この時代の正義
帰りの電車で、俺はスマホをぼんやり眺めていた。
いつものことだ。
特に見たいものがあるわけでもないのに、指だけは動いている。
その時、ひとつの投稿が目に止まった。
退勤路で、若い女性がビアンキのクロスバイクの横でガチャガチャやっている。
どうやらチェーンが外れているらしい。
サイクリストの男は一瞬で理解する。
自分なら直せる。
目の前で若い女性が困っている。
でも彼は声をかけなかった。
黙って立ち去った。
焦っている時に見知らぬおっさんに声をかけられたらどう思うか。
怖いかもしれない。
不快かもしれない。
だから声はかけない。
もし向こうから声をかけてきたら、その時だけ助ける。
それが唯一の正解だ、と書いてあった。
投稿の下には「いいね」が何万もついていた。
コメントも似たようなものばかりだった。
「これが今の時代」
「余計なトラブル回避」
「賢い判断」
俺は画面を見ながら、少しだけ考えた。
最近よく見る話だ。
AEDを女性に使うと訴えられるかもしれないとか、
財布を拾って声をかけたら怖がられたとか。
全部が本当かどうかは分からない。
でも、そういう空気があるのは確かだった。
昔は単純だった。
困っている人がいたら助ける。
それだけだった。
でも今は違う。
「誰が」「誰に」助けるか。
そこに条件がつく。
電車が駅に着いた。
改札を出て、夜道を歩く。
住宅街は静かだった。
少し先の歩道で、女性が立ち止まっていた。
ヒールを脱いで、足を押さえている。
どう見ても靴擦れだった。
近くの街灯の下で、少し困った顔をしている。
もし昔だったら、たぶん声をかけていたと思う。
「大丈夫ですか」
それだけでいい。
でも、足は止まらなかった。
いや、正確には止めなかった。
頭の中に、さっきのツイートが浮かんでいた。
困っている女性。
見知らぬ男。
その組み合わせは、昔よりずっと難しくなっている。
声をかける理由は善意でも、
相手がどう受け取るかは分からない。
怖いと思うかもしれない。
夜道ならなおさらだ。
だったら、近づかない方がいい。
それが配慮だ。
そういうルールなんだろう。
俺はそのまま横を通り過ぎた。
女性はまだ街灯の下にいる。
たぶんそのうちタクシーを呼ぶか、
誰か別の人に声をかけるか、
ゆっくり歩いて帰るだろう。
俺が助けなくても、世界は回る。
家までの道を歩きながら、ふと思った。
これが正しいのかどうかは分からない。
でも少なくとも、安全ではある。
トラブルもない。
誤解もない。
ただ、少しだけ不思議だった。
子供の頃は、
困っている人を助けるのが「良いこと」だった。
でも大人になると、
困っている人に近づかないことが「正しいこと」になる。
たぶん今の時代は、
「助ける勇気」じゃなくて、
「関わらない判断」を褒める時代なのかもしれない。




