」
ペネロペの胸のおくが、きゅうっとしめつけられた。
――気づいてくれてた。
だれにも言えなかったのに。
四つ目の目印の近くでちょっとした事件が起きた。
小道のわきの、ベンチのそばで、小さな男の子が一人、泣いていた。
一の星の子くらい。黄色い帽子。背負いかばんのひもを両手でにぎって、ひっく、ひっくと、しゃくりあげていた。
「どうしたの?」
ジョゼちゃんが声をかけたけれど、男の子は泣くばかりで答えなかった。
「迷子?」
「どこの学校の子だろ」
「先生、呼びに行く?」
みんながおろおろした。
ペネロペは男の子の帽子を見た。黄色い帽子のつばに、名札がぬいつけてあった。「いちのほし あおのくみ クロヴィス」。それから、学園の星の紋。
ペネロペたちの学園だった。
「……あの」
ペネロペはしゃがみこんで、男の子と目の高さを合わせた。
「クロヴィスくん。一の星・青の組の、クロヴィスくんだよね。おんなじ学園だよ。わたし、五の星」
男の子がなみだでぐちゃぐちゃの顔でペネロペを見た。
「一の星の子たちは今日、丘の下の、小さな動物の広場に行ってるはずだよね。手洗いに行って、まちがえてこっちに来ちゃった?」
男の子はひっく、としゃくりあげて、それから、こくりとうなずいた。
「そっか。こわかったね」
ペネロペはポケットからハンカチを出して男の子の顔をふいてあげた。それから、トリスタンくんのほうを見上げた。
「トリスタンくん、地図、見せて」
トリスタンくんが、地図を差し出した。
ペネロペは地図の上に指をすべらせた。今いる場所。四つ目の目印。丘の下の、動物の広場。
「この道をまっすぐおりたら、十分くらいで動物の広場に出るよ。でも目印、まわれなくなっちゃう……」
ペネロペは言葉をのみこんだ。
目印をあと二つ。この子を送っていったら、間に合わない。ごほうびのシールはもらえない。
ペネロペのせいで。
「行こうぜ」
トリスタンくんが、あっさり言った。
「え……」
「シールより、こいつのほうが大事だろ。な、みんな」
ゴーちゃんが旗をかついでにっと笑った。
「おにぎり隊は迷子も救うのだー」
ジョゼちゃんとポレットちゃんもうなずいた。
五人で、男の子を真ん中にして小道をおりた。ペネロペが男の子の手を引いた。小さな手がペネロペの指をぎゅっとにぎっていた。
動物の広場に着くと、一の星の先生が、青い顔で走ってきた。男の子は先生の顔を見たとたん、また、わあっと泣き出した。
「ありがとう、ありがとう! 五の星のみんな、ほんとうにありがとう!」
一の星の先生が何度も頭を下げた。
帰りぎわ、男の子が、ペネロペのスカートのはしをくいっと引っぱった。
「おねえちゃん、ありがと」
ペネロペはほっぺが、ふわっと熱くなった。
お昼は草原の広場で食べた。
目印は四つしかまわれなかった。班の札には星が四つ。ごほうびのシールはもらえなかった。でも、だれも文句を言わなかった。
「ペネロペ、すごかったな。名札、すぐ見つけて」
ゴーちゃんがおにぎりをほおばりながら言った。
「わたし、ぜんぜん気づかなかった」
「地図もすぐ読めてたし」
「ペネロペさん、地図とくいなの?」
みんなに言われて、ペネロペはお弁当箱のふたをにぎったまま、もじもじした。
「……地図、かくの、好きだから」
「ペネロペの卵焼き、うまそう」
ゴーちゃんがペネロペのお弁当箱をのぞきこんだ。
黄色い、ふっくらした卵焼き。お母さんが朝早く起きて焼いてくれたもの。少しだけ、あまい味。
「……一個、いる?」
「いる!」
ゴーちゃんがすかさずおはしをのばした。その横から、もう一本、おはしがのびてきた。
「おれも」
トリスタンくんだった。
ペネロペのお弁当箱には卵焼きが三つ入っていた。ゴーちゃんが一つ、トリスタンくんが一つ。トリスタンくんは卵焼きを口に入れて、少しだけ、目をまるくした。
「……あまい」
「あ、ごめん。うち、あまいのなの」
「ちがう。うまい」
トリスタンくんはもぐもぐとかみながら、自分のお弁当箱から、鶏のからあげを一つ、ペネロペのお弁当箱に入れた。
「交換」
ペネロペはからあげを見下ろした。それから、トリスタンくんを見た。トリスタンくんはもう、おにぎりにかぶりついていた。
からあげは少ししょっぱくてとてもおいしかった。
「そういえば、四の星のとき、学園の地図の絵、かいてたもんな」
トリスタンくんが、卵焼きのあとの空っぽのおはしをくわえたまま、言った。
ペネロペははっとした。
「トリスタンくん、なんでそれ……」
四の星のとき、トリスタンくんは別の組だった。
――ううん。ちがう。
四の星のとき、トリスタンくんはこの学園にいなかった。
思い出した。
四の星の秋の学期。となりの組に転校生が来た。ろうかで、先生たちの部屋の場所が分からなくて、きょろきょろしていた男の子。この学園は塔や渡り廊下が入り組んでいて、初めての子はたいてい迷う。だれも声をかけなかった。ペネロペも声をかけられなかった。
でも次の日、ペネロペは図画でかいた学園の地図の絵をこっそり写した。先生にたのんで写しの魔法の紙で。それをその男の子のくつ箱にそっと入れた。
名前は書かなかった。
あのあと、男の子がどうなったか、ペネロペは知らない。そのうち、ろうかで、ふつうに友だちと歩いているのを見かけてほっとした。それきり、忘れていた。
「……あの転校生、トリスタンくん?」
ペネロペの声がふるえた。
トリスタンくんはおはしをくわえたまま、かたまった。
それから、ゆっくり、おはしを口からはなした。耳がまっ赤になっていた。
「……知らない」
「うそ」
「知らないって」
ゴーちゃんが二人の顔をきょろきょろ見くらべた。
「え、なになに?」
「なんでもない!」
トリスタンくんが、大きな声で言った。それから、お弁当箱を持って立ち上がった。
「おれ、水、くんでくる」
トリスタンくんは水筒を持って、草原の向こうの泉のほうへ、早足で行ってしまった。
ペネロペはお弁当箱のふたをにぎったまま、その背中を見ていた。
心臓がどきどき鳴っていた。
帰りの乗合馬車の席は班ごとだった。
五人の班はいちばんうしろの、長い座席。ゴーちゃんとジョゼちゃんとポレットちゃんは、つかれてすぐにねむってしまった。ゴーちゃんのいびきが、車輪の音にまじってごうごうと聞こえた。
ペネロペはまどぎわに座っていた。となりに、トリスタンくんがいた。
まどの外を夕方の町が流れていく。オレンジ色の光が、馬車の中まで差しこんでいた。
二人とも何も言わなかった。
ペネロペはひざの上で、手をにぎったり、ひらいたりしていた。
――聞いてもいいのかな。
お昼のあと、トリスタンくんはずっと、ペネロペと目を合わせなかった。丘の上の遊び場でもゴーちゃんたちとばかり遊んでいた。
聞かれたくないのかもしれない。
でも。
「……トリスタンくん」
ペネロペは小さな声で言った。
「今日、ありがとう。班に入れてくれて」
トリスタンくんはまどの外を見たまま、答えなかった。
「わたし、ずっと、かわいそうだから入れてくれたんだと思ってた。一人だけ余って泣きそうだったから」
声が少しふるえた。
「でももし、四の星のときの、あの地図のこと、覚えててくれたなら……」
そこまで言って、ペネロペは言葉が続かなくなった。
覚えてくれていたなら、なに? うれしい? それとも。
トリスタンくんが、かばんの横のポケットに手を入れた。
取り出したのは四つにたたんだ、古い紙だった。
すみがすり切れていた。何度もひらいたり、たたんだりしたあとがあった。
トリスタンくんはその紙をペネロペのひざの上にそっと置いた。
ペネロペはゆっくりとひらいた。
学園の地図だった。
空から見た、校舎。教室の場所。講堂。飼育小屋。図書室。塔。先生たちの部屋のところに、赤いえんぴつでまるがつけてある。四の星のペネロペがかいた、あの絵の、写し。
「……持ってたの」
「転校してきた次の日、くつ箱に入ってた」
トリスタンくんが、まどの外を見たまま、ぼそっと言った。
「だれが入れたか、分かんなかった。でもろうかに、おんなじ絵がはってあって。名前見たら、ペネロペって書いてあった」
ペネロペは地図を両手で持ったまま、動けなかった。
「お礼、言おうと思った。でも別の組だったし、ペネロペ、いつもサシャって子といっしょにいて、話しかけらんなくて。五の星で同じ組になって、今度こそって思ったけど、なんか、もう、言うときが分かんなくなって」
トリスタンくんの耳が、夕日よりも赤かった。
「今日の班決め、ペネロペが一人で座ってるの見て今だって思った。……かわいそうだからじゃない。ずっと、同じ班になりたかった」
ペネロペの目から、なみだが、ぽろっとこぼれた。
ひざの上の古い地図に、ぽつんと、しみができた。
ペネロペはあわてて手のひらで目をおさえた。
「……泣くなよ」
「泣いてない」
「泣いてるじゃん」
「トリスタンくんのせいだもん」
トリスタンくんが、こまったように頭をかいた。それから、ポケットから、くしゃくしゃのハンカチを出して、ペネロペのほうに差し出した。
ペネロペはそれを受け取って、思わず、ふき出した。
「しわしわ」
「……うるさい」
トリスタンくんも笑った。目がくしゃっとなった。左のほっぺに小さなえくぼ。旗にかいたのと、同じ顔だった。
馬車が森のトンネルみたいな木のアーチに入った。まどの外がまっ暗になった。ゴーちゃんのいびきが、ごうごうとひびいた。
暗やみの中で、トリスタンくんが、小さな声で言った。
「ペネロペ。来年の修学旅行も同じ班、な」
ペネロペはひざの上の地図をぎゅっとにぎった。
「……好きな人どうしで決めるんだよ」
「だから、言ってんじゃん」
木のアーチをぬけると、まどの外が、夕日でまぶしかった。
ペネロペはまど硝子に映る自分の顔を見た。耳までまっ赤だった。
となりで、トリスタンくんもまどの外を向いて、同じくらい赤くなっていた。
ペネロペは古い地図をそっとたたみなおして、トリスタンくんの手のひらに返した。
「これ、まだ持ってて」
「……うん」
「そのかわり、新しいの、かいてあげる。修学旅行の地図」
トリスタンくんが、ゆっくり、こっちを向いた。
「南の古い都?」
「南の古い都」
「……おれの顔もかく?」
「かく。今度はわたしの顔も大きくかく」
トリスタンくんが、ふっと笑った。
馬車が学園の門の前で、がたん、と音を立てて止まった。
その夜、ペネロペは自分の部屋のつくえに便せんを広げた。
北の港町のサシャへの、返事。初夏にもらった手紙から、もう五か月もたっていた。
えんぴつを持って、少し考えてから書きはじめた。
――サシャへ。返事がおそくなってごめんね。きょう、遠足に行きました。森の丘公園です。
――班は五人でした。ほんとうは四人の班なんだけど、わたしが余っちゃって、そしたら、ある男の子が「うちの班に入れて」って言ってくれて五人になりました。
――班の名前はおにぎり隊です。旗はわたしがかきました。みんな、すごいってほめてくれました。
――迷子の一の星の子をみんなで送っていったから、ごほうびのシールはもらえなかったけど、ぜんぜんくやしくなかったです。
そこまで書いて、ペネロペはえんぴつを止めた。
その男の子のこと。四の星のときの地図をずっと持っていてくれたこと。馬車の中で、来年も同じ班、と言われたこと。
書きたかった。でも書いたら、顔から火が出そうだった。
ペネロペは少し考えてから、便せんのいちばん下に小さく書きたした。
――サシャ。わたし、友だちができたよ。それから、もう一つ、ないしょの話があります。冬休みに、伝声石で話すから、そのとき話すね。
便せんをたたんでふうとうに入れた。明日の朝、学園の伝書の小鳥小屋に持っていこう。
それから、新しい画用紙を一まい、つくえの上に広げた。
まだ、南の古い都の地図はどこにもない。どこに何があるのかもよく知らない。でもえんぴつは勝手に動いた。
画用紙のまん中に二人の顔。
短い髪で、目がくしゃっとなって、左のほっぺにえくぼのある男の子。
そのとなりに、同じくらいの大きさで自分の顔。
(完)




